- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
905 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 04:33:39.30 ID:QBymM30PP - >>1
>日本の支配を受け、植民地とされた国の方々の民族の誇りを傷つけて大変な苦難を与え、 >被害を与えたことは確かだが、 えっ!まだ騙された振りをしなきゃならないの? 高市さんはまだ知らないの? 資料目次 1、併合前の朝鮮 2、選択 3、恩恵 4、併合評価 http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/oversea/1296217437/278
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
909 :>>905 1、併合前の朝鮮[sage]:2013/05/13(月) 04:38:00.63 ID:QBymM30PP - 李朝時代の朝鮮では、三月から六月までは食糧が不足する春窮期であった。
当時の人口は、農民が約八割を占める。 飢餓の春窮期を迎えると、朝鮮総人口の約六割が山野で草根樹皮を採集して 生命をつなぐという状態だった。 朝鮮の農書、農史を読むと、朝鮮農民は中国農民と酷似しているのがわかる。 旱害、水害、風害、雹害、病虫害が、間断なく年中行事のように各地を襲い、 農民は乞食、農奴同然である。 中略 戦前、日本農民を除いた中国、インド、東南アジアなどのアジア農民は、 きわめて貧しく飢餓状態にあり、 干ばつのたびに餓死者が大量に出るのが常であった。 なかでも、朝鮮半島の農民は、李朝時代の両班からの搾取、地理、天候などの 条件からもっとも貧しかった。 ただ両班の人為的なものを除いても、もともと自然条件と社会条件はかなり悪かったのである。 可耕地の広さに比べ農業人口があまりにも多く、 地質、土壌、治山治水の荒廃、気候寒冷などの自然状況も悪い。 さらに山林荒廃による燃料不足、堆肥不足、旧来農法の墨守などの面からも 農業立国となるのは難しかった。 「韓国は日本人がつくった」黄文雄 徳間書店
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
911 :>>905 1、併合前の朝鮮(2)[sage]:2013/05/13(月) 04:41:18.46 ID:QBymM30PP - 渡部
日清・日露戦争当時の朝鮮というのは、底知れぬ貧乏国でした。 単に近代産業がないというレベルではありません。 農業生産にしても、とうてい日本とは比べ物にならないものだった。 「春窮(しゅんきゅう)」という言葉があるくらいで、 秋に収穫した米も春を迎えるころになると尽きてしまうというのが珍しくなかった。 収奪なんてできるわけがない。 また当然、商業なども発達していませんでした。日清戦争の後に 、陸軍軍人であった柴五郎が朝鮮を旅行したときに驚いたのは、 朝鮮には銀貨も紙幣もなくて、銅銭だけがあったということでした。 つまり、当時の朝鮮には高額の貨幣が必要なかったのです。 そして、その銅銭もシナから輪入した銭だった。 谷沢 日本で言うと、平安時代末期から鎌倉時代の状況です。つまり、コリアの経済は日本よりも800年遅れているわけです。 (中略)李氏朝鮮においては商業は卑しいものだと思われていた。 「こんな「歴史」に誰がした」渡部昇一・谷沢永一 平成9年 クレスト社 なぜなら、これは司馬遼太郎さんも書いておられることですが、 当時の朝鮮の文明のレベルは日本で言えば奈良時代のレベルでした。 産業なんてもちろんありませんし、道路とかもほとんど整備されていませんでした。 当時、福田徳三という東京商科大学の経済学者がおりましたが、 その福田さんが、日本の経済水準に比べて一千年遅れていると書いておられますから、 日本の奈良時代のレベルというのはあながちおおげさでもないのでしょう。 朝鮮はそれぐらいのレベルの国だったんです。 http://www.seisaku-center.net/archives/kyoukasyo/sakai-koenroku/sakai-koenroku-2/itou-sakai2.htm
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
913 :>>905 2、選択[sage]:2013/05/13(月) 04:44:50.83 ID:QBymM30PP - 当時の朝鮮は財政が破綻し破産状態、その上
森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権など あらゆる利権を諸外国に売り渡していて 自力での近代化の道は完全に閉ざされていました。 ==================================== 朝鮮時代、全権公使としてアメリカを訪問した李成玉がアメリカ国内の各民族に 接してみると、朝鮮人は、アメリカ人に軽蔑されているインディアンよりも劣っ ていたことに衝撃を受け次のように述べている。 「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つこ とは出来ない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。。そして併合 相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はち がう。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らない が、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き 世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民 族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を 基に考察したのだ。 李成玉 「李完用の心事と日韓和合」より
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
917 :>>905 2、選択(補足資料)[sage]:2013/05/13(月) 04:49:31.46 ID:QBymM30PP - 1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権 鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権 アメリカには京仁鉄道敷設権 雲山金鉱(平北)採掘権 イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権 フランスには京義鉄道敷設権 1897年 ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権 軍隊の教育訓練権 ドイツに江原・金城、金鉱採掘権 1898年 アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権 日本へ京釜鉄道敷設権 イギリスに平南・殷山金鉱採掘権 1899年 ロシアへ東海岸における捕鯨権 1900年 ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権 日本に京畿道沿海の漁業権 1901年 フランスに平北・昌城金鉱採掘権 ======================== >> お前後でサシでやってやるから待ってろ >>1 >日本の支配を受け よく嫁
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
924 :>>905 2、選択(決断)[sage]:2013/05/13(月) 04:54:03.61 ID:QBymM30PP - 韓国皇帝の勅諭
