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<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]

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【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
773 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 07:01:08.51 ID:WpsS0bzU
>>767
まずネトウヨは戦時中に朝鮮人を拉致して内地の炭鉱等に強制連行したことについて認めることから始めよう
「強制連行はなかった」などと寝言を吐かないように
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
781 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 07:08:22.88 ID:WpsS0bzU
>>771-772
ネトウヨにとって都合の悪い史実を教えてあげよう
戦後、米兵による日本人大量虐殺についてなぜネトウヨは無視するのか


占領期(1945~52)に米兵に殺された市民3903人、「4歳児をわざと車でひいた」

大阪大学の藤目ゆき教授(54)=現代史=は、第2次大戦後の占領軍兵士による事件や事故を調べ続けて15年ほどになる。
これまでの研究で、一つの結論に達したという。
「連合国による占領は、日本軍降伏後も続いたもう一つの戦争だったのです」そう考えざるを得ない数字がある。

米国を中心とする連合国が日本を占領したのは、1945年(昭和20年)8月~52年4月の7年間近く。
その前半の48年末までに、占領軍被害の日本人死者3903人のうち75%が集中した。
占領軍の物資を手当てした調達庁(現在の防衛省)は、62年1月発行の資料「調査時報」にそう記している。

この間に占領軍兵士らの故意による交通事故や殺人が多発し、「戦争感情の余燼(よじん)が強くうかがわれる」(前述の調査時報)事態が続いた。
4年近く日本と戦った米兵らの反日感情は終戦後もすぐ収まらず、憎しみの矛先は国民に向けられていた。
戦後の日本は、これらの被害に無関心だったとみる藤目教授は、
「占領中に何があったかをうやむやにしたままでは、あの戦争に決着をつけたとは言えない」と、被害解明の重要性を訴える。
http://editor.fem.jp/blog/?p=1909
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
783 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 07:13:25.14 ID:WpsS0bzU
>>777
(インタビュー) 強制連行、史実から考える 歴史学者・外村大さん

――強制連行は「なかった」と主張する人がいますが。

とんでもない。朝鮮半島で、日本内地への暴力的な労務動員が広く存在していたことは、史料や証言からも否定しようがありません。
政府は1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て、閣議決定をした。朝鮮からの動員数も決め、日本の行政機構が役割を担った。
手法は年代により『募集』『官あっせん』『徴用』と変わりましたが、すべての時期でおおむね暴力を伴う動員が見られ、
約70万人の朝鮮人が主に内地に送り出されました。
こんな当たり前の史実が近ごろ、なぜか曲解される。誤解や間違いも目立つ。歴史家の常識と、世間の一部の感覚とが、ずれてきたように感じています。

――「募集」段階では強制とは言えないという人もいます。

初期の段階から当局が深く関わっていました。たとえば会社の募集係に同行し、日本人の警察が家の前に立つ。役人から呼び出しがかかる。
それだけで多くの朝鮮人が恐れをなし、おとなしく応じたのです。断って大変な目に逢った、というような話が出回っていましたから。
それが植民地というものです。その後、戦局が悪化するにつれ、暴力性は誰の目にも明らかになっていきました。

――最後は徴用までした、と。

そこが誤解されがちですが、「徴用」は国民徴用令に基づき、国が責任をもって配置するもので国の栄誉を担う労働者だったんです。
弔慰金や別居手当など援護もついてきた。だから日本人は戦争初期から徴用されました。
ところが、朝鮮人にこの制度が適用されたのは戦争末期の1944年です。徴用令を適用しないまま、多くを動員したのが特徴でした。

――なぜでしょう。

日本人と違って、ちゃんとした権利を持つ主体ではなく、法に基づく行政命令がなくても動かせる、と見なされたからでしょう。
安くても、厳しい職場でも、つべこべ言わずに働いてくれるだろうと。差別意識があったのです。
https://i.imgur.com/KGQWv8I.jpg
(朝日新聞デジタル 2015年4月17日)
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
790 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 07:37:32.28 ID:WpsS0bzU
>>785,787
記者 そうすると今まで労務の供出はどういう方法でやっておられましたか。

