>>576 「私は自分の見たものしか信じない」I only believe what I see. まあ、哲学的に言うと、これとちょっと近いのは To be is To perceive. 「存在すると言うことは知覚することである」という バークレーの観念論に近い。 知覚されたものの外にあるものは存在しない。 存在するということと信じるっていうことは別のことのようにみえるけど、 信じるっていう心の作用は基本的に真理を狙うという特徴を持っていて たとえば「私はxがあることを信じているけど、xは実在しない」 というのはパラドキシカルに聞こえる。 このような言明を哲学ではムーアのパラドックスという。 これが例えば「私はxがあることを望んでいるけど、xは実在しない」 だったらパラドックスにはならない。 信念は命題が真であることを狙うという特徴があるからこそ、上の文がパラドックスに聞こえる。 つまり、「自分が見たもののみを信じる」ということは、「自分が見たもののみを真であると信じる」 これは自分が見たものの実在性へのコミットメントを含む言明として受け取れる。 「自分が見たもののみを真であると信じる」は、実在していると私が思っているものは 私が実際に見たものだけであるということになり、結局これは「実在することは知覚することである」 というバークレーの主張に等しくなる。 ただ、内田の場合は、知覚するという表現ではなく見ることといってる点だけが違う。 自分の見たことしか信じないという主張はある意味、外界について視覚以外の メカニズムを頼って信念を形成せざるをえない先天盲人をバカにした主張とも受け取れる。