皇帝、若(ここ)に曰く、 朕否徳にして艱大なる業を承け、 臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、 未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。 中夜憂慮善後の策茫然たり。 此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。 寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。 故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、 茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、 外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。 惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、 煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。 朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。 爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。 隆煕四年八月二十九日 御璽 http://toron.pepper.jp/jp/20cf/heigou/heigoujo.html =============================================================== ★もう一度★ >茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、 >外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。 >煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
928 :>>905 2、選択(決断)[sage]:2013/05/13(月) 04:59:25.10 ID:QBymM30PP - >>922
もう我慢できん お前はサシで歴史議論出来るな? ここに来いよ とりあえず↓を読んでレスしろ http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/oversea/1348371691/56
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
933 :>>905 2、選択(決断)[sage]:2013/05/13(月) 05:05:35.62 ID:QBymM30PP - >>922
>日本は中華の利権を独占しようとした。そのために米国と英国を >敵に回したわけよ。 お前ばかじゃねえの?結局はぶつかる事になるだろうよ。 1945年、日本はポツダム宣言を受諾した。 この日ニューヨークポストは 「太平洋の覇権を我が手に」と題する社説で 「我々はペリー以来の願いを達した。これでアジアの市場と覇権は我々のものとなった」と書いた。 =================
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
941 :>>905 2、選択(決断)[sage]:2013/05/13(月) 05:11:06.76 ID:QBymM30PP - 欧米との協調路線だのなんだの・・・
日本の本音 ------------------------- たとえば台湾総督府に提出された統治意見書の一つである「台湾経営策」は、 欧米列強による植民地支配と人種差別を「畜生道」と非難するとともに、 英仏の 問接統治路線を参考にすべきだという意見を「英仏は我国体に似ず」と一蹴し、 台湾人を「皇道」によって「我国体に同化」して、アジア連合による「極東独立」 「東洋の平和」を目指すことを主張している。 小熊英二 「日本人の境界」 p92 -------------------------- この本音を隠さなければならなかった。 それは何故か?当時は弱肉強食の時代であり、このあとすぐに日英同盟を結んでロシアと対峙しなければならなかったから。 しかし大東亜戦争によって本音を隠す必要が無くなった ------------- 大東亜会議 >然(しか)るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては >飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞(たくま)しうし遂には大東亜の安定を根底より覆(くつがへ)さんとせり http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/pm_of_lu.html
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
946 :>>905 2、選択(決断)[sage]:2013/05/13(月) 05:14:42.86 ID:QBymM30PP - 東京裁判最終弁論でブレークニー弁護人は主張した。
「日本が真に重大なる譲歩を行ったのは東條内閣が交渉の再検討をした最初の成果、即ち甲案に於いてであった 証拠の分析は、日本がただにあらゆる点に於いて譲歩したに止まらず、譲歩に譲歩を重ね、 遂に譲歩の極に到達したことを証するものである」極東軍事裁判速記録393号 「大東亜戦争への道」展転社 中村粲 ルーズベルトは対日石油禁輸が極めて危険度の高い制裁手段であることを 承知していた。 当時、海軍作戦部長であったスタークは大統領から対日石油禁輸について意見を求められ、 「禁輸は日本のマレー、蘭印、フィリピンに対する攻撃を誘発し、 直ちに米国を戦争に捲き込む結果になろう」との意見を提出していたことが 昭和21年、真珠湾に関する議会委員会の聴聞会で明らかになっている。 同じスターク提督は戦争中の19年、海軍軍事法廷での証言で 「石油禁輸の後は日本はどこかへ進出して石油を取得する他なかったのであり、 自分が日本人だったとしてもそうしただろう」と述べたのであった。 ピアード教授は「ルーズベルト大統領は1941年夏、海軍の専門家達から 対日経済制裁は延期すべきであり、そのような行動をとればかなり早い時期に 日本の攻撃を招くであろうとの忠告を予め受けていたのだ」と述べ 対日石油禁輸を批判する。 「大東亜戦争への道」展転社 中村粲
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
957 :>>905 2、選択(決断)[sage]:2013/05/13(月) 05:23:46.54 ID:QBymM30PP - >>950
>北大西洋憲章やフィリピン独立の経緯やリットン調査団や軍縮会議とかググってみろよw こんな事を書いているような相手なら余裕だな サシでやってみるか? >>951 >ところが調子に乗って上海や重慶を無差別爆撃して >挙句の果てに傀儡国家満洲を建国、その後仏領インドシナを奪ったから >欧米から非難されたんだろうが こんな事を書いているような相手なら余裕だな サシでやってみるか? とりあえず私はここにいるよ 絶対に逃げられないスレに来いよ http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/oversea/1348371691/
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
965 :>>905 2、選択(決断)[sage]:2013/05/13(月) 05:29:38.60 ID:QBymM30PP - 「中国侵略」という大嘘のキーポイントは満州国建国関連だ。
私はこの議論を4年間して どんな学者とやっても「侵略」と言わせない自信がある。 一応これが始まりね http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/oversea/1348371691/267 >>950と>>951 早く返事しろよ。 とりあえず向こうではコテ(好きな番号でもよい)付けろよ
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
970 :>>905 2、選択(決断)[sage]:2013/05/13(月) 05:35:44.81 ID:QBymM30PP - >>968
>日本はナチスが勝つほうに張っただけ あのー・・・君は日米交渉に於いての来栖大使の提案知ってるの? >てか、あの時代侵略戦争は悪じゃない 侵略じゃねえから 馬鹿か?