田原実(朝鮮総督府労務課事務官)
従来の工場、鉱山の労務の充足状況を見ると、その九割までが自然流入で、あとの一割弱が斡旋だとか紹介所の紹介によっています。
ところが今日では形勢一変して、募集は困難です。そこで官の力、官斡旋で充足の部面が非常に殖えています。
ところでこの官斡旋の仕方ですが、朝鮮の職業紹介所は各道に一カ所ぐらいしかなく組織も陣容も極めて貧弱ですから、
一般行政機関たる府、郡、島を第一線機関として労務者の取りまとめをやっていますが、
この取りまとめがひじょうに窮屈なので仕方なく半強制的にやっています。
そのため輸送途中に逃げたり、せっかく山に伴われていっても逃走したり、あるいは紛議を起こすなどという例が非常に多くなって困ります。
しかし、それかといって徴用も今すぐにはできない事情にありますので、半強制的な供出は今後もなお強化してゆかなければなるまいと思っています。


記者 現在労務充足に一番苦労しているのはどういう方面でしょうか。

田原実(朝鮮総督府労務課事務官)
一番困難なのは鉱山特に石炭山です。石炭山の労務が完全に充足できれば、朝鮮の労務問題はまずまずというわけです。が、それができない。
ちょうどザルに水を入れるようなもので、せっかく斡旋してつれていっても、すぐにパッと逃げてしまう、これをどうすれば充足できるか、
どうすればその移動防止ができるかということを、今まで官民ともに考えてきたのですが、なかなかうまくゆかない。
徴用令を発動するのは最後の方法でこれは内地もまだやっていません。
なぜかというと鉱山作業は生命の危険率が高い、そこに徴用者を入れることは民心に非常な悪影響を与えるからです。
しかしわれわれの考えとしてはもう今はそうもいっていられない。
今は万全の措置を講じた上で鉱山労務も徴用しようではないかというので、中央政府とも交渉してだいたい了解を得ています。
内地も朝鮮がやればやる、という機運になってきているのではないかと思います。

大陸東洋経済「座談会 朝鮮労務の決戦寄与力」1943年12月1日


>それかといって徴用も今すぐにはできない事情にありますので、半強制的な供出は今後もなお強化してゆかなければなるまいと思っています。

>徴用令を発動するのは最後の方法でこれは内地もまだやっていません。なぜかというと鉱山作業は生命の危険率が高い、そこに徴用者を入れることは民心に非常な悪影響を与えるからです。


内地人には徴用できない超危険な炭鉱労働等に朝鮮人には徴用を適用しないで強制連行して働かせたということ
ネトウヨのお前らはご都合主義で歴史を語らないように
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
792 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 07:38:25.69 ID:WpsS0bzU
>>788
>>790
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
795 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 07:40:20.76 ID:WpsS0bzU
>>789
(ハ)動員の実情
徴用は別として、その他いかなる方式によるも出動は全く拉致同様な状態である。
それはもし事前においてこれを知らせば皆逃亡するからである。
そこで夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである。
なぜ事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に引き付ける何物もなかったことから生じるものと思われる。
内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして、彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊がしばしばあったからである。

特に、西北朝鮮地方の労務管理は全く御話にならない程残酷である。故に彼等は寧ろ軍関係の事業に徴用されるのを希望する程である。
斯くて朝鮮内の労務規制は全く予期の成績を挙げていない。如何にして円満に出動させるか、如何にして逃亡を防止するかが
朝鮮内における労務規制の焦点となっている現状である。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B02031286700 p28~
内務省 復命書(1944年7月)
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
814 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 08:13:08.25 ID:WpsS0bzU
>>808
敗戦により立場の弱くなった日本人に米兵は情け容赦なく襲い掛かった。


占領期(1945~52)に米兵に殺された市民3903人、「4歳児をわざと車でひいた」

大阪大学の藤目ゆき教授(54)=現代史=は、第2次大戦後の占領軍兵士による事件や事故を調べ続けて15年ほどになる。
これまでの研究で、一つの結論に達したという。
「連合国による占領は、日本軍降伏後も続いたもう一つの戦争だったのです」そう考えざるを得ない数字がある。

