- 【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
104 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 01:23:15 ID:aFc7+NYO0 - >>92
世界史的には奇抜じゃない。同じくらいの距離で遷都を行なった外国も結構ある。 古代エジプトの例とか、古代ローマ帝国とか。そもそも「首都」という概念が 必要ない国家という物も、封建時代以降の物という見方もできる。 都市としては、北九州と奈良が「同じ程度」発展していたなら、どっちが首都 であろうが、その時々の権力や行政や外交の都合によっても左右されるだろう。 あと、古代の天皇は、結構遷都している。同じ天皇で数回とかもあった記憶。
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161 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 01:38:21 ID:aFc7+NYO0 - でもね、大国魏と同盟組んでるから、遷都の積極的理由もあるのかな?
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327 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 02:37:45 ID:aFc7+NYO0 - >>307
天武天皇の時に編纂された日本書紀が、なぜに「その時に」編纂されたか? という点ですね。 俺も権威付けだと思います。「前王朝」の歴史を、塗り替えるべき「新王朝」 の歴史書が、「急遽」必要になったとも見れるわけで。。。 天武天皇時代に、外交がガラリと変わったしね。
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372 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 02:54:35 ID:aFc7+NYO0 - ところで、すごーく根本的な事だけど。
「魏志」って「倭人伝」以外も無いの?そこでの「他の国への道順と旅程」って 表記無いの? それと比較したら、一発でわかるんでないの?
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386 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 02:58:34 ID:aFc7+NYO0 - 例えば、同じ本で。「A国への行き方は、放射説表記でしるされて」おり、
「その時に用いられている距離単位はこの里である」と言うのがわかって、 「B国」でも検証可能で、それなら「邪馬台国の場合」も、こうだとなるやん。 最低でも、放射説か、放射説では無いか?と距離の客観検証は、可能だろう? なぜ、「倭人伝」以外の「魏志」の、「他国への旅程や旅順」を、非核検証 せんのん?
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396 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 03:03:00 ID:aFc7+NYO0 - 卑弥呼の頃から、天皇と将軍と大統領と首相と大司教がいたのだ。
まったく問題無い。
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417 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 03:12:22 ID:aFc7+NYO0 - 魏の外交官「あのー、日本の一番偉い人にあって親書を渡したいのですが。」
受付 「そちらの番号札を取ってお待ちください」 魏の外交官「急いでいるんですが。それに遠くから来たし」 受付 「しょうがないですね、それでは二階外交科の13番窓口へどうぞ」 魏の外交官「あのー?こちらで日本で一番偉い人に親書を渡せますか?」 受付嬢ヒミコ「一応受け取っておきますが、『一番偉い人』という曖昧な 言い方ですと、処理が非情に時間がかかるかと思います」 魏の外交官「じゃあ、日本で一番偉い人は誰なんですか?」 受付嬢ヒミコ「そんな国家機密、ここで言えると思いますか?とにかく、 受け取っておきます。おって処理して回答を致します。次の方どうぞー?」 魏の外交官「くそー!倭人の卑弥呼めー!」
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431 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 03:18:03 ID:aFc7+NYO0 - >>415
今日いちで、良い事を聞いた気分がします。明晰な分析感謝です。軍略的には 確かに「途中のどこそこは、補給が出来るぞ。どこそこは補給できないぞ」と 言うのは、重要情報ですね。
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441 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 03:23:34 ID:aFc7+NYO0 - 卑弥呼が、仮に、後の大和王朝と近親・近所のゆかりがあるならば、なぜ、
大和王朝の記紀に「about卑弥呼」の表記が、全く無いのか?これが誰も説明 できてないだろう?だから、そのpointの所だけは近畿説はチト弱いと思うんだ。
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449 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 03:27:07 ID:aFc7+NYO0 - >>442
>未知の土地を東に行ったのを南や南東に向かってると考えても不思議じゃない >しかし日数は日誌を付けてるのだから間違えようがない 魏がそんな国家なら、多分蜀の孔明に四回くらい征服されてると思うのだが。
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467 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 03:33:10 ID:aFc7+NYO0 - >>456
大阪は、堺の商人が地ならしして秀吉が城を立てるまでは、海岸線はかなり 内陸部じゃなかったろうか?古代の頃に「広い(耕作に)優良な平野」だったか どうかは、微妙。関東平野も、徳川家康が開墾するまでは、ずっと葦の原だった し。
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490 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 03:42:57 ID:aFc7+NYO0 - もし奈良に前大和王権があって、それが邪馬台国だとすると、卑弥呼が属して
