- 【皇室】 愛子さま、「着袴(ちゃっこ)の儀」…最近は「わらわ」などの言葉にご関心★2
268 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 09:45:02 ID:PrFRsvVx0 - 週刊ポスト 2006年10月13日号 昼寝するお化け 曽野 綾子
357 「後頭の秘密のスイッチ」 http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_magcode?sha=1&neoc=2005210106&keitai=0 日本のカメラマンが撮った写真から、愛子さまの笑顔やお手振りの光景がなく なった、という記事があった。 たまたまお相撲の観戦をなさっている時や、オランダの王室の方々との触れ合 いの中では、楽しそうな表情もあったから、全くお笑いにならないわけではない だろう。 しかし秋篠宮ご夫妻にお生まれになった親王さまをお見舞いにいらした病院の 入り口では、カメラの視線を感じると皇太子殿下の陰に堅い表情で隠れるお姿が、 テレビカメラにはっきりと捉えられていた。 ほっておいて差し上げるのが一番いいのだ、と私も思う。日本中の誰一人とし て、二十四時間、一部始終を見張られている生活など体験したことがない。だか ら皇室の方々の心理的圧迫など、誰も理解することができない。タレントさんな どはそれに近いのだろうが、それでもサングラスをかけてお忍びで出る機会もあ るらしく、明け方にマンションの一室から出て来る写真を撮られたりする。しか し皇宮警察が警備をしているご生活には、陰の部分など作りようがない。 愛子さまがオランダでは楽しそうな笑顔を見せられたということは、日本のマ スコミには敵意を感じていらっしゃるということだ。その心理の背景を私は充分 推測できるような気がするが、学者でも医師でもない私が憶測でものを言うのは いけないことだから、今ここではしない。しかし子供が外へでれば必ずカメラの 放列に遭い、それから逃れられず、それが心理の圧迫となって続くとしたら、そ れは重大なことだ。このまま放置すれば、心に傷を残しかねない。 しかし日本のマスコミに対して公的おでかけまで写してはいけない、と要求す るわけにもいかない。皇室とはいわば人目にさらされることから逃れられない運 命と任務の元におられるご一家のことなのだから、けなげにその任務を受諾して いただきたい、と、国民の一人として私は願うのである。
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273 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 09:47:38 ID:PrFRsvVx0 - 週刊ポスト 2006年9月29日号 昼寝するおばけ 曽野 綾子
356「家族の重責」 http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_magcode?sha=1&neoc=2005509106&keitai=0 両殿下はそのようなご希望を、「(生まれて来るお子さまが)どんな状況であ っても、それを受け入れたい。自然な形で受け止めたいから知りたくない」と言 われたと病院の院長は語っている。性別のこととも取れるし、最近は出生前の検 査で、障害の有無やその程度などもわかるようになっているというから、もしか すると、可能性としてはそこまでを含めて言われたのかもしれない。これは生命 というものに対する、親と社会の姿勢に対するはっきりしたお答えになっている。 要らない子供、障害を持つ胎児は、中絶できるのが女性の自由と権利だ、などと いうご都合主義に対して、無言で答えられているように、私は勝手に感じている。 皇室の方々は、決してあからさまに言葉で賛成したり反対したりはなさらない。 しかし徳の在り方を常に静かに示すことが任務でいらっしゃるであろう。 ご夫妻は手術前、臍帯血の提供を申し出ておられた、ということも快挙であっ た。臍帯や胎盤には造血幹細胞がたくさん含まれていて、それを凍結保存してお いて白血病患者などに移植できる。そのためのバンクができているらしい。昔の 日本なら、恐れ多くも、皇室の血を頂く人は皇族以外にない、などという頑迷な 発想がそれをさまたげたと思う。しかし今後は出産の時に臍帯血を提供して、人 生の輝かしい日に「人に与えることのできる光栄」を知る夫婦と赤ちゃんが増え ることになるだろう。
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275 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 09:51:49 ID:PrFRsvVx0 - 週刊ポスト 2006年10月13日号 昼寝するお化け 曽野 綾子
357 「後頭の秘密のスイッチ」 http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_magcode?sha=1&neoc=2005210106&keitai=0 余計なことだが、どんなお小さくとも、愛子さまも逃げていらしてはだめなの ではないだろうか。 「帝王学」には、運命から逃げず、一つの組織を代表する象徴としての義務を遂 行することも含まれる。むしろ愛子さまには、 「新聞記者がお写真を撮れて喜んでいましたよ」 「今日のお手振りはことにすばらしかったです」 「このお写真はまたとてもかわいく撮れましたね。傍のおばあさんも喜んでいま すね」 と毎回、その小さな肩にかかった重荷の担い方を周囲が教え、そのご苦労を評 価し、充分に労うべきなのではないだろうか。 私たち庶民だったら、その人の置かれた境遇から逃げることができる。大学を 出てすぐ公務員になったのだが、そうした生活が嫌になって四十歳の時仏門に入 る、という変化もありうる。都会の住まいを売って、できるだけ辺鄙な田舎に引 っ込むことは容易だ。 しかし皇室の方々は「逃げる」ことがおできにならない。皇室は生まれてから ずっと同じ皇族なのである。その運命を変えようとする方が不自然で外圧も大き くなる。それに逃げているうちはいつまで経っても辛い。しかし運命を迎え撃て ば意識も感覚も変わって来て、そこに任務の光栄が見えて来る。 ( 中 略 ) 運命を迎え撃てば、一億二千万人に静かな幸福を与えることができる偉大なお 立場だ。やりがいがないというものではないだろう。 賢い子供はほとんど大人と同じ運命の重荷にも耐えるものだ、と私は体験から 知っている。しかし周囲が悪いというふうに教えると、その不幸は無限に続き、 決して根本的には解決されない。
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278 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 09:55:23 ID:PrFRsvVx0 - 小さい時もお可愛いらしい愛子さま
愛子さま http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060510072422.jpg http://gebokusan.hp.infoseek.co.jp/image/portrait/japan_04b.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060510120531.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060418203655.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060725211348.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060824002655.jpg
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280 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 10:00:38 ID:PrFRsvVx0 - 週刊新潮 2004年6月24日号
雅子さまだけではない 「愛子さまも危ない!」という宮内庁への「危惧」 もっとも、そんな皇太子ご一家とは対照的なのが、秋篠宮家なのだという。 秋篠宮家の2人の姉妹は、今年学習院の女子中等科に進級した眞子さまと、学習 院初等科4年の佳子さま。 「お2人とも天真爛漫で、一般の子供達と、何一つ隔てなく過されています。眞 子さまは徒競走が得意で、運動会ではだいたい1番ですし、佳子さまはフィギュ アスケートの大会に出場するほどの運動神経の持ち主。登下校も歩いて通われて いますから、宮家の子女という特別な雰囲気はありません」(学習院の父兄) 別の父兄もこんな話を披露する。 「私の息子は、眞子さまから“待てー”と呼ばれて追っかけられたことがありま した。かなりご活発な方で、走り回って転んで膝を擦り剥いても、普通に保健室 で手当てを受けるだけです」 それに引き換え、愛子さまの場合は、それほど自由にはならないようだ。
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283 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 10:03:04 ID:PrFRsvVx0 - 週刊新潮 2004年6月24日号
雅子さまだけでない「愛子さまも危ない!」という閉ざされた宮内庁への「危惧」 このプレイルーム、愛子さまが転んでも大丈夫なように、コルク張りとなっていることでも話題になったものだが、 「ところが最近は、雅子さまの体調が芳しくないため、子育てもほとんどできなくなってしまったそうです。雅子さまは感情の起伏が激しく、愛子さまと一緒に居られる時間が少なくなったと言われています」(皇室ジャーナリスト) 愛子さまにとって今が一番、母親の存在が大事な時期。雅子さまのご病状がさらに悪化するようなことにでもなれば、愛子さまへの影響は避けられない。 「2年6カ月愛子さまは、自分の親がどのような状態にあるか、ある程度判ります。感情のバランスを欠いているとか、祖父母との関係がうまくいっていないなど、子供は敏感に感じとってしまいますから、それが元で精神的に不安定になられる可能性がありますね」(同) 実際、雅子さまのご病状を“鬱病”と断定した英高級紙の『タイムズ』は、6月9日付の紙面で、 「“愛子さまが自閉症に罹っている”という噂もある」 と報じているし、皇室評論家の河原敏明氏も、 「愛子さまが、お言葉を発せられているところをいまだに見聞きしたことがありません。昨年の公園デビューの時にも、愛子さまは一言も言葉を発していません。少し言葉が遅いのではないかと心配する声があがっています」
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284 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 10:08:31 ID:PrFRsvVx0 - 週刊新潮 2006年1月26日
