- 【韓国】国に先駆け私たちで韓国潰し54
634 :皇極天皇は百済の王女[sage]:2013/10/29(火) 21:43:20.46 ID:e747q2iu0 - 小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P38
> 第二章 皇極天皇 > ミステリアスな女帝 > 皇極天皇は謎多き女帝といわれている。なかでも、もっとも不可思議なのが結婚をめぐ > る謎である。『日本書紀』は舒明大王との結婚を再婚とし、―はじめ用明天皇の孫の高向 > 王〔たかむくのおおきみ〕に適〔みあい〕して、漢皇子〔あやのみこ〕を生〔あ〕れませり―と > 伝えている。つまり皇極女帝は好明大王に嫁ぐ前、高向王と結婚して漢王子という男子を > もうけていたというのだ。 > そのころ、国の頂点に立つ大王の妃はよりどりみどりのはずである。にもかかわらず、 > 舒明大王は子持ちで再婚の妃を迎えたという。なぜだろうか。そして先夫との子が漢王子 > というのも気になる。というのは当時、百済からの渡来人の多くが漢人を称していたから > だ。
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635 :皇極天皇は百済の王女[sage]:2013/10/29(火) 21:46:14.32 ID:e747q2iu0 - 小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P39
> 天皇家の系譜『本朝皇胤紹運録〔ほんちょうこういんじょううんろく〕』によると、皇極は > 推古二年(五九四)に舒明大王の弟、茅渟王〔ちぬおう〕を父とし、推古の姪の吉備姫 > 〔きびひめ〕王女を母として生まれ、幼名を宝〔たから〕王女といった。ところが茅淳王の > 生母の大俣王〔おおまたおう〕には漢王女という記述がある。百済の王女だというのだ。
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- 【韓国】国に先駆け私たちで韓国潰し54
636 :皇極天皇は百済の王女[sage]:2013/10/29(火) 21:50:14.56 ID:e747q2iu0 - 小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P39〜40
> 良くも悪くも倭国は朝鮮半島とは緊密で、皇居には「園神〔そののかみ〕」「韓神〔からの > かみ〕」という朝鮮の神が祀られており、平安時代の中ごろまで二月と十一月の卯の日に > は盛大なお祭りがおこなわれていた。『大日本史料』にはその日付がはっきりと明記され > ており、現在の建国記念の日は戦前の「紀元節」に当たり、この日を「韓神」の祭日とする > 学者もいるし、さらにいえば、「韓神」は今も皇居に祀られているという。こんな具合だから、 > 百済王室が倭国と結ぶために大王家に王女を送り込むことは、十分あり得ることだった。 > 古代においては百済の方が先進国で、韓国の歴史博物館の展示物を見ると、百済の方 > が倭国より二百年くらい先を歩いている。先進国の百済の女性は垢抜けていてチャーミン > グだったし、当時は神意を問うて天下を治める時代で大王家は雨乞いのできる巫女を求 > めていたから、霊力の優れた王女であれば、再婚であっても子持ちであっても構わなかっ > た。ただ、唐や新羅との関係から、皇極には百済の王女と明記することは憚られ、その > ために謎多き女帝とよばれたのである。
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- 【韓国】国に先駆け私たちで韓国潰し54
637 :天智天皇は百済の王女の息子[sage]:2013/10/29(火) 21:54:31.62 ID:e747q2iu0 - 小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P52〜53
> 『日本書紀』には、入鹿が殺されたとき、古人大兄王子はすばやく宮殿を抜け出して宮居 > に戻り、「韓人〔からひと〕が入鹿臣を殺した。心が痛む」と叫んで寝所に籠ったと書かれて > いる。 > 古人は上席にいて、葛城が入鹿を誅伐するのを目の当たりにしている。史書には三韓の > 使者が殺したとするものもあるが、それはおかしい。皇極が百済王女だとすれば、葛城王子 > は百済の血をひく王子、おそらく王族の間では韓人とささやかれていたのだろう。古人にとっ > て葛城は王位継承のライバル。だから蔑視の意を込めて常々そうよんでいたのだろう。 ※葛城王子=中大兄皇子、後の天智天皇
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- 中国・韓国・北朝鮮が大嫌いな奥様 84
