- 中世時代のヨーロッパで創作
16 :創る名無しに見る名無し[sage]:2015/01/07(水) 03:19:10.51 ID:B80sEKaP - ドストエフスキー『悪霊』のスタヴローギンのどこが悪魔的超人なんでしょう?
たしかに具体的に悪魔的実像って見えてこないですね。ほのめかすばかりで。 耳を噛んだりとかエキセントリックな奇行がまず目立ちますが、彼に影響をうけた若者達ピョートル、キリーロフ、 シガリョフ、リャムシン、ヴェルギンスキー、シャートフ、ピョートルから派生したエルケリなんかが余りにも強烈で個性的なので、 そのルーツのスタヴローギンはいやが上にも底知れぬ怪物的イメージが醸し出されてしまいますね。 しかし世界文学史上 こんな複雑で分析至難なキャラクターは例が無いのでは? スタヴローギンの信奉者達も身近にいながら彼の一面しか見て無かったし、 読者の我々に至っては何度よんでもわからないと言うのが実際のところでは無いですかねぇ。答えになりませんが。 関係ないですが、ステパン先生が息絶える間際に夫人に「アナタヲアイシテマス」とフランス語混じりで告白して、 夫人が そんな事わかってました、今頃そんな事を言い出すなんて となじるシーンは読む度に涙が出ます。 決闘のシーンやシャートフ殺害、祭り、キリーロフ自殺のシーンなど忘れられない名場面てんこ盛りですね。 ドストエフスキー作品はみなそうですが。 元々 ステパン先生が主人公だったけど 作品世界の深刻さからスタヴローギンの創出を余儀なくされたとかいう話ですけど。 ドストエフスキー世界がポリフォニー的多声構造であるならば 中心は何処にも無くて、 ピョートルもキリーロフもシャートフもリーザも みんな主人公なのではないでしょうか。 どのキャラクターも 他の作家なら十分主人公の資格のあるボリュームを持っていますよね。 ただドストエフスキー的にはステパンでは保たないと思ったのは上述の通りです。 ニコライ・スター・ヴローギンは、何をやらしても、人並み以上の気力や知力、能力をそなえています。 外観だけみれば、みなの指導者となりうべき存在であり、またそれだけの才覚を持しています。 そのため、多くの者が彼に惹かれそれぞれの思惑を抱いて彼に接近してくるのです。 ところが、彼は彼の精神において魔窟に陥っている。蜘蛛の巣の張った虚無という魔窟です。 彼は、ドストエフスキィの言葉を借りれば「何も信じないばかりか、自分が信じないということすら信じない」と言った存在。 まったくもって、どうしょうもなく救いようのない存在なのです。 意志とか心情(愛)とか誠実とか秩序とか、そういったものを支える内面的基盤が崩れ去っている。 ドストエフスキィはそこには記していないが、いわば「神」とか「永遠なるもの」を見失ったなれの果てとして、 ニコライ・スター・ヴローギンが誕生しているわけです。 そしてさらに付け加えれば、今日とは、「神」とか「永遠なるもの」を見失ったなれの果ての時代に置かれていると言うことなのです。 「あはは・・」と笑いながら平気で人を殺す。我々の生存を支えてくれる基盤が失われた。いわば、「神は死んだ」のです。 そのことを、西洋では「ニヒリズムの到来」と呼んでいます。 ドストエフスキィは、「悪霊」の中でスター・ブローギンを通し現代にも通じる悪を描いているのです。
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17 :創る名無しに見る名無し[sage]:2015/01/07(水) 03:20:43.57 ID:B80sEKaP - ドストエフスキィと同時代の小説家ツルゲーネフは、彼の主著「父と子」の中で、
