- 【社説】 「河村たかし市長、なぜ素直に『南京事件なかった』発言を撤回しない」…中日新聞
49 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 11:43:29.24 ID:w90hq8/Z0 - > 上海派遣軍第9師団歩兵第6旅団「南京城内掃蕩要領」「掃蕩実施に関する注意」(旅団長 秋山義兌少将)
> > 一、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、 > その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宜の位置に監禁す > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし ■足立和雄(朝日新聞特派員)証言 > 昭和十二年十二月、日本軍の大部隊が、南京をめざして四方八方から殺到した > それといっしょに、多数の従軍記者が南京に集まってきた > > 朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった > そこに、日本兵に看視されて、中国人が長い列を作っていた > > 南京にとどまっていた■ほとんどすべての中国人男子■が、便衣隊と称して > 捕えられたのである > > 私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと > 証言して、助けてやった > そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、 > 私たちの力では、それ以上なんともできなかった > > “便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。
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54 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 11:44:13.76 ID:w90hq8/Z0 - ■今井正剛(朝日新聞特派員)証言
> パパーンという銃声と、ぎゃあっ、という叫び声が耳一ぱいにひろがり、カアッと斜めに > さした夕陽の縞が煉瓦塀を真紅に染めているのが見えるだけだった。 > > 傍らに立っている軍曹に私たちは息せき切っていった。 > 「この中に兵隊じゃない者がいるんだ。助けて下さい。」 > 硬直した軍曹の顔を私はにらみつけた > > 「洋服屋のオヤジとセガレなんだ。僕たちが身柄は保証する」 > 「どいつだかわかりますか」 > 「わかる。女房がいるんだ。呼べば出て来る」 > 返事をまたずにわれわれは楊の女房を前へ押し出した。大声をあげて女房が呼んだ。 > 群衆の中から皺くちゃのオヤジと、二十歳位の青年が飛び出して来た。 > > 「この二人だ。これは絶対に敗残兵じゃない。朝日の支局へ出入りする洋服屋です。 > さあ、お前たち、早く帰れ」 > たちまち広場は総立ちとなった。この先生に頼めば命が助かる、という考えが、虚無と > 放心から群衆を解き放したのだろう。私たちの外套のすそにすがって、群衆が殺到した
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100 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 11:49:18.18 ID:w90hq8/Z0 - ■東京朝日新聞・足立和夫記者
> 「犠牲がぜんぜんなかったとは言えない。南京に入った翌日だったから、十四日 > だと思うが、日本の軍隊が数十人の中国人を射っているのを見た。塹壕を掘って > その前に並ばせて機関銃で射った。場所ははっきりしないが、難民区ではなかった」
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122 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 11:52:25.84 ID:w90hq8/Z0 - ■細波孝 同盟通信・無電技師
> ――やっているのを見たのですか。 > 「いや、やったすぐ後のことだと思います。やってるところは見せないでしょうからね。トーチカ > に捕虜をつめ込んで焼き殺したと思います。トーチカの銃眼から苦しそうに息をしてこちらを > 見ている中国兵がいたことが、今も印象に残っています。苦しそうに鼻をふんふん言わせてね」 >――トーチカには何人位いましたか。 > 「二、三十人は入るんじゃないかな。家具などが詰めてありました。そういうのが三つか四つ > ありました。たぶん、焼いたと思います。銃弾はもったいないので、家具にガソリンをかけて > 焼いたと思いますよ。トーチカの中だけでなく、揚子江にも死体はありました。中には針金で > 縛って繋いでたのもありました」 >――死体の数はどの位ですか。 > 「さあ、どの位か。百人位でしょうか。湯山にいた捕虜をやったのでしょう」
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150 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 11:56:07.59 ID:w90hq8/Z0 - 「これが後で南京虐殺事件といわれる事件」を目撃した、という不思議な
証言(800名)。従軍絵画通信員 ■ 海軍従軍絵画通信員・住谷磐根 > そのうち一人の中尉が試し斬りをすると、軍刀を持っていこうとするので私もついて > いきました > 行くと、埠頭の突端に鉄の柵があり、そこから先はコンクリートで護岸されていま > して、ここに、四、五人ずつ並べて後から銃剣で突いてコンクリートに落として > いました > > 日本兵は二十人ほどで、中国兵が千人弱いました > それを見ていた中尉は、試し斬りをする気も失せてしまいました > 私が懐中電灯をつけて見ていましたら、兵隊から、そこにいると返り血を浴びると > 言われましたので、それをしおに帰りました。 > > 翌朝、早く起きて行ってみると、コンクリートには死屍累々で、数えてみると > 八百人ほどの死体がありました > > 中には死にきれずに手を動かしている者や、ごそごそ動いている者もいました > 銃剣で後から刺すだけですから死なない兵もいます > 揚子江はまだ増水していませんでしたが、増水すれば護岸コンクリートぎりぎりの > ところまで来ますから、流れてしまいます > > これがあとで南京虐殺と言われたものだと思います
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176 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 11:59:06.26 ID:w90hq8/Z0 - アンチ本(まぼろし本)から
■読売新聞、真柄カメラマン(東京在住) > 虐殺の場面は見ている > > これは誰にもいったことがない > 私は生まれてはじめて持ったピストルの試写をやってみようと、淋しい > ところを探してゆくと土手があり、小さい川があった > > そこに中国人が二百人はいたと思う > 機関銃でやられていた。あれが世にいう“南京大虐殺”だったのでは > ないのか?
