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名無しさん@十一周年
【神戸高校生刺殺】凶器の小型ナイフ見つかる
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
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【神戸高校生刺殺】凶器の小型ナイフ見つかる
243 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 00:43:05 ID:d0ZcX2Cq0
規制解除でやっと書き込めるようになったが

やっぱ女子中学生の供述に不審を抱く人って多いんだな。
俺のまわりでも「本当に小太りの男って存在するのか?」という意見のほうが多い。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
26 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 00:48:33 ID:d0ZcX2Cq0
考古学では、邪馬台国の位置というのはあまり意味が無いものになったからねえ。
まあ客寄せパンダのネタとして捉えておいた方がいいと思うよ。
とりあえず九州説とか東遷説なんてのは、もう学者は誰も唱えていないのだけど
九州の発掘機運が下がるのはあまり歓迎できないので、みんなで盛り上げようって感じかな。
【神戸高校生刺殺】凶器の小型ナイフ見つかる
302 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 00:54:15 ID:d0ZcX2Cq0
うーん、近所の人からも確認されている小太りさんが事実だとしても
それがイコール犯人になるかな?
これは単なる可能性の話じゃなくて、そこまで情報があるのなら
とっくの昔に警察が特定して任意聴取してそうなもんなんだよね。

もしくは小太りが犯人だとしたら、やはりとっくの昔に目星がついていて
彼に精神疾患があるなどの理由で慎重になっているか。

だから少女の供述に虚偽があるか、小太り男に通院歴などがあるかのどっちかしかないんだよな。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
46 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 00:57:38 ID:d0ZcX2Cq0
>>30
モリコーさんはもう5年位前に邪馬台国関連から引退しましたよw
さすがに自説を引っ込めざるを得なくなったので。
今は関東学とかいうのを中心にやってます。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
71 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:07:53 ID:d0ZcX2Cq0
>>54
出雲・吉備については語ると長くなるってのがあるからねぇ。
まあ九州と畿内のどっちが発展していたかなんて議論をしている段階ではなくなったからね。
日本中に同様の規模のクニがあったと考えられている。

あと鉄器に関しては、その有意性を過大評価しすぎだったという論調のほうが今は主流。
実際畿内の鉄出土量が北部九州を上回るのは、古墳時代中期以降。
にもかかわらずその時代以前から、畿内には大きな王権が存在していたと考えられているから。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
84 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:12:59 ID:d0ZcX2Cq0
>>78
うん重要だよw
鉄の多寡が王権の発生の前提条件ではないということだからね。
だから未だにアマチュア九州説の中には、鉄の有意性を九州説の根拠とする古い考えの人がいるけど
そういうのはもう、アマチュアからも古い九州説だと認識されている。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
90 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:15:48 ID:d0ZcX2Cq0
>>79
うーん、記紀と考古学を結び付けたいのだろうけど
弥生後期から古墳期あたりの発掘結果ってのは、記紀の記述をほとんど否定するものが多いよ。
まあそれと共にに倭人伝の記述をも否定するものも多いのだけど。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
97 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:19:44 ID:d0ZcX2Cq0
>>89

>魏志に書かれている事物

それ楼閣とか絹とかのこと?
驚くかもしれないけど、楼閣と目される建造物跡は九州にもないよ。吉野ヶ里に釣られてない?
あと絹もなぜ一時期の九州のみから出土するか、知ってるでしょw
養蚕そのものは縄文末期か弥生初期の三内丸山でも、桑の実の出土からすでに行われていたというのが現在の主説だよ。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
101 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:21:56 ID:d0ZcX2Cq0
>>93
神武東征って・・・それ信じることが前提なの?
記紀では紀元前660年の話になってるけど、その部分は信じずに内容のみが正しいって考え方かな?
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
111 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:25:40 ID:d0ZcX2Cq0
>>100
>鉄鏃
もう10年も前に、ホケノ山から大量出土してますがw

>>106
残念だけど、東遷説は「かつて」あったというのが正しいんだ。
今は一部のアマチュアグループしか主張していない。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
124 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:29:20 ID:d0ZcX2Cq0
>>109
そんな突拍子もない前提で話をされてもなー。
ハニワ原人が邪魔大国を造ったという前提のほうが、まだまともだよw