【特集】激震走る「雅子妃と皇室」 気に入らないと「ポイ捨て」愛子さまは大丈夫? 愛子さまは健やかに育っていらっしゃるのか。国民の心配の目は、雅 子妃に対してと同様、愛子さまにも注がれている。何かにつけて愛子さ まのご様子が話題になるからである。 「1月5日に両陛下が皇太子、秋篠宮ご一家を招いて夕食会を開かれた時 も、愛子さまがお風邪をひき、雅子妃は当日になってキャンセルされま した。妃殿下はご自身の誕生日の12月9日に、両陛下を招いての夕食会を 直前でキャンセルしていますから、それに続いてのことになりました」 (宮内庁担当記者) 12月23日の天皇誕生日の夕食会の際も、愛子さまがむずかったため、 雅子妃は席を外して東宮に帰り、3時間近い“中座”をしたことも明らか になっている。 「この時は大混乱でした。お二人が東宮へ帰られた時、東宮職員は外で 食事会をしていて、なかなか連絡がとれなかったのです」と、宮内庁関係 者がいう。 「おまけに雅子妃が一度、東宮の“奥”に入られれば、誰も声をお掛けす ることができない。まして東宮には、雅子妃に進言できる侍従もいません。 結局、妃殿下が御所に戻り、両陛下との夕食会が終わったのは夜10時を過 ぎていました」 宮中は、愛子さまがむずかっただけで、こんな事態に陥ってしまうの である。
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285 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 10:12:44 ID:PrFRsvVx0 - 聡明でお可愛いらしい愛子様
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20061111234922.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20061111234922.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20061111134702.jpg
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391 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:23:11 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る “現代の生贄”の検証 ■小和田雅子をめぐる噂の数々 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと 決定的な理由があった。 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。 妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が “小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている” といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。 「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。 それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者) しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、 告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。 「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対 応が早すぎるし、不自然な点は多い」 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留 学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「 白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ リカから送りつけられている。
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394 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:26:34 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る “現代の生贄”の検証 宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方 もある。 「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問 題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田サンを はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパ イプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」 (宮内庁担当記者) いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学 に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。
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398 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:29:46 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る “現代の生贄”の検証 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する 北米二課のM課長補佐。 「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、 二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省 関係者) さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。
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402 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:33:51 ID:PrFRsvVx0 - 河原敏明 『皇太子妃雅子さま』
http://ime.nu/www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062064243/qid=1116177034/sr=8-7/ref=sr_8_xs_ap_i7_xgl14/250-7237738-6462634 雅子さんのお祖父さんは水銀公害で世界的に注目された「水俣病」を引き起 こした、チッソ(当時は新日本窒素肥料。昭和四十一年一月にチッソと改称)の役 員江頭豊氏だった。江頭氏は日本興行銀行から昭和三十七年チッソの専務に転 じ、副社長、社長、会長と十一年間、代表権をもつ役員を務めていた。チッソ が公害を起こした後からだが、その役員のときの江頭氏の患者側への強硬な態 度が、チッソに対する反発を助長して、あまりいい印象はもたれていなかった。 「全国各地を回らねばならぬ皇太子ご夫妻に、ムシロ旗が立つようなことがあ っては」との懸念が一部の関係者からだされ、それが次第に、「皇太子妃とな る方には、大きな瑕があってはいけない」という考えとともに、宮内庁全体に 浸透していった。 皇太子の数年におよぶ“雅子コール”にもかかわらず、宮内庁はかたくなに 反対しつづけていた。その好個の例が「週刊朝日」(平成三年三月八日号)で、 元宮内庁長官だった富田朝彦氏の言葉が端的に物語っている。氏が現職中の六 十二年暮か、六十三年早々らしいが、 「小和田さんは、チッソのことが付随してまいりますので」 と殿下に申し上げると、 「わかった」 とおっしゃった、とその記者に打ち明けている。富田氏は警察官僚出身で、宮 内庁に来るまでは内閣調査室長、つまり日本版“CIAの長官”である。いろい ろと調べてのことだろうか。
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404 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:36:30 ID:PrFRsvVx0 - サンデー毎日 12・19 兄を“叱責”した秋篠宮さまの「優等生」ぶり
ジャーナリスト 森 暢平 皇太子さまは5月10日の会見で、 「外国訪問をできなかったことも含めて、雅子もそうですけれど、私もとても 悩んだ」 との趣旨の発言をした。 〈雅子妃が海外公務を望んだのに、かなわなかった〉〈定例の公務が多く、時代の 要望に応えていないものもある〉 との主張として受け止められた。大方の国民は「皇太子ご夫妻にもっと自由を」 と感じただろう。 ただし、憲法の建前から言えば、皇太子さまの言わんとすることは若干問題が ある。逆に秋篠宮さまの批判は的を射ているように私には聞こえる。 秋篠宮さまも会見で指摘しているが、皇族の公務とは難しいものだ。基本的に は、公務に、天皇・皇族の希望はいれられない。極端な例を挙げれば、ある皇族 が「北朝鮮を公式訪問したい」と希望しても、実現する可能性はないだろう。こ んな希望がかなうことになれば、外交政策が混乱に陥ってしまう。逆に、政府・ 外務省が「○○国を訪問していただきたい」と決めた場合、皇室の側にそれを拒 否することはできない。 言葉は悪いが、政府、内閣の決定のままに動くのが天皇・皇族であり、秋篠宮 さまが言う「公務とは受け身的なもの」とは、まさに正論だ。 そして、今の制度が続く以上、天皇・皇族のパーソナリティー(人格)が「否定 されやすい」のは間違いない。 もちろん、外国訪問先でのお言葉など、皇族の気持ちが反映されることもある が、それもこれも最終的には「内閣が責任を負う」建前になっている。
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407 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:39:00 ID:PrFRsvVx0 - AERA 2006年7月10日号
