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★怪力重量級は60キロ野村忠宏喧嘩して勝てる?★ [無断転載禁止]©2ch.net

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★怪力重量級は60キロ野村忠宏喧嘩して勝てる?★ [無断転載禁止]©2ch.net
84 :無記無記名[]:2017/02/11(土) 21:11:46.82 ID:5nTgbMnO
【思い出すあの感激】

昭和二年筆者十七才の春、何気なく手に入れたユージュン・サンドー
なる人の自伝。世界一の怪力、世界一の筋肉美、まさに青天の霹靂、
グラビア写真二頁にのる偉大な腕広い大きな胸、筆者はその写真に
とりつかれ、グーッと胸に抱きしめた、涙がボロボロ頬を伝う、嬉し
かったのだ、その日は懐に入れて抱いて寝た。

「ようし俺も世界一になるぞ」

この日から将来希望の画家の夢をふっ飛ばし、運動家としての苦難の道を
ここに歩むべく覚醒した。だがこの著には運動法は載っていない。まず道具
を考案することである、鉄棒一本みかげ石二個をそれぞれ左右にグルグル巻き
つけ両手立差し、片手差立ち、また寝差し。重量を加えると両手差しのスタート
たるクリーンが出来ない、さあ困った。やむなく天井の板を剥が梁に綱を通し
鉄棒の両端に結びつけてやって見た(おかげで親父に思い切り殴られた)ピストン
を抜いた自動車のエンジンを背負い、立ったり、しゃがんだり、寝て差したり、
首を強くするには地面を掘りその中に綱をつけた土台石をドッカと入れ、穴の
両端に跨がり両手を左右水平にしての引上げ。指の強靭法には階段を指力のみで
掴み登る狂気じみた方法。あれもやりこれもやり、合間合間に懸垂と腕立てを
猛烈にやった。

一年ほどやって石亜鈴を止め、ダムベルを改良したネジ抜きの両手持ちを考案し、
主としてそれでやるようになった(三、四ヶ月にして、今の
バーベル形式の物を考え出した)この間片手腕立て、片足立ち、重力加重懸垂、
椅子式運動法、チューブ運動法等々種々運動法を考案し益々鍛錬に励んだ、その後
暫らくしてボップ・ホフマン氏の鉄亜鈴運動法の著書を知り早速丸善に注文。
手許に届いた時の喜び、それは何にたとえようもなかった。この時初めて立派な
鉄亜鈴の存在を知り両手持球捍は自分の新案ではないのかとガッカリしたもので
これにより本格的な力技研究に取りかかり、それに自己創案の運動法を加えて努力
に努力を重ね、また工夫した。

当時筆者の運動方法は、時計を前に三分おき、五分おきの何時間という方法と、
雑誌を前に一頁読了、疲労によっては二頁読了、それを何百頁というような
二つの平凡な方法をとった。勿論、朝昼晩にわたって三回。

努力はやっと実を結び、新聞雑誌等に世界的怪力云々の興味本位の記事がやっと
人の目にとまるようになると、それに刺激されてかあちらこちらに不恰好な鉄亜鈴
をふり回す人がボツボツ現れた。
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85 :無記無記名[]:2017/02/11(土) 21:12:34.09 ID:5nTgbMnO
【世界一に挑戦】

その当時、ある日、東京日々新聞(今の毎日新聞)を眺めていた筆者は珍しいニュース
を見た。そこには世界一を自称する外国の力持ちが出羽の海部屋で日本の相撲と力較べを
やるというニュースだった。

「ようし俺がやろう」

その日が来た。筆者は石差しの神田川徳蔵氏と、弟子の飯田一郎君を連れ四十八貫八百の
練習用鉄亜鈴を引っさげて出羽の海部屋へ出かけ「もし外国の力技家に、負けるような事
になると国技たる相撲の名誉を傷つけるであろうから、僕が下っ端相撲に化けてその力持ち
と闘おう、さすればあなた方に傷がつかないであろう」と伝えると協会の人は非常に喜んだ。
そしてこの若い逆三角形の青年の上半身を穴のあくほど眺めていた。その時筆者は土俵の上で、
二、三の力技を公開した。四十八貫八百の鉄亜鈴を寝たままの姿勢で頭の後方から胸上に持来り
十数回連続して差した時にはさすがの力士連もただ唖然としていた。つづいて鉄亜鈴を両腕一杯
差したままの姿勢から胸上へ落下させた事を記憶しておる。