>>114
なるほど君は「安本さん」だったのねwww
残念だけど、ホケノは3世紀でおk。「安本さんたち」が意地でもそれを認めないだけだよ。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
142 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:33:37 ID:d0ZcX2Cq0
>>116
纏向遺跡を始めとする弥生終末期から古墳時代前期にかけて
畿内において北部九州の特徴を持った出土物が極めて少ないため。
この時期、東海、吉備、出雲などの様々な地域の土器が畿内に集中しているが
北部九州のものは韓式土器よりも出土数が少ない。

また前方後円墳というのは様々な地域の墳墓の特徴をミックスされているのだけど
そこに北部九州特有の技術などが介在していない。
まあ副葬品の充実化という慣習だけは伝わったと見ていいから、全然無関係ではないとは思われるが。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
156 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:37:27 ID:d0ZcX2Cq0
>>141
学者の名前と論文を具体的にどうぞ。
もう「安本さん」のところの人だってバレちゃってるから、もっと違う方向から攻めてきてよw
庄内式の起源とかさw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
170 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:43:45 ID:d0ZcX2Cq0
>>150
実はそれも今では考えにくくなっているんだ。
例えば白石太一郎などが、畿内が九州の鉄輸入ルートを奪取したとか
畿内が実質的に北部九州を支配していたとか唱えてたのだけど

現在の殆どの主流は、そういった広域の支配体系そのものがまだ未発達で
北部九州ツクシ連合や畿内ヤマト連合、あとキビ連合やイズモ連合、サンオン連合などが多数存在していて
これらが大同小異の交易連合を形成していたのではないかというものになっている。

これは記紀の王権記述とも倭人伝の女王国記事とも反するわけだけど
数々の出土物から、弥生終末期に巨大な広域王権があったとは考えにくくなってきたから。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
186 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:48:56 ID:d0ZcX2Cq0
>>160
「邪馬壱」って書いてあるのは12世紀の2冊の写本のうちの「ショウコウ本」のみだよね。
まあ三国志以外の後漢書や宋書その他もろもろ、すべてタイまたはトと読める漢字しか使っていないから
普通に考えて「壱」は「ショウコウ本」の誤写だよ。

>>168
昔はそれが判らなかったから、畿内か九州かってのは重要だったんだけど
今は当時の日本列島の姿のほうが先に判っちゃったから、位置問題はあまり重要じゃなくなった。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
214 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 01:57:47 ID:d0ZcX2Cq0
>>174
あれは色々解釈があってまだ統一見解みたいなのはないと思う。
高地性集落が瀬戸内に多発した1〜2世紀ごろを指すという説もあるし
後漢滅亡に伴う北部九州の経済力衰退が全国の物流に影響を及ぼした結果
流通ルート混乱による小競り合いが起きたとする説もある。

>>181
一番簡単なのは、他の地域の特徴を持つ遺物特に祭祀器などがまとまって出てきて
次第にその地方独特の祭祀器が消えるとかなったら、文化侵食が起きたと考えられるよね。
同時に大量移住が考えられる新集落が出てきたり、地元文化が殆ど見られないようなのね。
そういうのが活発になったのが弥生終末期から古墳前期にかけてなんだ。
ただ繰り返すが、これは畿内が九州を支配したとは言いがたい。
ただ密接な相互物流と文化のハイブリッドが行われたとは考えていい。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
230 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 02:04:06 ID:d0ZcX2Cq0
>>195
あれ?まだ居たのwww
布留0はダメなのかい?それくらい知ってるだろ
主張する学者なら、主なものだけでも寺澤、石野、北條、柳田、広瀬etc・・・
布留0が3世紀初頭という根拠は?とかみっともないことはもういわないでね。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
246 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 02:09:16 ID:d0ZcX2Cq0
>>234
もうそういう時代じゃないよ。
吉野ヶ里にしても史跡公園の経営は青息吐息だし
遷都1300年で一見盛り上がっているように見える平城京も、今後の維持費の目途が立っていない。
纏向がもし邪馬台国だったら、史跡公園を造ろうと思ったら、住宅街をぶっ潰さなきゃいけなくなる。
観光資源になりうるものじゃないんだよ、縄文弥生の史跡公園ってのは。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
258 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 02:11:35 ID:d0ZcX2Cq0
>>243
九州の土器編年の正しさ。
これが従来の畿内の土器編年を繰り上げさせた。
もうみっともないから、知っていながら必死に誤魔化そうとするのはやめようや。
まあ他の人への説明にはなるからいいのかもしれないけどw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
273 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 02:17:01 ID:d0ZcX2Cq0
>>253
ケチャップがオススメw

