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名無しの歌姫
活動再開☆八神純子【みずいろの雨】part1 [転載禁止]©2ch.net

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活動再開☆八神純子【みずいろの雨】part1 [転載禁止]©2ch.net
338 :名無しの歌姫[sage]:2015/06/08(月) 00:59:43.45 ID:DH5px31Z0
松田聖子の歌で一番好きなのは?ってよくあるアンケートだと
1位「あなたに逢いたくて」が鉄板だった
やはり80年代までは聞く時代・ベストテンとかトップテンで見るのがメイン
90年代から歌う時代なので「自分の持ち歌」「レパートリーの一つ」とか言われ出した
80年代にこんな言葉を口走る奴は居なかったのでは
そこで女性カラオケランキング年間3位や5位を獲得してる歌は思い入れがあると思う
「大切なあなた」や「あな逢い」は自分の歌でも有るから
青い珊瑚礁のイントロでは島の砂浜に向かって海面スレスレを滑空してゆくイメージが浮かぶし
夏の扉のイントロでは海の見える高台から海の方へ向かって駆け下りてゆくイメージが浮かぶ
セットリスト見てみたけど
白い月、小麦色のマーメイド、野ばらのエチュード、秘密の花園、時間の国のアリス、SQUALL
2014は
ピーチシャーベット、雨のリゾート、ハートのイアリング、大切なあなた、風は秋色、StrawberryTime
80年代ヒット曲を隔年で3〜4曲入れ替えつつ、昨年歌っていないアルバム曲や90年代のを入れてる
12年→13年の変化よりも大きいし、これくらいが妥当だと思うけどね
大きな箱を使ってる内はライト層も意識しなきゃいけないし
ヒット曲目当てのライト層>>アルバム曲も網羅してるファン…という感じで比重を置いてる
チケットや座席の相談を目にするけど
「今年初めて行きます」「昔ファンだった母にプレゼントしました」
こういった客層が無視出来ないくらい居たら、ヒット曲の割合は減らせないでしょ
狭い箱しか使えなくなったらよりディープ層向けの選曲になるんじゃないかな
活動再開☆八神純子【みずいろの雨】part1 [転載禁止]©2ch.net
339 :名無しの歌姫[sage]:2015/06/08(月) 01:00:38.20 ID:DH5px31Z0
今回の露出もシングルやアルバムを宣伝するというより
松田聖子を宣伝してる企画内容がほどんどだったから
やっぱりライブに足を運んでくれる新規層にPRしてる感じだもんな
選曲もそれに応じる感じだと思う
新曲やアルバムも出してない懐メロ歌手なら過去曲only構成でもいいんだろうが、聖子は現役歌手だからニューアルバム中心の構成になるのは当たり前だし
今年は35周年の記念年に当たることもあって、去年より会場増やしてる関係上
いわゆる定番曲が中心になるのはしょうがないだろう
今まで会場に足運んだことなかった若い子とか親に連れられてきた子たちもいるみたいだし
聖子さんって、歌の世界を表現することにおいては天才的だよね。YouTubeで彼女の持ち歌じゃない歌を歌ってる動画を見たけど、他人の歌なのに上手く歌いこなしてて、びっくりしたわ。
ただの可愛いだけのアイドルじゃないんだなあ〜
しかも聖子さんのアルバム曲って一度聴いただけで印象に残る歌が多い。中でもnorth windとユートピア、pineappleはかなりお気に入りでしょっちゅう聴いてます。
ちなみに私はまだ20代だけど、聖子さんの魅力にやられてしまいましたw
僕らの音楽見た時はオカメ納豆のオカメか!wwと爆笑してしまった…
ここで出た薬師丸という名前にやたら反応していたから
こりゃなにかあるな?と思って薬師丸の出た嵐にしやがれを見てみたら、あらまっやっぱりw
薬師丸さん凄い可愛らしくて上品そうで落ち着いていて性格良さそうで、ふわっと優しいオーラがする素敵な人だった
なによりも年齢を感じさせないけど、聖子のような整形したくった不自然さが全くなかった