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
973 :>>905 2、選択(決断)[sage]:2013/05/13(月) 05:39:06.78 ID:QBymM30PP - >>968
来栖大使がハルと単独会見で出した「三国同盟死文化提案」の事だよ。 もちろん知っているんだろうな?
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
984 :>>905 恩恵[sage]:2013/05/13(月) 05:50:25.29 ID:QBymM30PP - >>924
>日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。 地球史探訪:忘れられた国土開発 _/_/ _/_/ ■ 目 次 ■ _/_/ 1.李朝朝鮮の飢餓地獄 _/_/ 2.20年間で倍増の人口爆発 _/_/ 3.植林、河川・砂防工事、ダム建設、、、 _/_/ 4.きめこまかな農民保護政策 _/_/ 5.開発をささえた資金源は _/_/ 6.食料危機対応のモデルケース この人口増加の原因としては、いくつかの要因がある。一つは第 6代宇垣一成総督による「農村漁村振興運動」などの民生向上活動 である。30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、 農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食料の増産が図 られた。併合当初米の生産量が約1千万石であったのが、20年後 の昭和に入ると、2千万石へと倍増した。[1,p80] もう一つは医療制度の確立、特に伝染病の予防である。1910年か ら徹底的な検疫を実施し、コレラ、天然痘、ペストなどは、1918年 から20年の大流行を最後に押さえ込まれ、乳児死亡率が激減した。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
991 :>>905 4、併合評価[sage]:2013/05/13(月) 05:56:28.43 ID:QBymM30PP - >>979
>負けても経済大国だから 日本が第二次大戦で植民地を解放するきっかけを作った。 それにより戦後植民地に戻ってきたオランダやイギリスは現地住民との間で激しい戦いをする事となった。 アメリカはヨーロッパの持っている植民地の独立は止むを得ないとしてガット体制(自由貿易)を構築して、 ヨーロッパに植民地の独立を認めるように迫った。 ガット体制(自由貿易)にすれば植民地を持っていなくとも 自由にどこからでも原材料をを確保する事が出来、またどこの市場でも商品を売る事が出来る。 しかし考えてみればこの成り行きは当然の事。 連合軍は日本を「侵略者」にして丸く収めたつもりだったが、 植民地に帰ってきたヨーロッパの国々が現地住民との間で独立をめぐり 激しい戦いを始めた時、人々は本当の侵略者の存在に気づき(思い出し)始めた。 その事を敏感に察知してアメリカは動いたのである。 日本はガット体制(自由貿易体制)で凄まじい恩恵を受け経済大国になれた。 日本が経済大国になれた根本原因を探るとこれに到達する。
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
994 :>>905 4、併合評価[sage]:2013/05/13(月) 06:00:03.97 ID:QBymM30PP - 現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが
「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。台湾で日本時代に 行われた「許可制」による改名運動に比べたら、むしろ韓国人にとっては 「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。ましてや「日帝」は万民 平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、戸籍さえ許されなかった 人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。さらに、「皇民化」=近代 国民運動によって日本語やハングル文字を普及させただけでなく、李朝時 代以来、両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・ ハングル混じりの文章を体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進したと いうのが、紛れもない史実だ。 「生命を奪われた」というのも、実に史実に反している。近代化の産業 発達によって優生学的な社会改革が行われたことで、有史以来の飢餓と疫病 を克服することができ、植物依存の生態系までも変えることができた。その ため、米の生産量が一千万石から二千万石以上に倍増し、韓国の人口も倍増 した。このことを、生命を奪ったとは言わないだろう。日本は優生学的に も人口学的にも、韓人の生命の質を飛躍的に向上させたのだ。 客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と 言うべきだろう。/韓人に少なくとも自国史について「正しい歴史認識」を 日本は求めなければならない。 「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国 黄文雄
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★5
1000 :>>905 4、併合評価[sage]:2013/05/13(月) 06:05:09.72 ID:QBymM30PP - >>991
>日本はガット体制(自由貿易体制)で凄まじい恩恵を受け経済大国になれた。 自由貿易にしたら日本が経済大国になる事をマッカーサーは分かっていただろう。 ------------------- 昭和26(1951)年5月3日。朝鮮戦争に於ける戦争方針でトルーマン大統領と対立し、 GHQ最高司令官を解任されたマッカーサーが、米国上院軍事外交共同委員会の場で、 朝鮮戦争に於いて彼が主張した支那海上封鎖戦略についての答弁の際、以下の様な 「爆弾発言」をしたのです。曰く、 『問 では五番目の質問です。赤化支那(中共:共産中国)に対し海と空とから封鎖し てしまへといふ貴官(マッカーサーの事)の提案は、アメリカが太平洋において日 本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。