>>254
繰り返しになるけど、考古学者のみならず歴史学者の間でも
邪馬台国に関しては重要案件ではもはやなくなっているよ。
交易に関しては日本海側のルートも重要なんだけど、実は国内最大の勢力は東海にあったと見る向きも多い。
まあ全国に有力なクニとそれを中心とした地域交易圏があって
これらが一気に相互交流し始めたのが弥生終末期だね。
そのひとつの結実として、前方後円墳や後方墳が全国に拡散する。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
285 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 02:21:49 ID:d0ZcX2Cq0
>>265
九州でも記述と殆ど一致していないよ。
それこそ放射読みとか短里とかの無茶な読み方をして無理矢理辻褄あわせてるだけ。
だから文献史学の分野にしても、もう四半世紀も前から魏志倭人伝の解釈をやってないでしょ。
いま頑張ってるのは、我こそが倭人伝の解読に成功した!っていう初心者アマチュアだけだよ。

>>266
いまそれを佐賀県が必死でやってるんだけど、あまり売れてないよw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
315 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 02:33:09 ID:d0ZcX2Cq0
>>305
稲というか米はね、弥生の頃だと主食だったとは、今は考えられていないんですよ。
いわゆる高級食材のひとつで、支配者層を中心に食されていて
パンピーはアワやヒエ、栗やドングリの粉とかが主。

それと意外なことに、弥生期や古墳期における最大の農業生産地は東海だったと考えられている。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
320 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 02:35:21 ID:d0ZcX2Cq0
>>311
具体的に放射読みや短里を「現在も」主張している文献学者を挙げてくださいねw
榎とか昔の説を持ち出すのはナシよw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
337 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 02:40:27 ID:d0ZcX2Cq0
>>322
農業=コメではないと考えてくださいよ。
全国の集落遺跡の周りには、栗や団栗の植林の跡が多数確認されていて
団栗などの殻を貝塚のようにまとめて捨ててある、ドングリピッドというものも多数出土しています。

あと人口増加ってのは、今のところまだ仮説でしかないわけで
だいたい日本列島が一斉に縄文から弥生に移ったわけでもなく
地域によっては弥生中後期になっても、土器様式だけが弥生風で
生活実態は縄文のままという集落も多数確認されているしね。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
375 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 02:55:02 ID:d0ZcX2Cq0
>>338
案の定、山尾や王の名前が出てきてワロタよ、日向厨クン。
君は邪馬台国は宮崎にあったって説だよね。
さあ自説をここで書いて、皆の審判を仰いでみてくれw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
391 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 03:00:44 ID:d0ZcX2Cq0
>>372
うん西国や南国など他の地域についての記述もきっちりあるよ。
でもそのほとんどの距離も行程も風俗記事も間違ってるw
特に西域伝は、トルコや東ローマにも言及しているから、あちらの文献とまるであわないってのが明白なわけ。
なのに倭国のみに関しては、短里とか放射読みとかいった独自の読み方を開発して
これだと記述が正しくなるという本末転倒なことをやってるわけ。

だから倭人伝だけでなく東夷伝や西域伝なども、記述を鵜呑みには出来ないというのは常識なんだわ。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
405 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 03:06:48 ID:d0ZcX2Cq0
>>396
実はその説は的を射ているかもしれない。
というのは、弥生墳墓被葬者にも、為政王と目される者や祭祀王と考えられる者など
副葬品に明らかな特徴がある。
これは前方後円墳にしても同様で、そういった二元体制をとっていた時代や地域もあったと見られている。
こういうのは日本特有ではなく、世界中どこでも普通にあった体制だけど。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
423 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 03:14:47 ID:d0ZcX2Cq0
>>398
まあ頑張って学者の本をつまみ食いして、宮崎説を唱えてくれw
5世紀の遺物をむりやり3世紀にしたりとか、3世紀のものを4世紀にしたりとかで忙しいんだろうからw

>>406
いやあれは「実際に行った旅行記」じゃないんだわ。
だから日数にしても他地域では全然合わない。先に書いたようにそれは西域伝で証明されている。
あと倭人伝の記述では、壱岐や対馬はかなり寂れたような書き方をしているけど
実際出土するものは、海域の交易大国と呼んでも差し支えないほどのもの。
これは上陸したとされている末蘆国にしてもそうだね。倭人伝の記述からは程遠い。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
463 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 03:31:29 ID:d0ZcX2Cq0
>>440
えーっ!嘘じゃないでしょw これが対馬ね

