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名無しさん@十周年
【社会】危機乗り越える人権文化を  作家大江健三郎
【政治】主要20学会(研究者約33万人)が事業仕分けを憂慮する声明を連名で発表
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
【政治】 小泉元首相 「鳩山政権、参院選までもたない」「今は『ポストが赤いのも自民党が全部悪い』という世論。雌伏のとき」 ★4
【社会】安全保障のRPG「ポリティカル・ミリタリーゲーム(ポリ・ミリ)」、日本でも導入が進む
【ゲンダイ】蓮舫議員「事業仕分けはカットではありません」 ノーベル賞学者・五輪メダリストに大反論★2
【国際】中国、見せしめ外交…「人権」のカナダ首相を冷遇
【政治】自民党・谷垣総裁、政府の経済運営を批判
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も★2
【調査】 鳩山内閣支持60.2%、参院選投票、民主32.8%↓・自民16.8%↓、景気対策が遅い69.4%…新報道2001★4

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【社会】危機乗り越える人権文化を  作家大江健三郎
72 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 15:35:50 ID:TSWK0uaJ0
中国共産党 反日プロパガンダの黒幕 李長春
http://www.youtube.com/watch?v=-TfXxKMXvjI
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7086709

李長春政治局常務委員、大江健三郎氏と会見
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cejp/jpn/whjl/t271604.htm
【社会】危機乗り越える人権文化を  作家大江健三郎
75 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 15:37:01 ID:TSWK0uaJ0
李長春政治局常務委員、大江健三郎氏と会見
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cejp/jpn/whjl/t271604.htm
            ↓
”黒幕”は(中国共産党)党内序列第5位の大物! = 李長春(政治局常務委員)
http://gunken.jp/blog/archives/2007/12/02_1000.php
http://j.peopledaily.com.cn/2002/11/17/jp20021117_23353.html
中国の宣伝戦を担う「中央対外宣伝弁公室」&「中央宣伝部」 (↑顔写真アリ)
中国の宣伝戦を指導する最高責任者が、今年10月の共産党大会で序列8位から5位にアップ!

李長春氏、抗日戦争の研究強化呼びかけ 北京で学術シンポジウム
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cejp/jpn/xwdt/t210218.htm

おまけ
「理解広がっている」と小沢氏、中国常務委員との会談で (2009年3月31日)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090331-OYT1T00158.htm

日本のマスゴミは中国共産党の支配下にあります
李長春・中国政治局常務委員、マスコミ代表と懇談 2009.3.30
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090330/chn0903301959000-n1.htm
【社会】危機乗り越える人権文化を  作家大江健三郎
78 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 15:37:32 ID:TSWK0uaJ0
李長春政治局常務委員、大江健三郎氏と会見
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cejp/jpn/whjl/t271604.htm

             ↑

これが全てを物語っているだろう。
【社会】危機乗り越える人権文化を  作家大江健三郎
79 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 15:37:50 ID:TSWK0uaJ0
朝日新聞と毎日新聞が無防備都市宣言を以前から煽っています。
マルキストの極左過激派、MDSと連携しているようです。

「無防備都市」を喧伝する 朝日・毎日と国立市長の愚(1)-(4) 
■朝日・毎日が入れ込む新たな「平和運動」
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2004/0410/ronbun2-1.html

■祖国を敗北させるための運動
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2004/0410/ronbun2-2.html

■中核を担うのは新左翼セクト
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2004/0410/ronbun2-3.html

■非武装のなれの果て
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2004/0410/ronbun2-4.html

関連団体
民主主義的社会主義運動(MDS) (※マルクス主義の左翼過激派)
http://www.mdsweb.jp/mds.html

「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」 (=無防備マン)
http://peace.cside.to/
【社会】危機乗り越える人権文化を  作家大江健三郎
80 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 15:38:02 ID:TSWK0uaJ0
【中国共産党】基本同志は運用同志を獲得せよ【対日工作指令】

対日工作主要目標
 ・日本の先端産業技術の獲得
 ・日本の政治、外交、軍事情報の収集
 ・対台湾工作の拠点の構築
 ・民主化運動や法輪功に関する情報収集

日本解放第二期工作要綱
−2.解放工作組の任務

 日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。

 イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)

 口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)

 ハ.日本人民民主共和国の樹立・・○○を戦犯の首魁として処刑

(第三期工作の目標)
田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、上の第口項、即ち
「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。

【社会】危機乗り越える人権文化を  作家大江健三郎
81 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 15:38:18 ID:TSWK0uaJ0
中国共産党 大虐殺の歴史 そして日本侵略へ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7135711
http://www.youtube.com/watch?v=gLmYqvaqVm4

中国共産党による大虐殺の犠牲者の数は、「共産主義黒書」(ステファヌ・クルトワ)などの
推計に依れば6,500万人にも上るとされている。歴史上有名な大躍進や文化大革命、
天安門事件だけでなく、チベット、東トルキスタン(ウイグル)、モンゴルにおいて現在、残虐
な粛清と弾圧、歴史・伝統・文化の破壊、民族浄化・絶滅、漢民族への同化政策が行われ
ている。この恐るべき実態は日本にとって対岸の火事では済まず、やがては日本に襲いか
かる脅威である。更に、大中華圏の拡大、世界覇権の掌握は、全人類が危機に瀕すること
にも繋がる。

【社会】危機乗り越える人権文化を  作家大江健三郎
83 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 15:38:31 ID:TSWK0uaJ0
北朝鮮の核とキューバ危機 中国とロシアの欺瞞
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7210077
http://www.youtube.com/watch?v=6_8FtX8en4c

現在の北朝鮮とイランの核問題は、1962年のキューバ危機と類似性が高いと考えられる。
そして、東西冷戦が終わったと言われながら、実は地政学的なランドパワーとシーパワーの
対立構造は何も変わっておらず、その構造からリムランドである北朝鮮、イランから日本や
欧州への脅威が発生していると見る事が出来るのではないか。或いはこれを新冷戦と呼ぶ
事もできようが、根源的には地政学に基づいているように思える。ワルシャワ条約機構は上
海協力機構(SCO)に名を変えたが、NATO(北大西洋条約機構)と対峙する軍事同盟へ発展
する日はそう遠くないのではないだろうか。
【政治】主要20学会(研究者約33万人)が事業仕分けを憂慮する声明を連名で発表
719 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 15:53:01 ID:TSWK0uaJ0
中国共産党 大虐殺の歴史 そして日本侵略へ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7135711
http://www.youtube.com/watch?v=gLmYqvaqVm4

中国共産党による大虐殺の犠牲者の数は、「共産主義黒書」(ステファヌ・クルトワ)などの
推計に依れば6,500万人にも上るとされている。歴史上有名な大躍進や文化大革命、
天安門事件だけでなく、チベット、東トルキスタン(ウイグル)、モンゴルにおいて現在、残虐
な粛清と弾圧、歴史・伝統・文化の破壊、民族浄化・絶滅、漢民族への同化政策が行われ
ている。この恐るべき実態は日本にとって対岸の火事では済まず、やがては日本に襲いか
かる脅威である。更に、大中華圏の拡大、世界覇権の掌握は、全人類が危機に瀕すること
にも繋がる。
【社会】危機乗り越える人権文化を  作家大江健三郎
93 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 15:58:33 ID:TSWK0uaJ0
李長春政治局常務委員、大江健三郎氏と会見
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cejp/jpn/whjl/t271604.htm

李長春が反日プロパガンダの黒幕であり、
中国共産党序列第6位であることを考えれば、
大江健三郎の発言の意味も自ずと分かろうというものだ。
【政治】主要20学会(研究者約33万人)が事業仕分けを憂慮する声明を連名で発表
760 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:14:58 ID:TSWK0uaJ0
鳩山一郎(祖父)
・戦前は統帥権を振りかざして軍部暴走を招き、戦争の原因に
・フリーメイソン初代グランドマスター(Degree Masons)
・1955年、ソ連海軍情報部スパイ、ドムニツキーと私邸で接触
 翌1956年、日ソ共同宣言で北方領土をソ連へ売り渡す

鳩山由紀夫
・小沢一郎(新闇将軍:中国の傀儡)の傀儡
・中国共産党の走狗
・狂った友愛政策・外交
・関連が疑われている団体・組織
 フリーメイソン、真光教、統一協会
・脱税容疑←New!

