@ 第18代の腆支王は太子の時に日本に人質(397年)になっている。 A 660年唐に第31代の義慈王が降伏し滅亡したため、百済を復興させるために、日本に人質になっていた王子扶余豊璋を、阿倍比羅夫の援軍をつけて送り返している。 B 中国の隋書・倭国伝に、倭は新羅、百済から大国として敬われ、倭に朝貢しているという記述がある。 C 韓国扶余の陵里山にある百済王歴代の古墳の棺材には日本のコウヤマキが使われている。 D 広開土王の碑に、「新羅、百済は高句麗の属民であったが、倭が391年に海を渡り百済、加羅、新羅を破り、臣民となした。」とある。 E 中国(漢、魏)から倭は金印をもらっているが、朝鮮半島の国は銅印(泥印)以外もらっていない。