>土地は、山けわしく、深林多く、道路は、禽と鹿のこみちのようである。
>千余戸がある。良田がない。海(産)物をたべて自活している。

でもってこれが壱岐

>竹木の叢林が多い。三千(戸)ばかりの家がある。
>やや田地がある。田をたがやしても、なお食に不足である。

過小評価もいいところだよ。
>北に(出て)市糴(米をかうこと)をしている。
とはあるが、交易によって北部九州と比肩し得るだけの規模があるとは、倭人伝からはどうしても読み取れない。
つまり、記事が間違っているという事だよね。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
476 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 03:38:26 ID:d0ZcX2Cq0
>>468
個人的には九州だと言い切る奴のほうが多いと思うけどね。
多いつーか、声がでかくて必死なんだろうけどw
「ボクだけが倭人伝の解読に成功したんだい!えっへん!」みたいなのwww

とりあえず倭人伝の行程記事からは、位置は特定できないというのは同意だよ。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
487 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 03:42:23 ID:d0ZcX2Cq0
>>477
それは木村政昭という元琉球大学名誉教授が、町興し目的で吹聴しているんですよw
ちなみに木村氏は、与那国島海底遺跡というトンデモでも町興しをしているw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
509 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 03:53:18 ID:d0ZcX2Cq0
>>499
いや誤解なきように訂正したいが
この平成の世では、九州説を主張する文献学者などただのひとりもいない。
こう書くと、じゃあ畿内説なのかよと思うだろうけど
要するに「倭人伝の記述をいくら分析しても、邪馬台国の位置は判らない」というのが一致した見解なんだ。

だから先にも書いたけど、4半世紀近くも倭人伝の新解釈などの論文は、本職の文献学者は誰も出していない。
「判らない」というのが結論で、もう考古学に下駄を預けた格好だから。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
519 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 03:59:24 ID:d0ZcX2Cq0
>>502
そういう、いわゆる「小さな邪馬台国連合」っていう九州説はアリなんだけどね。
行程や方角、戸数などは信用できないという立ち位置が必要になるけど。

でもその九州邪馬台国が消えちゃった過程については、なかなか説明が難しいらしく
九州説の人たちも四苦八苦している。

>>513
そういう事なんだと思うよ。

>>516
それは遺跡分布や後世の文献からも明らかだね。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
531 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 04:07:42 ID:d0ZcX2Cq0
解説しようw

>>526は「九州王朝説」と呼ばれるもので
邪馬台国は九州にあり、それが8世紀まで続いたが、新興勢力の大和朝廷に滅ぼされ
それまでの中国史書にでてくる倭の五王などの歴史を簒奪されたとする
九州人のルサンチマンが詰まったカルト擬似歴史である。

元々の提唱者は古田武彦氏で、彼は東日流外三郡誌という偽書に騙されたことでも有名。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
560 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 04:30:47 ID:d0ZcX2Cq0
>>540
ぶっちゃけ冷静なことを書くと、判らない。

もし箸中山古墳の発掘が実現し、そこに女性と目される被葬者が確認できたにせよ
それがヤマトトモモソ姫なのか、更には卑弥呼なのかというのとはまったく別の話。
まあ大方の考古学者は畿内説だともいうが
実際のところ考古学者は邪馬台国には興味がない。
九州説を採る考古学者は一人もいないといっても過言ではないが、だからといって畿内説かといえば実情はこんなもん。

ただ蓋然性の問題として、最大の交易連合=邪馬台国連合だったと見るというだけで
それ以外の小さな交易連合が独自に魏に朝貢し、その後埋没して行った可能性もある。
そういう低い可能性を優先しないというのが、考古学的な畿内説の骨子のひとつでもある。
なお繰り返しになるが、文献史学は邪馬台国の位置は判らないと結論付けた。

なのでもし99%畿内だということになっても、残りの1%の可能性がある限り、特定できたとはいえない。
だから倭人伝がどうしたとかのトンデモ九州説じゃなく、きちんとした考古事実を踏まえた九州説を提示できれば、またかつてのように論争になるかも知れない。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
565 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 04:39:18 ID:d0ZcX2Cq0
>>547
その東日流外三郡誌を未だに本物だと主張しているのが、古田一派なんだわw
まあ東北のピラミッドやナニャドーレと同じく、東北にユダヤやら古代王朝やらを求めたがる
東北人のルサンチマンと、九州人のルサンチマンが反中央で大同小異で結びついたようなものだね。

