- 【お仕置きの部屋】京介 part2【お尻ペンの世界】
983 :小夜[]:2021/10/17(日) 00:03:27.85 ID:IWU2Wbjv - >>968
みんなさ‥本人に面と向かって言えないから、 こんなところに書いてたの、知ってる。 分かってるよ。
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985 :小夜[]:2021/10/17(日) 00:11:26.75 ID:IWU2Wbjv - >>955
ちょっとレベルの高い話だが、この勢いなら書けるw 京介さんに傷付けられたと語る人たち。 あなたたちは怒りを、心の中の真実な怒りを、真実に相手に向かって打ち明けることができなかったから、悪魔に機会を与えて利用されたんだ。 悪魔に機会を与えるな。 怒っても罪を犯すな。 悪魔こそ、人殺しだと、これも聖書に書いてある。 「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです」ヨハネ8:44
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986 :小夜[]:2021/10/17(日) 00:14:40.30 ID:IWU2Wbjv - >>984
消え失せろ、悪魔。 京介さんの顔を一度でも見た者で、 お前の立てたスレに書く者など、未来永劫居ない。 京介さんの心に触れたキー達を、 京介さんに躾けられたペット達を舐めるな。 呪われろ。
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988 :小夜[]:2021/10/17(日) 00:19:00.94 ID:IWU2Wbjv - ねえねえ、みんな軽ーく鞭打ちとか求めてるけど、
イエス様の受けたガチの鞭打ちの話でもする?
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990 :小夜[]:2021/10/17(日) 00:26:41.47 ID:IWU2Wbjv - ※これはコピペです
イエスは瀕死の重体に陥っていた。 しかしその体で重たい十字架を自分で担ぎ、処刑場であるゴルゴタの丘まで上らければならなかった。 途中、何度も何度も倒れた。イエスが上っていった道は「ヴィア・ドロローサ/悲しみの道と呼ばれ、今もエルサレムに行くとイエスが倒れた場所にモニュメントがある。 あまりにも衰弱したイエスは、十字架を担ぎ続けることが出来なくなった。ローマ兵はイエスの代わりにクレネ人シモンという男性に十字架を担がせた。 ゴルゴタの丘の頂きで、生きたまま、太い杭が容赦なくキリストの体を刺しとおし、体は十字架にくぎ付けにされた。 15センチ以上もある釘が、まず手首に打ち込まれた。 絵画の影響で多くの人が釘は手のひらに打ち付けられたと思っている。 しかし実際には手首だった。 手のひらに打ち付けても、体の重みで骨が砕けて受刑者は十字架から落ちてしまうからだ。 釘は正中神経を破壊した。 瀕死のイエスの体にはこれによる激痛が走った。 それから足だ。両足を重ね合わせ縦木に打ち付けられた。 同じように神経を破壊していく激痛が全身を襲った。
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995 :小夜[]:2021/10/17(日) 00:34:04.57 ID:IWU2Wbjv - ※これはコピペです
ギリシャ語には、愛を表すことばが三つある。 エロス、フィリア、そしてアガぺである。(正確には四つあるが一つは割愛する) エロスは肉欲的な愛、フィリアは兄弟愛、そしてアガぺは無償の愛、神の愛だ。 それは、捧げ尽くす愛であり、十字架の上で明らかにされた愛である。 受難というあれほどの扱いを受けても、相手を呪うこともせず、罵倒することもなく、あくまでも相手のベストだけを願う愛。 自分の利益よりも相手の利益を心から願う愛。 これはとても私たち凡人には及びもつかない程底知れぬ大きな愛だ。 神の愛とはこれほどに深い。 それが聖書が私たちに告げることである。 これほどの深い愛で、神はあなたを愛している…それが十字架という方法によって完全に明らかになった。 これこそが聖書のメッセージだ。 これを聖書は、良い知らせ、グッドニュース、ゴスペルと呼ぶのだ。
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999 :小夜[]:2021/10/17(日) 00:39:05.23 ID:IWU2Wbjv - ※これはコピペです
白人たちは私たちを殺すことができる。しかし神の愛は私たちを取り囲む。 誰も神の愛から、私たちを引き離すことはできない。 十字架の愛で、私たちは愛されているのだ・・・」 彼らは十字架の上で表された神の愛を堅く握りしめたのだ。 そして絶望の先にある祝福に目を留めた。 それは死線を超えた崇高なビジョンである。彼らは、聖書が約束する「神の国」を信じたのだ。 肉体の命が滅んでも、魂は主イエスにいざなわれ永遠の神の国へといたる…これが彼らが握った希望である。 この希望が、絶望の中にある奴隷たちをして、希望の歌を歌わせる原動力となったのだ。 アウシュビッツの強制収容所から生きて生還したユダヤ人がこう言った。 「あそこから生きて出て来た者は、最後まで希望を捨てなかった者だけだ」 どんなときでも、希望を失わない人は倒れることがない。 確かに、私は日々カウンセリングという仕事を通して、人の心と対面している中で同じことを思う。 愛しあって結婚した果てに、悲しい別離の道を選ぶ人たちは、その状況に留まることに希望を見いだせなくなったからだ。 明日を生きる希望を失った人は自らの命をさえ絶つ。 人は希望を信じられなくなったとき、生きる力を失うのだ。 日本でゴスペルがこれほどまでに流行る理由は何だろう? 流行というのは多くの人たちの心の共鳴板に響いた結果だ。 ゴスペルの持つ力は、聖書を知らない多くの日本人の心に響いたということだ。それは他でもなく、今ほど日本人が希望を必要としているときはないとうことのあらわれではなないだろうか。
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