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201 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:03:44.61 ID:w90hq8/Z0 - >>184
> 上海派遣軍第9師団歩兵第6旅団「南京城内掃蕩要領」「掃蕩実施に関する注意」(旅団長 秋山義兌少将) > > 一、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、 > その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宜の位置に監禁す > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし ■足立和雄(朝日新聞特派員)証言 > 昭和十二年十二月、日本軍の大部隊が、南京をめざして四方八方から殺到した > それといっしょに、多数の従軍記者が南京に集まってきた > > 朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった > そこに、日本兵に看視されて、中国人が長い列を作っていた > > 南京にとどまっていた■ほとんどすべての中国人男子■が、便衣隊と称して > 捕えられたのである > > 私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと > 証言して、助けてやった > そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、 > 私たちの力では、それ以上なんともできなかった > > “便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。
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206 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:04:09.26 ID:w90hq8/Z0 - >>184
■今井正剛(朝日新聞特派員)証言 > パパーンという銃声と、ぎゃあっ、という叫び声が耳一ぱいにひろがり、カアッと斜めに > さした夕陽の縞が煉瓦塀を真紅に染めているのが見えるだけだった。 > > 傍らに立っている軍曹に私たちは息せき切っていった。 > 「この中に兵隊じゃない者がいるんだ。助けて下さい。」 > 硬直した軍曹の顔を私はにらみつけた > > 「洋服屋のオヤジとセガレなんだ。僕たちが身柄は保証する」 > 「どいつだかわかりますか」 > 「わかる。女房がいるんだ。呼べば出て来る」 > 返事をまたずにわれわれは楊の女房を前へ押し出した。大声をあげて女房が呼んだ。 > 群衆の中から皺くちゃのオヤジと、二十歳位の青年が飛び出して来た。 > > 「この二人だ。これは絶対に敗残兵じゃない。朝日の支局へ出入りする洋服屋です。 > さあ、お前たち、早く帰れ」 > たちまち広場は総立ちとなった。この先生に頼めば命が助かる、という考えが、虚無と > 放心から群衆を解き放したのだろう。私たちの外套のすそにすがって、群衆が殺到した
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225 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:07:06.19 ID:w90hq8/Z0 - >>204
7000人から2万人が通説(日本国内) 当時から、 ■東京朝日新聞・足立和夫記者 > ――大虐殺があったと言われていますが……。 > > 「私が見た数十人を射ったほか、多くて百人から二百人単位のがほかにも > あった。全部集めれば数千人」
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233 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:07:56.74 ID:w90hq8/Z0 - >>209
■今井正剛(朝日新聞特派員)証言 > パパーンという銃声と、ぎゃあっ、という叫び声が耳一ぱいにひろがり、カアッと斜めに > さした夕陽の縞が煉瓦塀を真紅に染めているのが見えるだけだった。 > > 傍らに立っている軍曹に私たちは息せき切っていった。 > 「この中に兵隊じゃない者がいるんだ。助けて下さい。」 > 硬直した軍曹の顔を私はにらみつけた > > 「洋服屋のオヤジとセガレなんだ。僕たちが身柄は保証する」 > 「どいつだかわかりますか」 > 「わかる。女房がいるんだ。呼べば出て来る」 > 返事をまたずにわれわれは楊の女房を前へ押し出した。大声をあげて女房が呼んだ。 > 群衆の中から皺くちゃのオヤジと、二十歳位の青年が飛び出して来た。 > > 「この二人だ。これは絶対に敗残兵じゃない。朝日の支局へ出入りする洋服屋です。 > さあ、お前たち、早く帰れ」 > たちまち広場は総立ちとなった。この先生に頼めば命が助かる、という考えが、虚無と > 放心から群衆を解き放したのだろう。私たちの外套のすそにすがって、群衆が殺到した
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327 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:20:40.14 ID:w90hq8/Z0 - >>323