米国を中心とする連合国が日本を占領したのは、1945年(昭和20年)8月~52年4月の7年間近く。
その前半の48年末までに、占領軍被害の日本人死者3903人のうち75%が集中した。
占領軍の物資を手当てした調達庁(現在の防衛省)は、62年1月発行の資料「調査時報」にそう記している。

この間に占領軍兵士らの故意による交通事故や殺人が多発し、「戦争感情の余燼(よじん)が強くうかがわれる」(前述の調査時報)事態が続いた。
4年近く日本と戦った米兵らの反日感情は終戦後もすぐ収まらず、憎しみの矛先は国民に向けられていた。
戦後の日本は、これらの被害に無関心だったとみる藤目教授は、
「占領中に何があったかをうやむやにしたままでは、あの戦争に決着をつけたとは言えない」と、被害解明の重要性を訴える。
http://editor.fem.jp/blog/?p=1909


>占領期(1945~52)に米兵に殺された市民3903人

>「4歳児をわざと車でひいた」
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
833 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 08:22:29.68 ID:WpsS0bzU
>>822
従軍慰安婦
旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。
昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。
「お国のためだ」と何をするのかも分からないままに騙され、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。
特に昭和十七年以降「女子挺身隊」の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、
多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。
彼女たちは、砲弾の飛び交う戦場の仮設小屋やざんごうの中で、一日に何十人もの将兵に体をまかせた。
その存在は、世界の戦史上、極めて異例とされながら、その制度と実態が明らかにされることはなかった。
読売新聞(1987年8月14日)
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
894 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 09:46:52.62 ID:WpsS0bzU
>>864,874
無知なネトウヨに正しい歴史を教えてやると
拿捕等の問題は1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済み
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
902 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 10:00:55.76 ID:WpsS0bzU
>>895
ほんとネトウヨは無知すぎて話にならない、嘘しか吐かないネトウヨがなぜ韓国を批判できるのか


「同条1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、
この協定の署名の日までに大韓民国による日本漁船のだ捕から生じたすべての請求権が含まれており、
したがつて、それらのすべての請求権は、大韓民国政府に対して主張しえないこととなることが確認された。」
http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/nikkankaidanbunsyo/pdf/198.pdf#page=48
「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」1965年6月22日
【AERA】 東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」★2 [9/20] [昆虫図鑑★]
909 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage]:2023/09/21(木) 10:19:14.24 ID:WpsS0bzU
>>906
↓これもコピペリストに入れてくださいよ、何で無視してるの?



占領期(1945~52)に米兵に殺された市民3903人、「4歳児をわざと車でひいた」

大阪大学の藤目ゆき教授(54)=現代史=は、第2次大戦後の占領軍兵士による事件や事故を調べ続けて15年ほどになる。
これまでの研究で、一つの結論に達したという。
「連合国による占領は、日本軍降伏後も続いたもう一つの戦争だったのです」そう考えざるを得ない数字がある。

米国を中心とする連合国が日本を占領したのは、1945年(昭和20年)8月~52年4月の7年間近く。
その前半の48年末までに、占領軍被害の日本人死者3903人のうち75%が集中した。
占領軍の物資を手当てした調達庁(現在の防衛省)は、62年1月発行の資料「調査時報」にそう記している。

この間に占領軍兵士らの故意による交通事故や殺人が多発し、「戦争感情の余燼(よじん)が強くうかがわれる」(前述の調査時報)事態が続いた。
4年近く日本と戦った米兵らの反日感情は終戦後もすぐ収まらず、憎しみの矛先は国民に向けられていた。
戦後の日本は、これらの被害に無関心だったとみる藤目教授は、
「占領中に何があったかをうやむやにしたままでは、あの戦争に決着をつけたとは言えない」と、被害解明の重要性を訴える。
http://editor.fem.jp/blog/?p=1909


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