トップページ > 邦楽女性ソロ > 2016年02月05日 > fHz5FCom0

書き込み順位&時間帯一覧

86 位/668 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000001100000000000000002



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
名無しの歌姫
★華原朋美★Vol.94 [無断転載禁止]©2ch.net

書き込みレス一覧

★華原朋美★Vol.94 [無断転載禁止]©2ch.net
604 :名無しの歌姫[]:2016/02/05(金) 06:52:06.88 ID:fHz5FCom0
>>603
>同じ穴のむじな
超一流アーティストである女性に嫉妬し、
己の歯がゆさゆえに、人生や生活等々に
憤懣を抱き、2ちゃんねるにて
人の悪口を書き込み、憂さ晴らしをする。
其の様な、醜悪な軽佻浮薄の輩達と
同じ穴のむじなだとは、此の私に嫉妬を
抱き、自分達の同じ低次元の位置に
引きづり込みたいと云う願望の顕れ
それを、下の御文にて
「餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人
は甘露と見る水は一なれども果報に随つて
別別なり」(曾谷入道殿御返事)と、日蓮
大聖人は仰せです。
人の境涯に応じて、ものの見方は千差万別
ですから、人によっては、そのような否定的
な見解しか抱けないのは致し方ないところ
ですが。今でも学会に「カルト」だの「洗脳」だのといった根強い偏見を抱く人も大勢い
ますから、学会に対して無認識の人々は、
学会の折伏を「迷惑行為」「思想の押し
付け」などと白眼視したいのでしょう。
「宗教というものは自分一人でやるべき
ものであり、人に勧めるのは迷惑だ!」と
いう
のが、どうやらそのような面々の“信念”の
ようですが、自分だけ実践して悟りを得ら
れればいいというのは、小乗仏教です。
末法において実践すべきであり、功徳が
生じるのは、「自分だけでなく他の人をも
救おう」という大乗仏教なのです。
日蓮仏法においては、「聞法下種」と
「発心下種」という法理があります。
これは、「折伏」を受け、法を聞いて下種を
受け
た(成仏の種子となる法を説き聞かされた)
が、入信に至らない場合(聞法下種)と、
下種を受けて入信にいたる場合(発心下種)
のことを言います。「信ぜん人は仏になる
べし謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁と
なつて仏になるべきなり、何(いか)にと
しても
仏の種は法華経より外(ほか)になきなり」
(法華初心成仏抄)。法を聞かせた相手が、
入信を拒否し、法を誹謗したとしても、
「毒鼓の縁=逆縁」によって、後には必ず
成仏できるゆえに、「迷惑だ!」「独善だ!」と反発されても、創価学会は、人に仏法を
語るのです。世間は、利己主義がはびこって
います。自分は何もしないくせに、人々の
ために行動する人を何だかんだと批判する。
「自分さえよければそれでいい」という
浅ましい人間が数多くいる中、創価学会員は、自分の自由な時間を割いてまでも人の幸福
のために行動する。悪口を言われてまでも。
これは、そのような風潮にあって、奇跡
といっても過言ではないのです。むしろ、
称賛されるべきことなのです。
★華原朋美★Vol.94 [無断転載禁止]©2ch.net
605 :名無しの歌姫[]:2016/02/05(金) 07:38:29.93 ID:fHz5FCom0
>>602
創価学会の者です。
>布教かねて連投してるんだなヤベーw
もっとやってあげましょう(笑)
「生涯は、どれほどもない。思えば、この世
は(過去世・現在世・未来世という、永遠
の生命における三世の旅路のうち)、一晩
だけ泊まる仮の宿である。それを忘れて、
どれほどの名声と利益を得ようというのか。
また、得たとしても、これは、夢の中の
栄えであって、珍しくもない楽しみである」
(持妙法華問答抄、通解)
「死後の地獄等という苦悩の世界に行った
ならば、王の位も、将軍の位も、何の役に
も立たない。獄卒(=地獄の鬼)の責めに
あう姿は、猿回しに回される猿と変わらない。こうなった時は、どうして名聞名利や我慢
偏執(我を頼んで心が傲り、偏ったものに
執着すること)の心でいられようか」
(新池御書、通解)
確かに、この世には、宗教に入っていない
人であっても、社会的に地位があって資産家
であるとか、「幸せ」そうな人は大勢います。表面的には。しかし、「幸せ」の定義とは、
一体何なのでしょうか?
例えば、金があるから幸せでしょうか?
「金があればあるほど、もっと欲しくなる」
とばかりに、金のために自分の身を滅ぼして
しまう、いわゆる金持ちが、この世には多く
います。以前も、某商工金融業の社長が、
その不正がばれて逮捕されました。徹底的な
ノルマ主義で、社員を奴隷のごとく罵倒して
酷使し、自分は金持ち番付に登場するほどの
金を貯め込み贅沢をしてふんぞり返っていた。その揚げ句の惨めな末路です。社員にろくに
休みも与えずこき使い、自分だけ金をため
込み、ゴルフだの何だのと遊興三昧でさんざん面白おかしく享楽の日々を送っていたが、
最後は病に倒れ、親しい友もいない孤独の
中で、「金、金……」とうめきつつ、虚しく
今世を終えた会社社長が、私の周囲にもいま
した。「今さえよければそれでいい、死後の
ことなんか、関係ない」。こんな刹那主義の
人生の、どこが幸福でしょうか? また、
「金で買えないものはない」と、傲然と言い
放った某若手実業家もいましたが、金の力で、果たして永遠の生命の問題、生死の問題を
解決できるのかと言いたい。ちなみに、彼も
その後、その強欲ゆえに自滅、没落してい
ます。
生命は永遠です。現在の生き方が、そっくり
そのまま、来世の人生となってしまうのです。今をどう生きるか。それで来世は決まるの
です。すなわち、善行の人は幸福な人生に、
悪行の人生は地獄の苦悩の人生に、それぞれ
なってしまうのです。金がどれだけあるか
とか、どれだけの地位にあるとか、そんな
ものは、今世限りの幻です。前世に金がどれ
だけあろうが地位があろうが、来世の幸福
には関係ありません。
どうすれば幸福の生死の軌道を自身に築く
ことができるか。それは、宗教にしか解決法
はないのです。金がどれだけあるとか、
そんな浅薄なものに振り回されず、価値
ある人生を築き、永遠に続く幸せを確立する
ことができるのです。


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。