http://ime.nu/ime.nu/opendoors.asahi.com/data/detail/7471.shtml 雅子さまに驚きの公務 の ん び り バ ケ ー シ ョ ン 実は、皇族全体をみると、私的な海外旅行は珍しいことではない。宮内庁によ ると、この10年間の皇族の私的海外旅行は50回以上。目的は、留学中のご学友の 結婚式出席、古代遺跡の視察、オリンピック視察など様々だ。一番多いのは高円 宮妃久子さまの13回で、次いで寛仁親王の9回。秋篠宮さまも2003年8月にご一家 4人でタイに出かけている。 だが、天皇や皇太子となると、話は別。私的な静養で海外に行くのは、今回が まったく初めてのケースなのだ。 『天皇家の財布』などの著書がある成城大学専任講師の森暢平さんは、 「海外でもしものことがあったら大変だし、下見や警備に膨大な公費がかかると いう問題もある。今回のオランダ静養でも、私的旅行とはいえ随行員は20人規模 になるだろうし、経費は総額1億円近くかかるのではないでしょうか。さらに、天 皇や皇太子は基本的に公的な存在であって『私』を楽しむ時間と空間がないもの とされてきたので、これまで葉山や那須の御用邸などで目立たないように休むし かなかった」
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409 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:41:37 ID:PrFRsvVx0 - 週刊ポスト 2006年3月10日
皇太子と秋篠宮「公園デビューという波紋」 森 暢平(ジャーナリスト 成城大学専任講師) 2月23日に46歳の誕生日を迎えた皇太子。義理の妹である秋篠宮紀子妃の懐妊 について、 「私たちにとっても大変うれしいことです。秋篠宮から電話で報告を受けました ので、私からは“それはよかった”ということと“お大事に”ということを伝え ました」 と、今後の順調な経過を願っている旨を述べられた。皇太子の素直な気持ちな のだろうが、淡白な感じがした。「電話報告」という点も気になる。妊娠発表か ら2週間。兄が直接お祝いのために出向くことも、弟が面前で報告することもな かったということだ。 もちろん、東宮と宮家では身位がまったく違う。兄弟がそう簡単に行き来でき ない間柄であることは理解しなければならない。それにしても、皇室にとって、 5年ぶりの命の誕生という局面で、電話でのやり取りだけというのは、さびしい 感じがしないでもない。 会見で、皇太子が伝えたかった最大のメッセージは、雅子妃への病状への理解 であろう。 「まだ回復の途上にあることを皆さんにもご理解いただき、静かに温かく見守っ ていただければ」 「(宮中祭祀に)雅子が携わるのは、通常の公務が行なえるようになってからに なると思います」 公務を果たせていないのではとの批判への「説明」である。弟に子供ができた ことを喜ぶ「王者の風格」を見せてほしい場面なのに、夫婦のことが最優先とい う現状はある意味理解できる。ただ、次の天皇として「それでいいのか」と快く 思わない人がいるのも確かだ。状況を説明し、そのことがまた皇族らしくないと 批判を浴びる。ご夫妻をめぐる悪循環スパイラルの構図がここにある。
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412 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:43:50 ID:PrFRsvVx0 - 週刊ポスト 2006年3月10日
皇太子と秋篠宮「公園デビューという波紋」 森 暢平(ジャーナリスト 成城大学専任講師) 「平日の公園行き」に批判の声 若き日の皇太子について、昭和天皇の影を見た人は多い。常に「公」を優先し た昭和の「大帝」の生き写しであるというとらえ方で、将来への期待は大きかっ た。 それに対して、現在の天皇ご夫妻は、どちらかといえば、公と私を区別し、割 り切ってきた。昭和時代、皇太子だった陛下と美智子妃の皇居内での評判はあま り芳しくなかった。陛下と美智子妃が郊外の団地を視察し、ベランダから外をの ぞく写真は、高度成長期に生まれた新しい「ニューファミリー」を象徴する絵柄 となっていたが、昭和天皇の周辺では「軽い」「家族を優先しすぎる」などの批判 判が渦巻いていた。そして、秋篠宮もまた、このニューファミリー路線の流れに いるように見える。 ところが、平成になり、皇太子の位置はある時期から、正反対に移動する。私 生活を尊重したいとの意志をはっきり表明し始め、いつの間にか、秋篠宮ご夫妻 をはるかに通りすぎる位置まで到達してしまったようだ。 雅子妃との結婚から徐々に変わってきたのだろうが、はっきりしたのは、2001 年12月の愛子内親王の誕生後だ。翌年4月の会見で、皇太子は、 「私は、家族というものは、社会の最小の単位であると思います。家族を理解す ることによって、社会を知るということ、これはとても大切なことではないかと 思います」 と宣言。家族をまず理解し、それを通じて社会を知ることが自分の立脚点であ ると述べたのだ。
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414 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:46:53 ID:PrFRsvVx0 - 週刊ポスト 2006年3月10日
皇太子と秋篠宮「公園デビューという波紋」 森 暢平(ジャーナリスト 成城大学専任講師) 03年5月13日午前10時半、皇太子ご夫妻はお住まいの東宮御所から北に300b 離れた「みなみもと町公園」に突然現われた。1歳を過ぎた愛子内親王を、同年 代の子供と遊ばせるための「公園デビュー」である。愛子内親王を膝に乗せてブ ランコで遊ぶ雅子妃。それをビデオ撮影する皇太子。一般にはよく見る親子の光 景である。 しかし、曜日と時間がまずかった。この日は火曜日。サラリーマンが汗水垂ら して働いている平日の午前。警備をひきつれて、公園に遊びに行ったご夫妻。 「いくらなんでもまずい」―批判の声を挙げたのは、両陛下の周辺である。波紋 が広がった。 ただ、皇太子ご夫妻はすぐに公園行きを止めない。「大人に囲まれている愛子 のお友達を」という強い意思からだ。皇太子自身も幼稚園入園まで、同年代の友 達と遊ぶことがほとんどなかったことも影響しただろう。父母への反発かもしれ ないという声もあった。 皇居内での批判はその後も強まり、ついに公園行きはその年の7月15日を最後 に終わってしまう。皇太子ご夫妻にとっては子育ての第一歩での挫折である。
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417 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:49:39 ID:PrFRsvVx0 - 週刊ポスト 2006年3月10日
皇太子と秋篠宮「公園デビューという波紋」 森 暢平(ジャーナリスト 成城大学専任講師) 池に投げ込まれた秋篠宮 一方の秋篠宮が、結婚して生活習慣がよくなったことは前回触れた。押し付け られた勉強は大嫌いで、中学、高校時代の成績は、おおむね下の方。大学時代、 自然文化研究会の合宿では、朝食の時間に起きず、遅くやって来てジュースだけ で済ますなどエピソードにはこと欠かない。 しかし、そこは皇族である。きちんとしたしつけは受けている。秋篠宮が小学 校低学年のころ、ペットにしていたテンジクネズミを泳がそうと池に放り込んだ。 時期は真冬。ネズミは心臓麻痺で死んでしまう。そこに父である現在の陛下が通 りかかり、秋篠宮が「泳がせたら死んじゃった」というと、父はそのまま息子を 池に投げ込んだ。命を大切にしないことに対する罰であった。 そんな秋篠宮の言葉に感心したことがある。その言葉は、宮内庁担当として先 輩記者であった江森敬治さんが書いた『秋篠宮さま』(毎日新聞社刊、1998年) の中にある。 《宮中祭祀を大切にしていきたいと思っている。拝礼の時も心の持ち方が大事 であると考える。私はいつもご先祖様に話し掛けるつもりでお辞儀をしている》 《皇族には天皇をサポートするという役割が不可欠で、それがかなり大きい位置 を占めてくると思います》 普段と違う優等生的な発言に驚いた。しかし、考えてみれば、生まれてこのか たずっと皇族、それも天皇に近い筆頭宮家の当主なのだから、当然といえば当然 である。そして、自然、魚類、沖縄という父のテーマをそのまま引き継ぎ、最近 は、自分は父親似であるとまで公言している。 いつの間にかねじれた父と兄弟との関係は、これからどこへ向かうのか。
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- 【皇室】 愛子さま、「着袴(ちゃっこ)の儀」…最近は「わらわ」などの言葉にご関心★2
419 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:52:50 ID:PrFRsvVx0 - WILL 創刊2号 皇統「百二十五代」が日本の誇り
上智大学名誉教授 渡辺昇一 今年五月の皇太子殿下のご発言にコメントすることは差控えたいと思ってい ましたが、秋篠宮様のコメントもありましたので、敢えて一言申し上げること にします。それ自体はまさにご自身から発されたもので、周囲の近しい人たち、 ましてや天皇陛下には何もご相談されなかったのでしょう。 率直に申し上げて、将来皇后になる御方の、ご結婚以前のキャリアを重んじ たいという殿下のご発想はいけません。外交官というのは、日本の国益のため に外国と交渉する役目です。いったんご結婚されれば皇室の一員であり、皇室 は憲法が示すように日本全体の象徴という存在です。そこに属する御方が、結 婚以前のキャリアに言及されるのはいかがなものでしょうか。 雅子様が訴えられたことは、要するに「周囲に気を遣わなければならない」 「思うように外国に行けない」といった意味合いでしょうが、少し古い時代の 卑近な例で言えば、息子の嫁が、結婚したら下男や女中や姑に気を遣って、気 安く外出できないとこぼすようなものです。そういう会話はご夫婦の間にあっ ても構いませんが、夫婦の話題を将来百二十六代の天皇になる御方として、ご 発言されたことはやはり不適当だったのではないでしょうか。また雅子様もお 覚悟不足の感は否めず、やはり皇室に入られたら「自分の公務は作らない。公 務は受け身的なものではないか」と秋篠宮様が仰っている通りだと思います。
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425 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 16:56:48 ID:PrFRsvVx0 - 週刊文春 2004年5月27日 長官から第三子を希望された紀子さまの立場
「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、三人目を強く希 望したい」 昨年十二月の湯浅長官の“第三子発言”がいま再び注目されている。 「雅子さまにはプレッシャーだったでしょうが、紀子さまも困惑されているは ずです」(元宮内庁長官) 紀子さまは現在三十七歳。二十三歳で結婚し、二十五歳で眞子さまを、二十八 歳で佳子さまを出産された。 これまでも会見で記者から第三子について聞かれることはあったが、秋篠宮さ まは「今後のことはまた相談をしながら」(一昨年)、「新たにお話をすること は今のところありません」(昨年)と発言されている。 「その後三人目を作られなかったのは、東宮家に遠慮されていたからでしょう。 でも本当は、男の子が欲しいはずです。宮家を存続させるには男子が必要ですか ら。もちろん、秋篠宮さまは皇位継承とは関係なく、のびのびと家庭を作ってい きたいというお考えでしょうけれど」(皇室関係者) 長官の“第三子発言”は、「もう遠慮されなくてもいい」という、“お墨付き” だったのかもしれない。 四月初旬には佳子さまのスケート大会参加、眞子さまの学習院女子中等科入学 式と、秋篠宮家の二人の内親王が元気に育っている様子が報じられた。
