トップページ > ミステリー > 2011年11月08日 > hcjy3UQu

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名無しのオプ
篠田節子ってどう? 4
死ぬ前に読む一冊

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篠田節子ってどう? 4
108 :名無しのオプ[]:2011/11/08(火) 04:16:39.07 ID:hcjy3UQu
仮装儀礼で初めて篠田節子に出会ってからというもの、図書館に通い詰め、
数えてみれば15冊くらい読ませてもらっています。
ミステリーをあまり読まない私は、「人物の類型化」が小説になるなんて
篠田節子を読むまで思っていませんでした。
一般的に普通の小説では、登場人物の個性、ひずみ、特質が洗練され、彼ならではの
行動をとらせ、「そんな人間もアリかー」とうならせられることが多いのですが
篠田節子の場合、登場人物は常に正当です。最もどこにでもいそうな人間に、最も
ありがちな行動をとらせる。それでいて彼らがとんでもない辺境とかに行っちゃったりするもんだから、
運命というものを考えさせられたりするわけです。

彼らが作中で述べる正論の数々(ジェンダー論、社会論、宗教論・・等)について、今まで
それらをどこまで信じていいのかよくわかりませんでした。いや、それが真理かどうかは
だれにもわからない、というより正しい答えはないのでしょうが、少なくとも作者自身は
彼らの意見にどれほど肩入れしているのか。よくわかりませんでした。
だって、人物造形ということがあるでしょう。篠田作品の登場人物はしばしば勘違いする。
そんな彼らの考えは、世の中の見方としてどこまで真に受けていいのか。どこまでがキャラ名なのか。
例えば「カン違いさん」を描かないといけない時もあるでしょう。そんな人の意見を信じるわけに
いかないし。私のいってること、表現するのがなかなか難しいのですが、わかってもらえますか?

けれど最近エッセイ「三日やったらやめられない」「寄り道ビアホール」を読み、
作中人物たちの考えたりこだわったりしていることが、作者自身のそれとほぼ重なっていると
知りました。これからは、彼らのいうことを、そうなんだ、と素直に受け止めようと思います。
篠田作品を読むことは、少なくとも一人の実在する人間(作者)のまじめに考えた世界を
知ることであって、それを通して、読んでるこっちまでちょっと世界が広がったり知識が増えたり
します。うれしいなあ。これからもどんどん読んでいこうと思っています。


死ぬ前に読む一冊
28 :名無しのオプ[]:2011/11/08(火) 04:41:06.50 ID:hcjy3UQu
「フーシェ革命歴」辻邦生


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