- 【保守の怒り】皇室問題を語る【疑問と不満】part26
599 :朝まで名無しさん[sage]:2011/08/22(月) 13:43:17.74 ID:bJ9r4v2R - 「世紀の恋」スクープ秘話 週刊現代1993.1.23
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234256255988.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234256304448.jpg 雅子さんを翻意させた皇后の一言と4人の小泉信三 一途に思いを寄せられる皇太子。なかなか決断に踏み切れないでいる小和田雅子さん…。 そんなお二人の婚約実現に、終始イニシアチブを取られたのは、美智子皇后だった。 「昨年春意向、重田保夫侍従次長が、皇后さまと再三、数時間にわたって話しこんでいたのは周知の事実です。 重田さんは人事院出身。皇后が全幅の信頼を置いている人です。 夏ごろには、皇后の口から『お妃問題は重田さんにおまかせしています』 という言葉が聞かれたぐらいです。」(宮内庁関係者) 皇后は、雅子さんに寄せる皇太子のお気持ちが変わらないことを知り、側近の重田氏に、小和田家との接触を依頼したのだ。 「重田氏は、天皇家の考えを伝えるメッセンジャーの役目を担ったんです。雅子さんの父親の小和田恒氏にもたびたび会っています。 重田氏本人に、皇后さまとの会談の内容を聞いても、『政治状況や事件の見通しを話しただけ』としか言いませんが、 秋ごろ『年内には、懸案のことがほぼ解決します』と洩らしました。 このころ、お二人の婚約の目処がついたんだと思います。 いずれにしろ、宮内庁から小和田家への連絡はすべて重田さんに一任された形でした」(前出・宮内庁関係者)(30p)
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600 :朝まで名無しさん[sage]:2011/08/22(月) 13:43:59.74 ID:bJ9r4v2R - 「世紀の恋」スクープ秘話 週刊現代1993.1.23
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234256255988.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234256304448.jpg 雅子さんを翻意させた皇后の一言と4人の小泉信三 そんな雅子さんの心を動かしたのが、皇后の一言である。 「皇后は、皇太子の気持ちをよくご存じで、積極的にお動きになった。 おそらく、雅子さんは、11月ころには7〜8割方決心を固めていたが、まだ迷いもあったと思う。 だが、12月20日前後に、美智子皇后が鎌田氏の自宅で雅子さんとお会いになって、 『何も心配することはありません。私も”手鍋下げて”といわれて嫁いできたのですよ』と説得された。 これが決定的なパンチになったんです」(皇室ジャーナリスト) 皇后は、別世界に飛び込むことになる雅子さんの不安と心配の種を取り除こうと一生懸命で、この熱意と誠実さが雅子さんを決断させたのである。(中略) 「雅子さんは仕事を取るか別世界に嫁ぐか悩んだでしょうが、皇后が気持ちを和らげられ『誠実で自分の意見をしっかり持っていれば、何も問題はありません』といわれたようです。 それが、結局、雅子さんを最終的に決断させたんですね」(皇室番記者) 皇后は、陛下の昨年12月23日の誕生日の記者会見の際、 「近ごろ、皇太子殿下は積極性が出てきたようです」と目を細められた。 このとき、すでに雅子さんの決意を聞き、内心のお喜びがあふれ出たのだろう。 「天皇の誕生日を間近に控えたころ、皇族が集まったり、皇太子と天皇皇后両陛下が話し合われる姿が頻繁に目撃されたり、注目すべき動きがいといろあった。 そして、陛下が、『いい誕生日を迎えられた』洩らされたという話が伝わってきた。 之をきいて、皇太子妃決定が年明け早々だろうと確信しました」(前出・宮内庁関係者) 前出の重田氏も、12月ころから会議を突然欠席するなど、慌しい動きがあった。 そして25日、雅子さんが赤坂御所に両陛下を訪ね、正式ご婚約が内定した。 もちろん、お二人が、ご自分で決断されたご結婚であることは間違いないが、 その影には、皇后様始め、関係者の隠れた支援があったのである。(31p)
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607 :朝まで名無しさん[sage]:2011/08/22(月) 17:53:33.77 ID:bJ9r4v2R - 日本のマスコミも皆掴んでいたが報道協定に縛られて報道できなかっただけ。
「世紀の恋」スクープ秘話 週刊現代1993.1.23 http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234256304448.jpg ワシントンポスト紙の記事が東京から出稿されたのが、6日の午後早い時間。 夕方にはそれを知った新聞、テレビ、雑誌が騒然となった。 実は日本のマスメディアもすでに動いてはいた。 5日夜には3人だった小和田邸前の報道陣は、6日に入り、15人前後になり、 6日午後6時半には50〜60人に急増した。 そしてCNNでもこのニュースの放映を決めたという情報が走った。 ここに至って新聞協会も午後8時45分に「協定」を解除、あとはご存じの通りである。(33p) 「この三が日の間にいろんなところから小和田さんで決まりらしいという話を聞きましたが、まさかと思っていました。 5日にお電話をかけたときはもうずっと電話は話し中。 『本当におめでとうございます』とFAXだけはお送りしました」(指揮者・堤俊作氏)(33p) >実は日本のマスメディアもすでに動いてはいた。 >5日夜には3人だった小和田邸前の報道陣は、6日に入り、15人前後になり、 >この三が日の間にいろんなところから小和田さんで決まりらしいという話を聞きましたが ゲリラ入内など有りえない。
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