|
- 【従軍慰安婦問題】 橋下氏 「歴史をひも解いたら、いろいろな戦争で、勝った側が負けた側の方をレイプするという事実は山ほどある」
125 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:06:52.17 ID:QBymM30PP - >>1
>敗戦の結果として、侵略だということはしっかりと受け止めなければいけない。実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことも間違いない。 >反省とおわびはしなければいけない。 敗戦の結果?勝っていたら侵略じゃ無い?
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
517 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:09:55.22 ID:QBymM30PP - >>512
えっと・・・こいつもそうだが サシでじっくりと歴史議論出来る奴はいるのか? もちろん別スレでな。 ニュー速+のスレなんて何日後には消えるだろ? 全く消えないから逃げる事も出来ない。 とことんまで議論
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
519 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:16:20.85 ID:QBymM30PP - >>518
>戦争に大敗し魂を売りとばしたけど飛躍的に経済発展した国 因果関係をきちんと見極めなければな ---------- 日本が第二次大戦で植民地を解放するきっかけを作った。 それにより戦後植民地に戻ってきたオランダやイギリスは現地住民との間で激しい戦いをする事となった。 アメリカはヨーロッパの持っている植民地の独立は止むを得ないとしてガット体制(自由貿易)を構築して、 ヨーロッパに植民地の独立を認めるように迫った。 ガット体制(自由貿易)にすれば植民地を持っていなくとも 自由にどこからでも原材料をを確保する事が出来、またどこの市場でも商品を売る事が出来る。 しかし考えてみればこの成り行きは当然の事。 連合軍は日本を「侵略者」にして丸く収めたつもりだったが、 植民地に帰ってきたヨーロッパの国々が現地住民との間で独立をめぐり 激しい戦いを始めた時、人々は本当の侵略者の存在に気づき(思い出し)始めた。 その事を敏感に察知してアメリカは動いたのである。 日本はガット体制(自由貿易体制)で凄まじい恩恵を受け経済大国になれた。 日本が経済大国になれた根本原因を探るとこれに到達する。
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
521 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:20:33.57 ID:QBymM30PP - >>520
「日米開戦の真実」(大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く) 小学館文庫 佐藤優著 佐藤優はまえがきでこのように書く ---------------------------------- 1941年12月の開戦直後、当時の政府は戦争の目的と そこに至った経緯を国民に対して論理的かつ実証的に説明することを試みた。 その一つが大川周明によるNHKラジオの連続講演(全12回)だ。 この速記録は講演が行われた翌月(1942年1月)に『米英東亜侵略史』(第一書房) という単行本として上梓され、ベストセラーになった。 本書を読めば、日本が何故にアメリカ、イギリスとの戦争に至らざるを得なかったのかが よくわかる。さらにその内容が客観的事実に基づいた冷静な主張であることにも驚かされる。 本書にその全文を掲載している。 読まれた方は、「鬼畜米英!」などといった過激なプロパガンダが見られないことを 意外に思われるかもしれない。 しかし、そのことは当時の日本国民の知的水準の高さを示している。 帝国主義の時代において戦争は不可避であった。 日本は開戦の大義名分をもっていたし、アジア国家としての筋を通した。 しかし筋を通す正しい国家が必ずしも勝つわけではないというのも歴史の厳粛たる事実だ。 大川周明もA級戦犯容疑者として逮捕され、公判に引き出されたが、精神障害のため免訴となった。 本文で詳しく紹介するが、この免訴については謎がつきまとう。 大川が『米英東亜侵略史』の言説を法廷で繰り返した場合、理論的には開戦の正当性について、 日本の大義と米英の大義をほぼ互角に持ち込めただろう。 日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、 日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。 日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に向けて 追い込まれていったのである。 あの戦争を避けるためにアメリカと妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、 準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。 日米開戦の真実 大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く 佐藤 優
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
523 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:26:02.54 ID:QBymM30PP - >>520
>戦時中の日本は軍事政権で軍部が暴走みたいにいわれてるけど国民が一番暴走してた。 「戦前はマスコミが煽った」みたいな言い方をよくするだろ? ところがほとんど自実話そのまま伝えただけなんだ。 たとえば通州事件が起こったが、中国人による日本人への残虐な殺し、 そしてその日本人の遺体を損壊する様などを報じれば 当時の日本人は「暴支膺懲」となるのは当たり前なんだ。 現在マスコミは韓国や中国の事実を報道すると 日本国民が激高するとして報道しないが その方がいいか?