ニヒリスト(虚無主義者)いうそれまでにない全く新しいタイプの人物を登場させました。 そして、それが19世紀という時代的風潮とあいまって評判となった。 ドストエフスキィとツルゲーネフは仲が悪い。 現に、「悪霊」の中でもツルゲーネフらしき人物を登場させ、ぼろくそにけなしています。 よしそれならと、ツルゲーネフに対抗して生みだしたのが、ニヒリストの中のニヒリスト、 悪の根源として登場させたニコライ・スター・ヴローギンなのです。 ドストエフスキィは20代のころ政治活動に参加し、謀反の罪でシベリア流刑をくらっています。 その地でつごう6年間過ごし、そのうち4年間囚人達と共に暮らしています。 その間の経緯をもとに書かれたのが「死の家の記録」です。 それを読めばわかるが、ドストエフスキィは鋭い洞察眼でもって囚人達を観察しています。 人間の暗部に深く食い入った観察眼。それが、「悪霊」の中にもいかんなく発揮されているのです。 人間のうちにひそむ悪とは何か。もし虚無のうちに悪がひそむとすれば、その悪とはいかなるものか。 スターヴローギンにそれを探っていきましょう。 「悪霊」は、そのころ摘発された反政府活動を参考にして描かれ、物語は展開していきます。 スターヴローギンは裕福な貴族の家庭に産まれ、母によって育てられ、やがて成長し郷里を離れて学生時代を過ごし、 そして学業を終えて郷里に帰ってくるところから、彼は登場します。 彼は、ずば抜けてハンサムで聡明です。しかも肉体的にも恵まれている。 彼は郷里でみなの注目を浴び、しだいにみなから慕われるようになり、友も集ってくるようになります。 そして、やがて恋愛や反政府活動に巻き込まれていくこととなる。 そういった物語の展開は日本的に言うなら、いわゆる通俗的大衆小説を読んでいるようで面白い。 さて、ドストエフスキィはスターヴローギンにひそむ悪をどのように描いているか。 ある夜、母親が彼の室を訪ねます。ドアをノックしても返事がないので室に入ると、彼は椅子に座ったまま眠っているのです。 しかも、目を開けたまま。それを見た母親は思わずゾッとして後ずさりし室を出て行きます。 また、ドストエフスキィはスターヴローギンを評して、 「彼は、信じないばかりか、自分が信じないということすら信じていない」という言葉で表現しています。 彼には、意志や熱情が欠落しているのです。従って、彼の吐く言葉には責任がない。 いい加減で出まかせなにすぎません。 彼の精神は、さながら蜘蛛の巣が張った虚無と変わらない。善を支える「熱きもの」が根底から奪われている。 スターヴローギンを評価するとは「悪」を評価すると同じで、ドストエフスキィは「悪」をそのようにみなしていたと言うことでしょう。
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18 :創る名無しに見る名無し[sage]:2015/01/07(水) 03:21:16.67 ID:B80sEKaP - 罪と罰。スヴィドリガイロフについて。作中にスヴィドリガイロフという人物が、
「私はアメリカに行く。そう説明してくれ」といって門番の前で自殺するシーンがあります。 この場面について、なぜこの場で、このようなことを述べて逝ったのか、皆さまの考えを教えてください。 また、その前に彼が見た、少女との夢は何を表わしているのでしょうか。 江川卓氏の「謎解き罪と罰」や最近の新訳にもいろいろな解釈があります。 個人的には、人生に早くから絶望し、世を憎んだタイプの「悪人」がスヴィドリガイロフ大変特徴的に描かれていると思います。 老獪な悪人なので、金を貯め、また淫蕩を楽しんでいるようですけれども、空虚さが心にあってどうしようもない人なのでしょう。 ラスコーリニコフは絶望にまで至っていません。 「子供は大抵すきだ」と言っているのは、子供の純粋さに憧れており、おそらく、真面目な意味でロリコンの傾向があったと思います。 最後の望みだったドゥーニャから完全に拒否された後、見知らぬ人のけんかの仲裁に入ったり、金を人にあげたり、 悪からも離れて死ぬことしか考えないようになったようです。 川岸で、ユダヤ人の前で、アメリカに行くと言い、自殺する。 解釈はさまざまな角度からできるでしょうが、死ぬ決心が固まり、実行に移す決意の表れに際して、 不意に出た言葉なのだと思います。当時アメリカは遠い希望の土地だったでしょう。
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