まあ古田がトンデモなのは事実だけど、それに飛びついたオウムの責任まで背負わすのは酷だとは思うけどw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
573 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 04:46:42 ID:d0ZcX2Cq0
>>563
小林さんじゃないかな、それ。
破鏡の分布から勢力図を導き出そうとしたけど
氏の死後に近藤さんなどが、それは考えにくいと否定してたように記憶している。

>>560
全面調査を許可してほしいのは同意なんだけど
奴婢の殉葬跡とかは今の段階で、すでに期待できないねえ。
箸中山は全く未調査というわけではなく、周辺環濠や表層の調査はすでに行われていて
近々墓室内にトレンチ(試掘坑)が入りそうだから、ある程度のことはわかるとは思うけど。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
576 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 04:53:29 ID:d0ZcX2Cq0
>>570
困ったもんでしょw
こういった偽書で有名なのは、シオンの議定書とかあるんだけど
日本でも、明治後期や大正期に新興宗教が雨後のタケノコの如く湧き出た時代に
竹内文書とか富士文書などの古史古伝が溢れかえった。ホツマ文字とかもそうだね。

こういうのは偏ったイデオロギーとカルト宗教が渾然一体となってるから、研究するには面白いけど
そばには居て欲しくないシロモノなんだよね。

まあラエリアンとかアダムスキー信者などのUFO系オカルトが、ニューエイジと結びついているようなもんだね。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
582 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 05:01:17 ID:d0ZcX2Cq0
>>577
あれは単なる役人根性で、自分らが許可したという実績をつくりたくないというか
変わったことはやりたくないというだけで、陰謀論に陥る必要はないと思う。

まあ今の通説では、現在に到る天皇制の創始期は、天武・持統あたりからだということなんだけど
無理に神武や応神それに神功なんかを持ち出して、曖昧なままで古く見せようと化しなくとも
世界最古の王家として、十分に胸を張って世界に誇れるものだと思うよ。
万一南北朝時代まで下ったにしてもね。

あと殆どの古墳はすでに鎌倉時代には盗掘されている可能性が高いから
たいしたものはあまり出てこないと思う。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
588 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 05:07:15 ID:d0ZcX2Cq0
>>581
専門はもう少し後の時代なんだけど、このあたりはリンクしてるからw

それと学問も未だに戦後処理から抜けきれていないというのが実情かも。
右に左にぶれるのを繰り返しながら、そのぶれ幅を小さくするしかないのだろうね。
少子化ってのも、とどのつまりは埋めよ増やせよ時代の負の遺産のようなものだし
これらの解消と同じく、あと100年くらいはかかるかもw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
601 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 05:17:40 ID:d0ZcX2Cq0
>>586
根拠の提示というか>>560で書いたように、蓋然性の問題であって
これで畿内説に間違いないというようなものはないし、今後も出てこないと思うよ。
ただ事実として、昔のように学者が邪馬台国論争をしているというようなことは今の時代にはないし
大方畿内を中心とした広域交易連合のことを、邪馬台国だと倭人伝が書いたんじゃないか?というくらいのもの。

蓋然性という言葉を使ったのは、今のところこれが一番可能性が高いからで
ツクシ連合こそが邪馬台国連合であった可能性のほうが高くなれば、当然そっちに乗り換えるw

ただ文献からはもう新史料でも出ない限り、邪馬台国問題を解決することができないというのは前提として考えねばならないということ。
倭人伝からはこう読めるというのは、あまり意味の無いことなんだ。
だからアカデミズムではもう誰もやってないわけ。

マスコミ報道などで畿内説で決まりといった論調には、俺も正直違和感があるよ。
あれは邪馬台国を客寄せパンダにしたリップサービスみたいなものだからw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
626 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 05:37:41 ID:d0ZcX2Cq0
>>608

>邪馬台国論争そのものが無意味

ぶっちゃけそう言ってるつもりなんだけどw
比較検討が出来ない文献の内容を精査したところで、それが事実かどうか分からないというのが結論だったわけだから。
否定がナンセンスなのではなく、妄信肯定がナンセンスなんだとは思わない?
三国志そのものも、周辺記事が間違いだらけってのはご存知でしょ。
韓伝のように、実際に支配地域になった部分に関しては信頼度の高い部分もあるけど
大月氏のくだりなどを読むと、印授した地域への理解度はかなり低いといわざるを得ない。
そういうものを根拠として、論争は成立しないということ。
だから繰り返すけど、アカデミズムではとっくにやってないでしょ。
というわけで、趣味としておやりになるのならどうぞって感じなの。
でも無闇に学問成果を否定して貶めるのはやめてねって、まあそんな感じかなw
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
632 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 05:46:08 ID:d0ZcX2Cq0
>>624
貶めてるんじゃなくて、実際問題として考えにくいってことなんだけどね。
倭人伝の行程記事の信用度はほとんどない。これは畿内説やら九州説関係なくね。
では戸数はどうかといえば、5万戸や7万戸なんて規模のものが、どうしても九州に見つからない。
これは畿内すらもない。つまりこれも信用できないという事になる。