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
525 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:36:52.97 ID:QBymM30PP - >>523
>自実話 事実 2ちゃんねるでネトウヨ代表を一人出せと言われれば 私が真っ先に挙げられるだろう。 その私が議論の相手をしてやるって言っているのだから 「日本は侵略した」だの言う奴は相手をしてやるよ。 確かに誤りは確かにあったが、功績に比べれば全く問題にするほどの事ではない。 これはたとえば 厳しい状況に於かれた中で人の道を踏み外さず懸命に生きた人がいたとするな? その中で何かしらの失敗もあった。 そしてその人が大きな成果を成し遂げた後、 その誤りをねちっこく非難するようなものだ。 全くガキの所業だよ。 サシでやってやるから受ける奴は手を挙げろ
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
526 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:42:34.55 ID:QBymM30PP - >確かに誤りは確かにあったが、
酔っぱらって帰ってきたのでちょっとおかしいな。 酔っている時はレスしないのだが、 あまりにもクソ馬鹿の癖してぴーちくぱーちくウザイので ついレスをしてしまった。 おい、書き逃げの出来ないスレに誘導してやっから名乗りを上げろ。 あとマスコミ関係者や反日政党関係者もこのスレ見ているんだよな? お抱え反日学者に「2ちゃんねるネトウヨ代表と歴史議論」って企画はどうだ? もちろん私を論破した後で 「2ちゃんねるのネトウヨ代表論破される!」って紙面なり、テレビの特集なりすればいい。
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
528 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:46:38.63 ID:QBymM30PP - >お抱え反日学者
お抱え反日歴史学者な・・・ それから >「2ちゃんねるのネトウヨ代表論破される!」 えーと「勝手にお前がネトウヨ代表を名乗るなよ!それは私だ」って人がいたら・・・ その称号は取りあえず譲ります。 お手並み拝見します。
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
529 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:54:34.77 ID:QBymM30PP - とりあえず資料コピペで済むスレに移る
|
- 【慰安婦問題】 韓国、橋下氏の「妄言」を批判
214 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 22:58:26.14 ID:QBymM30PP - 従軍慰安婦問題(現在は日本軍による性奴隷問題(大嘘))
ではまず「慰安婦の必要性」を説かなければならない。 それをはっきりさせてから では「その慰安婦をどのように集めたか」を論じていく。 ------------------------------ 戦場など、命の危険があるところでは一時的に性欲が高まるのである。 兵士は明日をもしれない命なので、自己保存の本能が 性欲に作用する為である。 そういう事なので 何らかの対策をしなければ「占領地の女性を強姦」といった事が起こってしまうため、 いわば「慰安婦」は戦争相手国の女性を守るための人道上必要な存在なのである。 それ故にそのような「慰安婦」には高額な報酬が支払われていたのである。 ============================================================== ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万6145円の 貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故郷の大邱に 小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在の貨幣価値なら、 4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯めたことになる。[2,p301] http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html アメリカに「慰安婦の必要性」を説く資料を次に貼る
|
- 【慰安婦問題】 韓国、橋下氏の「妄言」を批判
225 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 23:02:49.96 ID:QBymM30PP - >>214
>アメリカに「慰安婦の必要性」を説く資料を次に貼る --------------------------------- ミッドウェー海戦で日本の主力機動部隊を全滅させ、 戦後の日本占領にもかかわっていたレイモンド・スプルーアンス提督は、 平和になってから異質の問題に直面した。それは日本に上陸したアメリカ人の水兵や海兵隊員が強姦事件を起こしたり、 泥酔騒ぎを起こしたりする者や、花柳病患者になる者が激増したのである。それで医師の勧告を容れて、 兵士のための下半身問題処理所を作らせた。 その結果は上々で、花柳病にかかる率や泥酔者や強姦事件の数も最小限まで下がり、将兵共に満足した。 これはそれまでのアメリカ軍が、占領地における兵士の行動に対する対策を持っていなかったことを示している。 日本軍は日清戦争以来の体験でそれに対する“良心的”な対策を持っていた。 アメリカ軍は慌てて被占領地である日本の女性をリクルートしたのであったが、 日本軍は被占領地の女性を使わずに、自国の紹介業者(江戸言葉では女衒=ぜげん)に自国の女性をリクルートさせ、 営業させたのである。アメリカ軍が日本軍ほど“良心的”であり、かつ“思慮深かった”ならば、 サンフランシスコあたりのピンプ専門の業者に、 アメリカの女性をリクルートさせて横須賀あたりで営業させる準備をしておくべきだった。 《漢語の「換骨奪胎」に近い言葉》 日本軍の“良心的”な配慮の下に働いた占領地の売春婦は「従軍慰安婦」と別の日本語に翻訳され、 更に「性の奴隷(セックス・スレイブ)」と英語にも翻訳されて日本人悪人説を 世界に普及させるのに大きな貢献をしている。 2002/12/16 (産経新聞朝刊) 正論 翻案表現の良否見分ける眼 上智大学名誉教授 渡部 昇一
