- 日の丸・君が代 総合スレ Part55
31 :朝まで名無しさん[sage]:2011/12/27(火) 00:04:08.91 ID:aGHwzxOq - >>24
>まずは合意 おお!w まさにその通りです! そこにこそ、重大なカギがあります。 7匹の子ヤギは、お母さんでない限り、戸をあけてはいけないという「言いつけ」を守るわけですが、 お母さんヤギが出かける前に、(お母さんでない)知らない「侵入者が来たら《撃退》しなさい」と言い残すようなものでしょう。 自分たちのためにも(また不在である母ヤギの爲にも)、『その家』(=国家)は守られねばなりません。 単なる不審者であれば、声を掛けるだけで退散するかもしれません。 しかし、斧や山刀を持って、その家の乗っ取りに来ていたらどうしましょう。 7匹は力を合わせて侵入者を撃退しなければなりません。 野球に「犠打」というものがあります。そうした手段が必要な状況が発生しないと、誰が保障できるのでしょう? (だから、口酸っぱくスイス政府の姿勢を観察してみろと言うのです。) 勿論、命の犠牲まで行くことは稀有ではありましょう。 が、「肉を切らせて云々」というケースがゼロだと言い切れますか? 参:ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4830421 (コメ番1120が端的に言い表してるがw→「これは死ななければ敵は倒せるって事の模範か」) 或いは、http://toro.2ch.net/test/read.cgi/news2/1322925206/708 > なんで、この手の人たちは > ≪【「命令される」という状況】しか思いつかない≫んだろう?w 或いは、(手塚のブッダ中にもあったがw)月に兎が居る理由とか 或いは、あまりにも有名な捨身飼虎とか、或いは、三陸高田でアナウンスを続けた女子職員とか・・・ いずれにしろ、 ・「自分が所属する共同体を敵視しかできない思考」 ・「自分たちを拘束し、抑圧するものとしか見れない思考」 ・「自分たちに不利益な要求をするものとしか見れない思考」 ・「自分たちに対する不利益しか創出しないと見る思考」 が健全だとはとても思えません。
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35 :1/2[sage]:2011/12/27(火) 00:54:28.77 ID:aGHwzxOq - (全くのw)別件で作文してあったものを燃料として貼ってみる。
酒のツマミにでもしてくれw (多少言い回しとか変えたが、ほぼそのまま) たとえば1艘の舟に3人が乗り合わせたとする。突如一人が刃物を持ち出し、 「荷物を置いて舟を降りろ!」と言い出したとする。 この時どうするか? 仏教的には、「それは、これこれこういう理由で宜しくない、悪しきことですよ」とか、 「貴方も含め皆にマイナスですよ」とか、或いは「やめなさい。これこれこういう報いがありますよ」 とまあ、色々中身はありそうだが、声はかける。 それだけ。 それで思いとどまってくれればいいが、世の中そういうものでもない。自分に襲い掛かってくるかもしれない。 もう一人に襲い掛かるかもしれない。 どうするか? もう一人は抵抗するだろう。刃物の者の殺害も辞さないだろう。 仏教的には、(今は極論での思考実験だから) ≪究極的には、「理屈・理念・理想・狭義・(或いは建前)」の上では≫そこで手を出してはならない。 たとえ、もう一人が命を奪われることになったとしても(!)。 或いは、犯人が排除されたはいいが、その騒ぎで船が沈むことになったとしても、 それでも、見ているだけ。 なぜか? 他を害してはならないから。
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36 :2/2[sage]:2011/12/27(火) 00:58:56.24 ID:aGHwzxOq -
勿論、「害せしめてもならない」わけだが、かといって、害することが許されるわけではない。 免罪符となるわけではない。(悪業は自身の中に積まれることになる。背負うべき十字架ともなる。) 自らの行為の中にそれがあってはならないから。(三種の浄肉も相似した扱い。) もしここで、その刃物の者を害すれば、船から落とすとか怪我をさせて動けなくするとかすれば、それは仏教的自戒に反する。 刃物の者にも事情はあるだろう。捨身飼虎の如く、仏教的には、他を害してはならない。 (法句譬喩経護戒品にある、砂漠を渡る二人の比丘も同様)。 「私の荷物と命をあげるから、もう一人には何もしないでください」とは言える。 (自身を犠牲にすることは可とされる、取り得る一つの方法としても)、 理念として手を出さず、聖なる価値観と自らの戒めを厳守することは(≒「傍観すること」は)、 『仏教的には』正しいが、『[人の世の]倫理道徳』としては明らかに悪しき判断。間違いなく非難に値する。 (勿論、現実問題としては何らかのアクションが取られるし取るべきだが・・・)。 こういうジレンマを聖俗の境界は持っている。 だから、畢竟『己の自覚の問題』。(参:「婦人と、河を渡る二人の僧」のたとえ話) 同じ舟に乗り合わせ、価値観が違う場合、仮に自分は何も拘らないし不安もないし何の抵抗もなかったとしても、 「一緒に沈みましょう」 ではいけない。 自爆テロが非難されるべき一点はココ。 また、チベットやビルマでの焼身自殺と各種テロとの違いの一つもココ。 主張や抗議等の際、(それが社会的事案ならば特に)、必ず何らかの形で他を巻き込んでしまう。 そこを無視してはならない。しっかり見なければならない。 ・・・(自ら殺してない/殺すところを見ていない/自分のためでない)
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37 :朝まで名無しさん[sage]:2011/12/27(火) 01:05:19.21 ID:aGHwzxOq - で、
左巻きの方々は、まさに、>>36中の 『 >「一緒に沈みましょう」 』 を地で行っているわけです。 (これもまた、「“自身の実践する無抵抗”を他者にも実践させる形での“強要”」でなくて何でしょうか・・・。)
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38 :朝まで名無しさん[sage]:2011/12/27(火) 01:13:20.90 ID:aGHwzxOq - あ、36の最後一行は「三種の浄肉」の説明。 削除するつもりが忘れてた・・・ orz
寝るw ノシ
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44 :朝まで名無しさん[sage]:2011/12/27(火) 21:02:12.79 ID:aGHwzxOq - 混ぜっ返そうか?w >>43
宮川意見読んだ。 7割は、「ハァ?(゚д゚) バカジャネ?」という感想。 2割は、「その視線も妥当ではあるな・・」という感想。 1割は、「その通りだね」という感想。 総じて言えば、 ・関連案件(処分の妥当性及び命令の出し方等の妥当性)について「逸脱(違憲)」であるという考えだという表明であり、 ・起立が職務上強制されることは「思想の侵害」(―敢えて“自由”の文字は抜いた―)に当たり、 不起立は、思想の自由に鑑みて許容されるべきである というものだ。 しかし、期待していた具体性は無く、寧ろ多くの不起立論者同様、 「抽象的理念の崇高さ、重要性をアピール」するのみで、 肝心の「現場に即した具体的対応がどうあるべきか」「“崇高な理念”と“実務”との摺り合わせの模索」 といった方向性が弱かったのが残念だった。その意味では、最後の「段落5」だけで十分だ。 ※ただ、段落4の末尾、≪都教委の意図は、「反日の丸・反君が代思想の炙り出し」ではなかったか?≫ という指摘は、大いに耳を傾けておくべきだろう。 さて、今度は、前スレでも紹介されていた宮川意見称賛ブログの方を読んでみよう。 気が向いたら、また一言二言感想書くかもしれない。(書かないかもしれないw)
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