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427 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:00:12 ID:PrFRsvVx0 - 週刊文春 2004年5月27日 長官から第三子を希望された紀子さまの立場
皇室内での立場の問題だけでなく、紀子さまの大らかで朗らかな人柄も秋篠宮 家を明るくしている。 「秋篠宮さまはご友人が多く、たまにテニスや食事会をなされる。そんな時、紀 子さまは本当にかいがいしく接待される。皇太子が独身時代、皇族と宮内庁職員 とで開かれたソフトボール大会の後の食事会で、お酒を飲まれた秋篠宮さまが『だ から兄貴はだめなんだ』とおっしゃった。宮邸に帰られた後、紀子さまが『殿下 に対してとんでもない』と一時間も説教されたそうです。その場では何も言われ ず、帰ってからというところが紀子さまの気配りの行き届いたところです」(前 出・元宮内庁担当記者) 天皇皇后両陛下とのご関係も良好だ。子供の誕生日や記念日には両陛下をご招待 するなど、頻繁に食事をされているという。 「皇后さまは紀子さまを非常に可愛がってらっしゃる。両陛下のところへ行くの も、東宮家よりも秋篠宮家のほうが多いのではないでしょうか」(別の皇室記者) 前出の浜尾氏が言う。 「結局、皇室には遠慮がちな女性のほうが馴染む。紀子さまは学習院出身まので、 共通の話題も多いのでしょう」 ピリピリとした皇室の雰囲気の中で、自然な笑顔を振りまく紀子さま。第三子 発言の影響で、“紀子スマイル”が曇らないことを願いたい。
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430 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:02:49 ID:PrFRsvVx0 - 週刊新潮 2006年9月21日号 これからどうなる「皇太子と雅子妃」20の謎
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1845140/s/ 皇太子と秋篠宮「兄弟の溝」はどうなる 皇太子殿下が、雅子さまを庇うべく『人格否定発言』をされたのは、04年5月 のことである。これに対し、秋篠宮殿下は同年10月、 「発言前に陛下と話し合うべきではなかったか」と前代未聞の苦言を呈された。 それ以降、決定的となった「兄弟の溝」は、どうなったのか。 「お二人は相変わらず、まるで見ている方向が違うように見受けられます」 こう話すのは、さる宮内庁関係者だ。 「皇太子殿下は、まずは国民のことを考え、両陛下をお支えしなければならない のに、ご結婚以来、二人だけ、今は3人だけの世界に閉じこもっておいでのよう です。例えば、先のオランダ静養は両陛下へのご相談もなしに決まった。両陛下 は、それで雅子さまのご病気がよくなるなら、というお気持ちで受け容れられた 。ところが、発表後も、皇太子ご夫妻は両陛下にご挨拶すらしなかったといいま す」
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435 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:05:30 ID:PrFRsvVx0 - 週刊新潮 2006年9月21日号 これからどうなる「皇太子と雅子妃」20の謎
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1845140/s/ 皇太子と秋篠宮「兄弟の溝」はどうなる この調子では、親王がお生まれでもなお、両陛下のご心痛はなくならない。 ベテラン皇室記者が言う。 「世間は、秋篠宮殿下について未だに“やんちゃ”と見ているようです。が、実 際は皇室全体をご覧になっている。両陛下とも以心伝心の関係です。一昨年、皇 太子殿下に苦言を呈されたのも、国民に実情を知ってもらいたいという思いがあ ったからでしょう」 秋篠宮殿下は今でも、兄の皇太子と意思の疎通が図れない状態だという。 「このような事態を招いたのは、東宮職職員の責任でもある。皇太子ご夫妻に進 言できる人が、誰一人としていない。皇室の中にあるのは、兄弟間の溝、という よりは、皇太子ご一家とその他の方々の溝といった方が正確だと思います」(同) こうした声を、皇太子殿下はどのようにお聞きになるのだろうか。
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439 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:08:50 ID:PrFRsvVx0 - 週刊文春 2005年12月29日号 雅子さま「誕生日の乱」 皇太子ご夫妻への風当たり
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun051229.htm A 宮内庁担当記者 B 皇室ジャーナリスト C 皇室関係者 A 東宮大夫は「東宮侍医長プラス日々診ている医師たちの見解である」と説明 しましたが、実際は雅子さまの担当医である大野裕・慶応大学教授が書いたも のです。ある東宮関係者に言わせると、「医師が治療のために一生懸命書いた」 と言うことですが、大野教授が皇室という環境をどこまで理解していたのか疑問 ですね。関係者の反発は予想できたはずですよ。 B こういった文書の反響を受け止められるほど、雅子さまのご体調が戻ってい るとは思えないものですものね。 C 殿下としては雅子さまを庇うお気持ちなのでしょうが、宮内庁関係者からは 「殿下はどうしてお止めできなかったのか」という声も聞かれました。 A 「皇太子はどこまでも雅子さまをお庇いになる」と言う関係者もいます。そ れはご立派なことです。しかし、雅子さまが宮中の祭祀にあまり参加されなく なった頃、ある職員が心配して皇太子にこのままでいいのかと尋ねたそうです。 皇太子のご返事は「参加しなくていいよ」でした。その職員は「そう言われち ゃったらしようがないよ」と周囲に漏らしていたそうです。
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441 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:11:18 ID:PrFRsvVx0 - 週刊文春 2005年12月29日号 雅子さま「誕生日の乱」 皇太子ご夫妻への風当たり
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun051229.htm C 最近、皇太子殿下のことを心配する声はよく聞きますね。殿下はあまりにお優 しすぎるんです。妃殿下のことが心配で心配で、お立場のことまでお考えになる 余裕がないのでしょう。 B 残念だったのは、ご静養中だったとはいえ、皇太子ご夫妻が終戦記念日にテニ スをされたこと。今年は戦後六十年で、両陛下のサイパン訪問や那須の千振開拓 地訪問がありましたから、余計に目立ってしまいましたね。 A 終戦記念日のテニスは御所の職員にも評判が良くなかったですね。「殿下は 幼い頃から戦没者慰霊に取り組む両陛下のお姿を見てお育ちのはずなのに、一 体どうされてしまったのか」という声が聞こえてきましたよ。確かに“戦争の 記憶の継承”を非常に大事にされてきた平成皇室だけに、あそこは東宮職がフ ォローをして差し上げるべきだったのではないでしょうか。 C そうかもしれません。東宮職員にも両殿下の信任厚い人は少ないようですね。 東宮大夫をはじめ、東宮侍従長や東宮女官長、東宮侍医長でさえ信頼を得るこ とができないまま去った人がいると聞いています。 A 苦言を呈する人は遠ざけるところがあると言いますね。最も信頼されていた といわれた東宮侍医長も、最後の頃はカヤの外に置かれて悩んでいたようです よ。 C 一方で気に入った職員は三十年近くお側から離さなかったこともあります。 この職員は殿下の身の回りの世話をしていた内舎人で、根っから明るくていい 人なんですが、苦言を呈するようなタイプの人ではありませんでした。
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445 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:13:41 ID:PrFRsvVx0 - 週刊文春2004年12月16日号 雅子さまご静養一年 書かれざる平成皇室の軋み
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun041216.htm だが、両陛下が新潟地震の被災地を訪問されている際、皇太子ご一家が御料牧 場でご静養されたことについて批判の声があがった。 「ご高齢のお二人がヘリコプターを使ってまで、現地に乗り込まれた。お見舞い のタイミングを熟慮され、自分たちの疲労などは度外視して行かれました。陛下 は前立腺がんのホルモン療法が続いており、お疲れになりやすい体であるにもか かわらずです。その時期にご静養をされていたというのでは、いかにも具合が悪 い」(皇室関係者) 現在、雅子さまのご静養に関することは、両陛下でもあまり口を挟まれること はないという。 「皇后さまに、『皇太子ご一家のご静養の時期をずらすよう勧められては』と進 言した方もいたそうですが、四十四歳の皇太子さまに対して、皇后さまでもそん なことは言えないでしょう。だから秋篠宮さまのご発言には皇后さまもご満足の ご様子だったそうです。もちろん皇太子さまも皇后さまにとっては自慢の息子で すが、ここにきて頼もしい活躍を見せる秋篠宮さまを一層誇らしく思っていらっ しゃるでしょう」(同前) 以前の秋篠宮には、どこか誤解されやすいところがあった。口ひげを生やして 外車を乗り回すなど、自由奔放な姿が優等生の兄と比較され、マスコミで皇籍離 脱騒動が取り沙汰されたこともあった。
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446 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:16:03 ID:PrFRsvVx0 - 週刊文春2004年12月16日号 雅子さまご静養一年 書かれざる平成皇室の軋み
