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名無しさん@恐縮です【サッカー】ジーコ監督、W杯後は欧州のクラブ監督を希望
【サッカー】五輪日本代表監督に反町康治氏、大熊清氏が有力候補
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG

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【サッカー】五輪日本代表監督に反町康治氏、大熊清氏が有力候補
96 :名無しさん@恐縮です[sage]:2006/04/16(日) 02:14:00 ID:Tv6htr/N0





           ふざけるな




【サッカー】五輪日本代表監督に反町康治氏、大熊清氏が有力候補
103 :名無しさん@恐縮です[sage]:2006/04/16(日) 02:17:25 ID:Tv6htr/N0
大熊HYODOと心中とかマジ勘弁
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
185 :名無しさん@恐縮です[sage]:2006/04/16(日) 02:20:57 ID:Tv6htr/N0
>>45
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
257 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:44:21 ID:Tv6htr/N0
キングカズは神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に
食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで。
カズが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと
騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
サインをしてくれた。
高校生達がカズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズは
いい笑顔で会話を交わしていた。
そしてカズは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さん(カズ妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
260 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:45:42 ID:Tv6htr/N0
「サッカーボールはボクの命だ!(14歳)」
「プロのサッカー選手になる!ブラジルで!(15歳)」
「将来は全日本。日本のためにサッカーをしていきたいと思います(18歳)」
「サッカーでスーパースターになりますから(19歳)」
「日本をワールドカップに連れて行く(23歳)」
「国立を満員にしてみせる(23歳)」
「1億円プレイヤーになってやる!(24歳)」
「足に魂込めました(26歳)」
「バモラ!(27歳)」
「W杯に行くために(イタリアから)何かをつかんで帰って来たい(27歳)」
「日本代表としての誇り、魂は向こうに置いて来た(32歳)」
「自分の中のチャンピオンベルトを取り戻したい(33歳)」
「まだまだこれからだよ(35歳)」
「サッカー以外の全ての面でもニックネーム(KING)に相応しくありたい(36歳)」
「ドイツでお会いしましょう(38歳)」
「サッカーは世界中でやってるんだぜ(38歳)」
「大好きだ神戸、ありがとう!(38歳)」
「今度の舞台は関東だな(38歳)」
「全盛期?これからだよ(38歳)」
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
269 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:46:59 ID:Tv6htr/N0
ブラジルのサッカー選手を夢見る孤児たちを育てる団体に、カズがサッカーボールを送ったことがあった。
それも、200個ものボールを。 子供たちは、とても喜んだ。

しばらくして、やはりJリーグが同団体にボールを寄付することになった。
エージェントが現地へ赴き、少年たちにボールを渡す。
少年たちはやはり喜んだが、渡されたスポルディングのボールを見て
「スポルディングではなくて、メーカーは『カズ』が良かった。」
「『カズ』のボールはとても使いやすかった」
と口々に言う。

Jリーグのエージェントは首をひねった。カズ?そんなメーカーがあっただろうか。
「これだ」と、手渡されたボロボロのボールを見てエージェントは驚いた。
すでにかすれてしまっているものの、ボールにははっきりとサインペンで

「夢をあきらめるな カズ」

と、現地の言葉で記した跡があった。
200個ものボール全てにカズは自筆のメッセージとサインを入れ、
それを子供たちは「カズ」というメーカーのボールであると思い込んでいたのだ。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
274 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:48:56 ID:Tv6htr/N0
Jリーグが始まった年だから、もう何年前になるんだろう。
名古屋の栄の焼き肉屋へ家族で行ったときのこと。
座敷席にカズさんと北沢選手と、数人の女の子がいた。
多分遠征中だったのだろう。

当時高校生の俺の小学校三年の弟はサッカーをやっていた。
せっかくだからと、尻込みする弟をカズさんの前へ連れて行き、
「お楽しみのところすいませんが」
弟がサッカーやっているんで、何か言葉をいただけると励みになるんですが。
と厚かましく、言った。
カズさんは、「お、サッカー少年か」と楽しそうに言いながら、座敷席の奥からわざわざ立ってこちらへ
来てしゃがみ込み、弟と目線を同じ高さにした。

