- 岡村靖幸
73 :NO MUSIC NO NAME[sage]:2011/06/27(月) 04:31:22.00 ID:1XSqBLeP0 - >>69
DJ型ミュージシャンという言葉は造語なんだろうけれど、岡村がDJ型ミュージシャンだというのは事実でしょう。 作詞や演奏、歌まで自分でこなすのであまりその事に言及されないようだけど。 本来岡村の音楽へのアプローチというのは、上から既製の音楽をあれこれ入れて(インプットして)、 「岡村靖幸」という「ブラックボックス」を経て、 下からどんな音楽を出すのか(アウトプットするのか)というのを楽しむというもの。 何と何をセンスで選んで、それをどうトリミング&ミックスしたものを、 今度はどこまでテクニックでアウトプットできるか、という音楽スタンス。まさにDJの方法論。 DJの出したものに対して「元ネタ」を指して「パクリ」というのは確かに意味もないし、ナンセンスかもしれない。 「ブラックボックス」の部分が時に個性的に映ったために見逃されがちかもしれないが、 基本姿勢はアンディ・ウォーホルのような手法とポップ感覚。 80年代の岡村が選んだのがたまたま当時傾聴していた松田聖子やプリンスetc…だったというだけで、 今の本人は「いつまでも和製プリンスでもないだろう」と感じているんじゃないかな。
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- 岡村靖幸
74 :NO MUSIC NO NAME[sage]:2011/06/27(月) 04:32:31.60 ID:1XSqBLeP0 - バブルの頃には多くいた、ブランド品の服やスポーツシューズなどに身を包んで
「これが○○の最新バージョンだぜ、ナウいだろ」「マニアが喜ぶ○○のレア物だよ、すごいでしょ」 と言ってたような若者の(音楽マニアとしての)スタンスが確かに岡村の音楽の根底にはあったように思う。
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- 岡村靖幸
75 :NO MUSIC NO NAME[sage]:2011/06/27(月) 04:34:01.75 ID:1XSqBLeP0 - こういうDJ型ミュージシャン(というものをこう呼ぶならば)は筒美京平をはじめ、
リクエストに順応して曲を書く必要のある職業作曲家に多く見られる。 三題噺みたいにインプット部分さえ発注されれば自分なりにいくらでもアウトプットできますよ、というタイプ。 かつての岡村は自分でアンテナを張って、この「お題」が自分で出せたけど、 脳の委縮のせいか、単に年をとったからか、 どうやら今はその情報収集能力とアウトプットの情熱に欠けている感じ。 そこが自己主張したいことがある「アーティスト」と職業作曲家との大きな違いで、 岡村はどうも現在後者のように見える。 実際に発注仕事にはかなりの提示ペースで応えているようだし、 1曲依頼されれば、最低2〜3曲の提示が常にあるようだ。
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- 岡村靖幸
76 :NO MUSIC NO NAME[sage]:2011/06/27(月) 04:35:36.21 ID:1XSqBLeP0 - 岡村の最近の仕事が
「他人のカバー」「他人のリミックス」「自作過去曲のリミックス」「(いわゆる岡村らしさを意識的に前面に出した)提供曲」 に絞られているのも本来の岡村の音楽へのアプローチとなんら軸自体はブレていないように思う。 それはライブで同じようなセットリストを敷いて、それにその都度アレンジで変化をつけていく手法にもあらわれていると思う。 岡村が新曲を書かない(書けない)のは 曲が書けないんじゃなくて、岡村のアンテナが鈍って「インプット」部分から取り込む音楽がガクッと減っているからだろう。 当然そのためにアウトプットされるものも少なく、また(本人にとっても)新味に欠けるものしか出てこない。 本人が「曲ならいくらでも書ける」と言うのはそういう背景があるからだと思う。 確かにただ単に「曲」ならいくらでも書けるんだろう。 岡村の事実上の復活というのは、まず「インプット」の部分に本人が積極的になることからが肝心だと思うが、どうか。
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