■栗原利一伍長 第65連隊第1大隊所属 > 昭和十二年十二月十三日紫金山東北の鳥龍山砲台を、翌十四日南京城北側の > 幕府山砲台を占領した > > 第一大隊百三十五名で一万三千余捕虜を降し、敵を武装解除 > > 中央の島に一時、やる(送る)ためと言って船を川の中ほどにおいて、船は > 遠ざけて四方から一斉に攻撃して処理したのである。 > その夜は片はしから突き殺して夜明けまで、その処に石油をかけてもし、柳の > 枝をかぎにして一人一人ひきずって、川の流れに流したのである。 > > わが部隊(が殺したたの)は13500であった。 > 今、考えても想像できないことである」 会津若松出身の第六十五連隊、両角部隊は、占領当時、新聞で「大戦果」と 報道され、総数は一万四千七百七十七人とされていたが、その後、捕虜が どうなったかは報道がない。
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337 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:22:34.49 ID:w90hq8/Z0 - >>332
> 上海派遣軍第9師団歩兵第6旅団「南京城内掃蕩要領」「掃蕩実施に関する注意」(旅団長 秋山義兌少将) > > 一、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、 > その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宜の位置に監禁す > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし ■足立和雄(朝日新聞特派員)証言 > 昭和十二年十二月、日本軍の大部隊が、南京をめざして四方八方から殺到した > それといっしょに、多数の従軍記者が南京に集まってきた > > 朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった > そこに、日本兵に看視されて、中国人が長い列を作っていた > > 南京にとどまっていた■ほとんどすべての中国人男子■が、便衣隊と称して > 捕えられたのである > > 私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと > 証言して、助けてやった > そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、 > 私たちの力では、それ以上なんともできなかった > > “便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。
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339 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:22:42.84 ID:w90hq8/Z0 - >>332
■今井正剛(朝日新聞特派員)証言 > パパーンという銃声と、ぎゃあっ、という叫び声が耳一ぱいにひろがり、カアッと斜めに > さした夕陽の縞が煉瓦塀を真紅に染めているのが見えるだけだった。 > > 傍らに立っている軍曹に私たちは息せき切っていった。 > 「この中に兵隊じゃない者がいるんだ。助けて下さい。」 > 硬直した軍曹の顔を私はにらみつけた > > 「洋服屋のオヤジとセガレなんだ。僕たちが身柄は保証する」 > 「どいつだかわかりますか」 > 「わかる。女房がいるんだ。呼べば出て来る」 > 返事をまたずにわれわれは楊の女房を前へ押し出した。大声をあげて女房が呼んだ。 > 群衆の中から皺くちゃのオヤジと、二十歳位の青年が飛び出して来た。 > > 「この二人だ。これは絶対に敗残兵じゃない。朝日の支局へ出入りする洋服屋です。 > さあ、お前たち、早く帰れ」 > たちまち広場は総立ちとなった。この先生に頼めば命が助かる、という考えが、虚無と > 放心から群衆を解き放したのだろう。私たちの外套のすそにすがって、群衆が殺到した
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348 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:23:51.71 ID:w90hq8/Z0 - >>340
■ 海軍従軍絵画通信員・住谷磐根 > そのうち一人の中尉が試し斬りをすると、軍刀を持っていこうとするので私もついて > いきました > 行くと、埠頭の突端に鉄の柵があり、そこから先はコンクリートで護岸されていま > して、ここに、四、五人ずつ並べて後から銃剣で突いてコンクリートに落として > いました > > 日本兵は二十人ほどで、中国兵が千人弱いました > それを見ていた中尉は、試し斬りをする気も失せてしまいました > 私が懐中電灯をつけて見ていましたら、兵隊から、そこにいると返り血を浴びると > 言われましたので、それをしおに帰りました。 > > 翌朝、早く起きて行ってみると、コンクリートには死屍累々で、数えてみると > 八百人ほどの死体がありました > > 中には死にきれずに手を動かしている者や、ごそごそ動いている者もいました > 銃剣で後から刺すだけですから死なない兵もいます > 揚子江はまだ増水していませんでしたが、増水すれば護岸コンクリートぎりぎりの > ところまで来ますから、流れてしまいます > > これがあとで南京虐殺と言われたものだと思います
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357 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:24:52.36 ID:w90hq8/Z0 - >>347
では、1万4千人もの捕虜はどこに消えた?
