- 【国宝】東京国立博物館【重文】
523 :名無しさん@お宝いっぱい。[sage]:2018/12/18(火) 20:35:10.12 ID:4PVOmz550 - 沖縄県民が覚醒すればこの島国も変わる。
日本の人権は沖縄県民の意識にかかっている。 この島国の封建文化の枠組みを壊していこう。 市民の勝利は沖縄の独立運動にかかっている。
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524 :名無しさん@お宝いっぱい。[sage]:2018/12/18(火) 20:35:50.92 ID:4PVOmz550 - <台湾に嘘をついて軍隊を派遣した日本の明治政府>
昨年から今年にかけて琉球新報で100回以上にわたって連載された「道標(しるべ)求めて」にも書かれていたが、日本の初代首相の伊藤博文が首謀して行った韓国併合は琉球併合をモデルにしたといわれている。 幕末から明治維新にかけての日本の政治家は皆、異口同音に「琉球人は日本人ではない」と口を揃えて言っていたが、1874年の台湾出兵のときは急に態度を変えて「琉球人は日本人」と主張し始めた。 例えば、伊藤博文、大隈重信、大久保利通らがその代表である。 彼らがなぜ1874年になって「琉球人は日本人」と台湾側に主張したかというと、当時、日本の領土ではなかった琉球を日本に併合したかったから。 つまり、1871年に起きた台湾事件で琉球人54名が台湾の生蕃に殺害されたことを日本の明治政府は領土拡大のチャンスととらえ、日本の政治家や役人は「琉球人は日本人」と主張し、台湾に3000人以上もの軍隊を出すことになったというのが真相である。 明治政府が「琉球人は日本人」と主張したのは、あくまでも琉球という場所を日本に併合したかったからで、「琉球人は日本人」と台湾に主張しなければ台湾出兵の名目が立たなかったからなのは言うまでもない。 要するに日本の明治政府は琉球を併合するにあたって台湾に嘘をついたわけで、ここに日本という国の姑息さが如実に表れている。
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525 :名無しさん@お宝いっぱい。[sage]:2018/12/18(火) 20:36:25.51 ID:4PVOmz550 - 72年前の1945年に沖縄の久米島で日本軍による住民虐殺事件があったが、日本政府はこれについてまだ一度も謝罪していない。
この事件は久米島守備隊住民虐殺事件ともいわれ、久米島に配備されていた日本軍が久米島住民を無残にも虐殺した凄惨極まる凶悪事件としてあまりにも有名である。 日本政府は速やかにこの事件について謝罪する必要がある。
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526 :名無しさん@お宝いっぱい。[sage]:2018/12/18(火) 20:37:01.53 ID:4PVOmz550 - 1947年6月27日にダグラス・マッカーサーが米国人記者団との会見で「沖縄人は日本人ではない」と語ったが、日本政府はこのマッカーサー発言に抗議しなかった。
日本政府は沖縄人を日本人とは見ていなかったから、日本政府が抗議しなかったのはある意味当然のことと言える。 マッカーサーは来日する前から沖縄のことをよく勉強していた。 よく勉強していたからこそ沖縄人が日本人ではないこともよく知っていた。 当時の日本政府も沖縄はもともと琉球王国という独立国だったことをよく知っていたから沖縄人を日本人とは見ていなかった。 日本政府が沖縄人を日本人と見ていたなら「沖縄人は日本人ではない」と語ったマッカーサーに抗議するはずだが、日本政府も沖縄人を日本人とは見ていなかったから抗議しなかった。
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527 :名無しさん@お宝いっぱい。[sage]:2018/12/18(火) 20:37:30.43 ID:4PVOmz550 - 伊藤博文、大隈重信、大久保利通ら幕末から明治維新にかけての日本の政治家は「琉球人は日本人ではない」と言っておきながら、
1871年に宮古島の島民が乗った漁船が台湾に漂着して台湾の先住民族である蛮族に54人が殺害された事件の報復措置として1874年に台湾出兵を決行している。 そのときの明治政府の主張は「琉球人は日本人」。 明治政府が琉球人を日本人と主張して台湾出兵を決行したのは、当時、日本の領土ではなかった琉球を奪い、領土を拡大するという国家としての野望があったからで、 そのため琉球の人々を「日本人」としなければ台湾に対する報復措置の名目が立たなかったのである。 日本の明治政府は政治的な理由で、あるいは都合が良いときだけ「琉球人は日本人」と言って台湾に対して嘘をついていた。
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