- 古い録音 古い洋楽 大嫌い
50 :名盤さん[sage]:2023/10/07(土) 23:53:00.86 ID:m4Bq/6AF - 例えば相対性理論の光の概念は小学生でも分かるレベルの水面の波と同じです
運動する座標系から水面を見ると進行方向の前方は水面の長さが伸びて後方は水面の長さが縮むように時間と空間の長さが変形してるように見えます 波面の長さが伸び縮みして見えるから観測者がどんなに動いても波の速度は一定に見える、そう考えることで小学生でも分かるレベルの波の性質はそのまま否定も修正もせずに光速度が不変に見えることが説明可能になります ところが光が普通の波とは違う何だか不思議なものだと勘違いしてる人が居て この手の勘違いしてる人には小学生に説明するよりも100倍時間が掛かります 例えば相対性理論の光の概念は小学生でも分かるレベルの水面の波と同じです 運動する座標系から水面を見ると進行方向の前方は水面の長さが伸びて後方は水面の長さが縮むように時間と空間の長さが変形してるように見えます 波面の長さが伸び縮みして見えるから観測者がどんなに動いても波の速度は一定に見える、そう考えることで小学生でも分かるレベルの波の性質はそのまま否定も修正もせずに光速度が不変に見えることが説明可能になります ところが光が普通の波とは違う何だか不思議なものだと勘違いしてる人が居て この手の勘違いしてる人には小学生に説明するよりも100倍時間が掛かります 例えば相対性理論の光の概念は小学生でも分かるレベルの水面の波と同じです 運動する座標系から水面を見ると進行方向の前方は水面の長さが伸びて後方は水面の長さが縮むように時間と空間の長さが変形してるように見えます 波面の長さが伸び縮みして見えるから観測者がどんなに動いても波の速度は一定に見える、そう考えることで小学生でも分かるレベルの波の性質はそのまま否定も修正もせずに光速度が不変に見えることが説明可能になります
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51 :名盤さん[sage]:2023/10/07(土) 23:53:12.27 ID:m4Bq/6AF - 例えば相対性理論の光の概念は小学生でも分かるレベルの水面の波と同じです
運動する座標系から水面を見ると進行方向の前方は水面の長さが伸びて後方は水面の長さが縮むように時間と空間の長さが変形してるように見えます 波面の長さが伸び縮みして見えるから観測者がどんなに動いても波の速度は一定に見える、そう考えることで小学生でも分かるレベルの波の性質はそのまま否定も修正もせずに光速度が不変に見えることが説明可能になります ところが光が普通の波とは違う何だか不思議なものだと勘違いしてる人が居て この手の勘違いしてる人には小学生に説明するよりも100倍時間が掛かります 例えば相対性理論の光の概念は小学生でも分かるレベルの水面の波と同じです 運動する座標系から水面を見ると進行方向の前方は水面の長さが伸びて後方は水面の長さが縮むように時間と空間の長さが変形してるように見えます 波面の長さが伸び縮みして見えるから観測者がどんなに動いても波の速度は一定に見える、そう考えることで小学生でも分かるレベルの波の性質はそのまま否定も修正もせずに光速度が不変に見えることが説明可能になります ところが光が普通の波とは違う何だか不思議なものだと勘違いしてる人が居て この手の勘違いしてる人には小学生に説明するよりも100倍時間が掛かります 例えば相対性理論の光の概念は小学生でも分かるレベルの水面の波と同じです 運動する座標系から水面を見ると進行方向の前方は水面の長さが伸びて後方は水面の長さが縮むように時間と空間の長さが変形してるように見えます 波面の長さが伸び縮みして見えるから観測者がどんなに動いても波の速度は一定に見える、そう考えることで小学生でも分かるレベルの波の性質はそのまま否定も修正もせずに光速度が不変に見えることが説明可能になります
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52 :名盤さん[sage]:2023/10/07(土) 23:54:24.32 ID:m4Bq/6AF - 「存在する」という言葉は集合及び集合の元になることが出来ない
なぜなら言及する度に意味や定義が変わったり人によって意味が変わるからだ その時点で公理的集合論及び二階述語論理の対象にはならない つまり「存在する」という言葉は原理的に論理的に辻褄が合うような意味を定めることが不可能であり論理の対象にならない無意味なものだから考える必要がない 「存在する」という言葉は論理学が未発達な時代に妄想された無意味な言葉であり 「神の恩寵」とかと同レベルの無意味さだから知る必要も考える必要もないし何の意味もない空想なのだ 「存在する」という言葉は集合及び集合の元になることが出来ない なぜなら言及する度に意味や定義が変わったり人によって意味が変わるからだ その時点で公理的集合論及び二階述語論理の対象にはならない つまり「存在する」という言葉は原理的に論理的に辻褄が合うような意味を定めることが不可能であり論理の対象にならない無意味なものだから考える必要がない 「存在する」という言葉は論理学が未発達な時代に妄想された無意味な言葉であり 「神の恩寵」とかと同レベルの無意味さだから知る必要も考える必要もないし何の意味もない空想なのだ 「存在する」という言葉は集合及び集合の元になることが出来ない なぜなら言及する度に意味や定義が変わったり人によって意味が変わるからだ その時点で公理的集合論及び二階述語論理の対象にはならない つまり「存在する」という言葉は原理的に論理的に辻褄が合うような意味を定めることが不可能であり論理の対象にならない無意味なものだから考える必要がない 「存在する」という言葉は論理学が未発達な時代に妄想された無意味な言葉であり 「神の恩寵」とかと同レベルの無意味さだから知る必要も考える必要もないし何の意味もない空想なのだ
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53 :名盤さん[sage]:2023/10/07(土) 23:57:15.40 ID:m4Bq/6AF - 観たものがそのままの自然では無い
不確定性原理は測定値は近似値 不完全性定理は決定不能を導く 不確定は確定しているから原理 不完全は完全だから定理 規定は否定が本質だから 静止で無で対象を規定する 対象の否定だから対象には存在しない 無矛盾だが差異である対象を否定で規定する 光速度一定の原理は規定自体を否定して自然が無矛盾であることを証明した 規定するからゼノン、カント、ヘーゲル 観測問題、不完全性定理などなど 自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反撥で新たな濃淡が生成する過程であり無矛盾 次元、諸力もまた存在しない 観たものがそのままの自然では無い 不確定性原理は測定値は近似値 不完全性定理は決定不能を導く 不確定は確定しているから原理 不完全は完全だから定理 規定は否定が本質だから 静止で無で対象を規定する 対象の否定だから対象には存在しない 無矛盾だが差異である対象を否定で規定する 光速度一定の原理は規定自体を否定して自然が無矛盾であることを証明した 規定するからゼノン、カント、ヘーゲル 観測問題、不完全性定理などなど 自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反撥で新たな濃淡が生成する過程であり無矛盾 次元、諸力もまた存在しない 観たものがそのままの自然では無い 不確定性原理は測定値は近似値
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