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367 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:25:51.91 ID:w90hq8/Z0 - >>349
> その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された > その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された > その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された > その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された
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402 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:29:03.98 ID:w90hq8/Z0 - >>387
> さあw 開放されて一般市民にでもなったんだろ。 説得力ないな。まだ伍長証言の方が説得的だ ■栗原利一伍長 第65連隊第1大隊所属 > 昭和十二年十二月十三日紫金山東北の鳥龍山砲台を、翌十四日南京城北側の > 幕府山砲台を占領した > > 第一大隊百三十五名で一万三千余捕虜を降し、敵を武装解除 > > 中央の島に一時、やる(送る)ためと言って船を川の中ほどにおいて、船は > 遠ざけて四方から一斉に攻撃して処理したのである。 > その夜は片はしから突き殺して夜明けまで、その処に石油をかけてもし、柳の > 枝をかぎにして一人一人ひきずって、川の流れに流したのである。 > > わが部隊(が殺したたの)は13500であった。 > 今、考えても想像できないことである」 会津若松出身の第六十五連隊、両角部隊は、占領当時、新聞で「大戦果」と 報道され、総数は一万四千七百七十七人とされていたが、その後、捕虜が どうなったかは報道がない。
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413 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:29:54.52 ID:w90hq8/Z0 - >>401
朝日新聞に出入りしている仕立屋が便衣兵??? ■今井正剛(朝日新聞特派員)証言 > パパーンという銃声と、ぎゃあっ、という叫び声が耳一ぱいにひろがり、カアッと斜めに > さした夕陽の縞が煉瓦塀を真紅に染めているのが見えるだけだった。 > > 傍らに立っている軍曹に私たちは息せき切っていった。 > 「この中に兵隊じゃない者がいるんだ。助けて下さい。」 > 硬直した軍曹の顔を私はにらみつけた > > 「洋服屋のオヤジとセガレなんだ。僕たちが身柄は保証する」 > 「どいつだかわかりますか」 > 「わかる。女房がいるんだ。呼べば出て来る」 > 返事をまたずにわれわれは楊の女房を前へ押し出した。大声をあげて女房が呼んだ。 > 群衆の中から皺くちゃのオヤジと、二十歳位の青年が飛び出して来た。 > > 「この二人だ。これは絶対に敗残兵じゃない。朝日の支局へ出入りする洋服屋です。 > さあ、お前たち、早く帰れ」 > たちまち広場は総立ちとなった。この先生に頼めば命が助かる、という考えが、虚無と > 放心から群衆を解き放したのだろう。私たちの外套のすそにすがって、群衆が殺到した
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437 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:32:14.65 ID:w90hq8/Z0 - >>426
洋服の仕立屋だけが例外だと思うか? ■今井正剛(朝日新聞特派員)証言 > パパーンという銃声と、ぎゃあっ、という叫び声が耳一ぱいにひろがり、カアッと斜めに > さした夕陽の縞が煉瓦塀を真紅に染めているのが見えるだけだった。 > > 傍らに立っている軍曹に私たちは息せき切っていった。 > 「この中に兵隊じゃない者がいるんだ。助けて下さい。」 > 硬直した軍曹の顔を私はにらみつけた > > 「洋服屋のオヤジとセガレなんだ。僕たちが身柄は保証する」 > 「どいつだかわかりますか」 > 「わかる。女房がいるんだ。呼べば出て来る」 > 返事をまたずにわれわれは楊の女房を前へ押し出した。大声をあげて女房が呼んだ。 > 群衆の中から皺くちゃのオヤジと、二十歳位の青年が飛び出して来た。 > > 「この二人だ。これは絶対に敗残兵じゃない。朝日の支局へ出入りする洋服屋です。 > さあ、お前たち、早く帰れ」 > たちまち広場は総立ちとなった。この先生に頼めば命が助かる、という考えが、虚無と > 放心から群衆を解き放したのだろう。私たちの外套のすそにすがって、群衆が殺到した
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448 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:33:45.31 ID:w90hq8/Z0 - >>433
> 当時百人斬りとか書いてた新聞の内容を信じんの? 日本で行われた裁判で、第三者証言あるのになに言ってるのお前? このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として 第一一中隊に赴任し我々の教官であった この人が百人斬りの勇土とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。 「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た 助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、 憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。 一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと 動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。 戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの埋由もなく 血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。 その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた 両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた ■望月五三郎 証言■ ↑野田少尉の部下(当時)
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455 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:34:24.80 ID:w90hq8/Z0 - >>433
