- あなたの文章真面目に酷評します Part107
623 :創る名無しに見る名無し[]:2018/04/17(火) 11:39:42.30 ID:An/pjUVS - イメージだけど、文語体ってこういう文章のことだろ?
>廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火ともしびうつる三階の騷ぎも手に取る 如く、明けくれなしの車の行來ゆきゝにはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前だいおん じまへと名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社みしまさまの角 をまがりてより是れぞと見ゆる大厦いへもなく、 樋口一葉「たけくらべ」 >未まだ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠さしこめて、真直ますぐに長く東より西に横よこたは れる大道だいどうは掃きたるやうに物の影を留とどめず、いと寂さびしくも往来ゆききの絶え たるに、例ならず繁しげき車輪くるまの輾きしりは、或あるひは忙せはしかりし、或あるひは 飲過ぎし年賀の帰来かへりなるべく、疎まばらに寄する獅子太鼓ししだいこの遠響とほひびき は、はや今日に尽きぬる三箇日さんがにちを惜むが如く、その哀切あはれさに小ちひさき膓は らわたは断たたれぬべし。 尾崎紅葉「金色夜叉」 普段こんな風に話しているわけじゃないけど、文章を綴るときには、格式高いという理由で文語体にした。 それをやめて、実生活で話すときに使うような文章にしようよ、ということで口語体と呼ばれる文章で書くことに舵をむけた。ということでは? つまり、いまの我々にとって「文語体」という言葉は死語に等しい。 会話文調=口語体ではない、でいいんだよね?
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624 :創る名無しに見る名無し[]:2018/04/17(火) 12:23:37.82 ID:An/pjUVS - 1912年版 1942年版
春の小川はさらさら流る。→春の小川はさらさら行くよ。 岸のすみれやれんげの花に、 にほひめでたく、色うつくしく→すがたやさしく、色うつくしく、 咲けよ咲けよと、ささやく如く。 →咲いてゐるねと、ささやきながら。 ❶ 「流る」⇒「行くよ」 「流る」は、文語動詞で、ラ行下二段活用の終止形です。口語動詞にすると、「流れる」(ラ行下一段動詞の終止形)になります。しかし、音数が合わないから、「行くよ」と変えたのでしょう。 勿論、「流れ、」と置き換えることも出来たのでしょうが、もともと、そこで文が終止していたので、「行くよ」としたと考えられます。 ❷ 「にほひめでたく」⇒「すがたやさしく」 「にほひ」は文語体では特別な意味を持った単語です。本来は、「色」の美しさを表したものでしょうが、それを少し広げて、口語として「すがた」に変えています。問題はありません。その変化に応じて、「めでたく⇒やさしく」としたのも納得できます。 ❸ 「咲けよ咲けよと」⇒「咲いてゐるねと」 この部分が最大の疑問です。なぜ、こう書き変えねばならなかったのかという意味でです。 「咲けよ」を文法的に説明すると、「咲け(カ行四段活用命令形)+よ(終助詞)」でしょう。 これは、口語体でも普通に使う表現です。「早く、行けよ」という風に。 ただ、四段活用の命令形に加えて、改め念を押す終助詞「よ」に、重々しい文語体を読み取ったのでしょうか。 唱歌「春の小川」の口語体への改訂を表した記事の抜粋です。 身近なところではニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」が最近では「ツァラトゥストラはこう言った」に変わっています。 連投、横レスすみませんでした。
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- 1行リレー小説「ふみえさんはいつも突然に」 [無断転載禁止]©2ch.net
880 :創る名無しに見る名無し[]:2018/04/17(火) 17:06:45.71 ID:An/pjUVS - そこへ細川ふみえがおっぱいを揺らしてやってきた。
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883 :創る名無しに見る名無し[]:2018/04/17(火) 20:22:31.38 ID:An/pjUVS - 私は雨降りの空を仰いだ。傘を持たないでいたことを、いまは返ってありがたく思った。
濡れた頬の理由を、悟られずに済んだからだ。
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