こうなると倭人伝を元にして邪馬台国を探すというのは
まったく信憑性の無い数字を元にして方程式を作るような作業になってしまうわけよ。
これじゃあ学問とはいえないよね。

貶めているなんてのは被害妄想だと思うよ。
ちょうどエーテル宇宙論が相対性理論の登場によって、過去のものとなったように学問的な流れにしか過ぎない。
しかしそのエーテル宇宙論も、相対性理論にきちんとした異を唱えたからこそ量子力学に昇華したわけで
統一場理論の構築という局面うを迎えているわけだし。
だから考古学的にも矛盾のない、倭人伝から解き放たれた九州説ってのなら大歓迎だよ。
【ノーベル賞】 中国 「ノーベルが生きていたら、今年のノーベル賞委員会の無知と偏見に烈火のごとく激怒したことだろう」
121 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 14:22:41 ID:d0ZcX2Cq0
もともと多民族かつ地域格差の激しい広大な面積を
ひとつの国家として運営していくこと自体に無理があるんだもんなあ。
それを無理矢理やるには一党独裁しか方法がないわけで
そいつが自由経済とかを導入すれば、そりゃあ世界中と軋轢が生じるし、内部崩壊もするわな。

まあ出来るだけ各地の民度を上げて、5つくらいに分割独立してください。
旧ユーゴスラビアの拡大版状態になっちゃうかもしれないけどね。
【ノーベル賞】 中国 「ノーベルが生きていたら、今年のノーベル賞委員会の無知と偏見に烈火のごとく激怒したことだろう」
168 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 14:28:05 ID:d0ZcX2Cq0
>>131
おそらく一般国民の殆どは知らない。
ごく一部の知識層が知っているけど、その中では賛否両論。

ちなみにおととい中国人留学生と飲んだけど
「おもいっきり皮肉だなあ」と自嘲してた。
海外に拠点を置くきちんと情報を得られる中国人にしてみれば
尖閣にしてもノーベル賞にしても、非常に恥ずべき事態だと認識しているそうだ。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★3
899 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 18:27:12 ID:d0ZcX2Cq0
>>854
伝説面では他の人が詳細な解説をしてくれているので、こちらからは箸の解説。
当時の箸というのは、食事用のお箸を特定して指すものではなく
棒状かへら状の細長い器具全般を示す言葉だった。

箸墓伝説の元になっている箸とは、この場合『糞箆』を指す。
トイレで大をしたあとに、この箆で肛門まわりの糞をこそぎ落とすという用途のものだね。
で、当時は独立した厠とかはなかったから、部屋の片隅に糞壷と糞箆が置かれていた。

その立てかけてあった糞箆のところに、どしんと尻餅をついたところ
ま○こに糞箆が・・・ってわけ。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★3
928 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 18:37:39 ID:d0ZcX2Cq0
>>921
いや比喩や解釈じゃなくて、箸で女陰を突いたという情景描写が具体的にどんなものだったかという話。
そこからこれはなんの比喩だ?と探るわけだから、元がどんな状態を書いているのかってことさ。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★3
958 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 18:49:04 ID:d0ZcX2Cq0
>>936
いやありますよ。
弥生中後期と思われるもので、板状のもので頭蓋骨を変形させている遺体が
トンカラリン近くの熊本の前原長溝遺跡などで出土しています。
これは古墳時代に入っても、また近くにある松坂古墳の被葬者でも確認されているので
その意味や由来はまた別の話として、あるという事だけは事実です。
【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★3
973 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 18:55:43 ID:d0ZcX2Cq0
>>967

>その意味や由来はまた別の話として
とわざわざ書いているのにw

シャーマンだとかヤマトだとかじゃなく、日本にはないって>>936で書いてたから
いや日本にもありますよって話なんですけどねw
【社会】あばれザルが現れ、3人を襲う…かみつき引っかく - 岩手
166 :名無しさん@十一周年[sage]:2010/10/11(月) 19:40:33 ID:d0ZcX2Cq0
すごいショボそうなゲームイベントみたいだな
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