トップページ > 東アジアnews+ > 2007年01月16日 > sMaKw2dg

書き込み時間帯一覧

時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数000000004000100000009001933



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん【中国/東トルキスタン】 ウイグル人「公開処刑パレード」、「核実験場の奇形乳児」〜一番のテロリストは中国の共産主義者 [11/22]
【韓国】盧武鉉大統領の公式夕食会欠席は、安倍首相との「神経戦」による過労のせい [01/15]
【国内】「朝鮮学校の生徒には受験資格がない」…玉川大学、一般入試で朝鮮学校生の受験を拒否[1/16]
【中国/コラム】次世代DVD戦争に殴り込み・中国独自規格に勝ち目はあるか[01/09]
【日中】南京大虐殺記念館館長が「中国兵百人斬り」訴訟でコメント「右翼の企みは達成されなかった」[12/30]
【日中】 歴代首相2世ら6人、唐国務委員と会談〜「経世会」人脈に秋波を送ったとの見方も [01/11]
【中国】中国経済の難問と政府の責任[01/10]
【中国】 新華社通信、日本の防衛省発足を厳しく批判〜「平和国家の組織構造変え、北東アジアの軍事バランスに影響与える」[01/10]
【中国】中国が独立派18人殺害 新疆ウイグル自治区[01/09]
【中国】去年、世界銀行から14億ドルの融資。都市の建設、インフラ施設と新農村の建設などに使用[01/10]

その他3スレッドすべて表示する

書き込みレス一覧

【韓国】盧武鉉大統領の公式夕食会欠席は、安倍首相との「神経戦」による過労のせい [01/15]
812 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 08:45:38 ID:sMaKw2dg
ノムチャンはやく中狂の属国になれば楽になるよ
【中国】去年、世界銀行から14億ドルの融資。都市の建設、インフラ施設と新農村の建設などに使用[01/10]
20 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 08:48:17 ID:sMaKw2dg
「 悪夢のような中国進出の実例 」@
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【中国】去年、世界銀行から14億ドルの融資。都市の建設、インフラ施設と新農村の建設などに使用[01/10]
21 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 08:48:59 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【中国】去年、世界銀行から14億ドルの融資。都市の建設、インフラ施設と新農村の建設などに使用[01/10]
22 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 08:49:40 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【社説】バンク(VANK)−60億人が「友人の国、韓国」を愛するようになるという信念の元に… [07 1/16]
70 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 12:17:19 ID:sMaKw2dg
万年属国の糞チョンは哀れ
【中国】中国が独立派18人殺害 新疆ウイグル自治区[01/09]
212 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 20:17:00 ID:sMaKw2dg
「 悪夢のような中国進出の実例 」@
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【中国】中国が独立派18人殺害 新疆ウイグル自治区[01/09]
214 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 20:17:55 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【中国】中国が独立派18人殺害 新疆ウイグル自治区[01/09]
215 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 20:18:37 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【中国】中国国務院メディア責任者:外国メディアの中国報道、ネガティブ内容多すぎる[1/1]
137 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 20:19:20 ID:sMaKw2dg
「 悪夢のような中国進出の実例 」@
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【中国】中国国務院メディア責任者:外国メディアの中国報道、ネガティブ内容多すぎる[1/1]
138 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 20:19:59 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【中国】中国国務院メディア責任者:外国メディアの中国報道、ネガティブ内容多すぎる[1/1]
139 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 20:20:32 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【中国】 新華社通信、日本の防衛省発足を厳しく批判〜「平和国家の組織構造変え、北東アジアの軍事バランスに影響与える」[01/10]
280 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 20:55:47 ID:sMaKw2dg
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【中国】 新華社通信、日本の防衛省発足を厳しく批判〜「平和国家の組織構造変え、北東アジアの軍事バランスに影響与える」[01/10]
281 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 20:56:26 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【中国】 新華社通信、日本の防衛省発足を厳しく批判〜「平和国家の組織構造変え、北東アジアの軍事バランスに影響与える」[01/10]
282 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 20:57:02 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【国内】「朝鮮学校の生徒には受験資格がない」…玉川大学、一般入試で朝鮮学校生の受験を拒否[1/16]
596 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:29:17 ID:sMaKw2dg
まっとうな大学です。
【日中】南京大虐殺記念館館長が「中国兵百人斬り」訴訟でコメント「右翼の企みは達成されなかった」[12/30]
264 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:42:44 ID:sMaKw2dg
「 悪夢のような中国進出の実例 」@
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【日中】南京大虐殺記念館館長が「中国兵百人斬り」訴訟でコメント「右翼の企みは達成されなかった」[12/30]
265 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:43:19 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【日中】南京大虐殺記念館館長が「中国兵百人斬り」訴訟でコメント「右翼の企みは達成されなかった」[12/30]
266 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:43:54 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【中国】中国経済の難問と政府の責任[01/10]
32 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:44:29 ID:sMaKw2dg
「 悪夢のような中国進出の実例 」@
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【中国】中国経済の難問と政府の責任[01/10]
33 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:45:06 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【中国】中国経済の難問と政府の責任[01/10]
34 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:45:42 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【中国/コラム】次世代DVD戦争に殴り込み・中国独自規格に勝ち目はあるか[01/09]
208 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:46:22 ID:sMaKw2dg
「 悪夢のような中国進出の実例 」@
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【中国/コラム】次世代DVD戦争に殴り込み・中国独自規格に勝ち目はあるか[01/09]
209 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:46:55 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【中国/コラム】次世代DVD戦争に殴り込み・中国独自規格に勝ち目はあるか[01/09]
210 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:47:34 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【日中】 歴代首相2世ら6人、唐国務委員と会談〜「経世会」人脈に秋波を送ったとの見方も [01/11]
47 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:48:44 ID:sMaKw2dg
「 悪夢のような中国進出の実例 」@
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【日中】 歴代首相2世ら6人、唐国務委員と会談〜「経世会」人脈に秋波を送ったとの見方も [01/11]
48 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:49:19 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【日中】 歴代首相2世ら6人、唐国務委員と会談〜「経世会」人脈に秋波を送ったとの見方も [01/11]
49 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:49:56 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【中国/東トルキスタン】 ウイグル人「公開処刑パレード」、「核実験場の奇形乳児」〜一番のテロリストは中国の共産主義者 [11/22]
561 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:50:59 ID:sMaKw2dg
「 悪夢のような中国進出の実例 」@
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【中国/東トルキスタン】 ウイグル人「公開処刑パレード」、「核実験場の奇形乳児」〜一番のテロリストは中国の共産主義者 [11/22]
562 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:51:33 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【中国/東トルキスタン】 ウイグル人「公開処刑パレード」、「核実験場の奇形乳児」〜一番のテロリストは中国の共産主義者 [11/22]
563 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:52:10 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。

