- 【芸能】タッキー新事務所にモヤモヤ… オーディション動画に小学生の少年ばかり [ネギうどん★]
223 :名無しさん@恐縮です[sage]:2023/05/28(日) 10:50:40.84 ID:MxqA4UZR0 - 18年いっぱいで芸能活動から引退し、19年からはジャニーズJr.の育成や舞台のプロデュースなどに専念している滝沢秀明さん(37)は、20歳のころのインタビューで、ジャニーさんへの憧れを口にしていた。
「本当になりたいのは『プロデューサー』って言われる人かもしれない。 特にジャニーさんになりたい! Jr.のオーディションでは俺も審査に参加させてもらっているんですけど、俺はまだ見る目がないんですよ。 小さいころからショーを作ることがすごく好きだったんです。 ジャニーさんにひっついて『俺も海外行く!』って。一緒にミュージカルやショーを見せてもらったり、 ビデオをいっぱい借りて、毎日、ずっと見てたりしましたね」(アサヒグラフ「person」02年5月号) 滝沢さんは、その後もよくジャニーさんへの感謝と尊敬を口にしていた。引退直前のAERAのインタビューでは、こう宣言した。 「僕は一番近くでジャニーさんのやり方を見てきましたから。 あのやり方は絶対にこれからも続けなきゃいけないし、残していくべきもの。 まだまだ勉強中ですが、僕ができることは責任を持って全部やりきろうと思ってます。
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229 :名無しさん@恐縮です[sage]:2023/05/28(日) 10:52:49.64 ID:MxqA4UZR0 - 317 :陽気な名無しさん:2006/02/28(火) 17:04:40
『徹子の部屋』で滝沢秀明、曰く、「プロレスラーになりたかった理由は 男同士が肌と肌で接し合えるから」との由。やはり、男同士の絡みが 大好きらしいゼッ! オイルを全身に塗ってレスリングをやらせたら、ひとりで よがり出しそうな雰囲気だったぞーッ!!!
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231 :名無しさん@恐縮です[sage]:2023/05/28(日) 10:54:01.67 ID:MxqA4UZR0 - 幼少期に両親が離婚し、母に育てられてきた滝沢さん。両親の離婚後は「極貧生活」を送っていたとして、
「ジャニーズとの出会いが僕の人生を180度変えた」と話した。 ジュニア時代にはたびたびジャニー氏の自宅に招待され、ファミリーレストランで食事をともにした。 こうしたふれあいの中で、礼儀やマナー、人との接し方を学んだという。 「他の人には言えないことがジャニーさんには言えるっていう安心感は多分みんなあったんじゃないかなと思います」 思春期にはジャニー氏にいらだちをぶつけることもあったとして、 「こっちが強く当たってもあっちが引くってことはよくありましたね」と振り返った ジュニアのリーダー的存在であった滝沢さんに、あるときジャニー氏はこんな言葉をかけたという。 「僕はタッキーに10のことをあげるから、タッキーは1でもいいから僕に返しなさい。その1は挨拶でもいいんだ」 ジャニー氏へ恩返しは「後輩を育てること」だと考えた滝沢さんは、ジュニア時代から後輩たちの相談に乗っていた。 後輩の山下智久さんは、よく相談に乗ってもらっていたとして、番組の中で 「滝沢くんにならなんでも相談できる」 「(ジュニアたちの)お母さん役にもお父さん役にもなれる先輩でしたね」 と話していた。滝沢さんは、ほかのジュニアたちから「小さなジャニーさん」と呼ばれていたという。 2019年以降は「プロデューサーになって、さらにジャニーズの良さを知ってもらいたい」という滝沢さん。 ジャニー氏への「親孝行」への思いが強い。 「ファンの方には申し訳ないですけど、僕はジャニーさんに親孝行がしたい。 今までにジャニーさんに)まだ1個も返せていないと思います。 タレントをやりながらではダメ。ジュニアは人生をかけて活動しているので、僕も人生をかけなきゃいけない
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247 :名無しさん@恐縮です[sage]:2023/05/28(日) 10:58:04.72 ID:MxqA4UZR0 - 滝沢は中学生になると、貧しい家計を助けるために、仕事を探すようになった。