676 :皇極天皇は百済の王女[sage]:2013/10/29(火) 23:33:41.25 ID:e747q2iu0 - 小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P38
> 第二章 皇極天皇 > ミステリアスな女帝 > 皇極天皇は謎多き女帝といわれている。なかでも、もっとも不可思議なのが結婚をめぐ > る謎である。『日本書紀』は舒明大王との結婚を再婚とし、―はじめ用明天皇の孫の高向 > 王〔たかむくのおおきみ〕に適〔みあい〕して、漢皇子〔あやのみこ〕を生〔あ〕れませり―と > 伝えている。つまり皇極女帝は好明大王に嫁ぐ前、高向王と結婚して漢王子という男子を > もうけていたというのだ。 > そのころ、国の頂点に立つ大王の妃はよりどりみどりのはずである。にもかかわらず、 > 舒明大王は子持ちで再婚の妃を迎えたという。なぜだろうか。そして先夫との子が漢王子 > というのも気になる。というのは当時、百済からの渡来人の多くが漢人を称していたから > だ。
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- 中国・韓国・北朝鮮が大嫌いな奥様 84
677 :皇極天皇は百済の王女[sage]:2013/10/29(火) 23:35:14.22 ID:e747q2iu0 - 小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P39
> 天皇家の系譜『本朝皇胤紹運録〔ほんちょうこういんじょううんろく〕』によると、皇極は > 推古二年(五九四)に舒明大王の弟、茅渟王〔ちぬおう〕を父とし、推古の姪の吉備姫 > 〔きびひめ〕王女を母として生まれ、幼名を宝〔たから〕王女といった。ところが茅淳王の > 生母の大俣王〔おおまたおう〕には漢王女という記述がある。百済の王女だというのだ。
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679 :皇極天皇は百済の王女[sage]:2013/10/29(火) 23:39:58.98 ID:e747q2iu0 - 小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P39〜40
> 良くも悪くも倭国は朝鮮半島とは緊密で、皇居には「園神〔そののかみ〕」「韓神〔からの > かみ〕」という朝鮮の神が祀られており、平安時代の中ごろまで二月と十一月の卯の日に > は盛大なお祭りがおこなわれていた。『大日本史料』にはその日付がはっきりと明記され > ており、現在の建国記念の日は戦前の「紀元節」に当たり、この日を「韓神」の祭日とする > 学者もいるし、さらにいえば、「韓神」は今も皇居に祀られているという。こんな具合だから、 > 百済王室が倭国と結ぶために大王家に王女を送り込むことは、十分あり得ることだった。 > 古代においては百済の方が先進国で、韓国の歴史博物館の展示物を見ると、百済の方 > が倭国より二百年くらい先を歩いている。先進国の百済の女性は垢抜けていてチャーミン > グだったし、当時は神意を問うて天下を治める時代で大王家は雨乞いのできる巫女を求 > めていたから、霊力の優れた王女であれば、再婚であっても子持ちであっても構わなかっ > た。ただ、唐や新羅との関係から、皇極には百済の王女と明記することは憚られ、その > ために謎多き女帝とよばれたのである。
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680 :天智天皇は百済の王女の息子[sage]:2013/10/29(火) 23:41:17.07 ID:e747q2iu0 - 小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P52〜53
> 『日本書紀』には、入鹿が殺されたとき、古人大兄王子はすばやく宮殿を抜け出して宮居 > に戻り、「韓人〔からひと〕が入鹿臣を殺した。心が痛む」と叫んで寝所に籠ったと書かれて > いる。 > 古人は上席にいて、葛城が入鹿を誅伐するのを目の当たりにしている。史書には三韓の > 使者が殺したとするものもあるが、それはおかしい。皇極が百済王女だとすれば、葛城王子 > は百済の血をひく王子、おそらく王族の間では韓人とささやかれていたのだろう。古人にとっ > て葛城は王位継承のライバル。だから蔑視の意を込めて常々そうよんでいたのだろう。 ※葛城王子=中大兄皇子、後の天智天皇
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