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名盤さん
■ The 1975 // Part 11 ■

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■ The 1975 // Part 11 ■
358 :名盤さん[sage]:2022/04/29(金) 03:11:28.48 ID:ugiih9xn
彼らが正式にThe 1975となる2012年1月頃には、すでにアルバム1枚分の楽曲があった。
しかし、彼らはアルバムをリリースするのではなく温存し、
世間の関心を高めるために、一連のEPをリリースすることを選択する。

また、マネージャーのOborneはヨークのシンガーソングライターBenjamin Francis Leftwichとも契約しており、
彼は2011年にファースト・アルバム『Last Smoke Before The Snowstorm』でチャート入りしていた。

LeftwitchもThe1975と同様、デビュー・アルバムに先立ちEPをリリースしていたが、
この”EP・ファースト”といえる手法の先駆者は、エド・シーランだ。
彼は2011年のデビュー・アルバムより先に、まず5枚のEPをリリースしている。
シーランが上手くいったのだから、同じように上手くいくはずだという目論みだったのだろうか?

後にThe Raveでギタリストのハンは、
「俺達の目的はフル・アルバムを出す前に、豊富な楽曲をリリースすることで、
みんなにどんなバンドかをよく知って貰うことだった。EPは入門編だったんだ」と説明している。

「バンドの楽曲がリリース順に書かれたと思われてるのは、無理もないことさ」
と、ヒーリーは後に、いくらかの楽曲を温存していた件についてMusic OMHに語っている。

「例えば、(EPの)Facedown、次にSex、そしてMusic For Carsと、EPがリリースされた順に曲は書かれたんだろうと。
実際はそうじゃない。まず最初にファースト・アルバムの曲を書いたんだ。
でも音楽をリリースする段階になって、
俺達がどんなやつか鮮明に描かれている本当の意味で豊富な量の曲をリリースしたいと思った。
そうすることで、他人がどういう人物かを知るように、バンドを知ることができる。
時間が経つにつれて、より俺達のことを知っていくという具合にね」
■ The 1975 // Part 11 ■
359 :名盤さん[sage]:2022/04/29(金) 03:12:27.02 ID:ugiih9xn
最初のEPのリリースを準備する中で、バンドの歴史において一つのの重要な出来事となるライブの出演が決定する。

2012年の初夏、Ben TaylorはマンチェスターのSound Controlでイベント・マネージャーを務めていた。
当時の彼は、3年近くThe 1975のことを(彼らの他のバンド名の時期も含め)知っており、
マシュー・ヒーリーの”新たな”バンドへの関心の高まりを察していた為、
Sound Controlの新しい空間で演奏してほしいと考えていた。

「2012年の7月に、彼らのエージェントにThe 1975のショーを打診したんだ。150人が収容できる部屋でやりたいと思っていた。
ツアーの一環というか、小規模なショーの一環だ」

Ben Taylorは、バンドと彼らのスタイルが、以前一緒に仕事をきたときよりも、少し洗練されていることにすぐ気がついた。
元々、彼らは人々から気に入られている存在だったが、少々ぎこちなさを感じさせる面もあった。
しかし、それは今や変わっていた。
統一されたルックス、一貫したアティチュード、そして美学を備えている。

「彼らの”貴重な財産”といえるバンドの写真やグラフィック等が収められたデジタルデータを貰ったんだ。
Big SleepとSlowdownはそこまで到達してなかったし、あれが初めてだった。
いや、Drive Like I Doはロゴにフォントを使ってたかもしれないが、Slowdownはそれすらなかったんだよ」
■ The 1975 // Part 11 ■
360 :名盤さん[sage]:2022/04/29(金) 03:13:13.10 ID:ugiih9xn
Ben Taylorが貰ったモノクロが基調の”財産”は、新たに研ぎ澄まされた感覚のあるバンドのイメージが反映されたものだった。

「まぁ俺達はファッションと映画の大ファンだしさ。俺としてはそういう人はよくいると思うけど」と、
ヒーリーは最初のEPのリリースから数ヶ月後に、ジャーナリストDarragh Faugheyに語っている。

