- 【リレー小説】快楽殺人鬼スネ夫 糞尿死闘編
839 :創る名無しに見る名無し[sage]:2019/07/09(火) 12:15:50.25 ID:ksY+Z6zs - この宇宙や次元やそういうあらゆるところを超越したところに「すべてがある場所」がある。
言葉で説明することが困難だが、そこを「全てがある場所」と呼ぶことにする。 そしてこの世界、宇宙次元に存在する物質全ては、それこそ、宇宙・銀河から、 細胞・遺伝子・素粒子にいたるまで一瞬よりももっと早く、 常に「全てがある場所」にこれも言葉で表すのが困難だが、自分の存在や考えなど「データ・情報」とも呼べるものを送り続けている その「データ・情報」は「全てがある場所」で無限に複製される。そして、また別の「情報・データ」とも組み合わせたりして それも無限に複製される。いうなれば、さまざまな選択肢、可能性の追求が「全てがある場所」の意思である。 「全てがある場所は」、宇宙の果てとか多次元にあるとか、 そういうレベルではない。宇宙、さまざまな次元、パラレルワールド、 そして無ですら全てを包括している場所である。 そして常に、我々が気づいていないが我々のそばにあるのである。 「全てがある場所」に送られる情報は物質の情報だけではない。 われわれの思想、感情、妄想、創作物も全て 「全てがある場所」に送られるのである。 そして、我々の世界では架空の存在や夢であった存在も、「全てがある場所」で実体化し、それも無限に複製され またほかの創作物の存在と様々に組み合わされたりして、それも無限に複製されるのである。 我々は「全てがある場所」に感情や想像などを送ることが存在意義であり、そして 我々の死後、意識・魂と呼べるものも「全てがある場所」に運ばれるのである。 「全てがある場所」の、広さは測ることができない。それこそ無限である。しかし、そこにいるものたちは 「全てがある場所」の中で行きたいと思うところへはどこへでもいくことができるし、願ったものは何でも生み出すことができるのである。 無の世界も存在するので、無を願えば無の世界へいくこともできるし、自分自身を別の存在へ変えることもできる。 どちらにせよ、我々は死後も選択し、感情を持ち、想像し、生み出すことができる。 そしてそれを無限に複製し保存し続けることが「全てがある場所」の意思なのである。
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