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神様仏様名無し様
1992年のプロ野球

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1992年のプロ野球
410 :神様仏様名無し様[sage]:2010/12/20(月) 12:31:31 ID:dsh80yOF
「セットアップ」

>>394>>395
6度先発したこの年の盛田だが最後の先発は5月16日。この日を最後に江尻代行の意向でセットアッパーに回っている。
野村弘樹、岡本透、田辺学といった前年のローテ投手に加え盛田、友利結、そして新人・斎藤隆ら若手を組み込んだ須藤だったが
野村、田辺が不調、斎藤隆ら若手も期待外れ。盛田でしか勝てずあえなく5月3日退陣。皮肉にも盛田はローテ5番手の投手だった。

盛田は巨人、阪神、広島と優勝を争っていた3チーム相手に救援を含むとはいえ12勝2敗。最下位・中日にだけ1勝も出来なかった。
結局リリーフで46試合に登板し11勝5敗2S、特にチームも13勝11敗と勝ち越した8月には(月間2位、中日以外8月は5割以上)
4試合にまたがって10イニング無安打。被本塁打も前年の43イニングで10本に対しこの年は131回2/3で9本だった。

球団にとって10年ぶりの最優秀防御率投手となったが10年前の斎藤明夫もリリーフ専門(先発は1度で134回2/3)で獲得
ちなみに同年パシフィックで最優秀防御率の近鉄・赤堀元之も救援専門でジャスト130イニング(先発2度)だったが2度の先発はいずれも
監督・仰木彬がタイトルを取らせるために起用した10月の消化試合だったことからも盛田の記録の価値の大きさが分かる。
1992年のプロ野球
412 :神様仏様名無し様[sage]:2010/12/20(月) 15:47:14 ID:dsh80yOF
「連投体質」

ロッテ・河本育之、大洋・盛田、阪神・田村勤と並び巨人・石毛博史も92年リリーフで頭角を現した投手と言っていいだろう。
188センチの身長から投げる速球には威力と角度があり、フォークを武器に三振の山を築いた。

90年二軍投手コーチ時代にイースタンの最優秀救援(12SP)に導いた宮田征典投手コーチの進言で監督・藤田元司が抑えに抜擢した。
この頃の石毛は荒れ球でも思い切って投げチームとしては鹿取義隆以来の抑え投手の出現だった。
奪三振数も見事だが石毛の一番の利点はスタミナだ。この年は中1日で1勝3S、連投では1勝4Sと無敗。
“連投が利く”とよく言われる表現も、ただ連日投げるだけでなく連日結果を出してこそ。93年までの石毛はまさに連投が利いた。
6〜7月にかけては9試合連続セーブポイントも記録した。しかし94年以降はプロの怖さを知ったのか制球に苦しむ姿が印象に残った。
藤田がもう少し続投していたらあるいは投手人生も変わったのか。石毛は巨人での通算229試合全て救援登板だった。


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