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神様仏様名無し様
南海ホークス20
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.27〓

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南海ホークス20
986 :神様仏様名無し様[sage]:2020/04/03(金) 10:08:32.48 ID:6AHDuyGS
野村のシンキング・ベースボールには、当然ブレイザーの合理的な思考が反映されてるが
ブレイザーのMLBキャリアは、STL→SFG→CIN→WSA→KCAと転々としてる中で
いちばん長くレギュラーだったのが1956〜1959のSTLカージナルス時代。
1958年には日米野球で来日しているが、この時のグラブ捌きに広岡が感銘を受けたとあるな。

ブレイザーがレギュラー二塁手だった頃のカージナルスは、大スターのスタン・ミュージアルが35歳から39歳まで。
この期間でも打点王や首位打者になる活躍だったが、他チームに与える脅威は徐々に低下し、弱体投手陣も相まって
チームも4位、2位、5位、7位(ナ8球団制、ア・ナで16球団制の時代)で、勝率5割越えも1度だけ。

ブレイザーは1959年を最後にSFGに移籍したが、この時のトレード相手が後に阪急に入るダリル・スペンサー。
https://www.baseball-almanac.com/players/trades.php?p=spencda01
https://www.baseball-almanac.com/players/trades.php?p=blasido01
なぜかwikiには載ってないのな。

ブレイザーのカージナルス最終シーズンに、若手のカート・フラッドやボブ・ギブソンが昇格している。
南海ホークス20
987 :神様仏様名無し様[sage]:2020/04/03(金) 10:10:38.61 ID:6AHDuyGS
ブレイザーもスペンサーも、MLBでは当時から常識になってるデータの蓄積やクセ盗み、
激しいスライディング、守備でも臨機応変なポジショニングなどを、そのまま日本で再現したら、
南海、阪急でチーム改革が起きた。

巨人のドジャース式トータル・ベースボールは、川上が監督になった1961年のベロビーチ・キャンプ仕込み。
南海、阪急はブレイザー(1967年加入)、スペンサー(1964年加入)のプレー・スタイルを真似てチーム内に
革命を起こしたが、時期的には巨人の方がアメリカ式トータル・チーム・プレーを早く導入した。

ただ川上もドジャース式のチーム・プレーをチームに浸透させるまで4年かかったと
Numberの西鉄特集で公言していて、その期間は日本一、4位、日本一、3位と波が激しい。

いちばん苦労したのが「情報の共有」。
グラブ捌きや右撃ちの極意を掴んでいるベテランは、そのスキルを積極的にチームに浸透させよ
という指令に、当時のベテランが猛反発。

「教えて欲しけりゃ金持ってこい」という、個人主義が当たり前だった空気を払拭するのに苦労したらしい。
南海ホークス20
988 :神様仏様名無し様[sage]:2020/04/03(金) 10:11:37.71 ID:6AHDuyGS
それに対し
「王の一本足や長嶋のスタイルは、真似ようったって誰もができるものじゃない」
「お前が自分の財産と固執するスキルも同じで、誰もが簡単にできて、越えられるものじゃない」
「それなら、スキルや情報を公開し、チームで共有すればチームは底上げされ、勝てる確率が上がり、
優勝すれば給料も上がる」と、粘り強く説得し続け、どうしても言うことを聞かない選手はトレードに出し、
個人スキルとチーム・プレーの質を同時に極限まで上げよ、という考えに「洗脳」するまで4年かかったとか。

最後まで洗脳されなかったのが長嶋と王。ONの対極が広岡、森。
広岡、森も人間的には川上と合わなかったが、アメリカ式チーム・プレーの学習にはとことん貪欲だったらしい。
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.27〓
76 :神様仏様名無し様[sage]:2020/04/03(金) 10:59:28.96 ID:6AHDuyGS
>>74
柳田はともかく、加藤初、梅田、加藤博、片岡新之助をトレードに出し、江藤を解任した75年オフが
チームが福岡で倒産した最大の元凶。
土井、白、東尾が揃って初のタイトル・ホルダーになったが、
「タイトルを取ったら選手の給料を上げないといけないのに、江藤はよけいなことをした」
という話が本当なら、いくら金欠にあえぐ惨状だったとはいえ、経営者としての福岡野球は失格。

まぁ年平均2万人の動員でも、黒字になるかならないかの財政状態だったのは坂井の著書にもあるし、
既にテレビ世代の巨人ファンが福岡でも多数派だった時代背景を考慮すれば、打てなくても
守りの要だった梅田、東尾のライバル加藤初は、どんな妨害、圧力があっても絶対出すべきじゃなかった。
青木一三が加藤初を出したがっていたなんて話も坂井本にあるが、どっから圧力を受けてたんだか。

加藤初、梅田がいなくなっただけで守備の骨格が崩れ、翌76年は梅田の代わりに来た広瀬、坪井が
使えず、基がショートで起用される機会が増えた。その副産物で吉岡が首位打者になったが。
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.27〓
77 :神様仏様名無し様[sage]:2020/04/03(金) 11:00:29.17 ID:6AHDuyGS
76年には古賀正明が入団して最下位チームでも11勝を上げたんだから、東尾、加藤初、古賀の
三本柱が確立し、77年の永射、若菜の台頭があれば、優勝は無理無理無理でも、毎年、勝率5割前後はいけたはず。
2シーズン制だったし、江藤も監督専任で2年目、勢いで優勝に近づくだけでも、もっと客は呼べただろう。

76年は西沢が肝臓病、楠城が2年目のジンクスで大不振、片岡新之助が残っていれば
片岡-基-梅田-白で、白を除けばセンター・ラインの破綻はなかった。
勝ってる試合の終盤なら、加藤博か真弓を守備固めに起用できたはずだし。

江藤のお気に入りで、75年に出場試合が多かった真弓は、76年はほとんど二軍暮らしだったが
これは鬼頭に干されてたんかな。若菜は77年に永射と同じタイミングで一軍に昇格したから、
若菜の台頭で、片岡、楠城、西沢から一人、二人出して投手補強もできたのでは。
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.27〓
78 :神様仏様名無し様[sage]:2020/04/03(金) 11:01:46.71 ID:6AHDuyGS
結局、西鉄がタダ同然でも放り出したいと投げ捨てたチームを延命させる為に、
ひたすら目先の話題作りだけ、目先の大金を追わないと即倒産という状態だったから、
あんな不平等トレードの連発になった。
しかも福岡野球の倒産を実現させようと、地元の西鉄原理主義の財界人が水面下で動いてた痕跡もある。

>>75
知ってても「西鉄ファンじゃない」という福岡出身のプロ野球選手は昭和30年代生まれからいた。
福岡第一の角富士夫は阪急ファン、柳川商の立花義家は広島ファン。
真弓や若菜は弱小でも西鉄ファンだったようだが、周囲からは変わり者扱いされてたんじゃないか?


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