鳩山幸(妻)
・中国出身
・サイエントロジー信者

鳩山紀一郎(息子)
・現在モスクワ大学勤務(ロシアに獲得されている)
【政治】主要20学会(研究者約33万人)が事業仕分けを憂慮する声明を連名で発表
761 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:15:36 ID:TSWK0uaJ0
【民主党/中国】来月の小沢一郎訪中団は、総勢615人!
民主党の国会議員は140人、「小沢権勢を見せつける旅」★3
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259336255/
元記事
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091124-OYT1T01259.htm

2007/12/07
【大長城計画訪中団】小沢代表、日中両国の協力、友好の重要性を明示
http://www.dpj.or.jp/news/?num=12341

”大長城計画”とは?

中国共産党 「日本解放第二期工作要綱」
 B.工作主点の行動要領
  第3.政党工作 3−3.招待旅行 ←これが”★大長城計画★”

D.旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で
   「C・H・工作」を秘密裏に行う。

           ↑
要は、”協力者獲得工作を行う”という意味である。
小沢一郎が、中国共産党の対日工作活動の為に、協力者として獲得させる
為に日本人を引き連れていくのである。

【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
699 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:21:49 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

楠木正成、北畠親房、山崎闇斎、吉田松陰…
歴史を紡いできた忠臣の声に今耳を傾ける

皇居前のスズメ
 これは、昭和五十年代の東京観光での、ある一場面である。バスが皇居の近くに
来ると、若いガイドさんが、皇居前の楠木正成の銅像にちなんで、こういう話をする。
『銅像のお馬の尻尾には、雀が巣をかけて、毎日、チュウ・チュウと鳴いております』。
おそらくガイドさんたちは、いつもこの話で、乗客の笑いをとっていたのであろう。
 いささか不謹慎な駄洒落であるが、今となって考えると、そもそも観光客が、「忠」と
「楠木正成」のつながりを知っていなければ、笑いはとれない。とすれば・・・、このころ
は、”まだ日本人はマシだったのだ・・・”ともいえる。それから三十年ほどを経た今、
もうこんな話をするガイドさんもいなければ、こんな話を聞いて笑う乗客もいまい。
「忠」という言葉も、「楠木正成」という人名も、今の一般の日本人の意識からは、もう
”きれいさっぱり”といえるほど・・・消えてしまっている。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
703 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:22:50 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

 それにしても、昔の人たちは、なぜ「忠(チュウ)」といえば正成・・・だったのであろうか。
考えてみると、これはかなり学問的な問題なのであるが、戦後の歴史学者たちの本を読
んでも、その答えは見つからない。ほとんどの場合、「後醍醐天皇に血の奉公をした正成
は忠臣の第一、『あるべき日本人の典型』としてアジア・太平洋戦争の敗戦まで顕彰され
続ける」(海津一朗『楠木正成と悪党』筑摩書房・平成十一年)などという”おきまり”のフレ
ーズが、あちらでもこちらでも、ネチネチと繰り返されるばかりだからである(今の日本史
の学会では、こういう「オールデーズ・ヒット・ソング」でも、アレンジさえ変えれば、「新譜」
として通用する事が少なくない)。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
708 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:24:18 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

 しかし、そもそも、「後醍醐に血の奉公をした」人など、そのころは無数にいたはず
である。『太平記』にも、「後醍醐天皇の御信任を得て、忠義を尽くし、戦功を誇った
者の数は、幾千万人いたであろう」(現代語訳・松浦)と記されている。その「幾千万
人」の中で、”何故正成なのか?”、という所が問題なのであるが、今の日本史の研
究者達は、先の例の様に「忠=楠木正成=国家主義=戦争」という図式が、脳内で
”化石化”してしまっていて、幾ら史料を読み込んでも、その単純な図式の枠内でし
か、物事が見えないらしい。然し、だからといって、戦前の学者達の古い本を読めば、
その問題は解けるのか?と問われれば・・・、私は、それについても”否”と答えるしか
ない。なぜなら、「忠=楠木正成=国家主義=戦争」という図式が、脳内で“化石化”
しているという点では、実は戦前の知識人も戦後の知識人も、あまり大差が無いよう
に思われるからである。違いと言えば、その図式が、戦前は「肯定」され、戦後は「否
定」されている、という事くらいであろう。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
712 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:25:16 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

 そもそも、「忠」とは何か?又、そのシンボルが、なぜ日本では正成でなければなら
ないのか・・・。浅学の私が限られた紙幅で、この大問題を解き明かす事は容易では
ないが、今年は天皇陛下御在位二十年という佳節に当たる。御奉祝の思いを込めつ
つ、私は学者の端くれとして、これから少し、その問題を考えてみたいと思っている。
若しも、それによって、我が国の先人達が血涙を以て織りなしてきた“心のドラマ”の
一端を、聊かなりとも今日に伝える事が出来るのであれば、「草莽の臣」として、それ
に優る幸いは無い。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
715 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:26:49 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

北畠親房の思想は「革命思想」か?

 「忠」とは、その字のとおり、一人一人の「心」の「中」にある尊い何かである。
その何かに導かれ、「臣」は「君」に身命を捧げる。それでは・・・、その「君」とは、具体的
には誰なのか?いうまでもなく、明治以前は、先ず身近な「主君」であったろうが、考えて
みれば、源頼朝以来、「征夷大将軍」でさえ、朝廷から任命されているのであるから、様々
な中間層を捨象していけば、論理的には近代以前に於ても、日本で「君」の頂点に位置
するのは、やはり天皇であった事になる。
 問題が生じるのは、その「君」が二派に分かれ、対立した時である。その時、我が国に
於ては、深刻な対立が長期化する。例えば、南北朝時代がそうである。その時代の渦中
にあって、「正統の君とは何か?」という問題に、一つの解決策を示したのが、北畠親房
(1293-1354)である事は、いうまでもない。
 戦後の“おきまり”の歴史叙述では、「皇国史観」の書として一蹴されがちな親房の
『神皇正統記』であるが、実はこの書には、いわば「日本型放伐思想」が内在している。
そのことは、既に葦津珍彦氏が、昭和四十八年の「日本型放伐思想史の展開」(『みやび
と覇権−類纂天皇論』所収)で明らかにしているが、漸く近年になって、実証的な日本中
世史の研究者達からも(葦津氏の名前は挙げられないものの・・・)、その説が是認され
初め、今やほぼ学界の定説となっている(岡野友彦『北畠親房』参照)
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
719 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:27:55 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