【自動車】NECエレクトロニクス、中国・上海交通大学に実験室 カーエレ研究支援[01/12]
26 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:52:59 ID:sMaKw2dg
「 悪夢のような中国進出の実例 」@
安倍晋三首相の訪中を機に、日本の技術、経営手法、資本を求める中国側の働きかけが
熱を帯びている。
そこで、中国進出を熱心に説かれ、約5年間を彼の国で頑張ったある東北の企業の実例
を見てみたい。
「旭エンジニアリング株式会社」は資本金2,500万円、社員75名の農機具メーカーだった。
現在は自動車生産用のロボットを中心とする精密機械製造に重点を移しているが、当時は
農機具が主力である。
オーナー社長の藤沼弘文氏は、これまでの30年余にわたる会社経営のなかで、会社側の都合
で社員をクビにしたことは一度もないという。
「社の業績が悪いときには、たとえば20万円の給料を19万円にして皆で我慢して切り抜ける。
会社が盛り返せば、また、給料を上げることも出来る」と氏は語る。
こうした考えを守ってきた旭エンジニアリングには、その社風故に、親に続いて就職し
てくる二世もいる。
日本的な配慮を尽くす藤沼氏だが、押しよせる国際競争の波に直面して、90年代はじめ、
賃金の安い海外に生産拠点を作ろうと思い始めた。
「バブル崩壊前の90年代のはじめ頃から、海外の拠点探しを始めたんです。日本だけで
生産していては、コストが高くて競争力がない。そこでまず、チェコに行きました。
農機具をはじめ、機械分野ではドイツメーカーの下請け企業が多くあったからです」と藤沼氏。
しかし、当時のチェコは実質的にはまだ共産圏だ。輸出入に規制がありすぎた。イタリアにも
ドイツにもアジア諸国にも行った。
そのとき、大手総合商社、丸紅の担当者が中国進出を誘ったのだ。
氏は歴史問題などについての中国のやり方を好ましく思わず、乗り気ではなかったが
一応説明に耳を傾けた。
中国なら大体何でも出来る、丸紅も助言出来る、通訳を含めて現地での便宜をはかって
くれる人物も紹介すると説得され、氏は96年、中国進出を決めた。

