- ロスト・スペラー 10 [転載禁止]©2ch.net
259 :創る名無しに見る名無し[sage]:2015/02/28(土) 17:55:01.65 ID:mIqgfViL - ハーモニカの音色は、男の心と記憶を更に幼少時代へと、誘い導く。
それは初めてハーモニカを吹いた時の事。 覚えている筈も無い、男が未だ物心が付く以前……。 ハーモニカを咥えて吹けば、綺麗な音色が簡単に出せるので、彼は他者には聞くに堪えない様な、 適当な音を奏でて喜んでいた。 だが、飽きるのも早く、直ぐに放り投げて、他の遊びに夢中になった。 遊び疲れた後は、母の膝元で子守唄を聞きながら、安らかに眠った。 何を恐れ、何に怯える事も無い、温かく、幸福だった日々……。 男は知らぬ裡に、胎児の様に蹲っていた。 薄れ行く意識の中、男児の声が聞こえる。 「今、貴方の前には3つの道がある。 一つは、今直ぐ目覚めて、再び歩き出す道。 もう一つは、この微睡に永久に身を委ねる道。 最後の一つは――……」 後半の方は上手く聞き取れなかった。 それよりも、この安らぎを邪魔をされたくないと言う気持ちの方が強かった。 男は強く目を閉じて、何も考えず、何も聞かなかった事にした。
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260 :創る名無しに見る名無し[sage]:2015/02/28(土) 17:58:35.21 ID:mIqgfViL - どこからとも無く、冷たい風が吹いて来た。
男は温もりを求め、一層身を丸くして、母に擦り寄った。 そうすれば、再び温かくなった。 凍える様な寒い日に、温もりを得られる事程、有り難く、幸福な事は無い。 ――だが、体を押し付けられて、母は迷惑していないかと、男は気に掛かった。 だから、少し目を開けて、母の顔を窺おうと、視線を上へ向けた。 母は男に向けて、悲しそうな微笑みを浮かべていた。 (ああ、お母さん……どうして、そんなに悲しそうなの……?) 父と何かあったのか、それとも祖父母が原因なのか、子供の頭で男は考えた。 理由は直ぐに分かった。 (俺が確りしないから……) 温もりは忽ち薄れ、急に肌寒くなって、男は目を覚ました。 目覚めれば、もう温もりの中には帰れないが、そこまで考えが及ぶ前に、自然に目が開いた。
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261 :創る名無しに見る名無し[sage]:2015/02/28(土) 18:00:16.01 ID:mIqgfViL - 日は暮れ掛かり、カラスが汚い声で鳴いていた。
男児の姿は既に無く、どこから夢だったかも、分からない。 男児の実在さえ、疑わしくなっていた。 (全部夢だったのか?) あれは現実逃避したかった自分が見た、奇妙な夢だと男は思う事にした。 あの儘、温もりの中に埋もれたい誘惑が、確かにあった。 だが、そうしなかったのは……。 (やり直せるかな……) 男は大きな溜め息を吐いた。 今度は絶望の溜め息ではない。 もう元の会社には戻れないが、本当に自分が出来る人間なら、立ち直れる。 (その前に、暖を取らないと) 体は冷え切って、震え始めていた。 しかし、心臓は強く脈打っている。 (取り敢えず、未だ生きている。 皆、生きている) 今まで自分を支えていた物を思い出した彼は、這い上がる気力を取り戻した。
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