 親房の「日本型放伐思想」とは、要するに、こういうことである。「皇統は、神武天皇より
万世一系で連続している。但し“太く”の天皇が現れれば、その系統は断絶し、別の系統
の神武天皇の子孫が、天皇として即位する」
 その具体例として、親房は、こんな歴史事実を挙げる。一つは、武烈天皇という“不徳”
の天皇の出現によって、文徳天皇から始まる天皇の系統が断絶し、文徳天皇の兄弟で
ある光孝天皇が即位した事・・・などである。
 この様な歴史観の背後に、『孟子』に代表される支那の「易姓革命」の思想がある事は、
容易に推察される。この様な親房の歴史観を、はっきりと「革命思想」と断じている研究者
もいるが、それは正確な表現とは言えない。敢えて言えば、「神武天皇の男系皇統内に
於ける革命思想」とでもいうべきであろう。ともあれ親房は、このようなかたちで、我が国の
「万世一系」の伝統と、儒学の「徳治主義」を、思想的に止揚したのである。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
725 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:29:12 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

 それから三百年ほど経ち、江戸時代という泰平の時代になると、様々な立場から、
我が国の歴史を、改めて回顧する学者・思想家達が、無数に輩出する。彼らは、概
ね親房の人物と学識に深い敬意を払っていたものの、流石に全面的には受け入れ
難い、幾つかの“引っ掛かり”も感じていたはずである。
 そもそも親房は、武家政権を倒そうとした人である。親房は「武士たる輩、言へば数
代の朝敵なり」(前掲『北畠親房』)とまで言っていた。“然し今、自分たちは親房が打
倒しようとした武家政権の中に生きている・・・”。これが、一つ目の“引っ掛かり”であ
る。
 もう一つの“引っ掛かり”は、もっと深刻だったかも知れない。それは、親房が「正統」
と信じて止まなかった後醍醐天皇の系統が断絶し、後伏見天皇の子孫である後小松
天皇が即位している、という事である。この厳然たる歴史事実を、どの様に解釈すれば
いいのか?。近世の心ある学者・思想家達の脳裡には、これらの“引っ掛かり”が、
常に難問として横たわっていたはずであるし、その事を視野に入れておかなければ、
凡そ江戸時代の心ある学者・思想家達が、何と対決し、それをどう解決していったのか
という“心のドラマ”は、多分その粗筋さえ掴む事が出来まい。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
729 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:30:28 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

江戸時代には悪評だった後醍醐天皇

 少し調べれば分かる事だが、江戸時代の学者・思想家の多くは、後醍醐天皇を、
かなり厳しく批判している。一般に「尊皇の学派」として知られている学統に属する
学者達も、その例外ではない。例えば、山崎闇斎(一六一六−八二)の高弟として
知られる三宅観瀾(一六七四−一七一八)は、こう記している。「南朝が滅びて、
天下は永く足利のものとなってしまった。こうなってしまったのも、ひとえに“人主
(後醍醐天皇)”が、正しい政治をしなかったからである」(『中興鑑言』現代語訳・松浦)
 「幕末の尊王斥覇の思想に大いに寄与した」ということで、よく知られている頼山陽
(一七八〇−一八三二)の『日本外史』にも、しばしば後醍醐天皇の“失政”への批判
が見られるし、“合理主義者”として知られる新井白石に至っては、口を極めて、こう
批判している。「私が思うに、建武の中興の初めの頃の政治は、全て話にならない。
・・・民衆が、まだ豊かになってもいないのに、皇居の建造を始めたり、悪い公家、
官女、芸能者、宗教家などに恩賞を与えるかと思えば、軍功のある者に恩賞を与える
事もなく、珍しく与えたかと思ったら、直ぐそれを取り返したり・・・、そんな事だから
反乱が起こったのである」(『読史余論』現代語訳・松浦)
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
732 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:31:44 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

 江戸時代、一般に後醍醐天皇が(事実そうであったかどうかは兎も角・・・)、“不徳”
の天皇と見られていた事は、間違いない。然しそうすると、皮肉な事に、親房の歴史
観が、上手く適用出来るのである。つまり、後醍醐天皇は“不徳”であったから、その
系統は、その後断絶した・・・ということになる。武家政治が、それ以後、当時まで続い
ている理由も、それで説明できる。
 所が、話はそう単純には収まらない。もしも、後醍醐天皇が“不徳”であったとすれば、
戦国時代から、既に評価の高かった楠木、新田、名和、菊池などの南朝の忠臣達は、
その「忠」を尽くす大将を誤った・・・ということになってしまうが、そうなって困るのは、
実は徳川将軍家だからである。徳川家康は、「清和源氏新田流」・・・つまり新田義貞
の子孫という事で、「征夷大将軍」の宣下をうけている。したがって徳川家からすれば、
あくまでも新田氏は“忠臣”のままでいて貰う方が都合が良かったであろう。それに・・・、
親房の「日本型放伐思想」が、若しも堂々と是認される世になれば、全国各地で「御家
騒動」が頻発する危険性が高い。徳川吉宗は、聡明の聞こえ高かった二男の田安宗武
を斥け、言語不明瞭であった長男の家重に将軍職を譲っているが、それも、「徳」を家督
相続の規準にする事によって生じる混乱を、未然に阻止する事が目的であったと思われる。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
734 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:32:42 ID:TSWK0uaJ0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
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 「徳」とは、なるほど麗しい言葉ではあるが、それを万人が納得する方法で判定する
事など、そもそも不可能である。従って、「血筋さえ繋がっていれば、“徳”のある人物
を君主にすればいい」などという発想は、一見すると合理的に見えて、長期的に見れ
ば、実は極めて危険な発想で、その様な発想を是認すれば、全ての家が、言わば、
いつ爆発するのか分からない時限爆弾を、その家に抱え込む事になる。その上、その
理論を突き詰めていけば、いつか必ず「易姓革命」の容認という、超えてはいけない
一線を越えてしまう時が来よう。そうなれば結果的に、国を滅ぼし、民を苦しめる事になる。
 つまり、北畠親房の時代では、まだ“弱毒性”であった「易姓革命」の毒素は、三百年
を経た後、心ある学者・思想家から見れば、極めて“強毒性”のものに変異していたので
ある。従って、当時の学者・思想家にとって、「徳治主義」は、何としても克服しなければ
ならない、時代の思想的課題になっていたと考えられる。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
741 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:34:09 ID:TSWK0uaJ0
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『拘幽操』四十七文字の衝撃