|
- 【慰安婦問題】 韓国、橋下氏の「妄言」を批判
237 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 23:07:25.44 ID:QBymM30PP - >>225
歴史詐欺の韓国は特にアメリカ中心に「日本軍による性奴隷」という嘘を ばらまいている。 そこでアメリカに「慰安婦の必要性」>>225を理解してもらい、 次に朝鮮のキーセン文化を説明しながら・・・ 「今現在、韓国は大勢の売春婦を世界に出して問題を起こしている。 (これはアメリカやオーストラリア、カナダはよく知っている) 当時もまた朝鮮はキーセン文化の影響から売春婦は大勢いた。 素人女を強制的に連れ出す必要性は全くない」 と主張する。 >>230 >そもそも生まれる前の事のを何を反省するんだよ? 何を言っているんだ?大嘘をつかれているんだぞ? 反省するのは「日本軍による性奴隷」と大嘘をついているやつらだ。
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
535 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 23:13:33.70 ID:QBymM30PP - >>530
>ちょっと考えてもしまったが、そのほうがいいかもな。 ええええええええええええええええええええええっ! まともに(事実を)報道してくれれぱ、韓国との断交は近づくのにか? 韓流(死語)を煽って日韓友好って事だね。 >アメリカは昔から日本と同盟くむのに必至だった。 意味不明 ------------ 日本人が移民として渡ってきたのはそれからしばらく後、アメリカの民主主義が大きく成長し、 平等思想というものに触れた頃のことであった。ただし、反対も多かった。 例えば、日本人の子女が同じ学校に入るのに反対した。偉そうなことを言っても、いざ実践となると 「総論賛成。各論反対」というわけだ。 コヨーテと思ってきた中国人とは争いは起こらなかったが 学校に入ろうとする日本人とは対立が始まった。 家来扱いされても平気な中国人に対して、日本人はプライドが許さないからである。 暗黒大陸中国の真実 ラルフ・タウンゼント 第九章 日本と中国人 -------------------- ====================== 1982年、アメリカ議会に任命された調査委員会は、日系アメリカ人強制収容が、 適当な国防上の理由で行なわれたものではなく、その真の理由は人種差別であり、 戦時ヒステリーであり、政治指導者の失政であった、と結論をくだしています。 http://www.janm.org/jpn/nrc_jp/accfact_jp.html
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
537 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/13(月) 23:18:10.63 ID:QBymM30PP - 資料目次
1、開国前の日本 2、太平洋波高し 3、大日本帝国の存在意義 4、大日本帝国滅亡
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
540 :>>537 1、開国前の日本[sage]:2013/05/13(月) 23:21:42.43 ID:QBymM30PP - アンベールは「江戸庶民の特徴」として、
「社交好きな本能、上機嫌な気質、当意即妙の才」をあげ、 さらには「日本人の働く階級の人たちの著しい特徴」として 「陽気なこと、気質がさっぱりとして物に拘泥しないこと、子供のように いかにも天真爛漫であること」と数えあげる。 実際、彼らはある意味で、子供のような人びとだった。 狐拳を初めとして、外国人の好奇のまなざしにとらえられた大人の遊戯は、 その無邪気さにおいて、ほとんどばかばかしいほどのものである。 アンベールは書いている。 「日本の庶民階級の人々は、まるで子供のように、物語を聞いたり歌を唄うのを 聞いたりすることが非常に好きである。職人の仕事や商品の運送などが終るころ、 仕事場の付近や四辻などで、職業的な辻講釈師の前に、大勢の男女が半円をつくって いるのを毎日のように見かける」 日本人が子どもを大切にし、そのため日本がまさに「子どもの天国」の観を呈している ことについては、観察者の数々の言及がある。 だが実は、日本人自体が欧米人から見れば大きな子どもだったのである。 若者たちが、いや若者どころかいい大人たちが、小さい子どもたちに交って、 凧をあげたり独楽を廻したり羽根をついたりするのは、彼らの眼にはまことに 異様な光景に映った。 1870年から74年まで、福井藩校や東京の大学南校で教師をしたグリフィスにとって 「成人して強壮な身体の日本人が、西洋人なら、女の子はエプロンをつけ 男の子は巻き毛を刈る歳になると、見向きもしないような娯楽に夢中になっている」 のはおどろきだった。 「この二世紀半の間、この国の主な仕事は遊びだったといってよい」と彼は言う。 「日本人のように遊び好きといってよいような国民の間では、子供特有の娯楽と 大人になってからの娯楽の間に、境界線を引くのは必ずしも容易ではない」 「逝きし世の面影」渡辺京二(葦書房) 現在平凡社ライブラリーより刊行 =============================================================== 日本人は太平の世に飽きて銃を取ったのではない。そこには止むに止まれぬものがあった。