「サッカー少年は勉強がよくできるか?」と、いきなりキングは弟に聞いた。
弟の成績はそれなりによい。弟はうん、と答えた。
するとキングは
「頭のいいやつは、トップ下MFがあってる」と、カリオカ、ラモスの名前を挙げた。
さらに何かを言おうとするキングに、連れの女の子が、ねえまだーと露骨にいやそうな顔をした。
カズは、振り返って一言言った。
表情は向こう向きだったから、わからなかったが、多分厳しい顔をしていたのだろう。
「うるさい。俺たちは今サッカーの話をしているんだ」
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
280 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:51:05 ID:Tv6htr/N0
今から6年前、僕が国体の強化選手に選ばれていて
もちろん将来はプロサッカー選手にと思っていた時
練習中に大腿骨窩と大転子の骨折によりもうサッカーは
将来できないと医師に言われ落ち込んでいた時
2〜3ヶ月後に手紙がきた。カズさんからだった。
部活の顧問がたのんだらしい

「君はサッカーができなくなってしまったけど
プレーする事だけがサッカーじゃないんだよ。
応援する事はフィールドに立っていると同じ事なんだ。
サッカーは選手と応援があってサッカーと言えるんだ。
サッカーを嫌いにならないでほしい、そして愛してほしい」

                      三浦知良
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
284 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:52:32 ID:Tv6htr/N0
最近では、各選手のサイン離れも目立つ。

これは、ある商社マンに聞いた 話だが、食事に入った日本料理店が、
偶然、日本を代表する選手の常連の店だった。ある時、そこの店主が、
その選手にサインを頼んだところ、めんどくさそうな顔をして色紙に殴り
書いたのだという。店主は「こんなも のいらない」と言った。商社マンが
譲り受けてきたものを見せてもらった が、誰のサインなのかも分からない
モノだった。

今年2月に行われた神戸の高知キャンプでは、まったく対照的なシーン
を見た。カズは毎日、練習後に200〜300人のファンに丁寧にサイン
をした。ある時、あまりの人数の多さに、カズの身の危険を感じたチーム
のスタッフが、カズを裏口から「脱出」させようとした。
しかし、猛反発したのが、実はカズ本人だった。

「ダメだよ。みんな待ってるじゃん。帰っちゃったら、かわいそうだよ」。

そう言って人影の中に飛び込んで行った。

ttp://www.kazu-miura.com/lock/010713.html
より抜粋
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
287 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:53:02 ID:Tv6htr/N0
カズがVERDYにいた頃、読売ランドへ練習を観にいった。
その日は雨だった事もあり人が少なく、わくわくしながら待っていた。
ラモス、武田、ビスマルクらがそうそうと練習を引き上げていく中、
カズだけはFKを何度も何度も蹴って、なかなかこっちに来ない。
びしょ濡れになり、少しブルーになりながらも待つこと数十分・・・・。

カズが来た。
足早やに駆けてくるカズにサインをお願いした・・・・
が、すでにサイン色紙は濡れて、マジックで書けそうもない。
そんなときカズは言った。


「せっかく待ってくれてたんだもんな、ホラ、これに書くよ」


そういうと自らが着ていたユニフォームを脱ぐとサラサラサラ・・・
そしてそこにサインをすると、私にくれた。

少しにじんでいるKAZUの四文字をみると今でも彼の笑顔を思い出す。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
288 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:53:45 ID:Tv6htr/N0
カズが、読売ヴェルディ時代に、 甥っ子連れてサッカー場行った時の事。

 カズは当時、絶大な人気だった。(その試合では2得点ゴール) あれだけ人気なんだから
きっと天狗になって調子こんだヤローなんだろうな。と思っていた。 試合が終わり、甥っ子
が、どうしてもカズのサイン欲しいと、言うこと聞かず、 近くに居たヴェルディーファンに
「どうしたらもらえますか?」と聞いたら チームバスで来ていたら、 それに乗り込む時にもら
えるかもしれませんよと教えてもらい、 そこに連れて行ってもらった。

