- 和風な創作スレ 弐
78 :『閂(かんぬき)』 ◆BY8IRunOLE [sage]:2010/12/10(金) 22:49:48 ID:FMCZth5j - 【第三幕】
永野嘉兵衛は、四十を幾許か過ぎた実直な男である。 一六の頃から岡っ引きを勤め、十年ほど前に同心に出世した。いまや、この町ではよく知られた顔だ。 嘉兵衛は袂に入れた手を徐に出すと、懐の十手をなんとなく握り直してみた。 岡っ引の頃から数えて、三本目になる。房が付いてからはまだ一本目だ。 廃刀令が下ったが、十手に関しては、どうなるのかまだお上から沙汰がない。 “鋭利な部分”も“突起”も持たない構造だが、十手そのものが“突起”と言えなくもない。 この十手で、幾人ものやくざ連中を縛りあげてきた。 十手に刻まれた無数の刃傷が、その事実を裏打ちしている。 嘉兵衛の右腕にも、同じくらいたくさんの古傷がある。 何度も死にそうな目に遭いながらも、嘉兵衛はこの町を護ってきたのである。 歩きながら、嘉兵衛は思案する。 それは昨夜の凶行だ。 またしても、件の物取り――“熨斗”と呼ばれる男だ――が殺しをしたのだった。 % % %
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79 :『閂(かんぬき)』[sage]:2010/12/10(金) 22:53:39 ID:FMCZth5j -
夜更け時。 寺の鐘が四つ鳴った頃、飯屋で盃を空けていた客が言った。 「おっと、そろそろ帰んねぇとウチのかかぁに目ん玉くらっちまう」 「へ、もうとっくに愛想尽かされてんじゃねぇのかい」 馴染みの客が一人、二人と席を経つ。 その時、飯屋に一人の男が入ってきた。 熨斗である。 ボロボロの着流しの上から、袢纏を羽織っている。 長屋を襲ったときに盗ってきた物で、それだけが風体に沿ぐわない。 歪んだ貌に、眼だけが異様にぎらついていて、辺りの空気を不穏なものにした。 「おう、酒だ!」 熨斗は、どっかりと空いた席に腰掛けると、大声で言った。 既に別の場所で引っかけてきたのかも知れない、若干呂律が回っていないような口ぶりだ。 店主は、もう看板にする心算だったのだが、そのただならぬ殺気に気圧され、口を噤んでしまった。 「カネなら、あるんだぜ」 そう言って熨斗は、袖から幾許かの小判と銭を出した。 「文句ねぇだろ」 熨斗は、あたりの客を睨めつけながら冷や酒を口に運んだ。 因縁を吹っ掛けられたら堪らない、というように、馴染みの客は、そそくさと店を後にする。 やがて客が熨斗だけになってしまうと、店主は決死の覚悟で切り出した。 「あの、すみませんけど……・もう、看板なんで、これでお終いに……」 何本目かの徳利を卓に置きながら、おずおずと言う。 「あ゛ぁ? カネならあるって言ってんだろう」 熨斗は不機嫌そうに唸り、 「それともなにか、オレがこんなツラぁしてるから、追い出そうってか……」 ゆらりと立ち上がって店主を睨めた。 歪んだ貌がさらに醜く歪む。その奥の眼が据わっている。
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80 :『閂(かんぬき)』[sage]:2010/12/10(金) 22:56:19 ID:FMCZth5j -
「どいつもこいつも……何なんだ、てめぇらは! あ゛? オレのツラが気味悪りぃのか」 熨斗は、太刀を手に持ち、引き抜いた。 「ひっ……!」 店主が後ずさる。 「仕事は寄こさねぇ、雇いもしねぇ。稼ぎをあげても認めやがらねぇ……なんだあいつらはよォ!」 熨斗は徐に太刀を振り上げると、側にあった銚子目がけて振り下ろした。 銚子が派手に割れ、酒の雫とともに飛び散った。 その太刀の切っ先が飯台の角を掠めたとき、ごりっ、という音とともに木っ端が散った。 「ま、まままさか、皆殺しにするっていう……」 店主は腰を抜かして、へたり込む。 「目ぇ逸らして、こそこそ陰口叩きやがってよ……殺ってやらぁ、奴ら全員、地獄行きだァ!」 熨斗は、太刀を両手で持ち、滅茶苦茶に振り回す。 鈍い音と、濃い血の臭いが飯屋に充満した。 % % %
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81 :『閂(かんぬき)』[sage]:2010/12/10(金) 22:58:38 ID:FMCZth5j -
