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【竹島問題】「石島=独島」を否定する”韓国側”の資料を兵庫の会社員が公開・・・専門家も注目★2[02/22]
434 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:02:47 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 :
ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【竹島問題】「石島=独島」を否定する”韓国側”の資料を兵庫の会社員が公開・・・専門家も注目★2[02/22]
435 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:03:31 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


【竹島】日本外務省「韓国は竹島を不法占拠」★2[04/09]
646 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:04:20 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【竹島】日本外務省「韓国は竹島を不法占拠」★2[04/09]
647 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:05:01 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【竹島】 「韓国の独島領有権、歴史資料と国際法が証明」〜ソウルで独島学術大討論会開催★2[05/30]
18 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:05:40 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【竹島】 「韓国の独島領有権、歴史資料と国際法が証明」〜ソウルで独島学術大討論会開催★2[05/30]
21 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:06:43 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【日韓】 「独島微生物宇宙実験」で韓日間にいかなる異見も葛藤もなかった〜韓国当局発表[04/12]
323 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:07:54 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【日韓】 「独島微生物宇宙実験」で韓日間にいかなる異見も葛藤もなかった〜韓国当局発表[04/12]
324 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:08:20 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【東京】日本の極右、「竹島は日本の領土」〜李明博大統領宿舎の帝国ホテル前で叫ぶ[04/22]
398 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:09:23 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【東京】日本の極右、「竹島は日本の領土」〜李明博大統領宿舎の帝国ホテル前で叫ぶ[04/22]
399 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:10:04 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【竹島】独島研究センター、日本外務省の独島領有権主張に反論[04/22]
414 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:10:37 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【北朝鮮】労働新聞「日本の独島強奪策動を注視」「領土膨張と朝鮮再侵攻に目の色を変えた日本」[04/25]
372 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:11:48 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【北朝鮮】労働新聞「日本の独島強奪策動を注視」「領土膨張と朝鮮再侵攻に目の色を変えた日本」[04/25]
373 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:12:34 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/



【島根県】ふるさと納税制度、寄付金の第1号 「竹島(韓国名・独島)の領土権確立に向けた活動への活用を希望」 [04/26]
115 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:13:13 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【島根県】ふるさと納税制度、寄付金の第1号 「竹島(韓国名・独島)の領土権確立に向けた活動への活用を希望」 [04/26]
116 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:13:55 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


【韓国】「あの人はいま」 盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領[04/29]
295 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:14:46 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【韓国】「あの人はいま」 盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領[04/29]
296 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:15:26 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


【水産庁】第11回日韓漁業共同委員会・第1回課長級協議の開催について[04/29]
302 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:16:25 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【水産庁】第11回日韓漁業共同委員会・第1回課長級協議の開催について[04/29]
303 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:16:59 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【水産庁】第11回日韓漁業共同委員会・第1回課長級協議の開催について[04/29]
304 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:17:38 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【韓国】EEZに豚の糞尿などを廃棄した船員、ガスで窒息して2人死傷[05/02]
947 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:18:23 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【韓国】EEZに豚の糞尿などを廃棄した船員、ガスで窒息して2人死傷[05/02]
948 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:19:05 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【竹島】 江戸幕府、小笠原群島の領有権主張に「独島=朝鮮領」地図を利用していた〜保坂祐二教授[05/02]
526 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:19:35 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【竹島】 江戸幕府、小笠原群島の領有権主張に「独島=朝鮮領」地図を利用していた〜保坂祐二教授[05/02]
527 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:19:56 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


【竹島】 竹島を日本領と記載した米国製世界地図(1967年版)、島根県に寄贈[05/05]
241 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:20:32 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【竹島】 竹島を日本領と記載した米国製世界地図(1967年版)、島根県に寄贈[05/05]
242 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:21:48 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【韓国】 盧ストラダムス、ノ・ムヒョンの予言?「ハンナラ党が政権取ったら悲惨」〜牛肉波紋で注目[05/04]
281 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:22:24 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【韓国】 盧ストラダムス、ノ・ムヒョンの予言?「ハンナラ党が政権取ったら悲惨」〜牛肉波紋で注目[05/04]
282 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:22:56 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【韓国】 ネチズン、‘狂牛病’波紋で盧武鉉前大統領懐かしむ「もう一度大統領に・・・」[05/04]
484 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:24:20 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【韓国】 ネチズン、‘狂牛病’波紋で盧武鉉前大統領懐かしむ「もう一度大統領に・・・」[05/04]
485 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:25:00 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【韓国】 ネチズン、‘狂牛病’波紋で盧武鉉前大統領懐かしむ「もう一度大統領に・・・」[05/04]
486 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:26:12 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【竹島】 「李明博独島放棄説」どこから始まったのか〜金元雄(キム・ウォヌン)議員の記者会見が発端[05/05]
175 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:27:17 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【竹島】 「李明博独島放棄説」どこから始まったのか〜金元雄(キム・ウォヌン)議員の記者会見が発端[05/05]
176 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:27:58 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