間もなく世界一を自称する力持ちが 力技? を公開、彼は妙な事をやり出した、背中にビール瓶
を挟んで、それに結びつけた紐を力士に引張らせるのであった。全く馬鹿気た力技で寧ろ曲芸と
こそいうべきものであった。翌日の新聞には麗々しくその珍妙力較べ?の写真が出ていた。
力較べは無為に終わったが、何れにせよ天下の横綱幕内連の前で五尺三寸八分逆三角形の二十位の
青年が、あなた方が負けると気の毒だから僕が出てあげようというのだから正に天下の奇観という
べきであったろう。これも今では懐かしい思い出の一つとなった。

やはりその当時、日本一を誇る力技興行家 北畑兼高氏が大森の白木屋で力技を公開した。
筆者は飯田一郎君を連れて白木屋へ乗り込み、彼に試合を申込んだ。試合内容はここでは
省くが彼のやる力技の大半を軽々やって見せた。筆者には練習程度に過ぎなかった。だが
彼の歯力は見事だった。また彼の両手上げも当時としては筆者以外は適する者はなかった
であろう。これには下記の如き壮快な記録がある。

昭和六年頃? スポーツ医学の某医博が全国代表の武道家運動家、学生、児童等の
一万五、六千名の背筋力を機会によって調査せる結果、一位北畑兼高氏二百四十キロ、
二位武蔵山氏、同福井行雄氏二百三十キロ(以下略)武蔵山は当時小結、福井氏は
スポーツマン、今ならこれ位の引き上げは中量級以上の重量級選手なら容易な事では
あろうが、当時としては立派なものといえよう。北畑氏の背筋力が武蔵山の上にあった
ことは彼の生涯に一つの光を加えたものである。
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86 :無記無記名[]:2017/02/11(土) 21:13:16.67 ID:5nTgbMnO
【腕角力日本一】

話は飛んで昭和十一年頃警視庁柔道師範で講道館指折りの怪力を誇るY・K氏が(名前を秘す)
が著者に腕角力を申込んできた。筆者は彼の手首を握って軽く捻った、彼はこんな事が現実の
世界に有り得る事かというようなか顔で筆者を見ていた。同じ年朝日新聞主催で全日本腕角力
大会が開催された。それまで数年間腕角力日本一を誇る高田腎臓氏と筆者は第一回戦に当った、
勝負は簡単、初めて負けを知った彼の後姿を筆者は淋しく見送った。勝負の世界は嫌なものだ。
筆者には余技に過ぎない腕角力も高田氏には生命ともいうべきものだ、筆者さへ出なければ高田
氏は当分日本一でいたのに筆者は彼の心情を推し測って目の前が暗くなった。腕角力日本一を誇る
強者の手首を握って軽く捻る筆者には招待もこなくなった。間もなく筆者は腕角力の公開試合を
止めてしまったがその後高田氏は再度日本選手権を獲得した。この報を筆者は誰よりも喜んだ。

十月号の本誌に体重三二五ポンドのマック・バッチェラー氏なる世界一の腕角力選手権者が不敗の
ままこのたび引退云々の写真とニューズを見て、一体外国にこの種の選手権があったのか、筆者も
当時世界一を自負せるだけに全盛時代にこれが分かっていたら、この大きな男と世界選手権を争った
であろう事を考え、小さな日本選手権で終った筆者はフット淋しくなった。現在実力日本一を誇る
腕角力の龍虎、球捍百キロ近くを無造作に差上ぐるという原氏。握力の強き事全盛時代の筆者にも
比すべき右腕の怪力家辻井鶴吉氏、この二君さらに努力を重ね、遠く視野を海外に向けて腕角力世界
選手権に挑戦してみては如何。

さていつの間にかボディ・ビルと余り縁の無い腕角力の話に突入してしまったが、ボディ・ビルダー
であった筆者は腕角力にも興味を持っていたという事を話したまでである。他に全盛時代の思い出と
して、拳闘道場への入門が道場破りと見なされ、日本選手権者や世界的選手を相手に試合用グローブ
をつけ、入門ならぬ真剣勝負となり、筆者が五分以上に彼らとマッチしたこととか。無段無級の身を
以て講道館へ出かけこれまた入門を申しこみ、なみいる高段者達を唖然たらしめ、ていよく断られた
事など。今はこれ夢の如く幻の如く脳裏に去来する若き日の一駒である。他にもいくつかの物語りも
あるがここいらで止めておく。
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87 :無記無記名[]:2017/02/11(土) 21:14:49.67 ID:5nTgbMnO
【頑張れ若人】