いた「前代の神話体系」は、どこに行ってしまったのだろうか? 大和王朝が、吉野の西から到来して、邪馬台国を制圧したという筋になる。 日本書紀や古事記には、その表記は見出しにくいんだよなぁ。。。 制圧したのなら、わざわざ前王朝を「同祖」にする必要も無いし。仮に、完全 制圧ではなく、討伐して神話体系を組み込んだとすると、前大和政権が 「卑弥呼臭く」なるはずなのに、前大和王朝には鬼道っぽい表記も、シャー マンっぽい記述も見当たらない。むしろ、この仮定の場合「侵略した側」で ある、ニニギの方が、よっぽど鬼道・シャーマン臭いような気がする。
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504 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 03:48:51 ID:aFc7+NYO0 - >>473
確か、古代の「船着場」って、淀川のだいぶ上流にあるんだよね。大阪の海岸 線は、今よりだいぶ内陸部かと。
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512 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 03:55:17 ID:aFc7+NYO0 - _人人人人人人人人人人人人人人人_
> ようこそ邪馬台国へと言う看板を掘り当てた <  ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^ ̄ ヘ(^o^)ヘ |∧ /
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529 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 04:06:18 ID:aFc7+NYO0 - >>519
>邪馬台国が消えてしまった過程 それこそ神功皇后の大政略。奈良大和王権を、「乗っ取って」逆合併をした のだよ。日本書紀では逆に描かれているが、それはそれまでの口承神話が既に 書き換えられていたのだ。この陰謀によって、「大和王朝」は「ヒミコ教」に 完全に乗っ取られたのだよ。 で、しばらくしてから、持統天皇が、自分の政権安定のために神功皇后を フューチャリングして、その書き換えられた口承神話をそのまま記したのさ。
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536 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 04:15:24 ID:aFc7+NYO0 - 図にすると、こう。
九州ヒミコ教→→→→→→→→神功皇后(直系血脈)→┬→その後の大和王朝 九州ヒミコ教→ニニギの東征→祟神大王(亜流血脈)┬┘ 九州ヒミコ教→スサノウ北伐→大国主命(亜流血脈)┘
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549 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 04:24:35 ID:aFc7+NYO0 - >>542
交易品がみつかると言うのとは、別だと思う。その理窟だと、フランスから ワインを輸入している日本は、おフランスの一部? ま、しかし、言わんとしている所はわかる。「当時の世界の果てはどこ?」と いう意味なら、交易品で確認はできるな。日本の共通認識は疑問だが、 「同じ文化文明を共有する世界が、どこまで影響力があったか?」という目安 にはなると思う。
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557 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 04:29:05 ID:aFc7+NYO0 - >>554
当時の伊能忠敬いたんだけど、天智天皇か天武天皇に、皆殺しにされたんだよ きっと。。。「不都合な古代日本史」は、その頃、塗り消されたんだ。
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562 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 04:34:25 ID:aFc7+NYO0 - >>553
えー。スサノウの方が、ニニギより少し前の世代だよ?日本書紀ではスサノウ は、ニニギのお父さんの兄弟。 それに、日本書紀のそこらへんの家系図で言ったら、出雲王朝の方が大和王朝 より、家系的には「格上」になる。(長子相続でも、兄弟相続でも)わざわざ そんな、自分が不利になるような「神話の作り変え」は、しないと思うけど なぁ。。。
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566 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 04:40:08 ID:aFc7+NYO0 - >>533(>>562の訂正)
ニニギの祖母の兄弟が、スサノウ。失礼した。
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574 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 04:50:25 ID:aFc7+NYO0 - でも、箸墓って、どう見てもあれ軍事拠点だろう?生活感も宗教感も、なさすぎ。
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591 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 05:11:59 ID:aFc7+NYO0 - 古代女性大王は、けっこうざらにいるんだが。。。
むしろ、「女性大王」は、別に全く問題無いと内外に示すために、日本書紀が 書かれているような物なのだが。。。 天皇制が「男権的」と言われるようになったのはせいぜい漢籍が流行した 中世以降で、近世ですら、女性天皇は二人もいる。(明正天皇・後桜町天皇)
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599 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 05:16:54 ID:aFc7+NYO0 - >>593
案外、吉村作治さんみたく、「怪しいトコ本体より、その回り」を掘った方が より有意義な物が出てくるかもね。いかにも怪しいところなんて、昔の盗賊や 権力者が、とっくに調査済みでしょうしね。 吉野ヶ里より、宇佐神社界隈の方がどう見ても怪しいんでね?