 するとカズが現れた。 前の方にいた甥っ子と自分は、 周りの黄色い声に、圧倒されてた
じろいでいた。 そして甥っ子は、怖くなって色紙とサインペンを持ちながら泣いていた。
 そしてカズが、前を通り過ぎようとしていた。 勇気を振り絞って甥っ子が、色紙とサイン
ペンを一生懸命差し出すも、 近くに居た、ギャルっぽい女が甥っ子を押しのけて、
サインをもらおうとしたその時、

「小さい子供いるのが見えないのか?」

と女に言い放ち 自分の甥っ子の頭をなでて、 満面の笑顔で

「大きいサインあげるか ら泣かないで」

と、 色紙いっぱいにサインしてくれた。
 そしてさっきの女がサインもらおうと、カズに差し出すも、 カズは無視。バスに乗り
込んでいった まさにKINGこそ漢。 私は、それ以来熱狂的なカズ崇拝者です。
その後甥っ子は中学生になり、サッカー部に入部。 背番号11FWとして、活躍している。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
294 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:54:44 ID:Tv6htr/N0
俺は代表合宿に参加するモリシとアキを激励しようと、選手達の到着を待ちわびていたんだ。
そうこうするうちに選手達を乗せたバスが駐車場に到着して、選手達がグラウンドへ向けて歩いてきたんだ。
そうこうするうちに、黒崎や前川なんかの今となっては地味な選手達(ファンの人、ゴメンねw)に混じって、
明らかにオーラが出てる選手が二人、こっちへ歩いてきたんだ。
それがカズと前園だった。二人で並んで歩いて来た。仲良かったんだろうな。
俺、ミーハーみたいに凄ぇって思ったよw
俺は目の前まで歩いて来たカズと前園に

「サイン頂けますか?」と訊ねたんだ。

するとカズはにっこり微笑んで

「もちろん」

と答えてくれた。 そうしたら前園は俺を無視してスタスタ歩いて行こうとしたんだ。
そうしたら今までニコニコ微笑んでいたカズが急に険しい顔になって

「おい!ゾノ!!」

って前園を呼び止めたんだ。 びっくりして振り返る前園にカズは

「おぇ、プロだろ?」

って語りかけたんだ。
そうしたら、前園、こっちへ戻ってきてサインしてくれたよ。
そん時のカズ、おしっこちびるくらい格好良かったよ。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
298 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:55:52 ID:Tv6htr/N0
新ストライカーにキングの力が乗り移った。

大黒が尊敬する選手は三浦知良(神戸)。
大黒の自宅の玄関にはカズのサイン入りスパイクが飾ってある。
震災後の新潟でのチャリティーゲームでカズと一緒した大黒は、試合後に思い切ってカズに声をかけた。

大黒:「靴を譲っていただけないでしょうか」
カズ:「ああ、いいよ。サインもしてあげよう」

大黒が代表入りの連絡を受けたのは、カズの靴を飾るための棚を買いに出かけようとした時だった。
98年フランスワールドカップアジア最終予選のウズベキスタン戦、日本代表のエースはカズだった。
93年のドーハの悲劇を知るカズはこの試合で4ゴール。6対3で勝利を呼び込んだ。
そのカズの活躍を今、大黒が継ぐ。

カズのコメント:大黒君が決めると思っていたよ。

ソース:スポーツ報知、日刊スポーツ
ttp://www.yomiuri.co.jp/hochi/soccer/feb/o20050209_10.htm
ttp://www.daily.co.jp/soccer/2005/02/10/160989.shtml
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
302 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:56:33 ID:Tv6htr/N0
日本代表MF中村俊輔(26)が、横浜の実家に大事に保管している1枚の写真がある。