【自動車】NECエレクトロニクス、中国・上海交通大学に実験室 カーエレ研究支援[01/12]
27 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:53:33 ID:sMaKw2dg
反故にされる契約A
紹介された通訳は韓国生まれの中国人だった。氏は通訳を連れて幾つかの候補地を視察し、
中山威力集団工業公司に行きついた。中山は香港から珠海を経由して、さらに車で5時間
ほど走る経済開放区である。
そこには釣具のオリムピック社なども進出していた。
藤沼氏はその一区画を紹介された。
「建物はありましたがガランドウ。そこに日本から持ち込んだ機械を据えて農機具を作る
のですが、農家の庭先で作業するような感じでした。
ただ、人間だけはもの凄く押し寄せてくる。
日本なら一人分の作業に大袈裟でなく10人も20人も来る」
幾つもの宴会を経て、96年暮れに契約が成立、最も簡単な田を掘る機械を作らせた。
社員4人を派遣し指導に当たらせたが、なんと、中国人社員は650人にのぼった。
ようやく3年目に生産開始となったとき、氏は心底驚いた。値段が当初予定より数倍も
高かったのだ。
「田の土掘り機を、私は手始めに1,000台発注したのです。彼らは当初、1台3万円で
作ると言っていたのが、少なくとも3倍だというのです。
中国側に部品製造の機械の図面を渡し、金型を貸与し、社員を送り込んで指導してきたこ
とへの支払いは一切なし。
おまけにそんな高値です。これでは日本で造る方がいい。私が怒っても、通訳は伝えてくれない。
通訳は雇い主の私の側ではなく、中国側に立っていたのです」
こんなこともあった。
「目標の農機具を作るのに、中国ではどうしても作れない部品がありました。1台につき
その部品4個が必要で、私は日本から4,000個、送りました。
ところがそれが紛失した。納期に間に合わない。仕方なく、至急、同じものをもう一度送ると
連絡したら、中山威力集団工業公司の担当者らは、2週間待ってくれ、同じものを中国で
調達すると言う。冗談じゃない。これはわが社の技術の粋を集めた部品です。逆立ち
しても中国にはないんだと言っても、彼らは大丈夫だと言い張るのです」
2週間して出てきたのは旭エンジニアリングが送った部品だった。腹に据えかねた藤沼社長は
公安当局に訴えると言った。
すると通訳が、怒ってはならない、日本は日中戦争でひどいことをしたじゃないかと窘めた。
氏は冒頭で紹介したように極めて日本的な人情に厚い人物で、日本の歴史にも詳しい。
そこで日中戦争は日本ばかりが悪かったわけではないと猛烈に主張した。
南京大虐殺も中国が戦後になって言い出したと、具体論を展開した。
中国側は藤沼氏の勢いに押されて、当局への訴えはなしにしてくれと申し入れてきた。

【自動車】NECエレクトロニクス、中国・上海交通大学に実験室 カーエレ研究支援[01/12]
28 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2007/01/16(火) 23:54:12 ID:sMaKw2dg
欠陥製品は“日本の陰謀”B
スッタモンダの末に、農機具が出来上がり、第一陣が日本で販売されると、途端に苦情
が殺到した。再び信じ難い事態がおきていた。
農機具のネジはトルクレンチという工具を使い、適正な圧力で締める。圧力が不足しても
強すぎても問題が発生する。ところが中国人は圧力を加減せず、力一杯締めてネジを
切っていた。
それを隠すために、新聞紙を巻いてハンマーで叩き、塗料を塗ってごまかしていた。
これは目視検査ではわからない。
こんな欠陥製品が市場に出たのだ。ユーザーは入れた燃料が漏るのに気がついた。
苦情を受けて分解すると、ネジ山がつぶれ、折れていた。説明を求めると、中国側は言った。
「我々はそんなことは絶対していない。日本人の仕業に違いない」と。
藤沼氏は呆れはて、ネジの欠損を埋めるのに使用された新聞紙を広げて写真に撮って、
突きつけた。
「中国語の新聞じゃないか。これでもシラを切るのか」と。
それでも、彼らは言い張った。「日本人の陰謀だ」と。
この一件で、藤沼氏の心は最終的に決まったという。持ちだした費用はすでに3億円を超えていた。
中堅企業には痛手である。
しかし、「もういい」と氏は考えた。そして機械類の撤収の準備を始めると中国側が
待ったをかけ、通訳も言った。
「この機械は置いていってやれ」
中国側は機械の代金を支払うわけでもない。藤沼氏は断った。すると、当局が機械の
「輸出許可を出さない」と言い始めた。
「わが社が中国側に貸与する契約で持ち込んだのに、日本に持ち帰ろうとすると、
彼らは許さないと言い始めた。大切な機械や技術、金型をみすみす盗まれてなる
ものですか。私は社員と一緒に、主要な部品や金型の全てを破壊しました」
藤沼氏は中国人労働者のなかの優秀な人材を6名ほど日本に呼び、勉強させ、技術
を伝授した。中国に戻った彼らは、しかし、全員が他企業に高い給与を求めて移っていった。
中国から最終的な引き揚げが完了したのは2000年のことだ。
足かけ5年、氏が体験した中国の本質は、今も変わっていない。



※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。