- 【特集】オバマ大統領スピーチ全文[5/27] [無断転載禁止]©2ch.net
93 :七つの海の名無しさん[sage]:2016/08/10(水) 05:49:20.65 ID:yJlijfNg - 長崎原爆の日
平和への誓い 全文 http://mainichi.jp/articles/20160809/ddg/041/040/012000c > 広島で歓迎されたオバマ大統領は、「空から死が降ってきた」と叙情的に表現されましたが、 > 広島のウラン型原爆に対して長崎にはプルトニウム型原爆が投下された事から、 > 私には2種類の原爆による実験ではなかったのかとの思いがあります。 2016年(平成28年)8月9日 被爆者代表 井原 東洋一(とよかず)
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94 :七つの海の名無しさん[sage]:2016/08/10(水) 05:51:01.50 ID:yJlijfNg - 8月9日(火)
オバマは長崎に来なかった―― 71年目の長崎「最後の被爆都市」の意味 http://news.yahoo.co.jp/feature/284 今年5月27日、オバマ米大統領が現職の大統領として初めて広島の地を訪れた。 オバマ大統領は2009年のプラハ演説で「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、 米国には行動する道義的な責任がある」とし、「核兵器のない平和で安全な世界(の実現)を目指す」と述べた。 一方、この歴史的な一連の行事に長崎の被爆者が参加することはかなわなかった。 原爆が投下されてから71年。「2つめの被爆地」長崎の意味を見つめ直す。 (取材・文 ライター高瀬毅/Yahoo!ニュース編集部) 歴史的な1日に長崎の被爆者は加われなかった 今年5月、オバマ大統領が広島を訪問した。日本政府や国民の多くは歓迎したが、いまも違和感を持ち続けている人がいる。 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授、中村桂子さんだ。 「訪問自体には意味も波及効果もあるので、それを否定する気は全くありません。でもこれまで大統領が掲げてきた核軍縮、 核兵器廃絶という目標に比べて、あまりに中身のないスピーチでした。あれは作られたショーでしかなかった」 中村さんが指摘する核軍縮問題の一つとして核兵器の近代化計画がある。「核発射用の新型潜水艦、ミサイル、爆撃機 の開発によって米国の核兵器システムをアップグレードする野心的計画」(原水爆禁止日本協議会)だ。 今後30年間で1兆ドル(日本円で110兆円)の費用を見込んでいる。多国間の軍縮外交にも米国は否定的だ。 オバマ大統領の広島訪問が発表された5月はじめ、ジュネーブで開かれた国連総会の核軍縮のための法的措置に関する 作業部会をボイコットしている。米国はどこまで本気で核廃絶を考えているのかと、非核保有国は疑問を抱いている。 中村さんが疑問に思ったことがもう一つあった。 「これは長崎でニュースになっていたのですが、実は、(オバマ歓迎セレモニーの場に)長崎の被爆者は誰も同席していなかったんです」 いきさつはこうだ。当日の来賓として、被団協(日本原水爆被害者団体協議会)から、事務局長と、広島、長崎の代表委員3人が 呼ばれていた。この中に長崎の被爆者として、全国的にも知られる谷口稜曄(たにぐち・すみてる)さんがいた。 ところが高齢で体調が悪く、出席できなくなった。そこで長崎の被爆者団体5団体が、長崎からも被爆者をと外務省に申し入れたが、 断られた。 「何度も外務省に要請したのですが、検討しているというばかりで、最後まで受け入れてもらえませんでした。 理由はいまだにわかりません」 そう語ってくれたのは、長崎の被爆者団体の一つ「長崎県被爆者手帳友の会」会長の井原東洋一さん(80)。 井原さんによれば、オバマ大統領の前で涙を流した被爆者で、アメリカ人被爆者の調査・研究を続けてきた森重昭氏は、 アメリカ枠として選ばれたという。また長崎からは被爆者を呼ばなかったのに、オバマ来日の前夜、突如、長崎の若者代表 (ナガサキ・ユース代表団)が招かれてバタバタと広島に向かったことだ。「被爆者は招かないのに。 あれもよくわからなかった」と井原さんは首をかしげる。いずれにしても長崎は大統領訪問もなく、被爆者代表も歴史的1日に 加われないままに終わったのだった。
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95 :94[sage]:2016/08/10(水) 05:51:45.58 ID:yJlijfNg - 長崎は「人類史上“最後の”被爆地」
空から突然、原爆が“降って”きたかのようなスピーチも含め、中村さんも井原さんもオバマ大統領の広島訪問に釈然としない 想いを抱きつづけている。それは2人だけではなく、私が知っている被爆者や、長崎市民の中にもいる。 核廃絶を本気で考えているのならば、広島だけでなく長崎も訪れなければならないと考えているからだ。 井原さんは、被爆地が日本に2カ所あることの意味をこう見る。 「広島はウラン爆弾。長崎はプルトニウム爆弾です。2発の異なる爆弾を使ったということは、原爆投下は、初めから実験する狙い があったのではないかということです」 長崎に投下されたプルトニウムを使った原爆は、原子炉を稼働させることで爆弾の原料であるプルトニウムを簡単に取り出せる。 一方の広島型はウラン爆弾。原材料のウランは核分裂するウラン235の元素がわずか0.7%しかなく、遠心分離機を使って 取り出すのに手間がかかる。しかし爆発はさせやすい。長崎型は起爆の難易度が高いため、米国ニューメキシコ州アラモゴード で人類初の核爆発実験を行ったのである。 ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判の主席検事で米軍准将、テルフォード・テイラーは、 「広島の是非については議論の余地がある。だが長崎を正当化するもっともらしい理由を聞いたことがない」と述べている。 原爆開発史や原爆投下の道程を研究しているスタンフォード大学のバートン・バーンスタイン教授はこう言う。 「1発目の原爆投下の必要性をどのように考えるかはともかく、8月9日に長崎に落とされた2発目の原爆はほぼ間違いなく 不必要なものだった」(『核の戦後史』より) 長崎に落とされた原爆によって、昭和20年末までに7万数千人が亡くなっている。14万人以上が犠牲となった広島が 人類史上最初の被爆地なら、長崎は現時点において「最後の被爆地」ということになる。
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