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun041216.htm しかし、イメージとは裏腹に、皇后さまのお立場へのご理解は非常に深くてい らした」(同前)という。 美智子さまの母・正田富美子さんが亡くなったとき、当時二十二歳の秋篠宮さ まはこう書面でお気持ちを語られた。 <故人の闘病、臨終、葬式などを通し、私は、母が皇室の一員である自覚をいつ も保ちつつ、同時に正田家への感謝と懐かしさをどんなに深く感じていたかを知 りました> 「この言葉を皇后さまは大変喜ばれたそうです。皇室に入られてから、ご実家と の交流を控え、陛下について頑張ってこられた皇后さまのお気持ちを見事に言い 表わしていらっしゃる。皇后さまの古希の文書回答で、 <家を離れる日の朝、父は『陛下と東宮様のみ心にそって生きるように』と言い、 母は黙って抱きしめてくらえました>とありましたが、その語り口からは、 『私人・正田美智子は今日で終わり』という覚悟さえ伝わってきました」(同前) 秋篠宮のイメージアップには、紀子さまの存在も大きく影響している。先日の 会見でもそうだったが、紀子さまは夫の話をにこやかに聞かれ、それをフォロー するようにたまに短く話される。そんな夫へのさり気ない心遣いの様子から、皇 室にすっかり馴染まれた紀子さまの自身が窺える。 「ご挨拶に伺った新しい担当記者にお茶を出してくれたりして、紀子さまが『以 前はどのような部署にいらしたんですか?』なんて気さくに声をかけてくださる。 両陛下の公務への姿勢を受け継ぐ意思もはっきりされていて、大変気に入られて いるようです。今や自慢の嫁なのではないでしょうか」(宮内庁担当記者)
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448 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:18:35 ID:PrFRsvVx0 - 週刊文春2004年12月16日号 雅子さまご静養一年 書かれざる平成皇室の軋み
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun041216.htm 雅子さまのお世継ぎ問題に関するプレッシャーを取り除くためにも、女帝を認 めるべきだという意見も根強い。が、ある宮内庁関係者は意見を異にする。 「私が心に残っているのは、平成十四年十二月の会見で、女帝について尋ねられ た雅子さまが『直接の答えになりませんけれども』と前置きされた上で『やはり 母親として愛子には幸せな人生を歩んで欲しいなというのが、心からの願いであ るということを申し上げたい』と仰ったことです。皇族はこの問題への言及を一 切控えてこられたわけで、記者もお答えにならないことをわかって聞いているの ですが、雅子さまは踏み込まれて発言された」 このとき同じ質問に対して皇太子は、「法律上の問題でもあり、また、政治的 な意味合いもありますので、この場での発言は控えさせていただきたいと思いま す」とお答えになっている。 「この雅子さまの発言には、愛子さまは皇室という環境に縛られず、ご自分の生 きたいように生きてほしいというお気持ちがこめられているように思えます。『女 性天皇を容認すれば、雅子さまのご心労は癒されるのではないか』という世論も あるようですが、雅子さまはそれを望んでいらっしゃらないのではないか」(同前) 昨年五月には、「公園デビュー」に挑戦されたり、音楽と運動を組み合わせた リトミック教室を東宮御所で開かれるなど、雅子さまは愛子さまの感性や個性を 伸ばす教育を目指されているように見える。だが、それは「公正無私」や「先憂 後楽」を基本とした古い帝王教育とは対極にあるものだ。 そこで、改めて一年前の“第三子発言”の意味が注目されてくる。 「秋篠宮は先日の会見で、第三子発言について、皇室と秋篠宮家の繁栄を考える 長官の立場を慮るという趣旨で、批判されてきた長官を庇われた。これは秋篠宮 家が三人目の子を求められている状況をよくわかった上でのことでしょう。紀宮 さまの婚約を取りまとめられて責任感の増した感がある秋篠宮さまご自身も、三 人目を真剣に考えてらっしゃるのではないでしょうか」(前出・元宮内庁担当記者)
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451 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:23:11 ID:PrFRsvVx0 - 文藝春秋 2006年10月号 平成皇室の危機は去ったのか
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/bungeishunju0610.htm 櫻井よしこ(ジャーナリスト) 保阪正康(ノンフィクション作家) 篠沢秀夫(学習院大学名誉教授)松崎敏彌(皇室ジャーナリスト) 高橋紘(静岡福祉大学教授 江森敬治(毎日新聞編集委員) 皇 位 継 承 は ど う な る 篠沢 秋篠宮様はよくやりました。男の子でも女の子でも、お子様が生まれるこ とは素晴らしい。両陛下もさぞやお喜びのことでしょう。今は母子ともに無事の ご出産をただただ祈りたいだけですね。 櫻井 秋篠宮ご夫妻は、皇統の危機と言われるこの時期に、よく第三子をお作り になったと思います。日本の連綿とした伝統を担ってきた皇室の一員として、す ばらしい貢献をされたと思います。ご懐妊の知らせを聞いたとき、これは小泉総 理と「有識者会議」に代表される、日本の根幹である伝統と歴史を拙速に変えよ うとする動きへの、静謐なる峻拒だと、私は思いました。 松崎 私は半世紀近く皇室記者をやってきたけれど、こんなことに遭遇すること になるとは思いませんでした。あのタイミングでご懐妊が発表され、今回のご出 産に至ったことに、両陛下を含めて皇族全体としての一つの意志を感じますね。
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- 【皇室】 秋篠宮家の長男・悠仁さま、14日に初の外出
458 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:29:34 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る “現代の生贄”の検証 ■小和田雅子をめぐる噂の数々 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと 決定的な理由があった。 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。 妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が “小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている” といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。 「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。 それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者) しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、 告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。 「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対 応が早すぎるし、不自然な点は多い」 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留 学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「 白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ リカから送りつけられている。
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- 【皇室】 秋篠宮家の長男・悠仁さま、14日に初の外出
460 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 17:35:10 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る “現代の生贄”の検証 宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方 もある。 「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問 題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田サンを はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパ イプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」 (宮内庁担当記者) いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学 に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。
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459 :雅子の祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 17:39:09 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡! ところがそんな中で、唯一、タブー的な存在とされている人物がいる。 雅子の母方の祖父・江頭豊のことだ。今も健在で、雅子や恒夫婦と同じ 敷地内に住んでいるにもかかわらず、妃決定以降、ただの一度もマスコミ に姿を見せたり、声を聞かせたことはない。まるで幽閉されているかの ように、である。 それもそのはずである。周知のようにこの祖父・江頭豊こそ水俣病を タレ流した公害企業・チッソの社長をしていた人物であり、六年前、一旦 浮上していた小和田雅子の名前が妃候補からはずされたのも、その存在 が最大の理由だったといわれている。 「当時、宮内庁幹部も我々報道陣に係累にチッソ関係者がいるのはま ずいとはっきり口にしていた。全国各地を回らねばならない皇太子夫妻が 熊本に行けなくなる、とね。また当時の官房長官だった後藤田正晴が強硬 に反対していたようで、一説には雅子さんで話を進めていた宮内庁幹部 を『皇居にムシロ旗がたったらどうするつもりか』と怒鳴りつけたとい われているほどです」(宮内庁担当記者) 実際、八八年のはじめ、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に「チ ッソの件が付随しますから、お諦めください」と進言していたことを、 後に富田自身も認めているほどだ。
