トップページ > 野球殿堂 > 2010年11月30日 > Onm3QG72

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神様仏様名無し様
【スカタン】中村勝広【負広】
昭和56年の巨人軍を語るスレ

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【スカタン】中村勝広【負広】
225 :神様仏様名無し様[sage]:2010/11/30(火) 13:23:26 ID:Onm3QG72
「前倒し」

「いずれは監督」と球団の内外でそう目されてきた中村ではあったが前任者・村山実の早期退陣が中村40歳での就任という思惑より早い形となった。
村山はあらゆる方面から采配を疑問視する声を受けていた。さらには久万オーナーの「スター監督は要らない」といった続投撤回発言が村山の居場所を狭めた。
ダメ押しは「一枝修平を軸に絞る」といった次期内閣人事に関するマスコミ人事は村山を“辞任”に仕向けたともいえる。

とはいえ村山の指導力の拙さも事実。期待された投手力向上は2年間でほとんど進まなかった。観客も多めでアバウトの当時の発表でも2万人そこそこだった。
中村は就任時「歴代監督でタイガースを変えたのはブレイザー」とブレイザー野球を強く支持していた。
しかしこれはハッスルプレーについての発言。野村克也や古葉竹識らのような元祖IDとは違い若さと気力で再建する気でいた。

91年の10連敗を含む負けっぷりにも球団社長・三好一彦は「辞めることだけが責任を取ることではない、力を合わせて頑張っていくしかない」と発言し
マスコミに早めに手を打ち途中休養を否定した。中村監督も「途中で投げ出したりしない、最後までベストを」と91年はやりきるつもりでいた。
しかしオフになっても結局続投。79・81年の広岡達朗、84年の西本幸雄など外部招聘で断られ続けていたのか逃げ腰になっていた。
千葉県出身。早大主将のエリート。阪神の将を努めるには風土が合わないと感じさせたのが90、91年だった。


昭和56年の巨人軍を語るスレ
462 :神様仏様名無し様[sage]:2010/11/30(火) 22:08:23 ID:Onm3QG72
8年ぶり日本一のこの年も四番打者は主に三人の打者を起用するなど固定。
後半は中畑とホワイトが数試合ずつ交互に打った。


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