- 【保守の怒り】皇室問題を語る【疑問と不満】part64
692 :朝まで名無しさん[sage]:2013/10/30(水) 12:33:34.52 ID:OsWqoiST - >>604>>610>>611>>624
ありがとう。 クラレの話知らなかった…クラリーノ買ったことありますorz 妹結婚時、第二水俣病の発生はまだですが、 前兆の魚大量死事件はすでに起きているので、 正田家もそういう負の面は承知で縁組したのでしょう。 http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/teigensyo_01.pdf 1)1959(S34)年のカーバイト残渣捨場決壊 1959(S34)年1 月にカーバイト残渣捨場が崩壊し、阿賀野川に流出した ことによる川魚の大量死は、しばしば新潟水俣病の発生の前兆として語ら 12 れる。流れ込んだカーバイト残渣が鰓に詰まって川魚が窒息死したもので、 阿賀野川の川魚はこの事件でほとんど全滅した。この件では昭和電工から 阿賀野川漁協協議会に2,400 万円の補償金が支払われている。この仲介を したのが新潟県である。その後、阿賀野川では川魚が捕れなくなったが、 1963(S38)年から1964(S39)年にかけては豊漁となった。豊漁の時期は、 昭和電工がアセトアルデヒドを増産した時期と重なっており、この時期の 川魚の多食は新潟水俣病に罹患するリスクが最も高いものだったと思われ る(図1)。1964(S39)年11 月に、新潟市の住民が原因不明の神経疾患で 新潟大学附属病院脳神経科に入院している。そして1965(S40)年に新潟水 俣病発生が公式発表されたのである。
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