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467 :雅子の祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 17:56:29 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡! ■江頭チッソ社長の“犯罪性” 江頭豊が日本興行銀行からチッソ専務取締役となったのは、そんな渦中 の一九六二年のことである。そして六四年には副社長、同年暮れには社長 に昇格した。 公害発生時にいなかったという意味では、宮内庁の説明どおり江頭には 「法的責任」はないのかもしれない。むしろ、江頭は水俣病問題の処理の ためにメインバンクの興銀から送り込まれたカタチになっている。 しかし、実はその江頭のやった「処理」こそが問題なのだ。それはど う考えても「解決努力」などとよべるシロモノではなかった。 そもそも、江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、チッソは自らの 工場排水が水俣病の原因であることを一切認めようとはしなかったので ある。前述した熊本大学だけでなく、厚生省水俣食中毒部会までが「原 因は有機水銀」との答申を提出。胎児性水俣病までが発見され始めてい たのにもかかわらず、である。 そして、先の「見舞金契約」をたてに患者といっさい交渉をもとうと しなかったのはもちろん、驚くべきことに江頭チッソはそのまま六六年 まで水俣湾に水銀を延々とたれ流し続けたのだ。排水を完全循環方式に 改良して、水銀放出をストップするための費用は五○万円。こんなわず かな金を出し渋って、である。 「法的責任がない」どころではない。少なくとも六二年から六六年ま での四年間については、江頭自身が殺人行為に加担していたことは動か しがたい事実なのである。
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469 :雅子の祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 18:00:06 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡! 江頭チッソがようやく自らの責任を認めたのは、水俣病発生が発覚してから 一○年以上も経過した一九六八年のことだった。 江頭はこの年の九月二六日、「患者遺族にはお詫びする。補償は誠意をもっ て話し合う」との談話を発表。そして翌々日には、患者の家庭を訪問し、チッ ソ関係者としてはじめて水俣病患者に頭を下げた。 しかし、これとてけっして江頭自身の自発的な判断ではない。この年、政府 がついに水俣病の原因をチッソ廃液とする正式見解を発表したため、チッソと しても対応せざるをえなくなっただけのことである。 それどころか、この政府見解発表が出される前には、地元選出の自民党議員 と結託して、それを止めるべく画策していたフシさえうかがえる。しかし、さ すがの自民党政府も明確な事実と悲惨な現実を前に、水俣病を公害病と認定せ ざるをえなかったというのが“真相”なのである。
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470 :雅子の祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 18:03:17 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡! ■冷酷な江頭の患者対策 いずれにしても、ようやくチッソが非を認めたことで、患者に対する補償交渉 も大きく進展するだろうと誰もが考えた。 ところが、この謝罪後もチッソの無責任な対応は全くかわることがなかった のである。「補償は誠意をもって話し合う」というセリフの舌の根も乾かぬう ちに、江頭はさまざまな画策を始める。 謝罪から二週間近く過ぎた一○月八日、チッソはようやく患者側(患者互助 会)との第一界交渉に応じるのだが、「死者一三○○万円、生存患者年金六○ 万円」という患者側からの補償要求額の提示にはいっさい回答せず、かなり経 った第二回交渉ではなんと「関係各省に補償金額の目安を示してくれるように 依頼している」と責任のがれともとれる姿勢をみせる始末。 業を煮やした患者側は厚生大臣に陳情し、補償額基準設定のための県知事中 心の第三者機関設置が決まるのだが、江頭はこの期に及んでもなお、知事にた いしてあくまで今回の補償は「会社の行為によるもの」で、補償は一○年前の 「見舞金」プラス・アルファに止まると主張。そのせいで県主導による第三者 期間の設置が暗礁に乗り上げてしまうのだ。 「少なくとも回答の期限を示せ」と患者側に迫られた第四回交渉では、「厚生 ・通産両省は基準をつくることを検討するといっている。そちらに陳情してほ しい」と言い逃れをし、年末ぎりぎりの妥協案として患者が「ひとり当たり一 ○○万円の仮払い」を要求すると、これもにべもなく断るのである。
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- 【皇室】 愛子さま、「着袴(ちゃっこ)の儀」…最近は「わらわ」などの言葉にご関心★2
471 :雅子の祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 18:05:59 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡! 結局のところ、この間、江頭は水俣病患者にたいする補償交渉などしなかった に等しい。交渉から逃げ回り、ただただ「金額決定」の引き延ばしを図 り続けただけである。 ふり返ればそもそも江頭がチッソに専務として興銀から派遣されたの は、水俣病解決などのためではなかったのである。江頭が補償交渉とは 比べものにならない積極さでやったのは、チッソの出遅れ過ぎた石油化学 事業(当時の金額で一五○億円を投下しようとしていた)に対する「興 銀の資本投下」を成功させることだった。 そして江頭は、この事業を成功させるための犠牲として行員の低賃金 を維持させる方針を打ち出すのである。これに反発する労働者は一○ヵ 月にわたる長期争議をおこし、これを叩きつぶすために江頭らは権謀術数 を使って組合を分裂させる。これがもとで従業員同士、市民同士が分裂 し、のちのちまで市が二分された「安賃闘争」が発生するのだ。 また社長に昇格すると、今度は合理化という建前で労働者の「首切り」 にかかりきりになる。それも患者を支援する第一組合の組合員を中心に いきなり「千葉工場への配転」を通告するという卑劣な作戦で、である。 地元出身者が圧倒的に多いチッソ労働者にとって、他の工場へいけと いうのは、辞めろというのに等しい行為だからだ。 ようするに江頭の頭の中にあったのは、企業経営の合理化のためには 弱者を平気で切り捨てていくという、まさに銀行マン的発想のみであり 、労働者も水俣病患者もその犠牲になっていったのである。
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473 :雅子の祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 18:08:29 ID:PrFRsvVx0 - 河原敏明 『皇太子妃雅子さま』
http://ime.nu/www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062064243/qid=1116177034/sr=8-7/ref=sr_8_xs_ap_i7_xgl14/250-7237738-6462634 雅子さんのお祖父さんは水銀公害で世界的に注目された「水俣病」を引き起 こした、チッソ(当時は新日本窒素肥料。昭和四十一年一月にチッソと改称)の役 員江頭豊氏だった。江頭氏は日本興行銀行から昭和三十七年チッソの専務に転 じ、副社長、社長、会長と十一年間、代表権をもつ役員を務めていた。チッソ が公害を起こした後からだが、その役員のときの江頭氏の患者側への強硬な態 度が、チッソに対する反発を助長して、あまりいい印象はもたれていなかった。 「全国各地を回らねばならぬ皇太子ご夫妻に、ムシロ旗が立つようなことがあ っては」との懸念が一部の関係者からだされ、それが次第に、「皇太子妃とな る方には、大きな瑕があってはいけない」という考えとともに、宮内庁全体に 浸透していった。 皇太子の数年におよぶ“雅子コール”にもかかわらず、宮内庁はかたくなに 反対しつづけていた。その好個の例が「週刊朝日」(平成三年三月八日号)で、 元宮内庁長官だった富田朝彦氏の言葉が端的に物語っている。氏が現職中の六 十二年暮か、六十三年早々らしいが、 「小和田さんは、チッソのことが付随してまいりますので」 と殿下に申し上げると、 「わかった」 とおっしゃった、とその記者に打ち明けている。富田氏は警察官僚出身で、宮 内庁に来るまでは内閣調査室長、つまり日本版“CIAの長官”である。いろい ろと調べてのことだろうか。
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474 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 18:11:07 ID:PrFRsvVx0 - 小和田恒の人物像
渡辺亮次郎のエッセイ : 持田健(もちだ・たけし)さんが(*03年)9月25日、都内の病院で逝去した。 ・・・信濃町の葬儀場に飾られた花輪の多くが外務官僚からのもの・・・生花の中には外務省外郭団体・国際 問題研究所の理事長たる小和田恒氏のもあったから「そういえば小和田さんはジュネーヴェへいつ赴任するん だ」と通夜の席で話題になった。国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父だから 昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。 数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも」と、就任工作(*小田にとっては辞任工作である)を やらせたのはひどかった(*注-1)とか「あんな顔していて、実にカネに汚い」とか「公私混同がひどい」とか 「嫁入りに持たすタンスをえらく値切られた」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいんだから、お前んちの ほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな」とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争 ではけちはしないだろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。 ところが「まだわからんぜ」と付け 加える仲間が言った。 「何しろ誰も鈴を付けに来ないことをいいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。 後任の佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから、小和田さん、判事の任期(7年)に 果たして何期しがみつくか、興味津々だね」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。 http://p-www.iwate-pu.ac.jp/~tokuhisa/watanabe/gaimu.htm
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- 【皇室】 秋篠宮家の長男・悠仁さま、14日に初の外出