だから聖子ファンは劣等感を感じていたから、薬師丸の回にイッチャモンつけて聖子上げしてたんだな〜と分かったww
確かに聖子は整形の違和感はあるにせよ確かに美人風だが、聖子みたいな綺麗なおねーさんはそこらに山ほどあるが
薬師丸風なふわっとした優しい雰囲気の可愛らしい女性はなかなか見たことがない
それで劣等感を思っている聖子オタがやたら薬師丸下げをしたんだwってことが分かり聖子ファンの民度が分かったww
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340 :名無しの歌姫[sage]:2015/06/08(月) 01:02:04.69 ID:DH5px31Z0
それは作詞家だけでなく、作曲家の小田裕一郎も全精力を聖子に傾けた1人だ。
それが「裸足の季節」である。
単なる「アイドル歌謡」に終わらないよう、
サンバやサルサのリズムを取り入れ、珍しい打楽器もいくつか使った。
「あの曲は2番の終わりから再びサビが来るまでの間奏が24小節もある。
普通は8小節くらいだけど、それが新しさだとこだわった」
このデビュー曲だけでなく、聖子のレコーディングのほとんどが「一発録り」に近かった。
何ら手直しすることなく、また別々に録音したものをつなぎ合わせる必要も皆無だった。
聖子のデビュー曲は、CMでは歌声のみだったが、全国に「顔」を売る機会が訪れた。
それは平尾が司会を務めたNHKの「レッツゴーヤング」だった。
男女アイドルで構成する「サンデーズ」の一員に抜擢されたが、
歴代でも最大の人気を誇った年と平尾は言う。
「聖子ちゃん、そして田原俊彦がいてずば抜けていたよね。
番組では外国のポップスをサンデーズに歌わせることが多かったけど、
彼女が歌うとスタッフの誰もが『いいねぇ』って声をそろえた」
平尾はNHKホールの客席から、少しずつ女性ファンの声援が増えていったと感じた。
いわゆる「ブリっ子」の代表とされながら、
あの歌声の説得力には同性の支持も増えて当然なのだろうと思った。
作詞家の三浦は聖子の第一印象を浅田真央にたとえたが、
現在の姿はキム・ヨナに似てると言う・・・その共通項とは?
「物事の本質をどんどん解ってゆき、
核心部分を鷲づかみにしたあと、自由に自分を出せています」
これからの聖子にも「自由な線を描き続けてほしい」と願う。
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341 :名無しの歌姫[sage]:2015/06/08(月) 01:03:10.21 ID:DH5px31Z0
新進の作曲家・小田裕一郎は、サーカスに提供した「アメリカン・フィーリング」で注目を浴びていた。
小田は、聖子のデビュー曲「裸足の季節」から「青い珊瑚礁」「風は秋色」のシングル3部作を手がけ、
アルバムも3作続けてプロデュースしている。
聖子が他のアイドルを一線を画す理由に「アルバムの完成度」が挙げられる。
ボツになった曲を集めたものがLPという慣例に逆らい、
組曲のように明確なテーマを持ったアルバム作りに終始した。
小田はボーカルレッスンをつけながら、聖子に合う曲を模索する。
「高音部が豊かな声量できちんと出るのはもちろん、低音部の発声も素晴らしかった。
低いパートって、ともすれば宝塚歌劇のような仰々しい歌い方になったりするけど、
彼女はハスキーで魅力的な声が出た」
そして「聖子節」の完成に取りかかる
「バイオリンにおける「スラー」という演奏スタイルがあって、
いくつかの音符をくくり、音と音を滑らかに繋げる、そんな歌い方をやらせてみた。
一つ一つの音に対し、両側から滑らせながら歌うという感覚」
桑田佳祐や矢沢永吉が「フェイク唱法」と呼ばれたが、
聖子の場合、歌詞がクリアに聞こえて、尚且つ洋学的になったのである。
小田は、2曲目の「青い珊瑚礁」で仕掛けを施す。
通常、Aメロ→Bメロ→サビと展開
する流れを無視し、冒頭にサビを置いたのだ。
あの「あ〜、私の恋は〜」の印象的なフレーズがそれだ。
