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神様仏様名無し様
◆もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 5◆

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◆もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 5◆
389 :神様仏様名無し様[]:2010/12/21(火) 00:27:54 ID:6+08Au9T
だから王はパワーでホームランを打つタイプじゃないんだよ。
技術で打つ。
ある一定の距離を高確率で飛ばす技術を持っている。

松井は真芯で捉えれば150メートル以上飛ばすかもしれない。
一方王は真芯で捉えても150メートル飛ばないかもしれない。

しかし仮に松井が100本打って110メートル以上の打球を20%
しか打てないとすると、王は40%以上の確率で打てる。
仮に110メートル以上の飛距離ならホームランになるとする
と松井は20本しか打てないのに対し、王は40本打てる。
例えばホームランの平均距離では松井の方が大きいとしても
ホームラン数では王の方がはるかに上回る。
それが王の技術だ。
◆もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 5◆
391 :神様仏様名無し様[]:2010/12/21(火) 00:30:56 ID:6+08Au9T
王はわざとボールを詰まらせて打つ。
ボールを擦るように打ち上げる。
ボールは最も遠くへ飛ぶ角度で放物線を描く。
ボールにはバックスピンがかかっているので上空で伸びる。
王はボールを打つ時の感触でどれくらいの加減でボールを
打てばホームランになるかがわかっている。
だから球場の下段に経済的なホームランを打つ。
◆もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 5◆
392 :神様仏様名無し様[]:2010/12/21(火) 00:32:29 ID:6+08Au9T
こんな奇跡的な技術を持ち得たのはプロ野球史上王しかいない。
松下幸之助は王のこの高度な技術を“技”と呼んだ。
アンチ王にはわかるかな?
これがどれほど凄いことか。
◆もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 5◆
393 :神様仏様名無し様[]:2010/12/21(火) 00:35:11 ID:6+08Au9T
ちなみにハンク・アーロンもベーブ・ルースのような長距離打者ではない。
ボールを引きつけてコンパクトに打つ。
ただアーロンはリストが異常に強かった。
後、ダウンスイングで常にボールにバックスピンをかけることを心がけた。
だから他のどの打者よりも高確率で経済的なホームランを打つことができた。

◆もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 5◆
394 :神様仏様名無し様[]:2010/12/21(火) 00:38:05 ID:6+08Au9T
日米を代表するホームラン打者が実は最高の長距離打者ではなく、
高確率で中長距離を飛ばせる打者だったということは面白い。
彼らは180メートル以上の打球を常時飛ばせる打者ではなかったが
そういった打者よりはるかに多くのホームランを打つことができた。
◆もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 5◆
396 :神様仏様名無し様[]:2010/12/21(火) 00:45:02 ID:6+08Au9T
王のホームランはゴルファーがホールめがけてドライバーで打つのに似ている。
ドライバーは、確かに遠くへ飛ばすために使用するが、やみくもに遠くへ飛ばす
のが目的ではない。
あくまでホールの近くへ飛ばすのが重要だ。
王の打球もただやみくもに遠くへ飛ばすのが目的ではない。
各球場の広さに合わせて、どれくらいの加減でどれくらいの当たりを打てば
最も高い確率でスタンドへ入るかを計算して打っている。
打球がスタンド下段に入ったからといって馬鹿にしてはいけない。
スタンド下段に入るような加減で打ったのだ。
それが王クォリティ。
◆もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 5◆
397 :神様仏様名無し様[]:2010/12/21(火) 00:47:27 ID:6+08Au9T
だから王に対して球場が広くなったからホームランが激減するなどという
批判はあたらない。
王なら球場の広さに合わせて打球の強さ、角度等をその都度修正してくる
だろう。
松井にはそのような高度な技術はない。
ただひたすらコンパクトに強く打つことしかできない。
王と松井の実力の差はそれほど大きいのだ。
◆もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 5◆
419 :神様仏様名無し様[]:2010/12/21(火) 09:33:27 ID:6+08Au9T
技術は確かに集積され、より高度化されていく。
一方、時を経ても集積、高度化され得ないものもある。
それが“技”だ。
“技”は受け継がれるものではなく、その人一代で消えていく。
王の一本足打法は単なる技術ではなく“技”だ。
王以前も王以後も一本足打法を習得した打者は古今東西一人もいない。
そういう奇跡の打法を習得した王を単なる数字のみで推測しようとすること自体間違っている。
トルストイやドストエフスキーの文学をその使用している文字数やページ数のみで評価するよう
なものだ。
数字では本質に迫れない。


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