98年2月。当時、19歳だった中村は初めて日本代表の合宿(オーストラリア)に招集された。
日本が初めてW杯出場を決め、フランスに向けての選考合宿だった。
同じユニホームを着て練習しても、互いがライバル同士。
もし中村が生き残れば、予選を勝ち抜いた誰かが、選考から漏れることになる。
「食事会場でもみんな黙々とご飯を食べるだけで、静かで異様な雰囲気だった。
みんなピリピリしていて練習の合間にも冗談を言う人はいない。代表って怖いところだなと思った」。
慣れない環境にストレスはたまる一方だった。「みんなW杯出場に向けて必死なんだ」と自分に言い聞かせて納得するしかなかった。
サバイバル合宿中に救いの手を差し伸べた人がいた。

「緊張するなと言っても無理だろうけど、緊張しなくていいんだよ。自分の持っているものを普通に出せばいいからね」。

カズこと三浦知良だった。 時間にして5分程度。
ほかにも豊富な経験をもとに、いろんなアドバイスを受けたが、緊張のあまり全く耳に入らなかった。

「懐が深いというか、やはりキングだったね。今でもあの場面は鮮明に覚えているよ」。

後日、その光景を撮ったカメラマンから写真をプレゼントされた。
練習終了後、汚れた練習着を着たまま、グラウンドに座って一生懸命カズの話を聞いている自分がいる。

「元気がない時、スランプの時、ケガした時は実家に戻ってその写真を見て元気をもらっている。いつ見ても新鮮だね」。

世界一と評されるセリエAでプレーし、日本代表の不動の司令塔の座に上り詰めようとする今も、その写真があるから初心に戻れる。
疲れた時は力を与えてくれるような気がする。

ttp://www.nikkansports.com/ns/general/ns_column/ns_column-041024.html
より抜粋
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
307 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:57:39 ID:Tv6htr/N0
『日本代表 11番 三浦 知良』

「夢敗れた後も、人生は続く」

W杯目前で選考漏れしたときの言葉。ただ日本をW杯に連れて行きたいという気持ちで、がんばってきたカズ。
目の前でW杯行きの切符を奪われてもこんな言葉が言えるカズ。
平気なわけは無いでしょうが、前だけを向いて走るカズが大好きです。

「日本も世界なんですよ」

W杯が夢だったころ、世間に対してカズが発した言葉。
求めなければ手に入らない、気持ちが無ければ勝てない。そんな意志が伝わってきます。
 
「私の仕事は、日本をワールドカップに連れて行くことだ」 
 
今となっては現実的にとらえれているワールドカップだけど、あの時代はやはり現実的な物ではなかった。
その中でカズが発したこの言葉。連れて行ってくれたカズは、いまだにW杯に出られない。
もう機会は無いかもしれないが、それでもプロフィールの将来の夢の欄に

「W杯に出る」

と、綴るカズの姿勢を見てると僕も前向きに生きようを思わされます。

http://f24.aaa.livedoor.jp/~mitsuki/upboard/upboard.cgi
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
312 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:59:06 ID:Tv6htr/N0
5年ほど前、祖父が亡くなったときだった。
いとこ(小3と小4)があまりにも落ち着きがないため、「どっかで遊ばせてきてくれ」
と叔父に頼まれた。 サッカーボールをもって近くの公園へ出かけた。
小3は野球、小4はバスケが好きらしく 「サッカーなんてちゃらいから好きやない」
と言ってあまり乗り気じゃなかった。
そこへトレーニングウェアを着てランニングしていたカズが通りかかった。

「うぉ!カズだ!!トレーニング中みたいだから喋りかけたらあかんかな?」

そんな俺の葛藤とは関係なしにキングカズはこっちに向かって走ってきた。
あろうことか

「おう、サッカー少年、頑張ってるな!」

と声を掛けてくれた。今でも夢じゃないかと思うんだが
俺が持ってきたサッカーボールで曲芸のようなリフティングを見せてくれた。
子どもたちは「すげー、すげー、それどうやんの?」と興味津々。
カズはわざわざ子どもとマンツーマンで「足のここを使うんだよ」とすごく丁寧に教えてくれた。
子どもたちは俺が中高を通じてやったこともないようなリフティングをあっという間にマスターした。
30分は付き合ってくれただろうか、
一通りのリフティングとドリブル、パスの種類を子どもたちに伝授すると