【韓国】秀吉の朝鮮侵略、日韓併合、朝鮮戦争に並ぶ国難で韓国は衰亡へ?「鄭道伝の予言」に関心高まる [05/05]
715 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:28:37 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【韓国】秀吉の朝鮮侵略、日韓併合、朝鮮戦争に並ぶ国難で韓国は衰亡へ?「鄭道伝の予言」に関心高まる [05/05]
716 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:29:03 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【韓国】「政府が独島を放棄した」、メール怪談が拡散〜警察が発信源の調査に着手[05/06]
175 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:29:44 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【韓国】「政府が独島を放棄した」、メール怪談が拡散〜警察が発信源の調査に着手[05/06]
176 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:30:10 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【日韓】李大統領は独島の放棄も”実用関係”?・・・盧前大統領の”独島名演説”とは大違いだ[05/06]
473 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:30:44 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【日韓】李大統領は独島の放棄も”実用関係”?・・・盧前大統領の”独島名演説”とは大違いだ[05/06]
474 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:31:22 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【韓国】 ネットで飛び交う根拠のない噂〜「牛肉エキス入りスープでBSE感染」→「水道料金が高騰」「独島占有権を放棄する」[05/07]
135 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:32:11 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【韓国】 ネットで飛び交う根拠のない噂〜「牛肉エキス入りスープでBSE感染」→「水道料金が高騰」「独島占有権を放棄する」[05/07]
136 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:32:42 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【日韓】重家駐韓日本大使「独島問題には日本の立場がある、我々の役割は協力の強化」[05/09]
103 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:33:15 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【日韓】重家駐韓日本大使「独島問題には日本の立場がある、我々の役割は協力の強化」[05/09]
104 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:33:48 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【竹島】 ハワイ大ヴァン・ダイク教授「独島領有権、国際司法裁判所に出ても韓国が勝つ可能性大きい」★2[05/08]
954 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:34:40 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【竹島】 ハワイ大ヴァン・ダイク教授「独島領有権、国際司法裁判所に出ても韓国が勝つ可能性大きい」★2[05/08]
955 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:35:14 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【竹島】独島に駐在職員2人を新たに配置[05/12]
578 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:35:54 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【竹島】独島に駐在職員2人を新たに配置[05/12]
579 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:36:45 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【竹島】島根県、竹島領有の市民講座を解説[05/12]
114 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:37:28 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

【竹島】島根県、竹島領有の市民講座を解説[05/12]
115 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:38:10 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題2 2008/ 5/31 13:36 [ No.16729 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中から
それを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。
1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ち
ました(注4)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有
権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三
国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してく
れ、といった。
  私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマ
ゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的か
らだ。
  それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本に
おいて独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させる
ダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰
る、このような話をしたことがあります。
 (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反
対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、
朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。
  韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領に
もありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の
歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
  その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条
例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本
を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
  その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句に
して修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武
鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでに
あり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
  http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
  この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

【韓国】「日本に独島売った」 韓国ネット界デマだらけ&炎上…1万人規模のデモも★2[05/12]
394 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/06/01(日) 17:38:34 ID:K7Dftsst
日韓会談における竹島=独島問題1 2008/ 5/31 13:34 [ No.16728 / 16733 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大
平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反
応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
 日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談
で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停
機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の
間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注
1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府とし
ては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して
  韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなっ
たので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題
なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題まで
が論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、
一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にか
んがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解
決策を研究してほしいと述べた。
  日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これ
は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を
予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることにな
り、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては GOOD OFFICE,
MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方
法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
  また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式
が良いという立場を表明した(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわか
ります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しまし
た。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました
(注3)。
  結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ
預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相
は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言
いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

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