 それを克服した“巨人”こそ、山崎闇斎であり、闇斎の思想の極致を示すのが、
『拘幽操』である。これは、元は唐の韓退之(韓愈)の文章で、漢字で、わずか
四十七文字・・・、闇斎は、それに評語や跋文などをつけて、その晩年に出版し
ている。
 闇斎の高弟・浅見絅斎の『靖献遺言』は、後に幕末の志士たちの聖典となった
事で知られるが、その書の『奥の院』と称されていたのが、この『拘幽操』である。
我が国の思想史上、これが、どれほど重要な文献であるかが、その一事からも
知られよう。
 『拘幽操』の舞台は、殷王朝最後の“不徳”の帝である紂の時代である。紂は、
周の文王の名声に嫉妬し、文王を無実の罪で捕らえ、暗い牢獄に幽閉してしまう。
文王は、その様な理不尽な目に遭っても、きっとこう思っていたはず・・・ということ
で、文王のモノローグが綴られる。その全文は、こうである。
 「あまりにも暗く、目を開けていても、何処を見ているのか分からない。もう目が
固まってしまって、見えなくなってしまったのか・・・とさえ思われるほどである。
耳には何も聞こえず、聞こうとしても、誰の声も聞こえない。朝になっても、朝日
は見えず、夜になっても、月も星も見えない。何かを知っているのか、知らないの
か、生きているのか、死んでいるのか・・・、それさえ分からなくなってくる。ああ・・・、
然し私の罪は深い。死刑になっても仕方があるまい。何故なら、帝は、神聖で、
聡明でいらっしゃるのだから・・・」(現代語訳・松浦)
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
745 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:35:40 ID:TSWK0uaJ0
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 一体闇斎は、この一文で何を主張しているのであろうか?おそらく、それは、こういう
事かと思われる。
 兎角人は「君」の「徳」について、あれこれ言いたがる。しかし、あれこれ言う者は、実
は、あれこれ言う時点で、既に「君臣関係」の“外にいる者”である。例えば、ある人が、
「この王は忠を尽くすべき相手なのか、否か?」と“品定め”している間は、まだその人は、
明らかに「君臣関係」の“外にいる者”である。“品定め”が続く限り、その人は永遠に
“外にいる者”であり続ける。
 然し、その人が、「この王は、私の君である」と覚悟を決めれば、その時点で、その人は、
もう「君臣関係」の“内にいる者”になる。“内にいる者”か“外にいる者”かを決するのは、
自分に「君」を“信じて仰ぐ心”が、有るのか、無いのか、という一点に掛かっている。
“信じて仰ぐ心”など無い、というのであれば、もうその時点で、「君臣関係」など、実質的
には破綻している。
 闇斎は『拘幽操』で、これを読む一人一人に、ただ一つの事を問うているに過ぎまい。
つまり、「あなたは、君臣関係の“外にいる者”なのか、“内にいる者”なのか?」という事
である。その問いに対して、「私は“内にいる者”である」と即答する覚悟のない者には、
そもそも何を言っても始まらないし、そういう者には、真の「忠」の世界など、遂には見え
まい。辛苦に満ちた研鑽の末、遂に闇斎という天才の目には、丸で暗夜に走る閃光の
ように、“人に問われるのは、その一点のみである”という事が、はっきりと見えたのでは
無かろうか。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
746 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:36:56 ID:TSWK0uaJ0
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 真の「忠」は、「君」に対して、“見返り”を求めない。勇敢でありながら、慎み深く、
ひたすら許し・・・与え・・・尽くすのみ。もしも、「なぜあなたは、そんな生き方が出来
るのか?」と問われれば、多分その人は、「それが私の“心”の“中”の喜びだから
・・・」と、答えるばかりであろう。現代の知識人達は、この様な考え方を、さも恐ろしげ
で、異常な思想であるかのように喧伝しているが、果たしてそうであろうか?
 例えば、イエスは、「自分を愛する者を愛したからとて、何の褒美があろう。人でなし
と言われる、あの税金取りでも同じ事をするではないか」(塚本虎二訳『福音書』マタイ)
と語っている。これに倣って言えば、闇斎は、「自分を愛していくれる君を愛したからとて、
何の褒美があろう」と言っているに過ぎない。
 それにしても・・・、闇斎の言う真の「忠」からすると、「易姓革命」という思想は、何とさも
しい思想であろう・・・。「君」に対して、徳という名の“サービスのバラマキ”ばかりを求め、
更には、それを怠る「君」が現れたら、直ぐに追放してしまえ!とまで教唆する・・・。
その根底に蠢いているのは、実は卑俗な“エゴイズム”に過ぎまい。それは、共産主義・
社会主義の「革命」の背後に、醜悪な「ジェラシー」が蠢いている事と、どこか似ている。
【政治】 "支持率低迷の自民党" 谷垣氏、自民党再生青写真示せず…「『頑張ります』だけでは政権戻ってこない」と不満の声も
749 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:38:10 ID:TSWK0uaJ0
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 『拘幽操』の意義を、闇斎の高弟の一人である佐藤直方(一六五〇−一七一九)は、
こう説明している。「『拘幽操』というのは、君と臣の正しい関係を、天下に明らかにして、
嘗て湯王や武王や孟子が、言ったり行ったりしてきた正道に反する事(つまり、「易姓革
命」)から、人々を解き放つ為の書物なのである」(『拘幽操弁』。なお学会では、これを
佐藤直方の著書ではない、とする見解が有力であるが、いずれにしても、これは山崎闇
斎学派の学者・思想家の著述であろう)。
 やがて山崎闇斎の学統を継ぐ人々は、後に後醍醐天皇の系統が絶えてしまったという
・・・あの難問の解決に乗り出す。それに取り組んだのが、跡部良顕(一六五九−一七二
九)であり、栗山潜鋒(一六七一−一七〇六)である。彼らは、皇位継承の資格として、こ
れまで血統と「徳」の二つしか重視されてこなかった事が、この問題の解決を阻んでいる
と考え、皇位継承の資格に、新たに「三種の神器」という“補助線”を導入する事を主張す
る。この考え方も、元は闇斎に由来するのであるが、栗山潜鋒は、改めて、この考え方を
高々と掲げ、「三器を保持している方こそが、正統の天皇である」(『保建大記』)と、宣言
するに至る。
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751 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:39:11 ID:TSWK0uaJ0
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 この様な栗山潜鋒の主張は、三宅観瀾や頼山陽から、厳しく批判された。『神器』と
いう物体が、皇位を保証するのはおかしい・・・という、一見すると合理的な批判なので
あるが、『御身と神器は一つ』とする闇斎の考え方は、その後も、闇斎の学統を継ぐ谷
秦山(一六六三−一七一八)等に継承される。不思議な事に、この“補助線”を導入す
れば、中世の複雑な皇位継承の過程も、それこそ合理的に・・・すっきりと整理されるの
である。やがてこの考え方が、文化七年(一八一〇)、『大日本史』が朝廷に献上される
際の水戸藩の公式見解とされ、以後、我が国で、広く支持される事になる。
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752 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:40:06 ID:TSWK0uaJ0
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楠木正成と吉田松陰

