- 【島根】 竹島は「日本の景勝地」昭和初期には認知裏付け、国の旅行ガイドで紹介[05/09]
84 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載禁止[]:2014/05/14(水) 02:01:38.51 ID:JZE9pvvp - ●半月城教授の見解 半月城教授、ネトウヨの主張をまたまた論破! 半月城教授GJ!
半月城です。 韓国のある本に韓国の東限が130度35分と書かれているので、現在の竹島を含むは ずがない、したがって当時の韓国は竹島=独島を認識していなかったという単純な論法を 信じている人が未だにいるようです。 このように日本外務省は官撰書でもなければ官製図書でもない一般書の『大韓地誌』 などを引用して韓国に対する反論の4本柱のひとつに据えました。 しかも日本政府は『大韓地誌』などに喜んで飛びついたのか、中味をよく読んでいな かったようです。もし、精読していたら、その書を反論の材料に使用したでしょうか? 同書はあとがきでこう述べました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 大韓地誌跋 自分が地誌を編纂した基本には日本人たちの記した書や、輿地勝覧などを参考にした ・・・・顧みるに教課が至急であり、熟考のために歳月を無駄にできない。それが慚愧に たえない。世の君子がそれを継いで自分の過誤を正して編輯して至当なものに仕上げるな ら、これに勝る幸せはない。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 玄采はとても正直な方のようです。教課を急いで作成したので、内容を充分吟味する 時間がなく、やむをえず、日本人の書や輿地勝覧だけに頼ったと述べました。なかでも緯 度や経度は輿地勝覧などにはないので、日本人の著書を引用したようです。それはおそら く『朝鮮水路誌』あたりでしょうか。 ともかく、『大韓地誌』はそのような体裁の本なので、たとえ官員が作成したといっ ても韓国政府の見解を代弁するものでないことは当然です。 さらに『大韓地誌』には于山島を含む絵図が付属していますが、それも従来の地図を 流用したものであり、玄采が独自に調査したものではありません。欝陵島の東に于山島を、 南に存在しない小さな島を5島も描きました。これは竹島=独島問題を云々できるような 絵図ではありません。
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85 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載禁止[]:2014/05/14(水) 02:02:43.18 ID:JZE9pvvp - ●半月城教授の見解 半月城教授GJ!
半月城です。 韓国のある本に韓国の東限が130度35分と書かれているので、現在の竹島=独島を含 むはずがない、したがって当時の韓国は竹島=独島を認識していなかったという単純な論 法を信じている人が未だにいるようです。 半世紀以上も前に日本の外務省はその論法を韓国に対する有力な反論材料にしました。 そして大まじめに次のように記しました。 5.韓国側は最近でこそ竹島の領有を問題としているが、明治38年の竹島の島根県編入 前後において、竹島を韓国領とは考えていなかったことは、次の事実からも明らかであ る。 (1)光武5年(明治34=1901)刊の玄采著『大韓地誌』(光武9年 2冊本として再 刊)には韓国領土の東限を東経130度35分としており、竹島は含まれていない。著者 は学部職員であり、学部編しゅう局長の序もあるので当時の権威ある著書とみられる。 (2)民国4年(大正4=1915)刊の太白狂奴著『韓国痛史』も韓国領土の東限を130度 50分としており、これまた竹島は含まれていない。 この書物は日本の朝鮮統治に反対してその独立を企図し、上海に亡命した一人によっ て編さんされたものであり、竹島について関心があれは当然これが取りあげられるべ きである。 このように日本外務省は官撰書でもなければ官製図書でもない一般書の『大韓地誌』 などを引用して韓国に対する反論の4本柱のひとつに据えました。 しかも日本政府は『大韓地誌』などに喜んで飛びついたのか、中味をよく読んでいな かったようです。もし、精読していたら、その書を反論の材料に使用したでしょうか? 同書はあとがきでこう述べました。 自分が地誌を編纂した基本には日本人たちの記した書や、輿地勝覧などを参考にし た・・・・顧みるに教課が至急であり、熟考のために歳月を無駄にできない。それが慚愧 にたえない。世の君子がそれを継いで自分の過誤を正して編輯して至当なものに仕上げる なら、これに勝る幸せはない。