こっちは、野田少尉の自慢話の伝聞なので証拠価値は低いが・・・ (帰国した野田少尉が故郷の小学校で講演した内容を、後輩の志々目彰氏が 聞いたもの) 小学生を前にした野田少尉は、ずいぶんくつろいでいたようだ 世間でみる軍人という堅い感じは少しもなく、また私たちが数年後に自ら体験 した気負いもなかった 「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ…… 実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない…… 占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る…… 百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ…… 二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何ともない……」 これを聞いて、私の頭には新聞写真で見たような敵の陣地が浮かんできた 腰を丸め手をあげてゾロゾロ出てくる中国兵…… そのほかにも「中支戦線」や戦場生活の話を聞いた筈だが、忘れてしまっている。 「ニーライライというと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる……」という言葉は 今でもはっきり覚えている。「ニーライライ」というのは、お前来い来い、という意味 だそうだ その頃の私たちには、斬られた中国兵のために憤り、或いは同情する“ヒューマ ニズム”はなかった
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485 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:37:29.67 ID:w90hq8/Z0 - >>471
> 何を言ってるんだ?仕立屋は便衣兵ではないということで助けられたんだろ。何が問題? おいおい あのシチュエーションで仕立屋以外全員便衣兵かよ? > 安全区委員会も審問の場にいたのだから、誤認が大量だったとは思えないな。 じゃあ、何で仕立屋が処刑されそうになってるんだよ? 矛盾!
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499 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:39:40.37 ID:w90hq8/Z0 - >>480
> 事実ならお前がそこまで熱弁するまでも無く年寄りからの伝聞で田舎などで伝わってるわ。 逆。百人斬りは田舎(野田の故郷)では有名な話→※部分。「あれおかしいんじゃない」とか 言い出したのは1970年代になってから。山本七平 ※以下、帰国した野田少尉が故郷の小学校で講演した内容を、後輩の志々目彰氏が 聞いたもの 小学生を前にした野田少尉は、ずいぶんくつろいでいたようだ 世間でみる軍人という堅い感じは少しもなく、また私たちが数年後に自ら体験 した気負いもなかった 「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ…… 実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない…… 占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る…… 百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ…… 二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何ともない……」 これを聞いて、私の頭には新聞写真で見たような敵の陣地が浮かんできた 腰を丸め手をあげてゾロゾロ出てくる中国兵…… そのほかにも「中支戦線」や戦場生活の話を聞いた筈だが、忘れてしまっている。 「ニーライライというと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる……」という言葉は 今でもはっきり覚えている。「ニーライライ」というのは、お前来い来い、という意味 だそうだ その頃の私たちには、斬られた中国兵のために憤り、或いは同情する“ヒューマ ニズム”はなかった
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523 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:42:22.10 ID:w90hq8/Z0 - >>510
少なくともその講演会出席者全員が聞いている 後の名誉毀損裁判で最高裁まで争われてこの証言でてるが、 誰一人反論してない
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- 【社説】 「河村たかし市長、なぜ素直に『南京事件なかった』発言を撤回しない」…中日新聞
544 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:45:13.04 ID:w90hq8/Z0 - >>540
「組織的」だよ。旅団命令も出ている > 上海派遣軍第9師団歩兵第6旅団「南京城内掃蕩要領」「掃蕩実施に関する注意」(旅団長 秋山義兌少将) > > 一、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、 > その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宜の位置に監禁す > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし ■足立和雄(朝日新聞特派員)証言 > 昭和十二年十二月、日本軍の大部隊が、南京をめざして四方八方から殺到した > それといっしょに、多数の従軍記者が南京に集まってきた > > 朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった > そこに、日本兵に看視されて、中国人が長い列を作っていた > > 南京にとどまっていた■ほとんどすべての中国人男子■が、便衣隊と称して > 捕えられたのである > > 私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと > 証言して、助けてやった > そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、 > 私たちの力では、それ以上なんともできなかった > > “便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。
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558 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:47:21.96 ID:w90hq8/Z0 - >>547
