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名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ e92b-BXXL)
名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ e92b-Vb8T)
【LAA】大谷翔平応援スレ part128【二刀流】

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【LAA】大谷翔平応援スレ part128【二刀流】
2 :名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ e92b-BXXL)[sage]:2018/06/14(木) 10:42:40.93 ID:QJgFXr6l0
大谷のNPBでの投手成績
1年目  .3勝 0敗 防御率4.23
2年目 11勝 4敗 防御率2.61
3年目 15勝 5敗 防御率2.24
4年目 10勝 4敗 防御率1.86
5年目  .3勝 2敗 防御率3.20

大谷のNPBでの打撃成績
1年目 打率.238 本塁打 .3本 打点20 OPS.660
2年目 打率.274 本塁打10本 打点31 OPS.842
3年目 打率.202 本塁打 .5本 打点17 OPS.628
4年目 打率.322 本塁打22本 打点67 OPS1.004
5年目 打率.332 本塁打 .8本 打点31 OPS.942

1年目 投手× 打者× 守備○ 糸井を放出後の外野手としてレーザービーム連発
2年目 投手○ 打者△ 守備△ 11勝 ホームラン10本
3年目 投手○ 打者× 最多勝 最優秀防御率 勝率1位 投手三冠
4年目 投手○ 打者○ 日本シリーズ優勝 マメを潰した2ヶ月間は打者専念して11.5ゲーム差を歴史的大逆転
5年目 投手△ 打者△ 右肘を故障したため注射してPRP療法 右足にある三角骨を除去する手術
【LAA】大谷翔平応援スレ part128【二刀流】
3 :名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ e92b-BXXL)[sage]:2018/06/14(木) 10:43:26.86 ID:QJgFXr6l0
今から8年前。
ドジャースのスカウトだった小島圭市が大谷翔平を初めて見たのは、彼が花巻東高校に入学してすぐのことだった。

「あれは2010年、4月末のことでした。高校に入ったばかりなのに、
大谷くんは練習試合ではもう4番を打っていて、ピッチャーはまだやってなかった。
背は高かったんですけどヒョロッとしていて体ができていないので、1年の秋までは投げさせない方針だと聞きました。
だから彼はライトを守っていて、ランナーが一塁の場面で、いきなりライト前へヒットが飛んできたんです。
そのとき、大谷くんが三塁へ投げたボールが、とんでもなかった……
ランナーが二塁と三塁の真ん中くらいのところで送球がサードのグラブに突き刺さって余裕のアウトだったんですけど、
それよりもビックリさせられたのが大谷くんの投げ方です。
肩の柔らかさ、腕の使い方を見て、これはとんでもない子が現れたと思いました」

投げ方だけではない。ネクストバッターズサークルでバットを振り、打席で鋭い打球を飛ばして、走る。
その姿を見るや否や、ネット裏の小部屋に陣取っていた小島はすぐさま、花巻東の佐々木洋監督に「この子は器が違います。
3年後には間違いなくドラフト1位ですよ」とまくし立てている。
小島は当時のことを振り返って、こう言った。

「何に驚かされたって、一番は彼のセンスと体の使い方、運動神経です。投げ方、走り方、バットを振る姿から、ピッチャーとしてのとてつもない才能を感じさせられました。体は柔らかいし、肩も柔らかい。すべての動きにセンスがあるんです。
僕はメジャーのスカウトだったので、この選手はメジャーのレベルでどのあたりまで行けるのかという物差しでしか見ません。
特に高校生に関しては、メジャーでそこそこ活躍するという程度の選手は獲りに行きませんでした。
でも大谷くんに関しては、高1の春の時点で、これはメジャーでもとんでもない選手になるという確信がありました」

小島はすぐ、ドジャースに対して「花巻東高校の大谷翔平は投げること、打つこと、どちらも日本の歴史の中でナンバーワンの選手になる」というスカウティング・リポートを送っている。
以降、小島は大谷をマークするため、花巻へ通い詰めることとなった。
【LAA】大谷翔平応援スレ part128【二刀流】
4 :名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ e92b-BXXL)[sage]:2018/06/14(木) 10:43:59.99 ID:QJgFXr6l0
東海大高輪台高からドラフト外で巨人に入団したドジャースのスカウトだった小島圭市は、プロ6年目の1992年、リリーフとしてプロ初勝利を挙げると、わずか10日間で3勝を挙げ、俄然、注目された。しかしその直後に腰を痛め、二軍落ち。
巨人を退団後、左ヒジの靱帯を再建するトミー・ジョン手術を受けた。執刀医はフランク・ジョーブ博士。桑田真澄が手術を受けた4カ月後、小島は桑田と同じ病院で同じ手術を受けていたのである。

アメリカで孤独なリハビリを続けた小島は、その後、テキサス・レンジャーズと契約し、マイナーから復帰を目指した。桑田が東京ドームで劇的な再起を果たした1997年、小島もアメリカのA級で復帰を果たし、AA級では勝利投手にもなった。
翌年には帰国して中日、その翌年には台湾の興農ブルズに所属して、引退。その後、ドジャースの日本担当スカウトとなった。

じつは大谷の前に同じ花巻東の菊池雄星に惚れ込んで、獲得寸前までこぎつけたこともある。
菊池がドジャースではなく日本のプロ野球を選び、ドラフトで西武に入団することになった半年後、終わったと思っていた小島の花巻通いが、間を置くことなく、またも始まったのである。

しかし、大谷の高校時代は決して順風満帆ではなかった。身長が190センチを超えてもなお成長段階にあったため、骨の成長に筋肉が追いつかず、股関節の軟骨が傷つく骨端線損傷に悩まされたのである。
そのせいで大谷は高校2年の夏からおよそ半年間、試合で投げることができなかった。しかし小島はその間も大谷の可能性を疑うことはなかった。

