- 野球の流れってなんなの?part2
425 :94[sage]:2009/12/25(金) 11:54:02 ID:AR7MzYEx - >>417
さて、そろそろ2009年のボストンが犠打を記録した状況について、 データの確認はすんだ頃かな。 え???まだ??? かなり関心があると思ったのは、 こちらの勘違いだったのだろうか。 もし、まだだとすれば、ぜひ確認して欲しいな。 『野球人の錯覚』は2005年の846試合をサンプルとしているが、 これを”極端に少ない”とか、 ”不自然さ”や”作為的なもの”を感じないのか?、 と評するID:o06/Q2oE氏にとっては、 わずか19件のデータを確認するくらい、 造作のないことだと思う。 そうそう、せっかくデータを確認するなら、 たとえば”無死一塁”の場面で犠打を記録した回数だけでなく、 犠打が記録されなかった回数もあわせてカウントして欲しいな。 そうすることで、”無死一塁”で犠打を記録した”率”が算出できる。 ホントは、犠打失敗も含めて”試行”した率を出したいけれど、 ゲームログではそこまでのカウントは難しいかもしれない。 どういう場面で犠打が記録されているか一定の傾向があれば、 「メジャーでもバントが利用される理由」を読み解くカギになるかも。 ちょうど、>>408の考察のように。 「ヒットゾーンが拡がる」というのは、 守備位置の違いがデータに反映する可能性を示唆していて、 この点は慧眼と感じたよ。 (つづく)
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426 :94[sage]:2009/12/25(金) 11:56:12 ID:AR7MzYEx - (承前)
そして、こういうデータを年代・チーム別に積み上げていくと、 ”野球”における”犠打”の役割がどのように変貌を遂げたか、 あるいは遂げなかったかが明らかになるだろうし、 それを調べ上げたことに対しても賞賛されるんじゃないかな。 >>406の「質問」への解答がないことが不満だったようだけど、 これが現時点でのこちらの考えるところを記した次第。 表現を変えると、2005年を”作為”的に選ぶためには、 他の年のデータも取る必要があるし、 他の年のデータを取ったならば、 その年をデータを捨てておくはずはないだろうということ。 むしろ『野球人の錯覚』が 2005年を選択したことの”作為”、”不自然さ”について、 他の年のデータを検証することでつまびらかにして欲しいな。 年によってどれくらい数値が変わるのか、 それとも変わらないのか、大いに興味があるので・・・。 最後に、メジャーはバントを用いないという固定観念が、 ID:o06/Q2oE氏にはあったようだけど、 >>406で”びっくり”してくれて、素直に嬉しいよ。
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433 :94[sage]:2009/12/25(金) 20:28:50 ID:AR7MzYEx - ここまでのID:LIwupddA氏のコメントで、
確認しておきたい点がある。 第1点目が、 >>403の >データが単なるデータではなくて真理なら とか、 >>427の >データはデータでしかないんだよ。 >それを、まるで真理かのように考えるのはね… というコメントにみるように、 ”データ=真理”と考える人がいると、 考えているらしい点。 第2点目は、>>429 >十把一からげにして、証明とか言われても… というコメントに見るように、 データによって何かを証明したと、 主張している人がいると、 考えているらしい点。 (つづく)
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434 :94[sage]:2009/12/25(金) 20:29:46 ID:AR7MzYEx - (承前)
しかし、これらのコメントはその前提に誤りがある。 すなわち、データから得られるものは、 その解釈を経た結果の仮説に過ぎない。 また、データから何某かのことが証明された、 と明言するコメントも本スレには存在しない。 ”データ=真理”も、”データ→証明”も、 ID:LIwupddA氏の単なる”思いこみ”なのである。 この点、氏は>>388で、 自らの”勘違い”を認めておられるように、 ありもしないことを前提に、 自説を展開する傾向があるのではないか。 >>429にある >成功率が8割だかを超えない選手の盗塁は無駄だとか言うよね とのコメントも、 氏の思い違いでないことを願わずにいられない。
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439 :94[sage]:2009/12/25(金) 21:18:37 ID:AR7MzYEx - >>436
”ヒューリスティクス”に話は覚えておられるだろうか。 >>141で論じたところなのだが、 野球人の”経験”や”勘”という”ヒューリスティクス”も、 ”データによる検証”を試みることで、 その”精度”を上げることができるのではないか、 というのが当方のスタンス。 そして、”流れ”を感じるのも”ヒューリスティクス”であるが、 当人の感じる”流れ”と実際に起きている事象に食い違いがあるならば、 そのギャップを埋めることはできないだろうか、 というのが現在考えているところ。 結果として”流れ”という表現を使わないようになるか、 ”流れ”という表現をより厳密に再定義した上で使うことになるか、 どちらかになると考えているが、 現時点では”後者”にシンパシーを覚えている。 (つづく)
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440 :94[sage]:2009/12/25(金) 21:20:41 ID:AR7MzYEx - (承前)
今後の議論の方向性については、 ”便宜的流れ否定論”の立場からは、 ”流れを感じるメカニズム”をどのように説明するかという点と、 論者によっても使い方が異なる”流れ”の具体的意味内容を、 どのように度類型化することに関心があるところ。 ”流れ”が結果に影響するかどうかは、 当面は六旗氏の議論の行方を見守りたいと考えている。 それにしても、この前スレから続くこの議論、 なかなか有益だと思うよ。 その証拠に、自称”野球経験者”による、 ”流れは野球をやればわかる”という主張が姿を消したので。 そうそう、”アーアーキコエナーイ”を連呼する御仁も。 で、>>437にいう”テキストに答えがない指摘”って何だ? >>425-426では足りないというならば、 再度、指摘されたい。
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442 :94[sage]:2009/12/25(金) 22:42:56 ID:AR7MzYEx - >>441
過去の書き込みを掘り起こすきっかけを暮れたことに感謝。 まず、”流れを感じるメカニズム”として 2つのパターンを考えたのはオリジナルの議論だと考えている。 また、引用以外のデータとしては、>>24-25において、 今夏の甲子園における全48試合を検討している。 試合終盤に逆転劇が多いというのは”錯覚”と考えていたが、 少なくとも、今夏の甲子園では実際に多かったというのが、 >>176のオチ。 ところで、この>>25においては以下のような指摘をしている。 >”統計的な分の良さ・悪さ”は、 >わざわざデータしになくても経験的に感じる場合はあり、 >(そのことが”錯覚”である場合は別にして) >こうした”分の良さ・悪さ”の変化を”流れ”の変化として感じる、 >ということもあるかもしれない。 その後、”ヒューリスティクス”と”プロスペクト理論”という 『行動経済学』のタームを借りて、 ”流れ”を感じるメカニズムの理論化を試みているが、 (具体的展開は、>>138以降と、>>261以降あたり) その萌芽は上記>>25(さらには前スレでの書き込み)にある。 また、試合展開に”流れ”を感じるメカニズムについては、 ”ゲームプラン”ないし”当人が思い描く理想的な野球”との関係による、 という見解については、>>283以降で展開している。
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