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
542 :>>537 2、太平洋波高し[sage]:2013/05/13(月) 23:27:38.02 ID:QBymM30PP - ・・そればかりではなく、太平洋は今一つの意味でアメリカ人の心を惹きつけたのであります。
十八世紀から十九世紀にかけて、捕鯨はアメリカ及びロシアの最も重要なる 産業の一つでありましたが、十九世紀初頭に至って大西洋の鯨はほとんど捕り尽くされ、同時に北太平洋に 夥(おびただ)しき鯨のいることが知られたので、 この方面における捕鯨船の活躍がとみに目覚ましくなりました。 とりわけ一八四二年、米露両国の間に条約が結ばれ、両国互いにその領海内に入って 鯨を捕り得るようになったので、アメリカ捕鯨船の日本近海に出没するものにわかに多くなり、 一八四〇年代にはすでに千二百隻に及んだと言われております。 当時、どうして彼らがそれほど捕鯨に熱心であったかと申せば、蝋燭(ろうそく)の原料に する油を取るためであったのであります。 その頃のヨーロッパは、植民地から搾取した富によって生活は豪奢となり、 各国の宮廷をはじめ、貴族富豪は競って長夜の宴を張って、 飲みかつ踊っていたのであります。 その宴会場を真昼のごとく明るくするために、数限りなく蝋燭を灯したのでありますが、 その蝋燭の白蝋が鯨油から取れるので、、贅沢が増せば増すほど、鯨が蝋燭に化けて ヨーロッパの金殿玉楼を照らすことになったのであります。 日米開戦の真実 大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く 佐藤 優 ※引用文は大川周明著「米英東亜侵略史」 ================================================================= 日本は、ヨーロッパの植民地搾取による贅沢が原因で強制開国させられ、 弱肉強食の世界に放り込まれた。 こうして日本人は有色人種のアンカーとして近代世界史に登場した。 最終的に植民地を解放するきっかけを作り、ヨーロッパを没落せしめた。 この事実をみる時、ただただ唖然とする他はない。 全くなんという大偉業であろうか・・・
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
543 :>>537 2、太平洋波高し[sage]:2013/05/13(月) 23:31:09.96 ID:QBymM30PP - >>539と>>541
ちょっと資料を貼り終わるまで待っていてくれ。 もう歯を磨いて寝るのならばこのスレを明日確認してくれ
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
545 :>>537 3、 大日本帝国の存在意義[sage]:2013/05/13(月) 23:34:33.31 ID:QBymM30PP - H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」 アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者) 第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、 偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、 日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。 日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、 アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、 不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」) ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者) すでに四百年の間、連続的勝利によって、 白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。 1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。 (中略)1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、 威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、 旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。 (長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁) http://www.ncn-t.net/kunistok/dainihon.htm
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
550 :>>537 4、大日本帝国滅亡[sage]:2013/05/13(月) 23:43:44.55 ID:QBymM30PP - 1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾した。
