トップページ > 創作発表 > 2019年01月20日 > QHFpsl/M

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創る名無しに見る名無し
ロスト・スペラー 20

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ロスト・スペラー 20
85 :創る名無しに見る名無し[sage]:2019/01/20(日) 18:21:45.14 ID:QHFpsl/M
マルコ王子がクローテルを待ち構えて駐留していたのは、東の国境の砦前である。
マルコ王子がオッカ公爵領に入るには、南の国境の砦を通った方が早いし、妨害も受けないが、
それではクローテルに会えないので意味が無いのだろう。
当時の都市は復興期の様に殆どが城塞都市で、周囲を城壁に囲まれており、その周辺に小村落がある。
そして、それぞれの領地の境にも砦と塁壁が築かれており、国境を守る砦の塁壁より外は、
どこの土地でも無い。
勿論、国境を全て塁壁で囲う事は現実的では無い。
整備された道や、その周辺の平らで移動し易い所に塁壁を築き、それ以外は進入が困難な山林や、
河川、沼地になる様にしておくのが普通だった。
人工的に丘陵を築いたり、態と荒れた山林を残しておいたりもするのも、国境を守る為である。
オッカ公爵領の東の国境は、西の国(ディボー公領)に通じており、慣例的に言うのであれば、
ここも一応はアーク国の領地である。
勝手に軍隊が駐留すれば、戦争準備と見做され兼ねない。
先述した様にマルコ王子一行は「軍勢」とは言えないが、疑われても仕方の無い状況ではある。
西の国やアーク国から軍隊を派遣される可能性もあった。
だが、仮に軍を派遣する場合でも先ず話し合うのが常識であり、国境沿いに軍隊、又は、
それに準ずる武装集団を発見しても、行き成り攻撃を仕掛けるのは、当時では非常識だった。
戦争の前段階として、「意思の確認」と「(最後通告を含む)警告」があり、同時に迎撃態勢を整え、
最後に「宣戦布告」があって、正式な戦争となった。
これを経ない戦争行為は、国際社会の非難の対象となる。
原典を見ても、マルコ王子の行動を非難する様な部分は無く、アーク国側が軍を動かした事も無い。
よって、マルコ王子一行は脅威とは見做されなかったのであろう。
ロスト・スペラー 20
86 :創る名無しに見る名無し[sage]:2019/01/20(日) 18:24:08.88 ID:QHFpsl/M
マルコ王子はクローテルと共に領内への進入許可を貰ったが、これが実際に有り得るかと言うと、
時と場合に依る。
一国の王子を、その国の服属国でも無い国が独断で招き入れる事は、本来は好ましくない。
正式に自国の王の許可を取るべきであろう。
しかしながら、王族の扱いと言う物は難しく、多少の非礼なら呑むのが一般的な対応である。
これをどこまで呑めるかは、当人の度量次第だが、王族相手であれば、一般人なら怒る所でも、
堪えようとするだろう。
もしかしたら、自国の王には報告しないと言う、事勿れ主義的な回答も有り得るかも知れない。
受け入れるも非礼、追い返すも非礼となれば、どちらの顔を立てるべきかと言う話になる。
オッカ公爵領はルクル国に近いので、脅威度で言えば実はルクル国の方が高い。
領民もルクル国民と交易をしており、関係は浅くない。
オッカ公爵領を巡って、アーク国とルクル国は戦争こそしていないが、過去に何度も、
武力を伴わない小競り合いを繰り返して来た。
クローテルはマルコ王子の付き人の様な扱いだったが、これも相手が王族と言う事を考慮すれば、
仕方の無い事と言える。
旧暦の王族の中でも、マルコ王子はヴィルト王子と並び、神器を受け継ぐ正統な代理聖君の血統だ。
神器を持つ王族や貴族は、神器を持たない王族や貴族よりも上の扱いなのである。
同じ王国でもグリースとルクルでは重みが違う。
逆に、盾を継承するオリン国の国主は公爵だが、同じく神器を持つ王と殆ど同等の扱いになる。
ロスト・スペラー 20
87 :創る名無しに見る名無し[sage]:2019/01/20(日) 18:26:17.63 ID:QHFpsl/M
オッカ公爵領に対して領土的野心を持っておらずとも、マルコ王子が派兵の準備を進めていた裏には、
邪教崇拝への警戒感がある。
西方に於いて、邪教崇拝は禁忌である。
表向きには、「現世利益を唱える宗教は人を堕落させる邪教である」として、こうした者達が、
「世界を良くない方向へ導く」とされている。
これ自体には一理ある。
そもそも現世利益を唱える宗教を信じた所で、実際に利益がある訳では無い。
確実な利益が約束されるならば、それは最早宗教では無くなる。
神頼みをする位なら、現実を確り見ろと言う意味の、「天を仰いで石に躓く」と言う諺もある。
即ち、現世利益ばかりを謳う宗教は、私利を求める人の心を利用した悪辣な詐欺であり、
故に邪教と言っても良い。
邪教は現世利益の有無を信心の有無や信仰の軽重に置き換え、より多くの奉仕を求めて、
搾取しようとする。
邪教の信徒は奴隷であり、搾取される事に喜びを見出してしまう。
では、当時の教会は詐欺では無いのかと言う問題になってしまうが、一応の理屈で言えば、
現世での利益ばかりを求める事に熱心な者は、利益の追求こそが幸福と錯誤する愚者であり、
人が求める利益には際限が無く、故に永遠に充足を得られず苦しむ事になるらしい。
現世利益の嘘は暴けるが、死後の事までは観測しようが無いので、どうとでも言えると言う、
小狡い面もある。


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