- Toshl (TOSHI・龍玄とし)298
10 :NO MUSIC NO NAME[]:2019/11/02(土) 13:02:28.72 ID:n7pD8hnI - モノに対する・・・。うーん難しいなぁ。若い頃「X JAPANのTOSHI」として芸能界にいたときは、いろんなモノを集めてました。
それはそれで本当に素晴らしかった。質の良いモノを身に付けたり、持ったり、食事をしたり、素晴らしいことでした。 「物質的なクオリティーが高ければ高いほど良い」と思っていて。 僕はそういう海外での生活をして、しかも若い年齢で、そういう生活がある程度できていて。 それは上を見たらキリが無いですが、それなりに得てきました。 でもやっぱり、どこかに「心のむなしさ」だとかを感じていて。そういう「モノ」を他人にひけらかせばひけらかすほど。 普通はそのモノが「便利」だから、「質が良い」から使うんだけど、僕の場合、なんというか、「人に勝つため」で。 そういう、まるで「人」まで「モノ」のように、何か自分がこう劣等感が強いものだから、他人に優越したいために、飾っている。 だからモノに対しても、「素晴らしい質だから、使う」というよりは、「こんなブランドを持ってる俺はスゲェ。こんなキレイな女性を連れている俺はスゲェだろ」みたいな。 「いかに自分を凄く見せるか」みたいな(笑) 自分に中身が無いもんだから、外側を飾るものとして、モノを集めていたような気がします。 あるいは弱さを見せるのが「怖い」ものだから、そういう「モノ」で人に「どうだ」ってところを見せれるので、そんなような動機から「モノ」を集めていた感じがするんですね。 だから「こんなすごい人知ってるんだ」「こんなすごいモノ持ってるんだ」ていうのを自分のステータスにしてて、良い悪いは別にして、自分の場合は何か、その人を愛しているんじゃなくて、「自分がスゲェだろ」っていう。 そんな自分がとてもむなしくなって、今度はそういうのを捨てていく方向に、降りていくような方向に、下に下にって向かって、そぎ落としていく。 その中で要らないものに気が付いていく、捨てていくという作業をする中で、いかに今までの自分が「インチキ」で「かっこ悪い」か、「弱虫」で「ダサい」のか、今度はそんな自分に気付いていくというか、ありのままを認めていくような。
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