「当然じゃないですか。むしろラッキーだと思ってましたよ(笑)。だって、投げなくて済めば肩、ヒジのためにはいいし……
高校時代の大谷くんは速い球を投げることをひとつの目標にしていましたけど、速い球を投げることと肩、ヒジのリスクは表裏一体ですからね。
大谷くんには申し訳なかったけど、心の中で『あんまり速い球は投げないでくれ』『甲子園にも出ないでくれ』と呟いてました(苦笑)。
実際、試合では投げていませんでしたけど、ピッチング練習はしてましたから、不安はまったくありませんでした」
【LAA】大谷翔平応援スレ part128【二刀流】
5 :名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ e92b-BXXL)[sage]:2018/06/14(木) 10:44:33.76 ID:QJgFXr6l0
プロ野球選手を目指す高校生の誰もが、自らの力に不安を抱く時期がある。高校に入学した時点でのマックスが143キロだった大谷は、すぐに160キロという目標を立てた。ところがケガに泣かされ、投げることもできない状態が続く。
そんな大谷をずっと見守っていたのが、小島だった。プロ野球選手になれないかもしれないという些細な不安が胸をよぎったとき、大谷を励ましてくれたのは、『小島さんが見に来てくれている、自分は小島さんに評価してもらっている』という目の前の事実だったのだ。
そして最後の夏、大谷は岩手県大会で、ついに目標としていた160キロを叩き出し、日本中の注目を集める存在となった。大谷がこう言っていたことがある。

「日本のスカウトの方はいいときにはマメに来て下さるんですけど、悪いときとか負けているとき、ケガをしたときにもずっと来て下さったのは小島さんだけでした。それはすごくありがたかったし、励まされました。
自分のいいところも悪いところも含めて、全部を一番理解して下さって、それで評価してもらえていた方だったので、そういう人がいるところ(ドジャース)でやりたいなと思ってました」

だから大谷はドラフト直前、いったんは報道陣の前で「アメリカでプレーさせていただくことを決めました」と公言したのだ。高校を出てすぐドジャースと契約していれば、ピッチャーとして育成されることになっていた。
当然、マイナーリーグからのスタートとなる。となれば、ハンバーガーばかりの食生活で、過酷なバス移動が続き、言葉や文化の壁もある……といったネガティブなイメージばかりがクローズアップされてきた。しかし、そうばかりではないと小島は言う。

「マイナーには食パンとピーナッツバターしかない、なんて時代はもう終わってますよ。試合前に食べられる食事が用意されています。肉や魚、サラダ、パン、ピザやパスタなどが一通り揃っています。
ドジャースにはマイナー専用のグラウンドが何面もありましたし、ウエイトトレーニングのマシンやトレーナー室もメジャーとは別に用意されています。
時間をかけて計画的に選手を育成するプログラムがあるんです。どんなに素晴らしいボールを投げられても、体を作らなければならない時期にメジャーの試合で投げさせるなんてことは絶対にありません」
【LAA】大谷翔平応援スレ part128【二刀流】
6 :名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ e92b-BXXL)[sage]:2018/06/14(木) 10:45:08.86 ID:QJgFXr6l0
もし5年前、高校からすぐにアメリカへ渡っていたら大谷はどう育っていたのか。
「メジャーの育成プログラムでは、体ができていないうちにメジャーで投げさせるようなことはしません。段階を経て体づくりをしながら、イニング数、球数をしっかり管理して、マイナーで実戦経験を積ませます

日本とアメリカでは、育成に対する考え方がまったく違う。メジャーの下に3Aがあり、2A、1A、ルーキーリーグと5つのクラスがあるアメリカでは、実力よりも年齢で選手を振り分ける。
どれほどすごいボールを投げていても、メジャーで戦力になるとわかっていても、体ができていないうちから投げさせるわけにはいかないという考え方が徹底されているからだ。

メジャーのシステムを幼稚園、小学校、中学校、高校、プロと5つのクラスになぞらえるならば、幼稚園児がプロに飛ぶことはあり得ない。ただ、中学生が高校を飛び越してプロになる飛び級は用意されている。それがメジャーの育成プログラムである。
「もし高校からそのままアメリカへ行っていたら、25歳で10年総額300億円の契約を結ぶことができただろうし、サイ・ヤング賞を何度も獲るようなピッチャーになれたと思っています」
もし大谷がドジャースを選んでいれば、ピッチャーとして育てられていた。

高校時代の大谷翔平をピッチャーとして高く評価していた小島圭市(ドジャースのスカウト)は、大谷のバッターとしての才能をどう見ていたのだろう。
「バッターとしては、ドジャースのアンドレ・イーシアーくらいにはなれる器かなと思ってました……
あれっ、なんだか物足りなそうな顔してますけど(苦笑)、
イーシアーってメジャーで2割8分、ホームランも20本打てるバッターですからね。
ただタイトルを獲るレベルまではイメージできなかったというのが正直なところです」

大谷くんはまだインコースを打つ技術が低い。インコースをファウルにしない技術がなければ、メジャーで超一流にはなれないんです。
ミゲル・カブレラ、マイク・トラウト、ブライス・ハーパー、A・ロッド……彼らにはその技術が備わっています。
ケン・グリフィー・ジュニアのように、絶対にホームランを打てるポイントが3つも4つもあれば別ですけど、まだそこまではいってない。
【LAA】大谷翔平応援スレ part128【二刀流】
135 :名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ e92b-Vb8T)[sage]:2018/06/14(木) 18:31:39.40 ID:QJgFXr6l0
何で、いつも

全く関係ない朝鮮人が湧くんだろ?


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