486 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 18:16:41 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る “現代の生贄”の検証 ■小和田雅子をめぐる噂の数々 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと 決定的な理由があった。 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。 妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が “小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている” といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。 「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。 それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者) しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、 告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。 「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対 応が早すぎるし、不自然な点は多い」 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留 学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「 白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ リカから送りつけられている。
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- 【皇室】 秋篠宮家の長男・悠仁さま、14日に初の外出
488 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 18:20:31 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る “現代の生贄”の検証 宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方 もある。 「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問 題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田サンを はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパ イプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」 (宮内庁担当記者) いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学 に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。
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- 【皇室】 秋篠宮家の長男・悠仁さま、14日に初の外出
489 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 18:22:44 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る “現代の生贄”の検証 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する 北米二課のM課長補佐。 「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、 二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省 関係者) さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。
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- 【皇室】 秋篠宮家の長男・悠仁さま、14日に初の外出
490 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 18:26:13 ID:PrFRsvVx0 - 河原敏明 『皇太子妃雅子さま』
http://ime.nu/www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062064243/qid=1116177034/sr=8-7/ref=sr_8_xs_ap_i7_xgl14/250-7237738-6462634 雅子さんのお祖父さんは水銀公害で世界的に注目された「水俣病」を引き起 こした、チッソ(当時は新日本窒素肥料。昭和四十一年一月にチッソと改称)の役 員江頭豊氏だった。江頭氏は日本興行銀行から昭和三十七年チッソの専務に転 じ、副社長、社長、会長と十一年間、代表権をもつ役員を務めていた。チッソ が公害を起こした後からだが、その役員のときの江頭氏の患者側への強硬な態 度が、チッソに対する反発を助長して、あまりいい印象はもたれていなかった。 「全国各地を回らねばならぬ皇太子ご夫妻に、ムシロ旗が立つようなことがあ っては」との懸念が一部の関係者からだされ、それが次第に、「皇太子妃とな る方には、大きな瑕があってはいけない」という考えとともに、宮内庁全体に 浸透していった。 皇太子の数年におよぶ“雅子コール”にもかかわらず、宮内庁はかたくなに 反対しつづけていた。その好個の例が「週刊朝日」(平成三年三月八日号)で、 元宮内庁長官だった富田朝彦氏の言葉が端的に物語っている。氏が現職中の六 十二年暮か、六十三年早々らしいが、 「小和田さんは、チッソのことが付随してまいりますので」 と殿下に申し上げると、 「わかった」 とおっしゃった、とその記者に打ち明けている。富田氏は警察官僚出身で、宮 内庁に来るまでは内閣調査室長、つまり日本版“CIAの長官”である。いろい ろと調べてのことだろうか。
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- 【皇室】 愛子さま、「着袴(ちゃっこ)の儀」…最近は「わらわ」などの言葉にご関心★2
482 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 18:29:03 ID:PrFRsvVx0 - 週刊新潮 2006年9月21日号 これからどうなる「皇太子と雅子妃」20の謎
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1845140/s/ 皇太子と秋篠宮「兄弟の溝」はどうなる 皇太子殿下が、雅子さまを庇うべく『人格否定発言』をされたのは、04年5月 のことである。これに対し、秋篠宮殿下は同年10月、 「発言前に陛下と話し合うべきではなかったか」と前代未聞の苦言を呈された。 それ以降、決定的となった「兄弟の溝」は、どうなったのか。 「お二人は相変わらず、まるで見ている方向が違うように見受けられます」 こう話すのは、さる宮内庁関係者だ。 「皇太子殿下は、まずは国民のことを考え、両陛下をお支えしなければならない のに、ご結婚以来、二人だけ、今は3人だけの世界に閉じこもっておいでのよう です。例えば、先のオランダ静養は両陛下へのご相談もなしに決まった。両陛下 は、それで雅子さまのご病気がよくなるなら、というお気持ちで受け容れられた 。ところが、発表後も、皇太子ご夫妻は両陛下にご挨拶すらしなかったといいま す」
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- 【皇室】 愛子さま、「着袴(ちゃっこ)の儀」…最近は「わらわ」などの言葉にご関心★2
483 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 18:31:05 ID:PrFRsvVx0 - 週刊新潮 2006年9月21日号 これからどうなる「皇太子と雅子妃」20の謎
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1845140/s/ 皇太子と秋篠宮「兄弟の溝」はどうなる この調子では、親王がお生まれでもなお、両陛下のご心痛はなくならない。 ベテラン皇室記者が言う。 「世間は、秋篠宮殿下について未だに“やんちゃ”と見ているようです。が、実 際は皇室全体をご覧になっている。両陛下とも以心伝心の関係です。一昨年、皇 太子殿下に苦言を呈されたのも、国民に実情を知ってもらいたいという思いがあ ったからでしょう」 秋篠宮殿下は今でも、兄の皇太子と意思の疎通が図れない状態だという。 「このような事態を招いたのは、東宮職職員の責任でもある。皇太子ご夫妻に進 言できる人が、誰一人としていない。皇室の中にあるのは、兄弟間の溝、という よりは、皇太子ご一家とその他の方々の溝といった方が正確だと思います」(同) こうした声を、皇太子殿下はどのようにお聞きになるのだろうか。
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- 【皇室】秋篠宮妃・紀子さま、本格的に公務を再開
29 :名無しさん@七周年[sage]:2006/11/12(日) 18:35:27 ID:PrFRsvVx0 - 衝撃ハグハグと白人男性に秋波写真集
