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【ミシマイズム】三島由紀夫【その1】

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【ミシマイズム】三島由紀夫【その1】
867 :無記無記名[]:2011/01/26(水) 22:55:17 ID:F5qbRUpC
前景の兵隊はことごとく、軍帽から垂れた白い覆布と、肩から掛けた斜めの革紐を見せて
背を向け、きちんとした列を作らずに、乱れて、群がつて、うなだれてゐる。わづかに左隅の
前景の数人の兵士が、ルネサンス画中の人のやうに、こちらへ半ば暗い顔を向けてゐる。
そして、左奥には、野の果てまで巨大な半円をゑがく無数の兵士たち、もちろん一人一人と
識別もできぬほどの夥しい人数が、木の間に遠く群がつてつづいてゐる。
前景の兵士たちも、後景の兵士たちも、ふしぎな沈んだ微光に犯され、脚絆や長靴の輪郭を
しらじらと光らせ、うつむいた項や肩の線を光らせてゐる。画面いつぱいに、何とも云へない
沈痛の気が漲つてゐるのはそのためである。
すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向つて、波のやうに押し寄せる心を
捧げてゐるのだ。野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思ひが、
中央へ向つて、その重い鉄のやうな巨大な環を徐々にしめつけてゐる。……
古びた、セピアいろの写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないやうに思はれた。

三島由紀夫「春の雪」より
【ミシマイズム】三島由紀夫【その1】
868 :無記無記名[]:2011/01/26(水) 22:55:45 ID:F5qbRUpC
あたかも俥は、邸の多い霞町の坂の上の、一つの崖ぞひの空地から、麻布三聨隊の営庭を
見渡すところへかかつてゐた。いちめんの白い営庭には兵隊の姿もなかつたが、突然、
清顕はそこに、例の日露戦没写真集の、得利寺附近の戦死者の弔辞の幻を見た。
数千の兵士がそこに群がり、白木の墓標と白布をひるがへした祭壇を遠巻きにして
うなだれてゐる。あの写真とはちがつて、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽の庇は
ことごとく白く染められてゐる。それは実は、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に
清顕は思つた。あそこに群がつた数千の兵士は、ただ戦友の弔辞のために集つたのではなくて、
自分たち自身を弔ふためにうなだれてゐるのだ。……
幻はたちまち消え、移る景色は、高い塀のうちに、大松の雪吊りの新しい縄の鮮やかな麦色に
雪が危ふく懸つてゐるさま、ひたと締めた総二階の磨硝子の窓がほのかに昼の灯火を
にじませてゐるさま、などを次々と雪ごしに示した。

三島由紀夫「春の雪」より
【ミシマイズム】三島由紀夫【その1】
869 :無記無記名[]:2011/01/26(水) 22:59:06 ID:F5qbRUpC
百年たつたらどうなんだ。われわれは否応なしに、一つの時代思潮の中へ組み込まれて、
眺められる他はないだらう。美術史の各時代の様式のちがひが、それを容赦なく証明してゐる。
一つの時代の様式の中に住んでゐるとき、誰もその様式をとほしてでなくては物を見ることが
できないんだ。


様式のなかに住んでゐる人間には、その様式が決して目に見えないんだ。だから俺たちも
何かの様式に包み込まれてゐるにちがひないんだよ。金魚が金魚鉢の中に住んでゐることを
自分でも知らないやうに。


貴様は感情の世界だけに生きてゐる。人から見れば変つてゐるし、貴様自身も自分の個性に
忠実に生きてゐると思つてゐるだらう。しかし貴様の個性を証明するものは何もない。
同時代人の証言はひとつもあてにならない。もしかすると貴様の感情の世界そのものが、
時代の様式の一番純粋な形をあらはしてゐるのかもしれないんだ。……でも、それを
証明するものも亦一つもない。

三島由紀夫「春の雪」より
【ミシマイズム】三島由紀夫【その1】
870 :無記無記名[]:2011/01/26(水) 22:59:30 ID:F5qbRUpC
ナポレオンの意志が歴史を動かしたといふ風に、すぐに西洋人は考へたがる。貴様の
おぢいさんたちの意志が、明治維新をつくり出したといふ風に。
しかし果してさうだらうか? 歴史は一度でも人間の意志どほりに動いたらうか?


たとへば俺が意志を持つてゐるとする……それも歴史を変へようとする意志を持つてゐるとする。
俺の一生をかけて、全精力全財産を費して、自分の意志どほりに歴史をねぢ曲げようと努力する。
又、さうできるだけの地位や権力を得ようとし、それを手に入れたとする。それでも歴史は
思ふままの枝ぶりになつてくれるとは限らないんだ。
百年、二百年、あるひは三百年後に、急に歴史は、俺とは全く関係なく、正に俺の夢、理想、
意志どほりの姿をとるかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとほりの形を
とるかもしれない。俺の目が美しいと思ふかぎりの美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、
俺の意志を嘲るかのやうに。
それが歴史といふものだ、と人は言ふだらう。

三島由紀夫「春の雪」より
【ミシマイズム】三島由紀夫【その1】
871 :無記無記名[]:2011/01/26(水) 22:59:57 ID:F5qbRUpC
俺が思ふには、歴史には意志がなく、俺の意志とは又全く関係がない。だから何の意志からも
生れ出たわけではないさういふ結果は、決して『成就』とは言へないんだ。それが証拠に、
歴史のみせかけの成就は、次の瞬間からもう崩壊しはじめる。
歴史はいつも崩壊する。又次の徒(あだ)な結晶を準備するために。歴史の形成と崩壊とは
同じ意味をしか持たないかのやうだ。
俺にはそんなことはよくわかつてゐる。わかつてゐるけれど、俺は貴様とちがつて、
意志の人間であることをやめられないんだ。意志と云つたつて、それはあるひは俺の
強ひられた性格の一部かもしれない。確としたことは誰にも言へない。しかし人間の意志が、
本質的に『歴史に関はらうとする意志』だといふことは云へさうだ。俺はそれが『歴史に
関はる意志』だと云つてゐるのではない。意志が歴史に関はるといふことは、ほとんど
不可能だし、ただ『関はらうとする』だけなんだ。それが又、あらゆる意志にそなはる
宿命なのだ。意志はもちろん、一切の宿命をみとめようとはしないけれども。

三島由紀夫「春の雪」より


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