この日ニューヨークポストは 「太平洋の覇権を我が手に」と題する社説で 「我々はペリー以来の願いを達した。これでアジアの市場と覇権は我々のものとなった」と書いた。 翌月9月2日、日本政府が降伏文書に調印したミズーリ号には、 日本に開国を要求した当時のペリーの星条旗が掲げられた こうして大日本帝国は滅びたのであった。 ===================================================== よし>>539と>>541 間違えた・・・>>534と>>541 コピペだけど↓ ----- 反日左翼の手口は、この対華21箇条や南京大虐殺など、 とにかく片っ端から当時の日本を非難できそうなものを継ぎ合わせパッチワークし、 「侵略者の服」を仕立て、戦前の日本に着せるというもの。 戦前の正しい歴史認識を得るには、 歴史を俯瞰的に見ながらも、一つ一つの事柄にフォーカスし検証をする事も 大事なことだ。 たとえば「軍部の暴走」について戦前の日本を激しく罵っていた者がいた。 所謂「統帥権の独立」問題である。 私はその罵っている者に十分に調べてから罵っているかどうかを問うた。 彼はそれには答えず、ひとしきり毒を吐いた後、 つまり死者である先人達を罵った後に消えた。 私は「統帥権の独立」という言葉を見るたび 一人の女性が頭に浮かぶ。そして「統帥権の独立」の原因に、当時の日本人の置かれた厳しい状況と 人々の心情を見るのである。 ・・・・続く
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
553 :>>537 4、大日本帝国滅亡[sage]:2013/05/13(月) 23:48:33.45 ID:QBymM30PP - >>550
憲法解釈としては,実は,統帥権の独立は無理があるのです。 なにしろ,第11条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」としかなく,統帥部門が政府 (内閣)から独立しているなどという含みを読み取ることは不可能であり,そ うなれば,天皇がもつ他の統治権と同様,統帥権も国務大臣の輔弼によっての み行使されるということになるはずなのです。 実際,明治憲法制定から日清戦争頃までは統帥権の独立を説く学説はないとい われるし,また日清戦争に際しては伊藤博文首相も戦争指導(統帥)に参与し ていました。ところが,日露戦争以後になると,ほとんどの憲法学者が統帥権 の独立を説くようになったとのことです(穂積八束のみが否定説という)。 では,なぜ憲法解釈としては統帥権の独立を導きだすのに無理があるのに,統 帥権の独立が説かれ,それが疑問の余地のないものとされていたかというと, 憲法以前からの慣習によるものです。 まず1878年,太政官の一部であった陸軍省から参謀本部が独立して天皇に直属 する組織とされ,さらに1885年の内閣制度創設に際して定められた内閣職権で 「事ノ軍機ニ係リ参謀本部長ヨリ直ニ上奏スルモノト雖モ陸軍大臣ハ其事件ヲ 内閣総理大臣ニ報告スベシ」とされ,軍機に関わることがらは内閣からではな く参謀本部長が独自に天皇へ上奏してよく,内閣へは事後報告でよい,と規定 されています。このように,憲法制定以前から統帥権の独立が慣習として存在 していたから,憲法に明記されていないにもかかわらず,統帥権の独立が当然 のこととして説かれていたのです。 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/theme/gunnbu01.html
|
- 【政治】自民・高市氏「太平洋戦争の当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのか?」★6
554 :>>537 4、大日本帝国滅亡[sage]:2013/05/13(月) 23:53:58.82 ID:QBymM30PP - >>553
日露戦争後の日比谷焼き討ちに関し、反日左翼達の見解は 「日清戦争で『戦争は儲かるもの』と思った国民はその賠償に不満で暴れた」 というものだが、大笑いしてしまった。 どうやら日露戦争開戦当時「よし!儲けようぜ!」と言って戦争を始めたらしい。 だが実際は本当に国運を賭して戦った。 当時のロシアは世界最強の陸軍(第1位で日本の10倍)を保有しており、海軍は世界第2位(1位イギリス) 鉄鋼生産量は日本の30倍、ちなみに第二次大戦の開戦前の米英合わせても日本の12倍だった。 臥薪嘗胆で重税に耐えながら軍備を増強、官吏などは棒給の10パーセントを返納してまで協力していた。 そして大国ロシアとの一戦、非常な緊張状態が続いた中での勝利 日本国民は講和によって暫しの安泰、もちろんそれは賠償金という形で国庫に入り、 さらなる国力増強をもっての安泰、というものもあったかもしれない。 しかし講和が日本国民にとってあまり満足いくものではなかった。 つまり大国ロシアとの戦争という緊張状態から、勝利でそれが解放されそうになって 講和で再び緊張状態になり爆発したというのが日比谷焼き討ちなどになって現れたのだ。 この「再び緊張状態」とは「未だ終わらない弱肉強食の世界の現実感」と言う意味 そしてここが大事な事だが >日露戦争以後になると,ほとんどの憲法学者が統帥権 >の独立を説くようになったとのことです(穂積八束のみが否定説という)。 当時の憲法学者は慣習法を以て「統帥権の独立」を認めた。 「慣習法」 >これによると、公の秩序又は善良の風俗(公序良俗)に反しない慣習については、 >法令の規定により認められたもの及び法令に規定のない事項につき、 >成文による法令(形式的意義における法律)と同一の効力(法源たる慣習法としての効力)が認められることになる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A3%E7%BF%92%E6%B3%95 日露戦争に勝利し国体(秩序)を守った軍、その軍の慣習を「公の秩序に反しないもの」として憲法学者は判断した。 いや実際は秩序に反しないどころか、それがあったからこそ、つまり「直接天皇と軍が繋がっていた」からこそ奇跡は起こったと 当時の日本人は思った事だろう。
|