http://ime.nu/image.blog.livedoor.jp/atlas_db/imgs/a/2/a2b80a58.jpg http://ime.nu/www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060526160137.jpg 衝撃の恫喝&猫かぶりお写真集 http://ime.nu/www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060530190508.jpg “自身顔”は左向き上目づかい!http://ime.nu/page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/90363431 サーヤの結婚式(花嫁ドレスVS義姉ドレス) http://ime.nu/fruitsofloquat.up.seesaa.net/image/kekkkon_saya_01.gif 色目がどーのこーの擁護する人たちへ(読売写真とgettyimages社写真・新年参賀時の同じドレス写真も) https://db.yomiuri.co.jp/thumbnails//ris-z-/bfbn-/bnz-n-/m.jpg?1146963229793 http://ime.nu/editorial.gettyimages.com/source/search/details_pop.aspx?iid=56168431&cdi=0 http://ime.nu/editorial.gettyimages.com/source/search/details_pop.aspx?iid=56169725&cdi=0 http://ime.nu/editorial.gettyimages.com/source/search/details_pop.aspx?iid=56510422&cdi=0 http://ime.nu/editorial.gettyimages.com/source/search/details_pop.aspx?iid=56510447&cdi=0 水俣病被害者の母子の写真ttp://www.asahi-net.or.jp/~pb6m-ogr/ans064picMinamata.jpg 同じ時期の小和田姉妹ttp://www.atc.ne.jp/seikindo/hyoushi/masakosama70.jpg 秋篠宮紀子妃殿下の家系図http://ime.nu/kingendaikeizu.net/akisinomiyakikohi.htm まさこ夫人の家系図http://ime.nu/www.city.murakami.niigata.jp/somu/cm/yukari1.html ご成婚画像まとめ(装束編) 色々ご比較ください。 http://ime.nu/www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060830134427.jpg 敬宮養育係ハクション大魔王さんhttp://ime.nu/www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060602192932.jpg 2004年6月から養育係に加わった福迫美樹子氏(後ろカメラ目線の女性) http://ime.nu/editorial.gettyimages.com/source/search/details_pop.aspx?iid=57309567&cdi=0
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- 【皇室】 愛子さま、「着袴(ちゃっこ)の儀」…最近は「わらわ」などの言葉にご関心★2
487 :マサコの叔父は破廉恥な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 18:40:48 ID:PrFRsvVx0 - 死後「噂の真相」2000年9月号にて、痴漢による逮捕歴があったことを報じられた。
それによると、1997年頃、慶子夫人の闘病生活末期において、江藤は当時の勤務先だった慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスへの出勤の途上、JR横須賀線車内にて2名の女子大生(慶應義塾大学在籍)に痴漢行為を働いて告訴される寸前だったが、 江藤と皇室との姻戚関係にも鑑みて鎌倉市当局が被害者たちを説得し、それによって事件は闇へ葬り去られたという。 その情報の出どころは西部邁であり、西部は朝日新聞記者を通じて神奈川県警か鎌倉市役所の記者クラブ筋から聞いたとのことだが、信憑性は不明である。 同記事中には、痴漢行為と逮捕による自己処罰を描いた大江の作品「性的人間」に対し、江藤が強い共感を表明していたことも紹介されている(江藤と大江健三郎との共編著「われらの文学」第18巻、1965年、講談社)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%97%A4%E6%B7%B3
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- 【皇室】秋篠宮妃・紀子さま、本格的に公務を再開
35 :マサコの祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 18:46:34 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡! ところがそんな中で、唯一、タブー的な存在とされている人物がいる。 雅子の母方の祖父・江頭豊のことだ。今も健在で、雅子や恒夫婦と同じ 敷地内に住んでいるにもかかわらず、妃決定以降、ただの一度もマスコミ に姿を見せたり、声を聞かせたことはない。まるで幽閉されているかの ように、である。 それもそのはずである。周知のようにこの祖父・江頭豊こそ水俣病を タレ流した公害企業・チッソの社長をしていた人物であり、六年前、一旦 浮上していた小和田雅子の名前が妃候補からはずされたのも、その存在 が最大の理由だったといわれている。 「当時、宮内庁幹部も我々報道陣に係累にチッソ関係者がいるのはま ずいとはっきり口にしていた。全国各地を回らねばならない皇太子夫妻が 熊本に行けなくなる、とね。また当時の官房長官だった後藤田正晴が強硬 に反対していたようで、一説には雅子さんで話を進めていた宮内庁幹部 を『皇居にムシロ旗がたったらどうするつもりか』と怒鳴りつけたとい われているほどです」(宮内庁担当記者) 実際、八八年のはじめ、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に「チ ッソの件が付随しますから、お諦めください」と進言していたことを、 後に富田自身も認めているほどだ。
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- 【皇室】秋篠宮妃・紀子さま、本格的に公務を再開
36 :マサコの祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 18:48:45 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡! ■江頭チッソ社長の“犯罪性” 江頭豊が日本興行銀行からチッソ専務取締役となったのは、そんな渦中 の一九六二年のことである。そして六四年には副社長、同年暮れには社長 に昇格した。 公害発生時にいなかったという意味では、宮内庁の説明どおり江頭には 「法的責任」はないのかもしれない。むしろ、江頭は水俣病問題の処理の ためにメインバンクの興銀から送り込まれたカタチになっている。 しかし、実はその江頭のやった「処理」こそが問題なのだ。それはど う考えても「解決努力」などとよべるシロモノではなかった。 そもそも、江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、チッソは自らの 工場排水が水俣病の原因であることを一切認めようとはしなかったので ある。前述した熊本大学だけでなく、厚生省水俣食中毒部会までが「原 因は有機水銀」との答申を提出。胎児性水俣病までが発見され始めてい たのにもかかわらず、である。 そして、先の「見舞金契約」をたてに患者といっさい交渉をもとうと しなかったのはもちろん、驚くべきことに江頭チッソはそのまま六六年 まで水俣湾に水銀を延々とたれ流し続けたのだ。排水を完全循環方式に 改良して、水銀放出をストップするための費用は五○万円。こんなわず かな金を出し渋って、である。 「法的責任がない」どころではない。少なくとも六二年から六六年ま での四年間については、江頭自身が殺人行為に加担していたことは動か しがたい事実なのである。
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38 :マサコの祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 18:55:35 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡! ■冷酷な江頭の患者対策 いずれにしても、ようやくチッソが非を認めたことで、患者に対する補償交渉 も大きく進展するだろうと誰もが考えた。 ところが、この謝罪後もチッソの無責任な対応は全くかわることがなかった のである。「補償は誠意をもって話し合う」というセリフの舌の根も乾かぬう ちに、江頭はさまざまな画策を始める。 謝罪から二週間近く過ぎた一○月八日、チッソはようやく患者側(患者互助 会)との第一界交渉に応じるのだが、「死者一三○○万円、生存患者年金六○ 万円」という患者側からの補償要求額の提示にはいっさい回答せず、かなり経 った第二回交渉ではなんと「関係各省に補償金額の目安を示してくれるように 依頼している」と責任のがれともとれる姿勢をみせる始末。 業を煮やした患者側は厚生大臣に陳情し、補償額基準設定のための県知事中 心の第三者機関設置が決まるのだが、江頭はこの期に及んでもなお、知事にた いしてあくまで今回の補償は「会社の行為によるもの」で、補償は一○年前の 「見舞金」プラス・アルファに止まると主張。そのせいで県主導による第三者 期間の設置が暗礁に乗り上げてしまうのだ。 「少なくとも回答の期限を示せ」と患者側に迫られた第四回交渉では、「厚生 ・通産両省は基準をつくることを検討するといっている。そちらに陳情してほ しい」と言い逃れをし、年末ぎりぎりの妥協案として患者が「ひとり当たり一 ○○万円の仮払い」を要求すると、これもにべもなく断るのである。
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40 :マサコの祖父は極悪非道な犯罪者[sage]:2006/11/12(日) 18:57:36 ID:PrFRsvVx0 - 噂の真相 1993年 4月号 皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
ルーツを徹底追跡! 結局のところ、この間、江頭は水俣病患者にたいする補償交渉などしなかった に等しい。交渉から逃げ回り、ただただ「金額決定」の引き延ばしを図 り続けただけである。 ふり返ればそもそも江頭がチッソに専務として興銀から派遣されたの は、水俣病解決などのためではなかったのである。江頭が補償交渉とは 比べものにならない積極さでやったのは、チッソの出遅れ過ぎた石油化学 事業(当時の金額で一五○億円を投下しようとしていた)に対する「興 銀の資本投下」を成功させることだった。 そして江頭は、この事業を成功させるための犠牲として行員の低賃金 を維持させる方針を打ち出すのである。これに反発する労働者は一○ヵ 月にわたる長期争議をおこし、これを叩きつぶすために江頭らは権謀術数 を使って組合を分裂させる。これがもとで従業員同士、市民同士が分裂 し、のちのちまで市が二分された「安賃闘争」が発生するのだ。 また社長に昇格すると、今度は合理化という建前で労働者の「首切り」 にかかりきりになる。それも患者を支援する第一組合の組合員を中心に いきなり「千葉工場への配転」を通告するという卑劣な作戦で、である。 地元出身者が圧倒的に多いチッソ労働者にとって、他の工場へいけと いうのは、辞めろというのに等しい行為だからだ。 ようするに江頭の頭の中にあったのは、企業経営の合理化のためには 弱者を平気で切り捨てていくという、まさに銀行マン的発想のみであり 、労働者も水俣病患者もその犠牲になっていったのである。
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