トップページ > 映画一般・8mm > 2011年09月07日 > aUP3R0vH

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名無シネマさん
蓮實重彦 Chapitre 20

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蓮實重彦 Chapitre 20
319 :名無シネマさん[sage]:2011/09/07(水) 06:07:38.29 ID:aUP3R0vH
>>300
「おれの評論」!!!「評論」のつもりだったのか!www

要するに、自分はテマティスムを娯楽として楽しめないと言いたいんでしょ。
それは全然かまわないんだが、誰も訊きもしないのにその理由をずらずらと書き連ねて、それを評論と称するアホらしさ。

けいおんは見たこともないし興味もないから知らんが、
例えば宮崎駿の「飛翔」や「液体」の表現の質的統一性を主題論として語るとかはできるだろう。
それで「妄想乙wで一発退場」になるかどうかは分からんよ。
蓮實重彦 Chapitre 20
323 :名無シネマさん[sage]:2011/09/07(水) 15:42:31.99 ID:aUP3R0vH
どんな作家の作品を見ても、池沼の癖としか感じられないんなら仕方ないが、
ドゥルーズと共に「究極的な差異である本質は、それを反復する以外に何ができるだろう」(『プルーストとシーニュ』)
と言うことが出来るなら、「質的統一性」を手がかりに、作家の世界に入っていくのも楽しいだろう。
「すべての生産は印象から発する」し、「芸術作品の形式的構造だけが、外在的なものを参照せず(略)作品の用いる断片的材料を解読できる」
と思うことが出来るなら、いわゆる「印象批評」と見なされるようなアプローチにも必然性があるとも言える。
印象批評への批判は、人を好き嫌いでとやかく言うなという常識的道徳の周りを巡っただけで、
批判されていたのは印象批評というより、批評になっていない批評だと小林秀雄も言ってたな(「様々なる意匠」)。
蓮實重彦 Chapitre 20
334 :名無シネマさん[sage]:2011/09/07(水) 19:50:51.57 ID:aUP3R0vH
テマティスムだってマンガ夜話並みに明瞭だったりするけどな、俺は。勿論、ものによるけど。
IXVcFSwCにとって「そもそもテマティスムじたい意味不明」なのはしょうがないし別にいいんだよ。
それを何とかこんな2ちゃんねるなんかで正当化しようと頑張って長文書いてることこそ意味不明。

>>325
>そこを情報伝達すれば、読者は得じゃん?
とかね、なんの「得」になるのかとw
色々知ってて詳しいね、とか、情報の交換とか、そういう社交にしか興味がないんだろうね。
だからここで延々と喋り続ける。「ドゥルーズじたいがトンデモらしい」とか、「らしい」で話をすんなよw

あと、まさかとは思うが>>328のバルトって、デリダの間違いじゃないだろうな?
蓮実がどっかでバルトについて言ってんだよね?俺も熱心な読者じゃないからソース教えてくれよ。
蓮實重彦 Chapitre 20
335 :名無シネマさん[sage]:2011/09/07(水) 19:56:15.85 ID:aUP3R0vH
まぁ、歴史的にその作品の表現がどういう位置なのかといった社会的、相対的な位置づけができて、
作品の理解に際して得だとか言いたいんだろうけど、それはあくまでも「外在的なものを参照」してるに過ぎないんであって。
作品を通して、者の見方や感じ方を少しは変えてみたいとかいう欲求がないんだろうから、それは仕方がない。
だから「質的統一性」みたいな言葉の意味を、日本語を知らないかのように質問したりする。


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