- 蓮實重彦 Chapitre 20
198 :名無シネマさん[sage]:2011/08/30(火) 19:40:24.00 ID:jiIBiJJt - というより、蓮はつねに何らかの仮想敵を想定して、それを高踏的に揶揄してきただけ。
自分の趣味に自信があった、ということだろうが、ポモがなければどうだったか。 小津について人文系の玄人がいいそうなことを前もって織り込んで書いている。 ただ表立ってそれを批判するわけではない。
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199 :名無シネマさん[sage]:2011/08/30(火) 19:50:01.03 ID:jiIBiJJt - 蓮によって映画の評価基準というものが確立したわけだけど、ホークス=ヒッチコック原理主義とゴダール主義は矛盾している。ダブスタ。
このへんアメリカと50年代フランスの微妙なニュアンスの違いなんだけど。 ゴダール主義を徹底すると、けいおん、とかも論じないとならなくなってくる。 ゴダールの場合、映画って記号の問題だからね。 確かにヌーベルバーグがアメリカの通俗映画を褒めて、ホークス=ヒッチコック原理主義が成立したんだけど、ゴダールは、それはすぐに放棄したわけで。 一方、当のハリウッドは、原理主義ではなく商業主義だから、市場に適応すべく、どんどん変貌していき、いまや宮崎駿や押井守こそが、最先端になってしまった。 そこには、在りし日のホークス=ヒッチコック主義なんてない。
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201 :名無シネマさん[sage]:2011/08/30(火) 19:54:58.77 ID:jiIBiJJt - だから、蓮界隈がジョーダンテやイーストウッドなんかを無理筋で褒めるのは、もはや反動なんだよね、ハリウッドに対する。
かつて大衆の側に立ってインテリを揶揄していたシネフィルだけど、今はもう大衆とは縁が切れている。これはもう典型的なスノビズムだよね。 ダンテやイーストウッドなんて何も目新しくないんだから。 他方でゴダール大明神は、北村龍平を引用する。 これなんだよね。 蓮的なものとゴダールの決定的な違い。
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204 :名無シネマさん[sage]:2011/08/30(火) 20:07:08.69 ID:jiIBiJJt - >>200
いや、ネットが出てきたことで、かえって蓮的なものが機能するようになった、と思うよ。 はてなダイアリーとかで「イーストウッド」とか検索すると、ぞろぞろその手の趣味の持ち主が出てくる。 同じ20代だけど、蓮基準って結構しぶとく生きている。 なぜか、というのは、いろいろ持論はあるけどね。 まあ、ある種の人間にとっては蓮的な「画面」というのは論じるのは実は容易かったりする。 結局、体質やある程度生まれ持った脳の機能的な違いなんだよね。 同じ映画観ても主題を考えるのと映像に注意するのとがいるわけで。 蓮の言説が流行したのは、文学とか読む層にとって「死角」だったことと、エンタメで育った若い連中にとって「当然」だったこと、この二つが主要因。 主題の練りこみ具合が映画の評価基準じゃない、ってことは、現代社会をふつうに生きている人間にとっては当然の理屈でしょ。 体質が変わってきたわけ。
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206 :名無シネマさん[sage]:2011/08/30(火) 20:16:08.26 ID:jiIBiJJt - ただ、現代の大衆は趣味が過剰にアップトゥーデートされているせいで、蓮の趣味はいくぶん古くみえる、っていう面もある。
それは上で書いた現在のハリウッドとかつてのハリウッドの違い、とも重なる話なんだけど。 たとえば、エヴァとか好んで見ている層に青山真治を見せてもきっと退屈なんだよね。 エヴァのほうが新しいことは確かなんだけど。 だから結局青山真治や黒沢清は大衆化されなかった。 映像に対する価値観が違う。
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207 :名無シネマさん[sage]:2011/08/30(火) 20:24:40.02 ID:jiIBiJJt - というか、現状は朝日の記事と違っていて、いまや映画は3dcg全盛なわけで、「ハスミ節」では分析できなくなっている。
映画というものを成立させていた技術的基盤が違う。 ある意味でレトリカルにいえば「映画」は事実上「死んだ」わけでしょ。 映画館で上映している映像、という定義になったわけで。 それなら、アニメも入ってくるよね、という。 そもそも映画館で映画を観る、というのが時代遅れ、というか。 ゴダール。
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