 江戸時代、後醍醐天皇は“不徳”の天皇であると考えられていた・・・という事は、
既に述べた。また山崎闇斎は、“不徳”の帝・紂を讃え続けた文王に真の「忠」を見
出した・・・という事も、既に述べた。とすれば・・・、何故楠木正成が「忠臣」のシンボ
ルとなったのか・・・という問題も、自ずから明らかになろう。つまり、江戸時代には、
後醍醐天皇が“不徳であればあるほど・・・”、ますます楠木正成の「忠臣」としての
評価が高くなると言う、思想的な力学が働いていたのである。「徳」のある「君」に仕
える事は容易であるが、「不徳」の「君」に仕える事は容易ではない。しかし、「不徳」
の「君」に仕える時こそ、「忠」の真贋が現れ、真の「忠」が光輝を放つのである。
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755 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:41:23 ID:TSWK0uaJ0
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 南朝方にあって、忠義を貫いた他の諸将も、この点は同じであったが、正成が諸将
に抜きん出ている点は、なにも正成が個人的に「智・仁・勇の三徳」(「太平記」)を兼
ね備えていた、というところにだけあったのではあるまい。正成は、中興の大業の初め
から後醍醐天皇に従い、おそらく誰よりも、その“不徳”の側面を知っていたはずである
し、また、その討ち死にの前、朝廷で決定された戦術の拙劣さに至っては、おそらく誰
にも増して痛感していたはずである。それでも、なお正成は「この上は、さのみ異議を
申すに及ばず」(『太平記』)と言い残して、潔く湊川へ向かい、死力を尽くして戦い、そし
て散っていった。その正成の姿に、江戸時代の心ある学者・思想家たちは、どこかで
「文王」の姿を重ね見ていたに違いない。
 この正成の“生き方”が、幕末の志士たちを感奮させ、やがて明治維新を導く原動力の
一つとなった事は、よく知られているが、近代国家の成立と共に、後醍醐天皇の“不徳”
を表立って批判する声は薄れ、それと共に江戸時代に確立された正成を仰ぐ心も(特に
知識人の間では)、次第に形骸化していったように思われる。それはそれで、極めて興
味深い近代思想史上の問題なのであるが、紙幅の関係上、今ここで、その点について
詳しく述べる余裕はない。
 『拘幽操』の精神を、おそらく幕末の思想界で、最も正確に表現し、且つ実戦した人物
は、吉田松陰(一八三〇−五九)であったろう。松蔭の「天下は一人の天下に非ざるの
説」には、こんな“例え話”が書かれている。
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758 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:42:34 ID:TSWK0uaJ0
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 「若しも、我が国の天皇が、仮に桀・紂のように民を虐げたら、全ての国民は、唯首を
並べて、皇居前に伏し、天皇が悔い改めて下さるのを、祈るだけである。若しも、それで
天皇が激怒されて、全ての国民を処刑されるというのならば、その時は、全ての国民は、
一人残らず処刑されるのみであろう。無論、そのあと神国・日本は滅びる。それでも、一人
でも生き残っていたとしたら、また、皇居前に行って死ぬだけである。それでこそ神国・日本
の民ではないか。もしも、皇居前に行って死なないのであれば、その人は、もう日本人では
ない。そんな時に、湯王や武王のように、主君を追放する者が現れれば、例えその者の心
に、民への愛情があったとしても、そして、その愛情からその行為が行われたものであった
としても、その人の心は、既に支那人である。支那人でなければ、インド人か、ヨーロッパ人
か、アメリカ人か・・・、いずれにせよ日本人ではない」(現代語訳・松浦)
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761 :名無しさん@十周年[sage]:2009/12/06(日) 17:43:44 ID:TSWK0uaJ0
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 さすがに、「忠義と申すものは、鬼の留守の間に茶にして飲むやうなものでなし。
・・・僕は忠義を為すつもり。諸友は功業を為すつもり」(安政六年「某宛」書簡)」と
言い放った松蔭らしい“例え話”である。これらの文章を読んでいると、「何故君たち
の“忠”はいつも“条件付”なのか!無条件に、己を捧げる覚悟無くして、何が忠か!」
という松蔭の厳しい叱声が、どこからか聞こえてきそうである。
 悲しいかな・・・、今の日本には、天皇陛下に、平気で不敬な発言をする大臣もいれば、
叡慮を勝手に捏造する官僚もいる。更には、女系天皇を擁立し、建国以来、男系で継承
されてきた皇室の伝統を、根底から破壊しようとする“革命”の動きさえある。もう右も左も
・・・、松蔭流に言えば「奸猾」だらけである。
 今回、私は「忠」について一言したが、こういう時代だからこそ、私たちは、改めて、我が
国の中世・近世の先哲達が血涙を注いで書き残した“日本人の心の遺産”を虚心に学び、
異端邪説に惑わされる事のない“心の柱”を、しっかりと立てておかなければなるまい。
 かけがえのない皇室を、建国以来の伝統を御守りしつつ、未来へと伝える尊い責務を、
先祖や子孫に対して、今現に担っているのは、他ならぬ私たちなのであるから・・・。
【政治】 小泉元首相 「鳩山政権、参院選までもたない」「今は『ポストが赤いのも自民党が全部悪い』という世論。雌伏のとき」 ★4
127 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:45:00 ID:TSWK0uaJ0
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楠木正成、北畠親房、山崎闇斎、吉田松陰…
歴史を紡いできた忠臣の声に今耳を傾ける

皇居前のスズメ
 これは、昭和五十年代の東京観光での、ある一場面である。バスが皇居の近くに
来ると、若いガイドさんが、皇居前の楠木正成の銅像にちなんで、こういう話をする。
『銅像のお馬の尻尾には、雀が巣をかけて、毎日、チュウ・チュウと鳴いております』。
おそらくガイドさんたちは、いつもこの話で、乗客の笑いをとっていたのであろう。
 いささか不謹慎な駄洒落であるが、今となって考えると、そもそも観光客が、「忠」と
「楠木正成」のつながりを知っていなければ、笑いはとれない。とすれば・・・、このころ
は、”まだ日本人はマシだったのだ・・・”ともいえる。それから三十年ほどを経た今、
もうこんな話をするガイドさんもいなければ、こんな話を聞いて笑う乗客もいまい。
「忠」という言葉も、「楠木正成」という人名も、今の一般の日本人の意識からは、もう
”きれいさっぱり”といえるほど・・・消えてしまっている。
【政治】 小泉元首相 「鳩山政権、参院選までもたない」「今は『ポストが赤いのも自民党が全部悪い』という世論。雌伏のとき」 ★4
128 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:45:26 ID:TSWK0uaJ0
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 それにしても、昔の人たちは、なぜ「忠(チュウ)」といえば正成・・・だったのであろうか。
考えてみると、これはかなり学問的な問題なのであるが、戦後の歴史学者たちの本を読
んでも、その答えは見つからない。ほとんどの場合、「後醍醐天皇に血の奉公をした正成
は忠臣の第一、『あるべき日本人の典型』としてアジア・太平洋戦争の敗戦まで顕彰され
続ける」(海津一朗『楠木正成と悪党』筑摩書房・平成十一年)などという”おきまり”のフレ
ーズが、あちらでもこちらでも、ネチネチと繰り返されるばかりだからである(今の日本史
の学会では、こういう「オールデーズ・ヒット・ソング」でも、アレンジさえ変えれば、「新譜」
として通用する事が少なくない)。
【政治】 小泉元首相 「鳩山政権、参院選までもたない」「今は『ポストが赤いのも自民党が全部悪い』という世論。雌伏のとき」 ★4
129 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:45:45 ID:TSWK0uaJ0
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 しかし、そもそも、「後醍醐に血の奉公をした」人など、そのころは無数にいたはず
である。『太平記』にも、「後醍醐天皇の御信任を得て、忠義を尽くし、戦功を誇った
者の数は、幾千万人いたであろう」(現代語訳・松浦)と記されている。その「幾千万
人」の中で、”何故正成なのか?”、という所が問題なのであるが、今の日本史の研
究者達は、先の例の様に「忠=楠木正成=国家主義=戦争」という図式が、脳内で
”化石化”してしまっていて、幾ら史料を読み込んでも、その単純な図式の枠内でし
か、物事が見えないらしい。然し、だからといって、戦前の学者達の古い本を読めば、
その問題は解けるのか?と問われれば・・・、私は、それについても”否”と答えるしか
ない。なぜなら、「忠=楠木正成=国家主義=戦争」という図式が、脳内で“化石化”
しているという点では、実は戦前の知識人も戦後の知識人も、あまり大差が無いよう
に思われるからである。違いと言えば、その図式が、戦前は「肯定」され、戦後は「否
定」されている、という事くらいであろう。
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133 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:52:31 ID:TSWK0uaJ0
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 そもそも、「忠」とは何か?又、そのシンボルが、なぜ日本では正成でなければなら
ないのか・・・。浅学の私が限られた紙幅で、この大問題を解き明かす事は容易では
ないが、今年は天皇陛下御在位二十年という佳節に当たる。御奉祝の思いを込めつ
つ、私は学者の端くれとして、これから少し、その問題を考えてみたいと思っている。
若しも、それによって、我が国の先人達が血涙を以て織りなしてきた“心のドラマ”の
一端を、聊かなりとも今日に伝える事が出来るのであれば、「草莽の臣」として、それ
に優る幸いは無い。
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134 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:53:08 ID:TSWK0uaJ0
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北畠親房の思想は「革命思想」か?