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86 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載禁止[]:2014/05/14(水) 02:03:14.67 ID:JZE9pvvp - 玄采はとても正直な方のようです。教課を急いで作成したので、内容を充分吟味する
時間がなく、やむをえず、日本人の書や輿地勝覧だけに頼ったと述べました。なかでも緯 度や経度は輿地勝覧などにはないので、日本人の著書を引用したようです。それはおそら く『朝鮮水路誌』あたりでしょうか。 ともかく、『大韓地誌』はそのような体裁の本なので、たとえ官員が作成したといっ ても韓国政府の見解を代弁するものでないことは当然です。 さらに『大韓地誌』には于山島を含む絵図が付属していますが、それも従来の地図を 流用したものであり、玄采が独自に調査したものではありません。欝陵島の東に于山島を、 南に存在しない小さな島を5島も描きました。これは竹島=独島問題を云々できるような 絵図ではありません。 ま、それでも『大韓地誌』は学術書なのでまだしも、外務省が「狂奴」と自称する人 の『韓国痛史』を引用するのはいかがなものでしょうか。しかも10年後の書を針小棒大 にとりあげ、まるで鬼の首でも取ったかのように公式の反論に利用するのは理解に苦しみ ます。これは見方を変えれば、外務省がいかに反論の材料に事欠いていたのかを示してい るともいえます。そうでなければ、何かが狂っているようです。 半月城教授GJ! 半月城教授GJ! 半月城教授GJ!
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87 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載禁止[]:2014/05/14(水) 02:04:11.70 ID:JZE9pvvp - ●半月城教授の見解
国際法の性格を確認しておきたいと思います。他国の領土を同意なしに自国領に編入するのは、侵略行為にあたることは いうまでもありませんが、そうした侵略行為も狼どもの国際法によると時には有効とされるようです。たとえば武力征服な どは、弱肉強食時代の国際法では時には合法とされました。そうした国際法は、当時の日本で万国公法とよばれましたが、 そこでは正義や道義などは問題外でした。 明治時代の元勲である木戸孝允は「万国公法は小国を奪う一道具」と喝破しましたが、貪欲な帝国主義国家が力による領土 拡張や覇権が可能なように、かれら仲間うちで野合したのが狼どもの国際法でした。 そのため、狼どもの国際法は、かって植民地であった国には受け入れがたい場合が多々ありました。1961年、インドは狼ど もの国際法に反旗を翻してポルトガル領のゴアを接収しました。 しかし、このとき世界的にインドを非難したのは少数にとどまり、多くの新興国は「反植民地主義の直接行動」としてイン ドの行動を支持しました。世界の潮流は、狼どもの国際法に適合するかどうかを問題にするのではなく、それをいかに克服す るのかを課題にするようになりました。
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88 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載禁止[]:2014/05/14(水) 02:05:18.63 ID:JZE9pvvp - マンセー名無しさん:2013/09/12(木) 22:54:37.57 ID:pAFLR7Ub こうした視点からすると、日本の竹島=独島編入が狼どもの国際法に適合したかどうかを議論するのはどれだけ意味があるの
か疑問です。しかし、そうした道義を欠いた狼どもの国際法によってすら、日本による竹島=独島の領土編入は疑問です。それ は、韓国側の主張によれば竹島=独島が無主地でなく大韓帝国領であったうえに、編入の時点では武力征服でもなかったからで す。そうなると、狼どもの国際法にすら違反します。 無主地に関する問題ですが、鬱陵島周辺の石島が大韓帝国の統治下にあったことが勅令41号(1900)により明確にされました。 これに関するかぎり、日韓間において異論はないようです。勅令は官報で公表され、しかも周辺諸国との間になんらの紛争や異 見がなかったので、韓国が石島を統治していたことは明白です。 石島が竹島=独島であるという韓国の主張が有効なかぎり、勅令が日本の竹島=独島編入より前であるだけに、日本の立場は 国際法上不利です。そうなると、当時の竹島=独島は日本の領土編入以前から周辺国と何らの領土紛争もないまま大韓帝国の統 治下にあり、そのうえ同島へ鬱陵島の韓人が往来していたので、大韓帝国の実効支配下にあったということになります。そうな ると、日本の無主地編入という名分は成り立たず、領土編入は当初から無効だったという結論になります。 半月城教授GJ! 半月城教授GJ! 半月城教授GJ!
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