- 韓国映画総合16
179 :名無シネマさん[sage]:2011/09/15(木) 16:02:43.85 ID:s9deULRq - >>175
ネタバレ御免でレスします。順序が逆になるけど、映画の解釈を先に。 ヘウォンの他者に対する無関心は、必ずしも我慢という形を取るものではなかった。 それは借り入れの相談に来た老婦人に対する彼女の態度などに見て取れると思う。 事なかれ主義だけなら、掃除のおばさんに嫌がらせをされることはなかっただろう。 そしてボンナムはム島で生き抜いていくことを志向して耐えていたのではなくて、 ずっと以前から逃げだしたくて、たったひとりの友達のヘウォンに手紙を出したり 電話をしたりしていた。休暇(実質停職)の気晴らしにム島行きを選んだことは、 他人に対する無関心より、ヘウォンの無情さを印象づけはしなかったろうか。 劇中のヘウォンは世界の不条理を容認しているどころか、彼女自身が世界の不条理の 象徴みたいな存在だったのじゃないかな、少なくとも「改心」するまでは。 あなたはヘウォンのライフスタイルの形成に過去のセクハラやパワハラの語られない バックストーリーを想定しているのかもしれないが、劇中に示されている限りでは ボンナムとヘウォンをパラレルに見る理由は見当たらない。 さて、「嫌韓な方々」と、ある種の観客の反応の同質性に話を戻します。 個人を圧迫する共同体が破壊されることにある種のカタルシスがあることは認めます。 しかしカタルシスは、共同体がより好ましい姿に生まれ変わったときに感じるべきで、 再生なき破壊に感じるカタルシスは不健康なものではないか。 タイトルが示すとおりボンナム本人も怪物になっちゃったわけで、彼女の凶行に 歓声を上げることには、おぞましさが付きまとわざるを得ない「はず」。 なぜなら、島の住人を惨殺することは、惨めなボンナムを余計に惨めにするだけに 違いないし、自分のことを棚上げしてボンナムに同一化しきれるほど身奇麗な人間は なかなかいないはずだから。 にもかかわらず、「やったぁ! もっとやれ!」って手放しで歓声をあげられるとしたら、 私の考えでは、その人は被害者意識で自分を免罪しているからだと思う。「嫌韓な方々」が、 自分たちを「入り込んでくる異質なもの」に脅かされている被害者と思い込んでいるように。
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180 :名無シネマさん[sage]:2011/09/15(木) 16:26:55.39 ID:s9deULRq - ネタバレついでにw
ボンナムにとってヘウォンは島の外の世界との唯一の接点だった。だから、 どんなにつれなくされてもヘウォンを嫌いになれなかった。 週末公開の「アジョシ」では、キム・セロン演ずるひとりぼっちのソミのために ウォンビン演ずるテシクが命を懸けて闘うぞ、みんな観ろよ
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182 :名無シネマさん[sage]:2011/09/15(木) 19:47:11.99 ID:s9deULRq - >>181
「ビーデビル」はたしかに水準以上の映画ではあるけど、殺される順序や警察署での ラストシーン、エンドロールなどに脚本・監督の作為を感じてイラっとするところがある。 ソ・ヨンヒの演技はとてもすばらしいんだけど、麻婆島、無道里に続く秘境三部作の 完結編としてはいささか不満、なんてねw
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