- 忌野清志郎 Part60
68 :NO MUSIC NO NAME[]:2011/03/15(火) 08:03:18.98 ID:BBOt6J6FO - バイクを飛ばしてもどこへも帰れない
バイクを飛ばしても帰りつづけるだけのぼくらは 寄り道をしてるんだ 描き上げたばかりの自画像をぼくに ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが見せる 絵の具の匂いにぼくはただ泣いていたんだ 自動車はカバのように潰れていたし 街中が崩れた それで君を呼んだのに それで君を呼んだのに それで君を呼んだのに 君の愛で間に合わせようとしたのに 東京なのにこの曲がやたらと頭の中で鳴る。
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- 【不謹慎】佐野元春#47【偽善者】
32 :NO MUSIC NO NAME[]:2011/03/15(火) 22:15:08.55 ID:BBOt6J6FO - 「露悪趣味的共同体」から「偽善的社会」へ、あるいは「偽善のすすめ」〔柄谷行人/浅田彰)
(柄谷〕夏目漱石が、『三四郎』のなかで、現在の日本人は偽善を嫌うあまりに露悪趣味に向かっている、と言っている。これは今でも当てはまると思う。 むしろ偽善が必要なんです。たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。 (浅田)理念は絶対にそのまま実現されることはないのだから、理念を語る人間は何がしか偽善的ではある…。 (柄谷)しかし、偽善者は少なくとも善をめざしている…。 (浅田)めざしているというか、意識はしている。 (柄谷)ところが、露悪趣味の人間は何もめざしていない。
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- 【不謹慎】佐野元春#47【偽善者】
34 :NO MUSIC NO NAME[]:2011/03/15(火) 22:20:26.50 ID:BBOt6J6FO - (浅田)むしろ、善をめざすことをやめた情けない姿をみんなで共有しあって安心する。日本にはそういう露悪趣味的な共
同体のつくり方が伝統的にあり、たぶんそれはマス・メディアによって煽られ強力に再構築されていると思いますね。 (柄谷)日本人は異常なほどに偽善を嫌がる。その感情は本来、中国人に対して、いわば「漢意=からごごろ」に対してもっていたものです。 中国人は偽善的だというのは、中国人は原理で行くという意味でしょう。中国人はつねに理念を掲げ、実際には違うことをやっている。 それがいやだ、悪いままでも正直であるほうがいいというのが、本居宣長の言う「大和心」ですね。それが漱石の言った露悪趣味です。日本にはリアル・ポリティクスという言い方をする人たちがいるけれども、 あの人たちも露悪趣味に近い。世界史においては、どこも理念なしにはやっていませんよ。
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- 【不謹慎】佐野元春#47【偽善者】
35 :NO MUSIC NO NAME[]:2011/03/15(火) 22:25:47.25 ID:BBOt6J6FO - (浅田)日本人はホンネとタテマエの二重構造だと言うけれども、実際のところは二重ではない。タテマエはすぐ捨てられるんだから、ほとんどホンネ一重構造なんです。
逆に、世界的には実は二重構造で偽善的にやっている。それが歴史のなかで言葉をもって行動するということでしょう。 (柄谷)偽善には、少なくとも向上心がある。しかし、人間はどうせこんなものだからと認めてしまったら、そこから否定的契機は出てこない。 自由主義や共産主義という理念があれば、これではいかんという否定的契機がいつか出てくる。 しかし、こんなものは理念にすぎない、すべての理念は虚偽であると言っていたのでは、否定的契機が出てこないから、いまあることの全面的な肯定しかないわけです。 (『「歴史の終わり」と世紀末の世界』浅田彰 小学館1994 P243−248)
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