「けど俺達は、自分たちがやっていることを通して、好きなものへの愛情を反映させたかった。
といっても、ビジュアル面での個性を、積極的に探し廻ったわけじゃない。
俺達にとって何がふさわしいのか、何が見栄えよく見えるのか、ただ自然にわかっていて、それに従っただけなんだ。

モノクロを選んだのは、本当にそのムードが決め手だった。
俺達の音楽は、クラシカルなポップセンスとメジャーコードの明るいメロディーで満たされてる、
凄く高揚感があって、華やかなサウンドに仕上げようとしている所があると思う。
だから、そういう音楽に、より憂鬱な、どこか現実喪失感あるヴィジュアルを対比させるのはナイスだよ」
■ The 1975 // Part 11 ■
361 :名盤さん[sage]:2022/04/29(金) 03:14:43.27 ID:ugiih9xn
数十人の観客を前に演奏する彼らの姿を見慣れていたBen Taylorは、チケットの売れ行きがいつもと少し違うことに気がついた。

「こんなふうに一瞬で売れた」と、彼はパチンと指を鳴らしてみせる。
「ラジオで流れていたためだろう。Radio 1でHuw Stephensが彼らの曲を流していた。
ライブの出演者はThe 1975、The Last Partyという地元のバンドとCatfish and the Bottlemenで、
彼ら(Catfish and the Bottlemen)はオープニングアクトだったんだが、ノーギャラなのに喜んで演ってくれた」
 
Huw Stephensは、イギリスのレコード会社Dirty Hitの深夜の特集で、
バンドが彼らの最もパワフルな曲のひとつと捉えている”The City”を流していた。
The 1975は、Dirty Hitから”今年の後半に何かをリリースする”バンドとして紹介され、
「Talking HeadsがM83と出会ったような」サウンドと、番組中のインタビューでマネージャーのOborneは表現している。
「彼らはマンチェスター出身だ」と、彼はバンドのバックグラウンドについて答えた。

「放送を聴くために、みんなでラジオを取り囲んでた」と、ハンは振り返る。
「放送は23時半から真夜中の0時で…夜の遅い時間帯だ。
自分達の曲が流れるのを聴こうと、一緒にラジオの周りに座ってたんだけど、
あれは変な感じだったな。
既に知ってる曲なのに、ラジオでちゃんとした曲として聴こえるのか、とにかく確かめたいという感じでさ」
■ The 1975 // Part 11 ■
362 :名盤さん[sage]:2022/04/29(金) 03:16:54.87 ID:ugiih9xn
彼らは、”Sex "をティーザー・トラックとしてリリースした後(作曲者や演奏者の情報は一切明らかにせず)、
彼らの存在をより明確にするための一連の最初のEPをリリースする。

「全てのEPにリード・トラックが収録されているんだ」
と、ヒーリーはMusicOMHに述べている。
「Facedownには"The City "、Sexには”Sex”…まぁEPの題名のままで、そしてMusic For Carsには”Chocolate”。
EPに収録するためのリード・トラックを、アルバムから持ってきたのは変わってるよね。
EPのリード・トラックをアルバムの先行シングルにする事とは真逆だしさ」


それぞれのEPは、ファーストアルバムの一部を中心に書かれており、
そのストーリーの重要な場面を取り上げ、拡張し、新たに飾り立てられている。
後に最初のEPの制作背景について、ハンはBBCにこう明かした。

「すでに "The City "という曲があったんだけど、あの曲は随分前に書いていた曲で。
他の曲のいくつかのラフなアイディアを試してみようとロンドンのスタジオに入った。
教会に併設されたようなスタジオで、少し奇妙な雰囲気が漂っていて、とてもダークなんだ。
バンドのダークな雰囲気を確立したかった。だから、あのEPに収録されている曲は、
ファースト・アルバムに収録されている曲よりも随分メインストリームから離れたものになってる」

こうして、2012年8月の初週に彼らの最初のEP『Facedown』がリリースされた。


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