 「忠」とは、その字のとおり、一人一人の「心」の「中」にある尊い何かである。
その何かに導かれ、「臣」は「君」に身命を捧げる。それでは・・・、その「君」とは、具体的
には誰なのか?いうまでもなく、明治以前は、先ず身近な「主君」であったろうが、考えて
みれば、源頼朝以来、「征夷大将軍」でさえ、朝廷から任命されているのであるから、様々
な中間層を捨象していけば、論理的には近代以前に於ても、日本で「君」の頂点に位置
するのは、やはり天皇であった事になる。
 問題が生じるのは、その「君」が二派に分かれ、対立した時である。その時、我が国に
於ては、深刻な対立が長期化する。例えば、南北朝時代がそうである。その時代の渦中
にあって、「正統の君とは何か?」という問題に、一つの解決策を示したのが、北畠親房
(1293-1354)である事は、いうまでもない。
 戦後の“おきまり”の歴史叙述では、「皇国史観」の書として一蹴されがちな親房の
『神皇正統記』であるが、実はこの書には、いわば「日本型放伐思想」が内在している。
そのことは、既に葦津珍彦氏が、昭和四十八年の「日本型放伐思想史の展開」(『みやび
と覇権−類纂天皇論』所収)で明らかにしているが、漸く近年になって、実証的な日本中
世史の研究者達からも(葦津氏の名前は挙げられないものの・・・)、その説が是認され
初め、今やほぼ学界の定説となっている(岡野友彦『北畠親房』参照)
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137 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:59:03 ID:TSWK0uaJ0
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 親房の「日本型放伐思想」とは、要するに、こういうことである。「皇統は、神武天皇より
万世一系で連続している。但し“太く”の天皇が現れれば、その系統は断絶し、別の系統
の神武天皇の子孫が、天皇として即位する」
 その具体例として、親房は、こんな歴史事実を挙げる。一つは、武烈天皇という“不徳”
の天皇の出現によって、文徳天皇から始まる天皇の系統が断絶し、文徳天皇の兄弟で
ある光孝天皇が即位した事・・・などである。
 この様な歴史観の背後に、『孟子』に代表される支那の「易姓革命」の思想がある事は、
容易に推察される。この様な親房の歴史観を、はっきりと「革命思想」と断じている研究者
もいるが、それは正確な表現とは言えない。敢えて言えば、「神武天皇の男系皇統内に
於ける革命思想」とでもいうべきであろう。ともあれ親房は、このようなかたちで、我が国の
「万世一系」の伝統と、儒学の「徳治主義」を、思想的に止揚したのである。
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139 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:59:31 ID:TSWK0uaJ0
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 それから三百年ほど経ち、江戸時代という泰平の時代になると、様々な立場から、
我が国の歴史を、改めて回顧する学者・思想家達が、無数に輩出する。彼らは、概
ね親房の人物と学識に深い敬意を払っていたものの、流石に全面的には受け入れ
難い、幾つかの“引っ掛かり”も感じていたはずである。
 そもそも親房は、武家政権を倒そうとした人である。親房は「武士たる輩、言へば数
代の朝敵なり」(前掲『北畠親房』)とまで言っていた。“然し今、自分たちは親房が打
倒しようとした武家政権の中に生きている・・・”。これが、一つ目の“引っ掛かり”であ
る。
 もう一つの“引っ掛かり”は、もっと深刻だったかも知れない。それは、親房が「正統」
と信じて止まなかった後醍醐天皇の系統が断絶し、後伏見天皇の子孫である後小松
天皇が即位している、という事である。この厳然たる歴史事実を、どの様に解釈すれば
いいのか?。近世の心ある学者・思想家達の脳裡には、これらの“引っ掛かり”が、
常に難問として横たわっていたはずであるし、その事を視野に入れておかなければ、
凡そ江戸時代の心ある学者・思想家達が、何と対決し、それをどう解決していったのか
という“心のドラマ”は、多分その粗筋さえ掴む事が出来まい。
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140 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 17:59:51 ID:TSWK0uaJ0
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江戸時代には悪評だった後醍醐天皇

 少し調べれば分かる事だが、江戸時代の学者・思想家の多くは、後醍醐天皇を、
かなり厳しく批判している。一般に「尊皇の学派」として知られている学統に属する
学者達も、その例外ではない。例えば、山崎闇斎(一六一六−八二)の高弟として
知られる三宅観瀾(一六七四−一七一八)は、こう記している。「南朝が滅びて、
天下は永く足利のものとなってしまった。こうなってしまったのも、ひとえに“人主
(後醍醐天皇)”が、正しい政治をしなかったからである」(『中興鑑言』現代語訳・松浦)
 「幕末の尊王斥覇の思想に大いに寄与した」ということで、よく知られている頼山陽
(一七八〇−一八三二)の『日本外史』にも、しばしば後醍醐天皇の“失政”への批判
が見られるし、“合理主義者”として知られる新井白石に至っては、口を極めて、こう
批判している。「私が思うに、建武の中興の初めの頃の政治は、全て話にならない。
・・・民衆が、まだ豊かになってもいないのに、皇居の建造を始めたり、悪い公家、
官女、芸能者、宗教家などに恩賞を与えるかと思えば、軍功のある者に恩賞を与える
事もなく、珍しく与えたかと思ったら、直ぐそれを取り返したり・・・、そんな事だから
反乱が起こったのである」(『読史余論』現代語訳・松浦)
【政治】 小泉元首相 「鳩山政権、参院選までもたない」「今は『ポストが赤いのも自民党が全部悪い』という世論。雌伏のとき」 ★4
142 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:00:20 ID:TSWK0uaJ0
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 江戸時代、一般に後醍醐天皇が(事実そうであったかどうかは兎も角・・・)、“不徳”
の天皇と見られていた事は、間違いない。然しそうすると、皮肉な事に、親房の歴史
観が、上手く適用出来るのである。つまり、後醍醐天皇は“不徳”であったから、その
系統は、その後断絶した・・・ということになる。武家政治が、それ以後、当時まで続い
ている理由も、それで説明できる。
 所が、話はそう単純には収まらない。もしも、後醍醐天皇が“不徳”であったとすれば、
戦国時代から、既に評価の高かった楠木、新田、名和、菊池などの南朝の忠臣達は、
その「忠」を尽くす大将を誤った・・・ということになってしまうが、そうなって困るのは、
実は徳川将軍家だからである。徳川家康は、「清和源氏新田流」・・・つまり新田義貞
の子孫という事で、「征夷大将軍」の宣下をうけている。したがって徳川家からすれば、
あくまでも新田氏は“忠臣”のままでいて貰う方が都合が良かったであろう。それに・・・、
親房の「日本型放伐思想」が、若しも堂々と是認される世になれば、全国各地で「御家
騒動」が頻発する危険性が高い。徳川吉宗は、聡明の聞こえ高かった二男の田安宗武
を斥け、言語不明瞭であった長男の家重に将軍職を譲っているが、それも、「徳」を家督
相続の規準にする事によって生じる混乱を、未然に阻止する事が目的であったと思われる。
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144 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:00:48 ID:TSWK0uaJ0
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 「徳」とは、なるほど麗しい言葉ではあるが、それを万人が納得する方法で判定する
事など、そもそも不可能である。従って、「血筋さえ繋がっていれば、“徳”のある人物
を君主にすればいい」などという発想は、一見すると合理的に見えて、長期的に見れ
ば、実は極めて危険な発想で、その様な発想を是認すれば、全ての家が、言わば、
いつ爆発するのか分からない時限爆弾を、その家に抱え込む事になる。その上、その
理論を突き詰めていけば、いつか必ず「易姓革命」の容認という、超えてはいけない
一線を越えてしまう時が来よう。そうなれば結果的に、国を滅ぼし、民を苦しめる事になる。
 つまり、北畠親房の時代では、まだ“弱毒性”であった「易姓革命」の毒素は、三百年
を経た後、心ある学者・思想家から見れば、極めて“強毒性”のものに変異していたので
ある。従って、当時の学者・思想家にとって、「徳治主義」は、何としても克服しなければ
ならない、時代の思想的課題になっていたと考えられる。
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153 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:07:42 ID:TSWK0uaJ0
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『拘幽操』四十七文字の衝撃