「サッカーって楽しいだろ?いつか同じピッチでサッカーやろうな!」

と子ども達に語りかけ、走り去っていった。
子ども達が速攻でサッカー少年団に入ったのは言うまでもないだろう。
「俺、カズさんにサッカー教えてもらったんだぜ」と今でも自慢しているらしい。
写真もサインもないから誰も信じてくれないけど、
あの数十分の出来事はあいつらの人生を変えたと言っても過言じゃない。
横浜でもそういう子ども達の出会いがありますように・・・
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
315 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 02:59:55 ID:Tv6htr/N0
嘘でも冗談でもない話。カズさんは覚えてないだろうけど俺はカズさんに
声かけてもらったことがあるよ。俺が小学生の頃のことだからもう10年も 前のこと。

長崎のサッカーの大会で俺はそれに出てた。カズさんはそれにゲスト(解説者?)
で来てた。松木さんも確かいたよ。で、俺がいたチームは一回戦で優勝した国見FCにボロ負け。
腐った俺は飯も食わずに会場の外に出て座って泣いてた。
そしたら通りがかったカズさんが来て

「サッカー好きなら諦めるなよ」

って言ってくれた。
そして俺の手を取って立ち上がらせてくれて「いい動きしてたよ」って言ってくれた。
今もサッカー頑張ってます。今日は休みだけどw
カズさんみたいにサッカー上手くなりたいです。

俺の目標はいつまでもカズさんです。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
322 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:00:37 ID:Tv6htr/N0
カズは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかカズはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをカズはばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
カズのばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」
と相づちを打っていた。
カズはそれが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてカズにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情が解決され、カズは家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでいた。

十数年前、カズのばあちゃんは死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母からカズは、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはカズのばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。カズは「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
カズは最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「知良くんがワールドカップに行けますように」

カズは人前で初めて泣いた。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
331 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:03:30 ID:Tv6htr/N0
カズはJリーグ開幕のころ、バカなマスコミが「野球は時代遅れ」と言ってたころ
「僕は野球好きですよ。」とテレビカメラの前でベルディの選手達とキャッチボールしてた。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
333 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:04:31 ID:Tv6htr/N0
94年9月4日ミラノのサン・シーロ・スタジアムでのセリエA開幕戦。
相手は3連覇を成し遂げ、4連覇を目指す王者ACミラン。
カズのイタリアデビューである。しかし、それが一瞬にして悪夢に変わるとは
誰も予想していなかった。前半28分、セリエAを代表するDFのバレージと
激しく接触。前半は気合で乗り切ろうとするが、もはや目も腫れて塞がっていて
満足に物が見えてない状態だった。

前半終了後すぐに近くの病院へと足を運んだ。鼻骨骨折・・・全治2ヶ月・・・。
恰幅のいいイタリア人の医者は笑顔でこう言った。いいかい、ジャポネーゼ・・・。
君の長いサッカー人生を考えれば、これはちょっとの休息だと思えばいいんだよ。
カズは医者の顔をまっすぐに見据えながら、流暢なイタリア語で答えた。

先生の言いたいことはすごくわかるよ。僕もこれまでもっと厳しいケガを克服してきた。
でもね、僕には時間がないんだ。僕はここでは招かざるゲストなんだ。
みんな周りは色眼鏡で僕を見ている。なんだ、こいつは?ってな具合でね。
試合中や練習中に僕にボールが回ってこないこともある。
でも、それは僕にとって些細なことなんだよ。
僕は自分にボールが転がってきたら、それを決めるだけの自信があるからね。
でも、僕が我慢できないのは、日本人がサッカーできないと思われることなんだ。
僕は証明したい。僕の力だけじゃなくて、日本人の力を証明したい。
結果を出す時間は10ヶ月しかない。その中の一ヶ月を失うというのはあまりにも大きいんだ。
先生、別に鼻なんかなくてもいいんだ、目さえ見えればいいんだ
僕がすぐにプレーできるって診断書書いてくれないかな・・・

