- 野村の嘘話や作り話を上げてくスレ8
471 :神様仏様名無し様[sage]:2021/10/28(木) 19:51:15.26 ID:L0S22fnh - なんJにあった書き込み
256風吹けば名無し2021/10/28(木) 10:18:17.77ID:Iu4X30Uu0 沙知代はレジェンドやから格が違う この頃から沙知代は、南海のチーム運営に口を出すなどの行為が目立つようになり、選手たちの不満が渦巻くようになった。 門田博光には「野村の方針に文句を言うな。文句を言うなら試合で使わないわよ」と電話を掛けたという。 1975年秋、ついに我慢の限界に達した選手たちは沙知代の排除を計画し、 中百舌鳥球場で行われた秋季キャンプで克也が選手に意見を求めた際に、 門田博光、西岡三四郎、江本孟紀の3人が 「"カゲ"の監督がいるせいで選手が気持ちよくプレーできない雰囲気になっている」という旨の発言をして現状の是正を求め、 11月には西岡、江本、藤原満の3人がチームを代表して大阪市内のホテルで 克也に「公私混同を止めてください」と直訴した。 一方、球団フロント・職員の間にも沙知代に対する不快感が広がっており、 長嶋茂雄監督の初年度が最下位に終わった読売ジャイアンツが投手補強のため 南海にトレードを申し込んで来た際に、南海の球団幹部が 「野村が巨人へ行きたがっている」という情報を流した。 巨人のフロントはこの情報に興味を示し、佐伯文雄常務と張江五広報が窓口となって克也の獲得交渉を進め、 選手兼任ヘッドコーチとして克也を巨人に移籍させることで条件がまとまり、 克也本人も巨人への移籍を喜んで承諾していたが、結局不成立に終わった。 長嶋が反対したためであるという。 留任が決まった克也は反沙知代派の粛清に乗り出し、 首謀者と見なされた西岡は12月に中日ドラゴンズへ、 江本は翌年1月に島野育夫らと共に阪神タイガースへと、 それぞれ交換トレードで放出された。 沙知代はこの時、門田も他球団へ放出させようと画策したが、 川勝オーナーが克也に「門田だけは出すこと相成らん」と釘を刺したため、 門田の放出は阻止された
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