 それを克服した“巨人”こそ、山崎闇斎であり、闇斎の思想の極致を示すのが、
『拘幽操』である。これは、元は唐の韓退之(韓愈)の文章で、漢字で、わずか
四十七文字・・・、闇斎は、それに評語や跋文などをつけて、その晩年に出版し
ている。
 闇斎の高弟・浅見絅斎の『靖献遺言』は、後に幕末の志士たちの聖典となった
事で知られるが、その書の『奥の院』と称されていたのが、この『拘幽操』である。
我が国の思想史上、これが、どれほど重要な文献であるかが、その一事からも
知られよう。
 『拘幽操』の舞台は、殷王朝最後の“不徳”の帝である紂の時代である。紂は、
周の文王の名声に嫉妬し、文王を無実の罪で捕らえ、暗い牢獄に幽閉してしまう。
文王は、その様な理不尽な目に遭っても、きっとこう思っていたはず・・・ということ
で、文王のモノローグが綴られる。その全文は、こうである。
 「あまりにも暗く、目を開けていても、何処を見ているのか分からない。もう目が
固まってしまって、見えなくなってしまったのか・・・とさえ思われるほどである。
耳には何も聞こえず、聞こうとしても、誰の声も聞こえない。朝になっても、朝日
は見えず、夜になっても、月も星も見えない。何かを知っているのか、知らないの
か、生きているのか、死んでいるのか・・・、それさえ分からなくなってくる。ああ・・・、
然し私の罪は深い。死刑になっても仕方があるまい。何故なら、帝は、神聖で、
聡明でいらっしゃるのだから・・・」(現代語訳・松浦)
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154 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:08:28 ID:TSWK0uaJ0
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 一体闇斎は、この一文で何を主張しているのであろうか?おそらく、それは、こういう
事かと思われる。
 兎角人は「君」の「徳」について、あれこれ言いたがる。しかし、あれこれ言う者は、実
は、あれこれ言う時点で、既に「君臣関係」の“外にいる者”である。例えば、ある人が、
「この王は忠を尽くすべき相手なのか、否か?」と“品定め”している間は、まだその人は、
明らかに「君臣関係」の“外にいる者”である。“品定め”が続く限り、その人は永遠に
“外にいる者”であり続ける。
 然し、その人が、「この王は、私の君である」と覚悟を決めれば、その時点で、その人は、
もう「君臣関係」の“内にいる者”になる。“内にいる者”か“外にいる者”かを決するのは、
自分に「君」を“信じて仰ぐ心”が、有るのか、無いのか、という一点に掛かっている。
“信じて仰ぐ心”など無い、というのであれば、もうその時点で、「君臣関係」など、実質的
には破綻している。
 闇斎は『拘幽操』で、これを読む一人一人に、ただ一つの事を問うているに過ぎまい。
つまり、「あなたは、君臣関係の“外にいる者”なのか、“内にいる者”なのか?」という事
である。その問いに対して、「私は“内にいる者”である」と即答する覚悟のない者には、
そもそも何を言っても始まらないし、そういう者には、真の「忠」の世界など、遂には見え
まい。辛苦に満ちた研鑽の末、遂に闇斎という天才の目には、丸で暗夜に走る閃光の
ように、“人に問われるのは、その一点のみである”という事が、はっきりと見えたのでは
無かろうか。
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155 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:08:49 ID:TSWK0uaJ0
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 真の「忠」は、「君」に対して、“見返り”を求めない。勇敢でありながら、慎み深く、
ひたすら許し・・・与え・・・尽くすのみ。もしも、「なぜあなたは、そんな生き方が出来
るのか?」と問われれば、多分その人は、「それが私の“心”の“中”の喜びだから
・・・」と、答えるばかりであろう。現代の知識人達は、この様な考え方を、さも恐ろしげ
で、異常な思想であるかのように喧伝しているが、果たしてそうであろうか?
 例えば、イエスは、「自分を愛する者を愛したからとて、何の褒美があろう。人でなし
と言われる、あの税金取りでも同じ事をするではないか」(塚本虎二訳『福音書』マタイ)
と語っている。これに倣って言えば、闇斎は、「自分を愛していくれる君を愛したからとて、
何の褒美があろう」と言っているに過ぎない。
 それにしても・・・、闇斎の言う真の「忠」からすると、「易姓革命」という思想は、何とさも
しい思想であろう・・・。「君」に対して、徳という名の“サービスのバラマキ”ばかりを求め、
更には、それを怠る「君」が現れたら、直ぐに追放してしまえ!とまで教唆する・・・。
その根底に蠢いているのは、実は卑俗な“エゴイズム”に過ぎまい。それは、共産主義・
社会主義の「革命」の背後に、醜悪な「ジェラシー」が蠢いている事と、どこか似ている。
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166 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:21:11 ID:TSWK0uaJ0
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 『拘幽操』の意義を、闇斎の高弟の一人である佐藤直方(一六五〇−一七一九)は、
こう説明している。「『拘幽操』というのは、君と臣の正しい関係を、天下に明らかにして、
嘗て湯王や武王や孟子が、言ったり行ったりしてきた正道に反する事(つまり、「易姓革
命」)から、人々を解き放つ為の書物なのである」(『拘幽操弁』。なお学会では、これを
佐藤直方の著書ではない、とする見解が有力であるが、いずれにしても、これは山崎闇
斎学派の学者・思想家の著述であろう)。
 やがて山崎闇斎の学統を継ぐ人々は、後に後醍醐天皇の系統が絶えてしまったという
・・・あの難問の解決に乗り出す。それに取り組んだのが、跡部良顕(一六五九−一七二
九)であり、栗山潜鋒(一六七一−一七〇六)である。彼らは、皇位継承の資格として、こ
れまで血統と「徳」の二つしか重視されてこなかった事が、この問題の解決を阻んでいる
と考え、皇位継承の資格に、新たに「三種の神器」という“補助線”を導入する事を主張す
る。この考え方も、元は闇斎に由来するのであるが、栗山潜鋒は、改めて、この考え方を
高々と掲げ、「三器を保持している方こそが、正統の天皇である」(『保建大記』)と、宣言
するに至る。