ピンクレディーの「ペッパー警部」のようにデュエットでは存在しても、
ソロのアイドルで高音のサビ始まりは異例のことだった。
「さすがに彼女も最初は嫌がっていたね。
いきなり高音で始まるのは新人歌手としは不安もあっただろう。
でも、それができるのは松田聖子しかいないんだから」
冒険だった「青い珊瑚礁」は、デビュー曲の倍以上の60万枚を売り上げた。
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342 :名無しの歌姫[sage]:2015/06/08(月) 01:04:11.36 ID:DH5px31Z0
80年8月14日、TBSの人気番組「ザ・ベストテン」で、聖子の「青い珊瑚礁」が待望のランクインを果たす。
デビュー曲「裸足の季節」は注目曲を紹介する「スポットライト」には登場したが10位以内には届いていなかった。
実は聖子の登場まで、久米宏を筆頭とした「ザ・ベストテン」のクルーは、
山口百恵に認められたくて精力を傾けていたという。
「今夜の演出は素敵でしたわ」「来週はどうなるか楽しみです」
そんな”女神”の座も、百恵の引退に合わせて聖子に禅譲される。
放送が終わるとサブ(副調整室)を必ず訪れ、きちんとお礼を述べてから帰途につく。
1人、また1人と聖子の演出を希望するスタッフが増えていったという。
のちに「クリスマス・イヴ」や「ホームワーク」など、TBSの名作ドラマをいつくもプロデュースする遠藤環は、
当時、若手ディレクターとして「ザ・ベストテン」に関わっていた。
初登場から5週後、遠藤は「青い珊瑚礁」が初めて1位になった9月18日の担当ディレクターだった。
感動の場面を、最高に盛り上げるのは、どう演出すればいいか
・・・遠藤は、やはりデビューまでを支えた母親の存在だろうと思った。
「番組の女性デスクに福岡まで飛んでもらい、お母さんの手作りのお弁当を受け取り、そのまま東京に戻る。
中身よりも、聖子が小さい頃から親しんだお弁当箱こそ大事だった」
黒柳徹子から弁当箱を見せられた瞬間、聖子は瞳をうるませ、あまりにも有名な「お母さ〜ん!」の絶叫へとつながる。
作り手たちの意図に、これ以上ない反応を見せてくれた。
遠藤は中継後、聖子をタクシーで駅まで送っていったことがある。
真冬の寒さにも関わらず、聖子は運転手にこう告げた。
「喉に悪いので暖房を切ってください」
そんなプロ意識の高さは、聖子に次々と「伝説の扉」を開かせることになる
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343 :名無しの歌姫[sage]:2015/06/08(月) 01:05:34.56 ID:DH5px31Z0
80年8月14日、TBSの人気番組「ザ・ベストテン」で、聖子の「青い珊瑚礁」が待望のランクインを果たす。
デビュー曲「裸足の季節」は注目曲を紹介する「スポットライト」には登場したが10位以内には届いていなかった。
実は聖子の登場まで、久米宏を筆頭とした「ザ・ベストテン」のクルーは、
山口百恵に認められたくて精力を傾けていたという。
「今夜の演出は素敵でしたわ」「来週はどうなるか楽しみです」
そんな”女神”の座も、百恵の引退に合わせて聖子に禅譲される。
放送が終わるとサブ(副調整室)を必ず訪れ、きちんとお礼を述べてから帰途につく。
1人、また1人と聖子の演出を希望するスタッフが増えていったという。
のちに「クリスマス・イヴ」や「ホームワーク」など、TBSの名作ドラマをいつくもプロデュースする遠藤環は、
当時、若手ディレクターとして「ザ・ベストテン」に関わっていた。
初登場から5週後、遠藤は「青い珊瑚礁」が初めて1位になった9月18日の担当ディレクターだった。
感動の場面を、最高に盛り上げるのは、どう演出すればいいか
・・・遠藤は、やはりデビューまでを支えた母親の存在だろうと思った。
「番組の女性デスクに福岡まで飛んでもらい、お母さんの手作りのお弁当を受け取り、そのまま東京に戻る。