カズはそこまで言ってから下を向いた。
恰幅のいいイタリア人の医者はこれほどまでの熱意を目の当たりにして言葉を失っていた。

そして、翌日チームに届けられた診断書には全治3週間と書かれていた。
カズは今でもちょくちょくその病院の先生に挨拶に行くという。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
339 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:06:12 ID:Tv6htr/N0
キングカズは家の事情でばあちゃんだと思っている。
十数年前の正月休みにブラジルのサッカー選手を夢見る孤児たちと
静岡市のカズ実家(スポルディングのボール)にボールを寄付することになった時の話。
Jリーグのエージェントと3人で鉄板を囲んで食事をしているとここでモンスターが
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないボロボロないでたちで。
カズが「ばあちゃん、よく作ったな」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「知良くんがワールドカップに行けますように」
「夢をあきらめるな カズ」 などと騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて人前で初めて泣いた。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
352 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:10:34 ID:Tv6htr/N0
愛されるカズ、12年前も今も

16日の世界クラブ選手権5位決定戦はカズのシドニーFCでの最後の試合となった。
試合後には肩ぐるまされて国立を1周した。本人は照れていたが、チームメートからどれだけ
愛されているか、よく分かる場面だった。
カズのチームに溶け込もうとする地道な努力には感心する。
今回もシドニー入りした当日、同行した日本の報道陣に内証でチームに交じって練習したそうである。
12年前にも似たようなことがあった。
93年12月、世界選抜に選出されミラノでACミランと対戦することになったカズは試合前日に
ACミランの練習に参加した。一緒に汗を流して顔を売ろうというわけだが、カズの凄さは練習後
にこそ表れる。世界選抜用のロッカー、シャワーが用意されたにもかかわらず、ACミラン専用の
シャワー室に“突入”。得意の語学力を駆使して主力選手と裸の付き合い。
すっかり打ち解けてしまった。
当時は、そんな“ちょっと日本人離れ”したカズの行動を素直に認める余裕がなかった。
海外移籍にスポンサーやテレビ放送権が絡むのは今や当たり前の話だが、94年カズがジェノアに移籍
した際、日本企業がスポンサーになったことに違和感を覚えていた。
開幕戦で髪形をオールバックに変えたことも「なぜ普段通りにやらないの」と疑問視していた。
今思えば“偏見”でしかない。新しいことに挑戦するカズは常に大きなプレッシャーを受けていた。
実はものすごく保守的で無知な私たちがそういうものをつくり出していたのだ。

カズは、ジェノア時代の日本人記者への対応の悪さを反省しているという。
しかし、当時もカズは、日本人記者が待っていれば必ず車を止めて窓を開けて話をした。
反省すべき点などない。
反省すべきは、先駆者カズの時代を先取りした行動をうまく伝えられなかった私たちの方だと思う。
シドニーに愛されたカズを見て後悔の気持ちがわいてきた。
(福永稔彦=東京・運動部)

[ 2005年12月19日付 紙面記事「OH!サッカー」より ]
ttp://www.sponichi.co.jp/wsplus/column_j/00639.html
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
353 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:11:12 ID:Tv6htr/N0
◆ピッチに立つ以上、日本代表の可能性はゼロじゃない

神戸から引っ越す際、真っ先に準備したのは伝説のバスローブでも、総重量2トンの衣装でもなく、
アイシングに使うアイスボックス。レントゲンを撮れば、酷使してきた右足首の骨はささくれて見える。
それでもピッチに立ち続けるのは、周囲が驚くほど徹底したケアの成果だ。