> 喩えるなら、100人が同じことを聞いても元発言したのが「菅直人」だったとしてお前はそれを信用するのかw 講演したのは野田少尉(戦犯)本人 お前のたとえでいれば、菅直人が「私が中国人を100人殺しました」と自白 したようなもの
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574 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:49:01.73 ID:w90hq8/Z0 - >>561
日本の最高裁でも争われているのだが? (野田少尉らの遺族の全面敗訴)
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590 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:51:33.20 ID:w90hq8/Z0 - >>578
> 書いた記者は逃げてしまい ウソつくな 1.まず、そのレスは新聞記事ではない。戦後の証言だ。 2.当時の記事を書いた記者は逃げてなんかいない ■東京日日新聞社の浅海一男が法廷で証言している■ 行く必要もないのに。わざわざ行って、記事は事実だと証言した なお、証言の前に、向井・野田両少尉とは面会している
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619 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:55:33.41 ID:w90hq8/Z0 - >>597
無知なのに、無理やりレッテル貼りしようと工作すると痛々しいだけだよ? 残念でした。 足立記者は、有名な反共記者(むしろ南京大虐殺否定派。だからその証言 に価値がある) 本多勝一らの敵 > ――足立さんがいらっしゃった朝日新聞では、本多勝一記者が南京大虐殺が > あったと主張しているし、社会面でもよく取り上げていますが……。 > 「非常に残念だ。先日も朝日新聞の役員に会うことがあったのでそのことを > 言ったんだが。大虐殺はなかったということをね。 > 朝日新聞には親中共・反台湾、親北朝鮮・反韓国という風潮がある > 本多君一人だけじゃなく、社会部にそういう気運がある。だからああいう紙面になる。
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631 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:56:48.46 ID:w90hq8/Z0 - >>613
> だからそれは便衣兵だろバカ! > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし 見なすの意味わからないの?
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638 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 12:57:55.00 ID:w90hq8/Z0 - >>625
「組織的」だよ。旅団命令も出ている > 上海派遣軍第9師団歩兵第6旅団「南京城内掃蕩要領」「掃蕩実施に関する注意」(旅団長 秋山義兌少将) > > 一、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、 > その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宜の位置に監禁す > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし ■足立和雄(朝日新聞特派員)証言 > 昭和十二年十二月、日本軍の大部隊が、南京をめざして四方八方から殺到した > それといっしょに、多数の従軍記者が南京に集まってきた > > 朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった > そこに、日本兵に看視されて、中国人が長い列を作っていた > > 南京にとどまっていた■ほとんどすべての中国人男子■が、便衣隊と称して > 捕えられたのである > > 私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと > 証言して、助けてやった > そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、 > 私たちの力では、それ以上なんともできなかった > > “便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。
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680 :名無しさん@12周年[]:2012/02/28(火) 13:03:32.79 ID:w90hq8/Z0 - >>670
あったし、軍の命令も出ていた。便衣兵も民間人もごっちゃで殺害していた 御指摘どおり、「争点は人数だけ」でFA > 上海派遣軍第9師団歩兵第6旅団「南京城内掃蕩要領」「掃蕩実施に関する注意」(旅団長 秋山義兌少将) > > 一、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、 > その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宜の位置に監禁す > 一、青壮年は■すべて敗残兵または便衣兵と見なす■べし ■足立和雄(朝日新聞特派員)証言 > 昭和十二年十二月、日本軍の大部隊が、南京をめざして四方八方から殺到した > それといっしょに、多数の従軍記者が南京に集まってきた > > 朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった > そこに、日本兵に看視されて、中国人が長い列を作っていた > > 南京にとどまっていた■ほとんどすべての中国人男子■が、便衣隊と称して > 捕えられたのである > > 私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと > 証言して、助けてやった > そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、 > 私たちの力では、それ以上なんともできなかった > > “便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。
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- 【宮城】仙台市:昨秋来訪のダライ・ラマの要請に面会断る パンダ貸し出しに配慮か★3
589 :名無しさん@12周年[sage]:2012/02/28(火) 22:53:16.94 ID:w90hq8/Z0 - >>424
これで掘られちゃうんだ。逮捕は無いと思うが…さて……
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