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605 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 05:19:54 ID:aFc7+NYO0 - >>598
スレ違いだし、反日さんもいそうなので、あえて教えてあげませんが、一応、 天皇制と自由主義が両立する方法論は、いくつかある。
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619 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 05:28:40 ID:aFc7+NYO0 - >>613
一応、明治以前のある程度古い「古墳らしき物」を、〜〜陵と明治政府で規定 していったイキサツですね。 俺個人は、ゼロサムで、無い物をあるとしたというまでの大きな捏造は少ない と思っておりますが、「天皇間違い」はやっちまってる可能性はあると推測 しますね。 ま、明示から続く現在の学閥や宮内庁が、その間違いを正すのに積極的に手伝 うとも考えにくいですし、実際現実、その傾向のようで。。。;^^A
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- 【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
623 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 05:35:27 ID:aFc7+NYO0 - 俺個人は、吉野ヶ里でも箸墓でもどっちでもない説だな。
宇佐神社か、大分と宮崎の間くらいだよ。そっちを掘った方がええと思う。
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630 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 05:43:58 ID:aFc7+NYO0 - 傍証が取れない以上、少なくとも「邪馬台国は魏志倭人伝の記述どおりあった」
という大前提は、これ認めないと、九州説も近畿説も、どっちも成り立たない やろな。それだけは確か。日本じゃないかもしれんしな。 「そもそも無いんちゃうか?」と言う人は、それ以前の邪馬台国存在の是非 の範囲やろな。
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635 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 05:53:36 ID:aFc7+NYO0 - >>633
邪馬台国論争仕分けですか?一応、邪馬台国は「年代」ははっきりしている ので、実在と実在地がわかれば、今まで記紀でしか、しかも神話としてしか 把握できなかったあたりの年代が、ある程度、「傍証」できるものもチラホラ 出て来るんじゃないか? 直接結びつかないからと言って(それは優先度は減るかもしれないが)無用 とまで行くかどうかも、甚だ疑問。間接的に結びつく論証なども大事にする のが、学問って物。 天文学を後回しにした東洋は、西洋の大航海時代に遅れをとったワケだし。 早すぎる無用論も、これも学問的ではないと思う。(優先順位は変わりうる ケド)
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638 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 05:57:57 ID:aFc7+NYO0 - >>637
それもあるから、現在の九州説も近畿説も、アサッテの所を掘っているのかも? そうじゃないかも?そうじゃなくないかも?www
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640 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 06:00:45 ID:aFc7+NYO0 - >>639
曹操の部下が、曹操にウソの報告を上げたら、多分首チョンパだど♪
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649 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 06:09:11 ID:aFc7+NYO0 - >>641
従来の神話的記紀でも、「大和での天皇家以前の王朝の存在」は隠していない んだし、その「前大和政権」があっても、全く問題無いでしょう。でも、それ を「魏志倭人伝の邪馬台国」とするに足る証拠があるか?そこが一番大切なの ではないでしょうか?「前大和王朝の存在」がただ独立的に見つかっても、 それが「魏志倭人伝の邪馬台国」となるかどうかは、これは全くの別問題。 >>642 「かけがいのある」を演出するために、わざと「邪馬台国幻想」を仮借して いるきらいは、確かに今の九州説〜近畿説論争には、ありますね。その点が 悲しいと言う感想は共感します。 予算を引っ張るためだけに、双方無理してたり、双方相互を論外で貶めている という感じが強いですね。 ところで、「もっとかげかいのあるテーマ」って君的にはどこらへんでしょう か?よろしければ、後学の為にお聞かせ願えれば。。。
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662 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 06:24:30 ID:aFc7+NYO0 - >>650
