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199 :名も無き被検体774号+@転載は禁止[sage]:2016/02/01(月) 12:02:21.52 ID:QRDyv4YZ - >>195
仏陀の四諦八正道の教えとは正反対のことを言ってるぞ(諦は「諦め」ではなく「明らかにする=真理」の意味) 一つ、あなたの考え方は仏陀が説く無明から生じる無有愛(生存からの逃避の欲望)に通じてしまうということだ 無有愛も苦の原因となることを忘れてはならないぞよ
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201 :名も無き被検体774号+@転載は禁止[sage]:2016/02/01(月) 12:55:52.31 ID:QRDyv4YZ - >>200
そんなこと書いたらまた誤解を生むぞ 何の為に仏陀は八正道を説いたのか? そのことを見失うような書き方はしないこと 四諦八正道について http://homepage2.nifty.com/shusse-kannon/budda/budda4.htm
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207 :名も無き被検体774号+@転載は禁止[sage]:2016/02/01(月) 14:08:41.18 ID:QRDyv4YZ - アートマンの否定って無我のことをいうと思うんだけど、
無我の考えを理解するには手塚治虫の「ブッダ」でブッダがダイバダッタと出会った時の教えが分かりやすいと思う。 ダイバダッタ「私は今まで誰の力も借りず一人の力で生きてきました。つながりなんかありません」 ブッダ「あなたは三度三度ご飯を食べるだろう。そのご飯は誰かが料理するのだろう?誰かが作るのだろう? しかもその米は、もと稲という草だ。だからご飯を食べるだけでもいろんな生き物のいろんな人達の恩を受けてることになるでしょう。 だからあなたは他の生き物や人なしでは生きられないのだ… 同じようにどんな生き物でも絶対に自分だけでは生きられない!!」 手塚治虫は無我という言葉は引用してないが、これが無我の教えだと思う。 -------------------------------------------------------------------------------- 世界中のすべてのものは、お互い複雑に関わり合いながら縁起しているということは、 単に一つのものが集まって全体をつくっているのではなく、それぞれの関わり合いが全体なのだ、と仏教では説かれます。 人間や動物、草や木、土など一つのものは、全体があるから存在することができ、 逆に個々の存在が世界などの全体を支えています。 他との関係から独立した「自己」は存在しない(無我)なのです。 <西東社「いちばんやさしいブッダの教え」より>
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209 :名も無き被検体774号+@転載は禁止[sage]:2016/02/01(月) 15:21:16.52 ID:QRDyv4YZ - >それを取り去るのが釈迦の言った諦め、つまり「無」の境地だと個人的に思っている
一応、誤解がないように 漢語の「諦」は、梵語のsatya(サトヤ)への訳語であって、真理、道理を意味する。 http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qkz.html あなたが「真実」の意味で諦めを使っているのなら失礼しています。
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210 :名も無き被検体774号+@転載は禁止[sage]:2016/02/01(月) 16:27:56.42 ID:QRDyv4YZ - >>1
仏陀が生存本能は否定してない。 否定してるのは、渇愛(煩悩、貪欲)の中の一つの有愛。 有愛とは不老不死のようにいつまでも生き続けたいだとか、死んだ後でも何からの形で存在したいという望み。 また、この反対の無有愛(生きることに意味を見出せず、自殺願望などに向かう虚無的な欲求)も否定している。 上二つの愛に欲愛(性的悦楽、権力、快楽などを激しく求める渇望)を加えた三つが渇愛であり、苦の根源となる。 >>17 たぶん、スッタニパータの中の >1 蛇の毒がひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する比丘は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。 に見られるような「この世とかの世とをともに捨て去る」のことを言ってるんだと思うけど、有愛も無有愛もともに捨て去る、と解釈すればいいと思う。 更には http://okwave.jp/qa/q6291258.html ↑のベストアンサーを参考にどうぞ。 仏教は決してニヒリズムの教えではないよ。 よりよい人生を送るための教えなんだよね。 だから仏陀は悟りに至る八正道とか人間らしい生き方の道標として五戒とかを説いたの。 もし生存本能を否定していたら五戒の筆頭に「不殺生戒」をもってこないはずだよ。
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211 :名も無き被検体774号+@転載は禁止[sage]:2016/02/01(月) 16:56:50.81 ID:QRDyv4YZ - 【八正道】
1.正見 自己中心的な見方や、偏見をせず縁起の道理を持った中道の見方をすること。 2.正思 自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。 3.正語 妄語(嘘)・両舌(二枚舌)・悪口・綺語(飾った言葉)という「口の四悪」を言わないこと。 4.正行 本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること(仏が戒めたのは殺生・偸盗(盗み)・邪淫という「身の三悪」です)。 5.正命 善行に努め、悪行をしない規則正しい生活を送ること。 6.正精進 悟りに向かって、怠ることなく偏りのない努力をすること(捉われ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合があります)。 7.正念 仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒(つね)に真理の方向へ向けること。 8.正定 心をいつも正しくおいて、周囲の変化によってグラグラ動かされないようにすること。 -------------------------------------------------------------------------------- 【戒・定・慧の三学】 3.正語 妄語(嘘)・両舌(二枚舌)・悪口・綺語(飾った言葉)という「口の四悪」を言わないこと。 4.正行 本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること(仏が戒めたのは殺生・偸盗(盗み)・邪淫という「身の三悪」です)。 5.正命 善行に努め、悪行をしない規則正しい生活を送ること。 この三道を「戒」とし、「戒」を守れば 1.正見 自己中心的な見方や、偏見をせず縁起の道理を持った中道の見方をすること。 2.正思 自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。 という正しい「禅定」ができるようになり、「禅定」ができるようになれば 7.正念 仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒(つね)に真理の方向へ向けること。 8.正定 心をいつも正しくおいて、周囲の変化によってグラグラ動かされないようにすること。 という正しい「智慧」が得られるという、仏道修行に必要な三つの大切な事柄=戒定慧が得られるという教え。 なお 6.正精進 悟りに向かって、怠ることなく偏りのない努力をすること(捉われ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合があります)。 は戒定慧の三学全体に係ってくる。
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212 :名も無き被検体774号+@転載は禁止[]:2016/02/01(月) 19:57:04.62 ID:QRDyv4YZ - >>208
>見渡す限りの大雪原に雪像があっても周りの雪と本質は何ら変わることはない >この偏りに意味を持たせて物という概念を形成しているのは見ている我々の脳 確かに大雪原の雪も雪像の雪も同じ雪であることには変わりはない。 違うのは雪という因に人の手や想いといった縁が合わさって(人の想いや手という因に雪という縁でも良いと思うが)雪像という生起(=結果)が生じたということ。 その雪像もまた 用済みになったという因にスコップなどの縁が合わさって崩されたり 太陽という因に気温上昇などの縁が合わさって融けたり して雪像のままであり続けることはない(無常)
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