中身よりも、聖子が小さい頃から親しんだお弁当箱こそ大事だった」
黒柳徹子から弁当箱を見せられた瞬間、聖子は瞳をうるませ、あまりにも有名な「お母さ〜ん!」の絶叫へとつながる。
作り手たちの意図に、これ以上ない反応を見せてくれた。
遠藤は中継後、聖子をタクシーで駅まで送っていったことがある。
真冬の寒さにも関わらず、聖子は運転手にこう告げた。
「喉に悪いので暖房を切ってください」
そんなプロ意識の高さは、聖子に次々と「伝説の扉」を開かせることになる
活動再開☆八神純子【みずいろの雨】part1 [転載禁止]©2ch.net
344 :名無しの歌姫[sage]:2015/06/08(月) 01:06:33.89 ID:DH5px31Z0
作曲家の平尾昌晃が初めて聖子と会ったのは79年のことだった。
聖子、いや本名の「蒲池法子」は久留米市から歌手になるため
平尾が主催する音楽学院の福岡校に通っていた。
平尾は当時、福岡にライブハウスを開いた関係で、月に一度はレッスンを見る機会があった。
そこに誰よりも早く来て、誰よりも遅くまでレッスンを受けていたのが聖子だったという
「僕の好きな西田佐知子やちあきなおみにも似た、ビロードがかかった声の艶があった。
当時の発声は荒っぽいけど、中高音の伸びは圧倒的だったね」
とにかく、人懐っこい性格と、歌手になる夢を父親に認めさせる固い意志が印象的だった。
そんな79年当時、街にはインベーダーゲームの嵐が吹き荒れていた。
夢中になっていた平尾は、レッスンが終わると聖子らを引き連れて近くのゲームセンターに駆け込む。
対戦する聖子は、やはりリズム感の賜物か、平尾が舌を巻くほどの上手だった。
そんなゲームの最中も、視線をそらさずに聖子は言う。
「先生、私は歌手になって必ず成功するから!」
歌手を「夢見る」子は多いが、自分が成功している姿を「イメージ」出てきている子は珍しい。
平尾は、間違いなくこの子はプロになれるだろうと思った。
そのため、時間の無駄遣いなど一切せず、目標へ一直線に向かう姿勢が好ましかった。
「レッスンではいろんなタイプの曲を歌わせてみた。
特に印象深いのは『ボーイハント』などのオールディーズね。
ものまねではなく、自分の曲として消化できている。
次々と課題曲を与えると、一度も拒否することなく、貪欲にこなしていましたね」
活動再開☆八神純子【みずいろの雨】part1 [転載禁止]©2ch.net
345 :名無しの歌姫[sage]:2015/06/08(月) 01:07:33.02 ID:DH5px31Z0
松村和子は80年4月「帰ってこいよ」でデビューする。
聖子とは生年月日で13日違いであり、「黄金の80年組」として新人賞を争う。
松村は、30年前の日々を思い返す
「同期の皆が良かったから相乗効果で頑張れたなって思いますね。
当時は親衛隊の声援の声援もすごくて『聖子〜!』『良美〜!てなるのに、
私のときは『・・・』だったからちょっと寂しい思いも味わいましたけど」
楽屋で見る聖子はイメージと違ってキャピキャピした部分がまったくなかった。
自分を客観視できる人だと思った。
そして大晦日の天王山、「日本レコード大賞」で雌雄を決する。
順に5人が持ち歌を披露するが、岩崎は聖子の受賞曲「青い珊瑚礁」を後ろで聞きながら、
この声の伸びは聖子にしか出せないと改めて思った。
「第22回日本レコード大賞、最優秀新人賞は『ハッとして!Good』を歌った田原俊彦!」
その瞬間、誰よりも喜んでいたのが聖子だったと岩崎の目には映った。
ただし、田原を残して4人が舞台袖に引っ込む間際、松村は「もうひとつの表情」を見た。
「今にも泣き出しそうなくらい、聖子ちゃんが悔しそうにしているのを見ましたね。
あの顔は今でも忘れられない」
そして松村も岩崎も今年、同時に30周年を迎える。
松村は聖子を「子供を産んでもアイドルを続けられる先駆者」と言い、
岩崎は「ずっと皆をドキドキさせる松田聖子というブランド」と評する


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