例の盗人が、また殺しをした―― それを聞いた彩華は、頼まれてもいないのに遣い物に出ると妙に伝え、旅籠を飛び出した。 「横丁の飯屋の親父さん、それはもう酷いことだって……」 通りで女たちがひそひそと話している。 彩華はそれを聞きながら、現場に向かっていた。 件の飯屋は人だかりがしていて、番所の岡っ引き数人が、野次馬を追い払っていた。 「ひでぇな、こりゃ」 「おい、こりゃあただの酔客じゃねえな」 「例の物盗りか?」 「飲み食い代を踏み倒そうとした、ってぇところだろう」 野次馬たちが口々に言っている。 彩華は、小柄な身体を人と人の間へ潜り込ませながら、それを聞いていた。 人だかりの切れ目まで来たとき、脚の隙間から、嘉兵衛の姿が見えた。 嘉兵衛は現場を検めながら、思案している様子だった。 % % %
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82 :『閂(かんぬき)』[sage]:2010/12/10(金) 23:03:25 ID:FMCZth5j -
――殺しを、愉しんでいる? 嘉兵衛は、未だ止められない盗人の凶行に苛立ちを覚えつつ、頭のもう一方では、冷静に分析を行っていた。 主たる目的は殺しであって、物を盗るのは其の序(ついで)である可能性もある。 残された刃傷から判断するに、剣の腕はさほどではない。 俄か仕込みの、剣術とも呼べない滅茶苦茶な振回しかただ。 そして――ここがもっとも嘉兵衛の引っかかる点であるのだが――その刃物の斬れ味は、はっきりいって良くない。 にもかかわらず、人体はおろか襖や障子にいたるまで、ざっくりと切断されている。 傷がついただけであるとか、刃が入ったものの途中で止まる、といった形跡が、一切無いのである。 飯台の角が欠けていて、斬り口が新しいことから、これもその凶器によるものと判断できる。 その斬り口はぎざぎざで、獣が喰いちぎったような印象を与えた。 ――斬れない刃物を力任せに振り回した、という印象だな。よほど剛力な者なのか……? 「旦那!」 清次が駆けてきた。 「何か見つけたか」 横目で若い岡っ引きを睨みながら問う。 「いやぁ、それがさっぱりで……あ、いや、その」 ――こいつ、岡っ引きやっていけるのか? 嘉兵衛は呆れるのを通り越していささか不安になりながら、部下を見つめる。 「番所からの通達で。検めが済んだら、奉行所に集まるように、だそうで」 「ふん……?」 おおよそ察しがついたのか、嘉兵衛は現場を見渡すと部下を呼び集めた。 % % %
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83 :『閂(かんぬき)』[sage]:2010/12/10(金) 23:09:56 ID:FMCZth5j -
奉行所には、既に他の同心らが集まっていた。 例の物取りの件に違いない、誰しもがそう思っている。 実際、それに関する噂話をあれこれ検証している連中もいた。 やがて役人が、若い侍を伴って現れた。 「里部丹次郎どのだ」 年の頃は二十歳位だろうか。 聡明そうな顔つき、背筋の伸びた体躯はやや鯱張っている。 強ばった表情は、緊張しているせいなのか。 「例の物盗りが質(たち)の悪い輩ということで、都の方から来て下すった。しばらくこの町に留まって下さるそうだ」 役人がそう言い、若い侍が目礼をした。 「なるほどね。とうとうお上の方から刺客が差し向けられたってわけか」 嘉兵衛の隣で、同僚が小声で呟く。 役人はその後、この若者がいかに剣の名人であるかを延々説明しだした。 それがいわゆるお世辞のたぐいであろうことは、嘉兵衛も長年の経験上、知っている。 だが嘉兵衛はこのとき、それを聞きながらなぜだか、妙のことを思い浮かべたのだった。
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84 : ◆BY8IRunOLE [sage]:2010/12/10(金) 23:13:45 ID:FMCZth5j - ↑ここまでです
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