当時の「国」は、今で言う「県」くらいの物だったかもと言うのは、説得力有り ますね。実際、江戸時代とかも「出雲の国」とかって言い方をしてますしね。 そうすると、県くらいの大きさの「国」が、西日本全土に散在していて、それ の長が、王であったり、主命であったり、巫女であったり、という郡生体が 邪馬台時代の日本の実情だったのかもしれませんね。で、乱が耐えない状態 が昂じてきて、それより上位概念として「大王」が必要になったという推論 は、自然発生的に可能かもしれません。最終的に、出雲の「主命」と大和の 「大王」と九州の「ヒミコ(漢字はあえて不肖)」の長城決戦で、「大王」 が勝ち残ったのかもしれませんね。
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668 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 06:33:07 ID:aFc7+NYO0 - >>661
理窟はわかるけど一部だけ疑問。ソウルには庁舎があります。ピョンヤンにも 庁舎があります。日本から国交が強かったのは、韓国です。 韓国の首都を探して、先にピョンヤンを掘り当てました。てことは、当時の 韓国の首都はピョンヤン?(ソウルはたまたま候補地にならなかったので 掘りませんでした)
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695 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 06:46:23 ID:aFc7+NYO0 - 例えば、同時代に、邪馬台国がある程度の規模の首都庁舎を建設したら、
邪馬台国に対立(対抗)する国だって、それ相応の首都庁舎を建設しますがな。 出雲大社だって、でっかいんだし、前大和政権が、出雲と拮抗した神殿宮殿 くらい当然作っただろう。ましてや後に大和政権が出雲を制圧したんだから。 先述したけど、「前大和政権」が立証されても、それが「邪馬台国である」 と言う事には必ずしもならない。邪馬台国にバカにされないためにでかいの 作っただけかもしれないしな。京城になめられないために平壌を立派にした 北朝鮮の例もあるし。
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- 【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
719 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 06:59:10 ID:aFc7+NYO0 - >>702
ん?何で? 出雲を中心とする中国地方王国連合体があり(これが出雲王朝)。 奈良を中心とした近畿王国連合体があり(これが前大和王朝(大和王朝とは別))。 北九州を中心とした九州四国王国連合体があり(これを邪馬台国影響圏) 上記の前提なら、出雲と奈良とまだ見つかっていない北九州の王都は、 「互いにライバル視」できるレベルの物を、無理しても作るんじゃない?
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727 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 07:05:13 ID:aFc7+NYO0 - >>714
阿斗なら、たしかにアバウトかもしれない。ううう。
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741 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 07:11:08 ID:aFc7+NYO0 - >>731
出雲と大和の戦いで、出雲の皇子が、確か美濃とかあたりまで、逃げているん だかゲリラ戦してるんだか、してるはず。 出雲が中国地方で、大和が近畿地方、っていうイメージからすると、この転戦 は、何か不思議な感じを受けますね。でも出雲が日本海を広く(港だけでも) 制圧していれば、この転戦は充分可能ではありますね。
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751 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 07:15:10 ID:aFc7+NYO0 - >>730
それなら、「そんなでかいものをわざわざ集権で作らせた」前大和政権は、 ますます、邪馬台国チックでは無いような気がしますね。。。 でかくで豪華なのを見つければ見つけるほど、記述された「邪馬台国」とは どんどんかけ離れて行きますな。
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769 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 07:23:51 ID:aFc7+NYO0 - >>757
でも、晋の時代だから曹操流儀が全く無いとも言い切れないのでは? 魏と晋が、全くの分断された王朝なら、いわんとする所もわかるのだが、 一応、魏の官僚や血脈をそのままもって、全土統一して帝位についたのが 晋なんだから。当然官僚システムも、曹操流儀に近いものだったんじゃ ないか?で、そのノリで書かれた歴史書外交記録だから。方角を60度間違った ら、ただじゃすまされないだろう?東を東南とか南とかって。。。 あれ?晋じゃなかったっけ?魏の官僚は、晋の時、まるっと入れ替えたっけ?