馬車馬のごとく一日十五時間近くの努力、日本で最初の逆三角形の男にはイバラの道
ばかり横たわっていたが、こんな思い出もあったという事を書いて見たままである。

ボディ・ビルダーの諸君よ、力が強ければレスリングでも相撲でも柔道でも、また拳闘
でも、陸上水泳競技以外は何でもつよくなれる。まず逆三角形になることである。逆三
角形になると動作が緩慢になるなどという人もあるが、そんな事はない。緩慢になった
のではなく、その人は逆三角形にならぬ前から緩慢であったのだ。動作はその人その人
の運動神経の敏鈍によるものであって逆三角形のボディ・ビルダーはむしろ常人より敏捷
でなければいけない。その一例は当時世界的拳闘家渡辺裕次郎氏と筆者が拳を交えた時、
筆者のストレート・スイングを渡辺氏が、当時最もスピードを誇った拳闘の雄、川田藤吉
氏と同格に見なした事。その電光石火的スピードに対者川田氏が負けた気がしないといった
事などがそのよい例である。

ボディ・ビルダーでも重量挙選手でも何かというと濶背筋を出したがる。
筆者もその例にもれぬものの一人であるが、第一濶背筋を出しながらでは
どんなボディ・ビルダーでも動作が緩慢になるのは知れたこと。全身の力
を抜けばボディ・ビルダーの動作は常人より敏捷なのである

また逆三角形の人は足が弱い足が細いといわれる、主として腓腸筋を指すものであるが、足が
弱いのでも細いのでもなく、上体の否濶背筋の膨張時のスタイルが素晴らし過ぎるため細く
見せ弱く思わせるのである。ボディ・ビルダーの下肢の生命は太腿筋の発達如何にある。
腓腸筋など余り太くする事に専念せずともよい、この筋が余り太いと、それこそ動作が
鈍くなる(筆者注・角力、柔道の如く足指の強靭を必要とする人達には腓腸筋の発達は
重要である事を附記しておく)。

要するにボディ・ビルダーの逆三角形の身体を逆三角形というのはこの道の成功者が、
皆常人と異なるからに外ならぬ。このことはボディ・ビルダー、ウェイト・リフター
以外の人々が余りにも知らぬからである。

日本独特の言葉か、アメリカあたりではボディ・ビルダーを逆三角形などという
言葉では表現しないのではなかろうか。

(連載 第一回目 終了)
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88 :無記無記名[]:2017/02/11(土) 21:15:59.28 ID:5nTgbMnO
過去に私が1日10数時間トレーニングを行ったということについて「そんなの
でたらめだ」「そんなこと出来る筈はない」と、ビルダーたちは自らを省みてそう
思うようである。また、少しく好感のある人々でさへ「いくら若木さんでも……」と。
さもあろう。もっとも私にしてみれば、どう思われようとかまわぬことなので別に心
かけてもいないが。

 ただ『俺はやったんだ』という自分だけの誇りが、私を身震いさせるのである。
とにかく努力という得体の知れぬ運命との闘いに、俺は勝ったんだという誇りが、
その瞬間、私の血をわき立たせるのである。ただそれだけである。

 科学的トレーニングに惚れこんだ人々には、私の歩んだ道は愚かとも邪道とも
思われるであろう。またそう思われることに私はいささかの苦痛も焦燥も感じない。
要はただ、この場合における精神力と科学のいずれが優るかというだけの問題なので
ある。私自身、科学はもちろん重要視しているが、本物の精神力もまた尊重する一人
でもある。

 ところでビルダーといわれる現在の人たちは、逞しい体作りに一体どれ位の種目に
挑戦しているのか……と考えてみた。大多数のビルダーは、自ら種目を選定し(ある
いは指示され)努力らしいものをしているようであるが、その種目は多い人で20種目、
少ない人では10種目位ではないだろうか。だがこれでも結構見た目の美事な肉体を作り
得るのであるから、それはそれでよしとせねばなるまい。

