- 歴代死刑囚について語ろう〜確定七十三年目〜
348 :朝まで名無しさん[]:2011/02/07(月) 08:48:55 ID:rxFP12e8 - 永田死刑囚死亡、「事件の歴史に幕」と元捜査員
1971〜72年に大量リンチ殺人などを起こした元連合赤軍最高幹部の永田洋子(ひろこ) 死刑囚(65)が5日死亡したことで、永田死刑囚を知る関係者らからは「連合赤軍事件の 歴史は幕を閉じた」「自らの責任を掘り下げてほしかった」などの声が漏れた。 法務省の発表によると、永田死刑囚は5日午後10時6分、東京・小菅の東京拘置所で 多臓器不全により死亡した。84年に脳腫瘍の手術を受け、2006年には脳萎縮による 意識障害で寝たきりとなり、ここ1年間は意思疎通も困難な状態だった。 昨年9月以降、誤嚥(ごえん)性肺炎で治療中だった。 当時、群馬県警捜査1課指導官として取り調べを指揮した前橋市の鈴木万作さん(85) は「取り調べでは本当にしぶとく、最後まで『闘士』の顔を持った人だったが、病には勝て なかったのか」と振り返り、「連合赤軍事件そのものの歴史が本当に幕を閉じた」と、 かみしめるように話した。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110207-00000098-yom-soci
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351 :朝まで名無しさん[]:2011/02/07(月) 08:54:17 ID:rxFP12e8 - 永田洋子死刑囚が病死 連合赤軍の元最高幹部
1971〜72年に、群馬県内の山岳アジトなどで連合赤軍メンバーら14人を 死なせたとして、殺人罪などに問われ、93年に死刑判決が確定した元連合赤軍 最高幹部の永田洋子(ながた・ひろこ)死刑囚(65)が5日夜、多臓器不全の ため、収容先で死亡したことが法務省などへの取材で分かった。 永田死刑囚は大学在学中から新左翼運動に加わり、病院で薬剤師として勤務する かたわら、米軍基地撤去闘争などにかかわった。71年12月に赤軍派と合流して 連合赤軍が結成されると、最高幹部に就任した。 71年8月には組織から離脱した元メンバー2人を千葉県の印旛沼で殺害、遺体を 近くの山林に埋めた。同年12月から72年2月までの間、群馬県の榛名山や迦葉山 のアジトで「総括」と称し、メンバー12人に殴るけるの激しいリンチを加えて 死亡させた。 永田死刑囚は72年、捜索中の警察官に逮捕された。その後、同軍中央委員だった 坂口弘死刑囚らが長野県軽井沢町で「あさま山荘事件」を起こした。 永田死刑囚は、坂口死刑囚とともに82年6月、東京地裁で死刑判決を受け、86年 9月に東京高裁が控訴棄却。93年2月に最高裁が上告を棄却し、判決が確定した。 著書に、獄中で記した「十六の墓標」がある。 ◆元メンバー植垣氏「問題総括まだ…以前話していた」 元連合赤軍メンバーの植垣康博氏(62)は「10年以上前から、脳腫瘍の状態が悪く なり、最近では面会しても、誰が来たのか分からないほどだった」と語った。 植垣氏によると、意識がはっきりしていたころに永田死刑囚は「連合赤軍の問題の総括は、 まだまだ終わっていない。もっといろいろな問題を考えなければならない」と話していたという。 http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2011020602000011.html
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352 :朝まで名無しさん[]:2011/02/07(月) 09:09:51 ID:rxFP12e8 - 山岳アジトで坂口弘と離婚し、合同した赤軍派の森恒夫と結婚の
宣言をして仲間を驚かせる。 逮捕されてからは連合赤軍のメンバーで事件の被告として法廷でも 同席した植垣康男と恋愛関係にもあった。植垣が出所したあとは 支援者と結婚して、今は法的には人妻である。 永田の男遍歴をよくながめれば簡単な事実がわかってくる。 それは永田は常に傍らに男を必要としているということである。 さらにその相手は、常にその時もっとも永田にとって都合が良い、 たとえばもっとも権力をもっている男であることが多い。
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353 :朝まで名無しさん[age]:2011/02/07(月) 10:05:13 ID:rxFP12e8 - 2011年執行報告
1月26日 坂本春野 高知連続保険金殺人事件 病死(肝癌) 1月29日 熊谷昭孝 警察庁指定118号 病死(肺塞栓症) 2月 5日 永田洋子 連合赤軍事件 病死(脳腫瘍) 刑務官GJ
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