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795 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 07:32:06 ID:aFc7+NYO0 - >>761
擦り合わせが出来ない以上、前大和政権を邪馬台国とする事は、まず無理だ ろうね。「他に無いからこれしかない」ってのは、候補の条件でこそあれ、 本人確認にはならない。 で、頑張って掘れば掘るほど、魏志倭人伝の描く「邪馬台国」のイメージから はかけ離れて行く。 何度も言っているけど、あえて繰り返すと。「前大和政権」は、記紀にも登場 しているし、その存在確認ができたとしても、それが邪馬台国になるには、 それが邪馬台国であると言う刷り併せができないと、成り立たないと思うん だよねぇ。
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- 【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
809 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 07:39:36 ID:aFc7+NYO0 - >>798
卑弥呼の時代は、魏志倭人伝と日蝕から、かなり限定できるんだよね。なら、 その時代の「大王(=天皇)」は誰なんだろうね?この疑問は、いずれにせよ まだ残るよね。邪馬台国が畿内でもこの疑問は残る。
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- 【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
827 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 07:48:52 ID:aFc7+NYO0 - >>816
筑紫が、記紀では、よく反乱おこすんだよねぇ、これがまた。 むしろ「ひょっとして単なる反乱じゃないのでは?」と思うくらい。そして、 その反乱には、いつも半島の影が。。。
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- 【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
839 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 07:52:29 ID:aFc7+NYO0 - >>831
それに関して俺は密かに「ヤマティー王朝だったかもしれない」と思っている。
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- 【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
847 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 07:55:45 ID:aFc7+NYO0 - >>836
神功皇后が、トヨ(もしくはトヨの娘)なら、ほぼ、ピッタリ♪
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- 【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
860 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 08:00:50 ID:aFc7+NYO0 - >>855
それ、信じちゃダメー! ><
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- 【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★2
866 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 08:04:09 ID:aFc7+NYO0 - (神功皇后ー_ー) ニヤリ。。。我が術中にはまりおったわ。。。
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882 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 08:08:26 ID:aFc7+NYO0 - 邪馬台国が、畿内になったら、それこそ、神功皇后の思う壺なんだよなぁ。。。
「大王」の権力と「ヒミコ」の権威を、トヨの家系が掌握することになるの だから。。。おそるべし! トヨの呪い!
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898 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 08:13:23 ID:aFc7+NYO0 - >>886
東征があった以上、そこより西からしか来れないんだよねぇ。。。上陸地点が 熊野だから、四国か九州からしか来れない。それより西の国が瀬戸内海もしく は太平洋を、九州や四国に影響も支配も船尾調達もせずに越えられるとも思い 難い。
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912 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 08:18:28 ID:aFc7+NYO0 - >>900
でも地方豪族なら、出雲や前大和政権や(あるとしたら)九州の(邪馬台国) の残像とも言えるトヨの国に、「権威負け」する。 そこで、地方豪族だが、それらに匹敵する権威を持つには。。。 @ご先祖様は、そこらへんの権威の時代に分派した。とするか、或いは A今のご権威様と婚姻などを結ぶ。 かの、どちらかあたりでしょうな。(或いはどっちも)
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935 :名無しさん@十一周年[]:2010/10/11(月) 08:28:27 ID:aFc7+NYO0 - ところで、邪馬台国=大和王朝とした場合、卑弥呼は誰になるんだ?
先述どおり、神功皇后は、二世代くらい異なるぞ?
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