子供でも働ける場所――そんな時、たまたま目にしたのが、姉が夢中になっていたKinKi Kidsだった。 アイドルになりたいわけではなかったが、働きたい一心でジャニーズ事務所に自ら応募した。 書類選考を通過してオーディション会場に向かうと、質素な服を着た1人の男性が参加者にハンバーガーを配っていた。 オーディションが終わるとその男性は滝沢にこう告げたという。 「ぼくがジャニーです」 滝沢が初めて“父”に出会った瞬間だった。そこから滝沢の人生は急転する。 オーディション1週間後にジャニー社長から連絡が入り、2週間のダンスレッスンを受けただけでKinKi Kidsのバックダンサーとして初ステージに立った。 「その後、スターへの階段を駆け上がっていくタッキーに、ジャニーさんは歌や踊りだけではなく、人間としての礼儀やマナー、立ち居振る舞いまで厳しくも温かく教え込みました。 タッキーが反抗期を迎えて大変な時期もありましたが、ジャニーさんはしっかりと受け止めていた。 よく、“滝沢は母親譲りの女の子のような美しい肌を持っている。 でも男っぽいんだよ”と評価していました。 2人は実の父と子のような関係だったように思います」(前出・芸能関係者) ジャニー社長の教えを吸収していった滝沢は14才でオーディションの面接官を担当するようになった。
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251 :名無しさん@恐縮です[sage]:2023/05/28(日) 10:59:00.55 ID:MxqA4UZR0 - 数多くのジャニーズアイドルがいる中、なぜ滝沢秀明なのか。
「ジャニーさんにとって最大の宝物は滝沢秀明さんだからです。これに尽きます。 彼のいない事務所ならば無いに等しいというほど溺愛しています。 滝沢さんはルックスも声も演技もジャニーズの王道をゆくタイプで、まさに王子様キャラです。それでいて男性からも女性からも嫌悪感を持たれない人物でもあります。どんなに活躍するタレントがほかにいても、ジャニーズの本流として後進を育ててほしいんだと思います」(同)
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269 :名無しさん@恐縮です[sage]:2023/05/28(日) 11:03:21.25 ID:MxqA4UZR0 - 午後2時半、ジャニー喜多川氏を乗せた黒塗りの霊柩車が、地下駐車場から雨天の空の下へと姿を現した。
通常、親族などの喪主が座る助手席には、遺影を胸の前に大事に持った滝沢秀明が悲しみをこらえるかのように、うつむきながら静かに座っていた。 「本来なら、姉であるメリー喜多川さんか、ジャニーさんの跡を継ぎ事務所社長に就任すると噂される、姪のジュリー藤島さんがその席に座るのが自然なハズ。 ですが、そこに“血の繋がりの無い”タッキーが座っていたというのは、とても不思議でなりません。 テレビやスポーツ紙などの大手マスコミは排除されていたので、対外的な目を気にしてメリーさんやジュリーさんが、あえて滝沢にそこを譲ったとは考えにくい。 となると、考えられるのは、ジャニーさんが生前に滝沢と『養子縁組』をしていた可能性も否定できないですよ」(芸能プロ関係者) 18年9月に滝沢が芸能界引退しプロデュース業に専念すること発表した際、ジャニー氏は、 「私は驚きとともにうれしくて涙がこぼれそうでした。このような決断をしてくれた滝沢には心より感謝しています」 と喜びにあふれたコメントを出している。 ジャニーズグループの子会社の社長でしかなかった滝沢。葬儀での立ち位置を見ると、ジャニー氏の跡を継ぎ、ジャニーズ帝国に君臨する日は、そう遠くないのかもしれない…。
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412 :名無しさん@恐縮です[sage]:2023/05/28(日) 12:16:12.32 ID:MxqA4UZR0 - 萩本欽一インタビュー
――最後にお会いしたのは2010年1月、ジャニーさんが演出した帝国劇場での舞台「新春 人生革命」のときだったそうですね。 「森光子さんとタッキー(滝沢秀明さん)が出ている舞台で、ジャニーさんとは昼の部の終演後に久しぶりにお会いしました。 夜の部が始まる時間間際まで弁当を食べながらおしゃべりしましたよ。その時ジャニーさんは、タッキーを未来のジャニーにしたい、と熱心に話していました」
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