「去年の暮れにフランス、ブラジルに行ったんだけど、家族旅行にもトレーナーを連れて行くのは僕ぐらいじゃない?
(長男の)良太が隣のベッドで一緒にリハビリしていたよ(笑い)。体を休めている時が一番、身体を治しやすいんだ」

移籍後、環境面で良くなった点は体のケアに関して。絶対の信頼を置く現在のトレーナーとは6年前に出会った。
東京在住のため、神戸時代は交通費込みで年間数百万円近くを投資したという。
マッサージにこだわりを持つ職人タイプのトレーナーと何事も妥協のないカズ。
互いの信頼関係はもはや単なる選手とトレーナーではない。

「1度、そのトレーナーがプロ野球の球団から誘われたんだ。いい話だっだんだけど、カズさんはどうするんですかと、
迷わずに断ってくれたんだ。誘われたことすら、僕には言わないでね。本当にうれしかった」

そして、すべての道はW杯に通ず――。90年にブラジルから帰国、先頭に立って日本サッカーを引っ張ってきた。
だが、待ち受けたのは93年ドーハの悲劇、98年ニヨンの衝撃だった。ドーハでは最終戦のイラク戦でロスタイムに追い
つかれて米国大会出場権を逃した。ニヨンでは北沢らとともにフランス大会の登録メンバーから外された。
人生そのものというW杯のピッチには立っていない。

「現実的に難しいのは分かっている。でも、ピッチを離れたらゼロだけど、ピッチに立っていれば可能性はゼロじゃないでしょ。
ここ(横浜FC)で試合に出続けて、試合に勝ち続けて、その上で飛び抜けた活躍をすけばね。困難なことだけど、みんなも少し
の可能性を信じ、信じたいと思ってくれている。それは僕も一緒なんだよね」

ttp://www.sponichi.co.jp/wsplus/column_j/00723.html
より抜粋

【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
356 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:11:43 ID:Tv6htr/N0
実況 NHK:山本弘

彼ほど悔しい思いをしたサッカー選手がいたでしょうか
彼ほど非難の的になったサッカー選手がいたでしょうか

自分の力ではどうにもならない悲しさ、
異国の地で孤独に押しつぶされそうになった夜
彼はそれらを全て前に進むためのエネルギーにしてきました。

今、彼ほど日本中から愛されている男はいません。
そして、彼ほどサッカーを愛している男はいないでしょう。

彼は1人ではありません。
彼が胸の前で握りしめている拳の中には我々の魂が握られています。

キングの称号を持つ男が、今ピッチの中へ走り出していきました。

三浦知良、ワールドカップ、デビュー戦です。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
375 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:17:01 ID:Tv6htr/N0
カズがオーストラリアに行くちょっと前、三宮の駅前広場のベンチに座るカズを見つけた。
お、カズがいるよ・・・くらいの気持ちで、ちょっと近づいてみると、何やら携帯ゲーム機をやっている様子。
そう、カズの手の中にあった携帯ゲーム機、それこそがPSP。
そっと後ろから覗き込むと、カズの手の中のPSPの高精度液晶の中を、フルポリゴンのサッカー選手たちが
ところ狭しと走り回っている。自らボールを運ぶように体を右に、左に揺らしながら夢中になるカズ。
(確か、ウイニングイレブンとかいうゲーム)
突如、ゴオオオォォル!という音声がPSPから響き渡る。キングは突如ぐったりすると、こうつぶやいた。

「すっげ・・・これ、まんまワールドカップの臨場感・・・」

そのカズの、キラキラ輝く瞳を見ながら、俺は気づいた。
ああ、この人は少年の夢を持った大人なんだな、と。
そして、そんな男の手にこそ(大人になれない子供向けのDSではなく)PSPの
シックでスマートなボディが似合うんだな、と。

そんな俺も、今やカズと、そしてPSPの大ファン。カズの活躍を収めた動画をいつでもどこでも再生しては
遠い異国の地で戦うキングがワールドカップのために凱旋してくる日を夢見ている。
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
398 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:23:40 ID:Tv6htr/N0
プロってなに?

