A また、リンク「朝鮮の茶文化の記録」で指摘されているように、朝鮮に於いてかつて茶の産出や日本粉茶を喫した記録はあるようである。しかし、後の明治16年に京城駐在の日本公使・竹添進一郎の報告に於いても、 「茶は葛根湯に類似するものを用いる。もとより茶樹はない。砂糖も無い。(「竹添弁理公使ヨリ朝鮮事情報告・機密信一、二、九、十、三、四、五、六、七、八、九、十 、十一、十三、十四、外ニ私報其十七通」)」とあるところからも窺われるように、 既に茶を栽培したり喫する習慣が廃れたか、或いは殆ど流通していなかったということであろう。いずれにしろ当時朝鮮では、「茶」は一般的なものではなかったと思われる。