一方、パワーリフターといわれる力に憧れる彼らも、まさか規定された3種目だけで
1日のスケジュールを終りとする訳ではなかろう。きっと規定外の種目も手がけると
思うのだが、かりに手がけるとしてもせいぜい6〜7種目だろう。

とにかく私がトレーニングしていたときからみると、やや種目が少なく、誠にうらやま
しい限りである。これは何も皮肉ではなく、お偉い方々が科学的、科学的にと、少しでも
苦しい努力を減らすためのトレーニング改造に懸命なためだろう。
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89 :無記無記名[]:2017/02/11(土) 21:18:22.22 ID:5nTgbMnO
ではそれらの種目を次に掲げてみる。◎印は毎日のように練習した種目。○印は週に3日は
行なったと思う種目。△印は週に1日か2日しか手がけなかった種目。

◎プロン・プレス
◎ショルダーブリッジ
◎ベリートスによるショルダー・ブリッジ
◎レスラーブリッジ
△レスラー・ブリッジでツー・アーム・プルオーバー
◎ミリタリー・プレス
○オルタネート・プレス
○ワン・ハンド・プレス
◎ハーフ・カール
◎ツー・ハンズ・カール
◎ゾットマン・エクササイズ
○ワン・ハンド・プレス
○台上カール
○膝利用カール
○アブドミナル・レイズ
○ラタラル・レイズ
◎ツー・アーム・プルオーバー
△ツー・ハンズ・ジャーク
○ワン・ハンド・ジャーク
○デッド・リフト
○ワン・ハンド・デッド・リフト
◎ワン・フィンガー・リフト
○ネック・リフト
◎ワン・ハンド・スナッチ
○ワン・ハンド・スイング
△ベント・プレス
○サイド・プレス
◎ディップス
◎懸垂
◎片手懸垂
◎片足立ち
◎腕立伏臥
◎片手腕立伏臥
◎指立服臥(2本指3本指5本指)

以上の他、頭の後方から胸上に持ってくる運動(肘は曲げたまま)、
バーベルの胸落とし、文字どおりの砂袋でのストレート、スイングの
練習等々があり、これらも週に3日は行なっていた。
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90 :無記無記名[]:2017/02/11(土) 21:18:52.16 ID:5nTgbMnO
また以上にあげた種目をみると、国際重量挙3種目中の2種目まで
練習不足や抜けたりしているが、当時日本には国際重量挙の協会はなく、
もし創立されたらそれからでも間に合うだろうと、プレス以外はまるで
やらぬか、軽く流す程度にし、他の種目の世界記録保持者に挑戦(出来
れば其の国に出向き)、彼らを打倒するのが夢だった。とにかく世界記録
のベルトを1人で5本も6本も獲得したかったのである。しかもボクシング、
柔道、腕角力まで加わったものであるから沢山の種目に挑戦せねばならぬし、
当然、10数時間を費やさねば不可能だった訳である。

とにかく努力というのは、辛い嫌な仕事? である。だがこの辛い仕事に
打ち勝った者にこそ、明日の栄光が待っていることを諸君は忘れてはならない。

「さー、トイレにでも行ってくるか」……その時である……「行く前にワン・セット
やってくか」……これが努力の第一歩なのである。

水泳などは個人個人の素質によって努力らしいものをせずとも大記録を打ち立てる
天才的な若者の出現があるが、ことバーベルを手にする者には、器用さの別はあっても
天才などあり得ないのである。だからこそバーベルそのものの偉大さがあるのであり、
それを操ることの娯しさが存在するのである。

努力は常に人より先行するところに価値がある。されば常に、努力するライバルの上を行く
ものでなければならない。ライバルはセンター内だけのスケジュールばかりではなく帰宅後も
自宅において、ひそかに何セットかを追加しているかも知れない。そこで諸君は「かも知れぬ」
の想定を打ちくだき、それを厳然たる事実として認め、想像における彼のセットを上廻るものを
行なってこそ、初めて努力と闘う者といえるのである。

ここで注意せねばならぬことは、常に自分の体力に応じての努力であり、身分不相応の努力は
厳に慎むべしということである。如何なる努力も、まず底辺から積み上げていくことを忘れて
はならない。でないと、筋肉を損なう恐るべき大敵が諸君を待ち受けているであろうから。

                               若木竹丸


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