先日久しぶりに、サッカーのカズがTVに映ってた。

「体脂肪率10%以下」

注文したピザのチーズをよけフチのところだけつまんでいたカズ。
天ぷら・フライなどのメニューが並ぶレストランで豆腐とジャコだけ注文していたカズ。

TVで見た人も多いと思う。
食事に気を使い、38歳で現役を続けるカズのプロ意識に感動。
一部の野球選手の中には、試合後に夜な夜な街に繰り出し、その結果でっぷりとした体で
グラウンドに立つ姿は、同じプロスポーツ選手としてどうなんだろう?
本当にプロとしての自覚があるのだろうか?
また、スポーツ選手はもとより、歌手とか料理人でタバコを吸う人はプロとよべるんだろうか?
プロって自分の仕事を全うさせるためにあらゆることを注ぎ込める人のことを指すのではないだろうか。

カズの引き締まった肉体を見て、まさに‘KING’の愛称がぴったりだと思った。

ttp://blog.mag2.com/m/log/0000165441?YEAR=2005&MONTH=12&DAY=14
より抜粋
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
402 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:25:09 ID:Tv6htr/N0
元日本代表FW“キング・カズ”こと三浦知良(38)=横浜C=が18日、
自主トレ先の グアムから帰国。カズはフェイエノールトから浦和への復帰が
決まった日本代表MF 小野伸二(26)に

「W杯とJ1優勝という高い目標を持ち続ければ、必ずまた欧州へのチャンスは来る」

と、2度の欧州移籍を実現した先輩として、“キング学”を伝授した。
W杯で日本代表復帰を目指す小野に、同じ道を歩んできた“先輩”カズらしい、
アドバイスだった。

「高い目標を持ち続けること。そしたらまたチャンスは必ず来る」

欧州からJリーグへ。レベルとしては落ちるリーグへの移籍にあたって、カズは
自らの体験から、モチベーションの維持が重要だと学んだ。
自らは1995年、イタリア・セリエAのジェノアからヴェルディに、99年には
クロアチア・ザグレブから京都に、と2度欧州からJリーグに出戻ったが、帰国後も
活躍を続けてきた。

「小野なら分かっているだろうが、サッカーはどこでやっても一緒。
自分の求められていることを理解し、結果を出すことが大切なんだ」

と言う。J2の 横浜Cでも結果を出し、昨年末にはシドニーFCへプロ入り後3度目
の海外挑戦のチャンスをつかんだカズらしい“キング学”だった。

ttp://www.yomiuri.co.jp/hochi/soccer/jan/o20060118_10.htm
より抜粋
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
435 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:33:42 ID:Tv6htr/N0
今シーズンはJリーグ史上初の選手兼監督補佐に就任。
来年には、40歳という区切りの年を迎える。
今後のサッカー人生に注目が集まるが

「今はプロとして続けることが最大の目標。僕の生きがいですから、
とりあえず一日一日を充実させていきたい」

と“ゴールライン”の設定は無し。
それどころか

「プロをやめてもプレーはできる。選手は一生、続けていきたい」

と“生涯サッカー人”宣言まで飛び出した。

ttp://www.yomiuri.co.jp/hochi/book/feb/060226.htm
より抜粋
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
496 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 03:59:24 ID:Tv6htr/N0
茂庭とか遠藤とか出場機会なさそうなのと代えてもいいよね
【サッカー】ジーコ監督、W杯後は欧州のクラブ監督を希望
404 :名無しさん@恐縮です[sage]:2006/04/16(日) 04:18:40 ID:Tv6htr/N0
セレソン監督なら無能ぶりが露呈することもないし、適任じゃね?
【サッカー】岡ちゃんにカズの呪縛…“ポストジーコ”早々NG
570 :名無しさん@恐縮です[]:2006/04/16(日) 04:23:37 ID:Tv6htr/N0
ゴン枠でズーカーをどうか…!


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