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167 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:21:41 ID:TSWK0uaJ0
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 この様な栗山潜鋒の主張は、三宅観瀾や頼山陽から、厳しく批判された。『神器』と
いう物体が、皇位を保証するのはおかしい・・・という、一見すると合理的な批判なので
あるが、『御身と神器は一つ』とする闇斎の考え方は、その後も、闇斎の学統を継ぐ谷
秦山(一六六三−一七一八)等に継承される。不思議な事に、この“補助線”を導入す
れば、中世の複雑な皇位継承の過程も、それこそ合理的に・・・すっきりと整理されるの
である。やがてこの考え方が、文化七年(一八一〇)、『大日本史』が朝廷に献上される
際の水戸藩の公式見解とされ、以後、我が国で、広く支持される事になる。
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168 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:22:04 ID:TSWK0uaJ0
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楠木正成と吉田松陰

 江戸時代、後醍醐天皇は“不徳”の天皇であると考えられていた・・・という事は、
既に述べた。また山崎闇斎は、“不徳”の帝・紂を讃え続けた文王に真の「忠」を見
出した・・・という事も、既に述べた。とすれば・・・、何故楠木正成が「忠臣」のシンボ
ルとなったのか・・・という問題も、自ずから明らかになろう。つまり、江戸時代には、
後醍醐天皇が“不徳であればあるほど・・・”、ますます楠木正成の「忠臣」としての
評価が高くなると言う、思想的な力学が働いていたのである。「徳」のある「君」に仕
える事は容易であるが、「不徳」の「君」に仕える事は容易ではない。しかし、「不徳」
の「君」に仕える時こそ、「忠」の真贋が現れ、真の「忠」が光輝を放つのである。
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169 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:22:20 ID:TSWK0uaJ0
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 南朝方にあって、忠義を貫いた他の諸将も、この点は同じであったが、正成が諸将
に抜きん出ている点は、なにも正成が個人的に「智・仁・勇の三徳」(「太平記」)を兼
ね備えていた、というところにだけあったのではあるまい。正成は、中興の大業の初め
から後醍醐天皇に従い、おそらく誰よりも、その“不徳”の側面を知っていたはずである
し、また、その討ち死にの前、朝廷で決定された戦術の拙劣さに至っては、おそらく誰
にも増して痛感していたはずである。それでも、なお正成は「この上は、さのみ異議を
申すに及ばず」(『太平記』)と言い残して、潔く湊川へ向かい、死力を尽くして戦い、そし
て散っていった。その正成の姿に、江戸時代の心ある学者・思想家たちは、どこかで
「文王」の姿を重ね見ていたに違いない。
 この正成の“生き方”が、幕末の志士たちを感奮させ、やがて明治維新を導く原動力の
一つとなった事は、よく知られているが、近代国家の成立と共に、後醍醐天皇の“不徳”
を表立って批判する声は薄れ、それと共に江戸時代に確立された正成を仰ぐ心も(特に
知識人の間では)、次第に形骸化していったように思われる。それはそれで、極めて興
味深い近代思想史上の問題なのであるが、紙幅の関係上、今ここで、その点について
詳しく述べる余裕はない。
 『拘幽操』の精神を、おそらく幕末の思想界で、最も正確に表現し、且つ実戦した人物
は、吉田松陰(一八三〇−五九)であったろう。松蔭の「天下は一人の天下に非ざるの
説」には、こんな“例え話”が書かれている。
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170 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:22:40 ID:TSWK0uaJ0
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 「若しも、我が国の天皇が、仮に桀・紂のように民を虐げたら、全ての国民は、唯首を
並べて、皇居前に伏し、天皇が悔い改めて下さるのを、祈るだけである。若しも、それで
天皇が激怒されて、全ての国民を処刑されるというのならば、その時は、全ての国民は、
一人残らず処刑されるのみであろう。無論、そのあと神国・日本は滅びる。それでも、一人
でも生き残っていたとしたら、また、皇居前に行って死ぬだけである。それでこそ神国・日本
の民ではないか。もしも、皇居前に行って死なないのであれば、その人は、もう日本人では
ない。そんな時に、湯王や武王のように、主君を追放する者が現れれば、例えその者の心
に、民への愛情があったとしても、そして、その愛情からその行為が行われたものであった
としても、その人の心は、既に支那人である。支那人でなければ、インド人か、ヨーロッパ人
か、アメリカ人か・・・、いずれにせよ日本人ではない」(現代語訳・松浦)
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171 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:22:55 ID:TSWK0uaJ0
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 さすがに、「忠義と申すものは、鬼の留守の間に茶にして飲むやうなものでなし。
・・・僕は忠義を為すつもり。諸友は功業を為すつもり」(安政六年「某宛」書簡)」と
言い放った松蔭らしい“例え話”である。これらの文章を読んでいると、「何故君たち
の“忠”はいつも“条件付”なのか!無条件に、己を捧げる覚悟無くして、何が忠か!」
という松蔭の厳しい叱声が、どこからか聞こえてきそうである。
 悲しいかな・・・、今の日本には、天皇陛下に、平気で不敬な発言をする大臣もいれば、
叡慮を勝手に捏造する官僚もいる。更には、女系天皇を擁立し、建国以来、男系で継承
されてきた皇室の伝統を、根底から破壊しようとする“革命”の動きさえある。もう右も左も
・・・、松蔭流に言えば「奸猾」だらけである。
 今回、私は「忠」について一言したが、こういう時代だからこそ、私たちは、改めて、我が
国の中世・近世の先哲達が血涙を注いで書き残した“日本人の心の遺産”を虚心に学び、
異端邪説に惑わされる事のない“心の柱”を、しっかりと立てておかなければなるまい。
 かけがえのない皇室を、建国以来の伝統を御守りしつつ、未来へと伝える尊い責務を、
先祖や子孫に対して、今現に担っているのは、他ならぬ私たちなのであるから・・・。
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177 :名無しさん@十周年[]:2009/12/06(日) 18:28:55 ID:TSWK0uaJ0
正論1月号 谷垣総裁「保守は情熱」 2009.12.1
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091201/stt0912010736001-n1.htm

戦う自民へ、わが決意に一点の曇りなし

 二転三転する普天間問題や鳩山由紀夫首相自身の虚偽献金疑惑などにもかか
わらず、高支持率を維持する鳩山政権。一方、野党となった自民党への不信は依
然として根強く、党再生の道筋はなかなか見えてこない。こうした中、谷垣禎一総裁
が正論編集部の単独インタビューに応じ、「保守のあるべき姿」について本心を語っ
た。これまで、どちらかといえばリベラル寄りとみられていた谷垣総裁のイメージを
一新するような内容で、党内外の注目を集めそうだ。 正論1月号によれば、谷垣
総裁は「保守」について、「愛するがゆえに守りたい、そしてより良いものにしていき
たいという、情熱から生じるもの」と強調。自国を断罪した上での変革を目指す革新
的発想を明確に否定し、「保守は『肯定』した上での改革を志向する」と述べた。
そして、こうした“保守すること”の意義を、天皇陛下ご在位20周年の記念式典で改
めて実感したという。
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